ハッピーエンドは用意周到
はじめましての方は、はじめまして。
何かが始まりそうで、何も始まらないように見えて、少し始まる物語。
すみません、書きたいとこだけです。
結構長いので、お暇な時にどうぞ
世の中は不公平だ。
富める者は多くを手にするが、貧しい者には与えられない。裕福な人は生まれた時から華やかな生活を約束されるが、貧乏人は厳しい生活を余儀なくされる。
生まれもったステイタスは変えられない。それは、子どもでも知っている、ごく当たり前の事実である。
しかし、人生諦めてはそこで終わりだ。スタートラインが不利でも、後の努力でなんとかできる。
貧乏人からまともな人間に成り上がれる、一発逆転のチャンスがあれば、何が何でもしがみつくべきである。
そう、貧乏人だって!
たとえ極貧の村生まれで、両親はすでに亡く、幼い弟妹を4人ほど抱えて、毎日生活費を工面しなければ飢えて死ぬレベルであっても!
努力すれば!なんとかなることだってある!!
――と信じて。
日々勉学に勤しむ苦学生がここに1人。
図書館の隅を陣取り、人も殺せそうなほど分厚い書物を何冊も積み上げ、『話しかけたら殺す』とばかりの闇のオーラをまとい、鬼気迫る勢いで羊皮紙に文字を書き連ねてレポートを作成していた。
学生の名は、ノア。平民故、名字はない。
カラスのように真っ黒な髪に黒い瞳。そして黒いローブを着ている。
性は女、歳は16。
華の学生生活すべてを勉強に費やす、残念な女子学生である。
性格は卑屈、陰気、負けず嫌い。あと、富裕層に対して並々ならぬ敵意を抱いている。
前述のとおり、彼女自身非常に貧しい身分であり、毎日ギリギリの生活をしているので、単純にソレには嫉妬と呼べるものも含まれているが、特に勉学に励むわけでもなく日々面白おかしく暮らし、カネの心配をしたこともないような坊ちゃん嬢ちゃん貴族を死ぬほど嫌っている。
机に噛り付いているノアを見て、幾人かの生徒が『がり勉の貧乏人』、と、くすくすと笑いながら通り過ぎたのを見、彼女はぼやいた。
「うるさいな、見てろ、今に、立派な魔法研究学者になってやるんだから!」
校庭で勝手に採取した薬草をかじりながら、ノアは猛烈なスピードで課題を仕上げていった。
この王国で、『魔法』と呼ばれる便利なチカラが突如として発現してから十数年。
現在、魔法を操ることができる『魔力』を宿して生まれる者も増えてきた。
しかし、人智を超えた『魔法』の研究は未だ発展途上。優秀な魔法使いあるいは魔女を育成するべく、この王国では魔力のもつ子供は、誰でも無償で国立の魔法学校に通うことができる。
そう、魔力さえあれば庶民でも魔法使いになれるチャンスがあるのだ。学びの場があり、授業も無料で受けられる。
このチャンスを逃してなるものか、とノアは常々思っていた。
故郷に残してきた弟妹たちには、残念ながら魔力はなかった。故に、一家の家計を支えるのは長女であるノアしかいない。
彼女の人生最大の目標は、現在彼女も在籍している魔法学校に就職し、魔法を研究する学者になることだ(解明されていない部分の多い『魔法』を研究する学者は、高い給金を約束される、当世で花形の職業であった)
その前段階として、目下の目標は、死に物狂いで勉強して首席で学校を卒業することだった。
「っしゃあ、魔法社会学のレポート終わりっ!!」
順調に調べ作業と書き物を進め、課題を終わらせたノアは、机から身を起こして伸びをした。
時刻はちょうど18時を過ぎたところだった。授業が終わって速攻図書館にこもったので、ずいぶん長いこと没頭していたなあ、とノアは思う。
広げた羊皮紙やインク壺などの後片付けをして、ついでに分厚い書物を数冊借りて図書館を後にした。
図書館を出て暗い廊下を抜けると、女子学生の黄色い声が聞こえた。
なんだろうと顔をあげてみると、前方には貴族女子サマ方の集団、そして。
「げ」
その中心には、ノアが最も苦手とする人物。しかもばっちりと目が合ってしまった。ノアは思わず苦い顔をした。
クラウス・フォン・べレスフォード。
彼は、この学校で一番人気のある男子生徒だ。壁を作っている女子生徒はみんな彼のファンらしい。
両親は名門貴族、成績は常に首位、学内で1・2を争う剣術の使い手、さらに金髪碧眼の整った顔立ち。
――全く、嫌味しか感じない男だ。
何もかも持っている富める者代表のような彼を、ノアは一方的に嫌っていた。
あらゆる分野で、クラウスには敵わない。彼が常に首位にいるせいで、ノアは次席。ノアが必死に努力して獲得している点数を、彼は飄々と超えていく。しょせん、庶民は貴族には勝てないのだと思い知らされているようで、ひどく惨めになるのだ。
一瞬合ってしまったような気がする視線をそらし、足早に廊下を歩いた。
「クラウス様!こちら私が作ったお菓子です、受け取ってくださいませ!」
「私も!」
「うわっ!」
だが、女子集団を通りぬけようとしたところで、女子の一人にぶつかり、ノアはつまづいた。両手いっぱいに抱えていた分厚い本と勉強道具が宙を舞う。
――やばい、転ぶ!!
