第一手「敗北者」
それでは対局、よろしくお願いします。作者の棋力は53万です。
嘘です、五段です。
──負けた。
将棋の対局は挨拶で始まり挨拶で終わる。
「……負けました」
「ありがとうございました」
対面して向かい合う二人が掠れた声でお辞儀をした。
自分の掠れる声がやけに耳に響く。
嫌な声、嫌なセリフ。こんな言葉、本当は言いたくない。
──負けた。
将棋は長時間考えるので喉が渇いてしまうことが多々ある。
その為、投了する前はお茶や水を飲むのが一般的だ。
だがそれでも、長時間張り詰めてた体から出る声は自然と掠れてしまうもの。
──また負けた。
対局が終わると次に始まるものがある。それは"感想戦"だ。
どこが悪かったのか、どこがダメだったのか。ああすればよかった、こうすればよかった。と、対局した二人がこの局面について振り返ると言うものだ。
「い、いやー、はは……こ、ここはやっぱり攻めるべきだったんですかね……」
「歩を垂らすくらいでいいと思いますよ? この時点で既に負けてますし」
「あ、ああ! な、なるほど~……」
感想戦は非常に重要な行為。
その人がやられて嫌だった手や、自分が選択肢から除外してしまった手など、対局では見えなかった視点を知ることができる。
だがそれは、拮抗した二人が勝負を繰り広げるからこそ生まれる時間。強者と強者が知恵を賭して戦うからこそ振り返る意味があるわけだ。
自分と相手とで差がありすぎる場合、その感想戦は相手にとって時間の無駄でしかない。
「勉強になりました、やっぱり上位に食い込む人は強いなぁ、はは……」
「まぁ、まだ予選ですけどね」
針で刺されるかのような言葉に、俺の将棋の駒を掴んでいた右手が震えた。
──ああ、知ってるさ。その目はよく知ってる。
対局者の俺を見てない目だ。対局中も俺との盤面じゃなく、隣で行われていた対局をずっと凝視していた。
所詮弱い者は相手にされない、強い者は更に強い者を目指して崖を登る。崖から落ちた奴のことなんて見てる暇はないってわけだ。
「……笑えるね」
誰にも聞こえない声でそう呟く。
大会の対戦表が書かれている白いボードには、誰よりも早く『天竜一輝』という名前に赤いバツ印が付いていた。
……屈辱だった。
所詮は棋力一級。今年開かれた様々な地区大会で予選全敗しているだけのただの敗北者。それが今の俺だ。
一級とは言うがそもそも『級』って何ぞや、と思うかもしれない。剣道や書道、英検や漢検などでよく聞く言葉だと思う。
将棋では『級』というのは数字が少ないほど強い事が証明される、五級よりも四級、四級よりも三級の方が強い。
じゃあ一級の俺は一番強いのではないかと思うかもしれないが、残念ながらそうじゃない。
『級』の次には『段』がある。そして『段』は数が大きいほど強いことが証明される。二段よりも三段、三段よりも四段の方が強い。
つまり、一級の俺には次の『初段』が待ち構えている。というわけだ。
今の将棋界全体からみてこの一級というのは大体平均よりちょい上くらい。そして平均よりちょい上なのに地区大会すら勝てないのは、俺の参加しているクラスが"一般戦"だからだ。
参加者は7級や8級の子供じゃない。長年経験を積んできたおじいちゃん、将棋のプロを本気で目指すガチ勢、子供の部で相手がいなくなった天才児。
"一般戦"はこんな魔境みたいな連中との魑魅魍魎の図と化している。
俺の住む地区の一般戦は平均棋力がだいたい初段から二段辺り、まだ一級程度の俺じゃ太刀打ちできないのは当然だろう。
だが、俺も今年で20歳、ガタイだけは立派な大人だ。
そんな俺が『子供の部』なんてところに参加出来るわけもなく。毎年一般戦に出ては負け、出ては負け、ようやく勝っても予選落ち。
今日だって一回も勝てずに2連敗、予選落ちだ。
──ガヤガヤ……ガヤガヤ……。
どうやら奥の方で予選が終了し、決勝リーグが始まったようだ。
予選を勝ち抜いた猛者達が優勝のカップを手に入れるため、我こそはと奮戦している。
俺はそんな光景を傍から一瞥し、対局を見ることなく外へと足を向けた。
正直もう、他人の対局を見るほどの精神が残っていない。
今日は帰って寝よう、次はきっと勝てるさ。
いや、もう次なんて無いかもしれないけどな──。
「……」
暗闇に沈んだかのような表情を浮かばせ重い足取りで帰宅する。
こんな状態の俺だ。まさか自分の後ろを一人の少女がつけているなんて気づくはずもなかった。