ノアは反射的にぎゅっと目をつぶった。
しかし、予想していた衝撃はいつまで待っても訪れない。
不思議に思っておそるおそる目を開けてみると、後ろから右手をつかまれていた。
「フラフラしてるんじゃない、危ないだろう」
ノアが天敵認定している、クラウス本人に。
放り出してしまった本やその他の道具も、ご丁寧に風魔法でまとめて返してくれる。
ッはああああーーー?!!!この、くそ貴族が!こっちは貴方様の取り巻きがぶつかってきたせいで転びかけたんですけど!
という言葉が出かかったが、ぐっと飲み込んだノアは、
「…ドーモ、ありがとうございました」
じとっと睨みつけながらも御礼はちゃんと言った。ただし、つかまれた右手は思いっきり払う。そのまま、振り向きもせず寮へ向かった。
別に、後ろからの女子生徒の視線が怖かったからではない。断じて違う。
奴に関わるとろくなことがない。卒業までなるべく接点をもたずに過ごしたいものだ、とノアは改めて思った。
――しかし、取り巻きのようなファンたちも毎度毎度、よくやるなあ。
当然と言っては当然だが、完璧超人で嫌味な男、クラウスには彼女がいるのに。
貧乏暇なし。
寄り道せず寮の自室まで戻ったノアは、内職作業に移る。将来の就職に向け邁進しているが、現在は無職の穀つぶし。田舎の家族のために、少しでも小銭を稼ぐのだ。
ノアは机の横にある箱から、仕事道具を取り出した。
彼女が入学時に初め、現在も継続している内職は、刺繍だ。
既製品の安いハンカチやらポーチやらにチクチクと手作業で刺繍をし、できたものを売店で売る。
売店には作ったものを販売できる小さなスペースがあり、生徒であれば無償で出品できるという、貧乏人には非常にありがたい仕組みになっている。
魔法で日常作業をなんでもできるようになった昨今、どうも魔法使いや魔女は、昔ながらの手法の手芸やら編み物やらが苦手のようで、手作りのものは結構売れるのだ。
中にはノアが売ったものを自分が手作りした、と騙して彼彼女に渡すツワモノもいるとか。
まあノアとしては売れるのであればどうでもいい。
むしろどんどん買ってほしい。バレた後の責任は負わないが。
そうぼんやりと思いながら、先週から手がけているハンカチの刺繍の仕上げをする。
割と手先は器用な方なので、この内職作業は苦にならない。
ノアが鼻歌を歌いながら、作業に没頭していると、
「ただいまぁ〜」
そこに同室の女子生徒が帰ってきた。
ピンクブロンドのふわふわした巻き毛に青い瞳。小さな鼻にふっくらとした唇。10人いれば10人振り向く美少女だ。
ノアと同じクラスの同級生で、名前はシャルロットという。
もちろん、ノアの敵視している富裕層の1人だ。彼女は傍に荷物を置くや、ご機嫌で化粧を直し始めた。そうして小一時間ほど経ったあと、ふと驚いたように声をあげた。
「あら、いたの?ノア」
「うん」
「あ、ねえ!そんなことよりも見てよ!またクラウス様からプレゼントが届いたのよ!」
「へえ、そう」
「なんて可愛らしいブーケ!≪薔薇のように麗しい貴女へ≫ですって!」
「よかったね」
嬉々として語り掛けてくるシャルロットに、作業中の手元から顔をあげることなく相槌をうつノア。
そう、机の上に溢れんばかりに置かれたプレゼントの数々を見て、頬を染めている彼女こそ、クラウスの恋人なのだ。
以前より美男美女で注目されていた二人は、お似合い!目の保養!と、生徒からは大人気である…らしい(シャルロット談)
「ねー、ノア。素敵だと思わない?」
「そうだね」
「うらやましいでしょー」
「別に」
と、淡々と返事をしていたノアだったが、よくよく見ると若干手元が震えていた。
ーー超絶羨ましいわ!クソ!
嫉妬で、憤っていたのである。
あのいけ好かない男からの贈り物は、不本意ながらノアの好みのものが多いのだ。
この間届いたピンクの箱入りの手芸道具なんか、それどうせ使わないでしょ、ちょうだい、と口に出かかった。もちろんプライドだけは山より高いノアのこと、すんでのところで思いとどまったが。
シャルロットは多分に愛されているようで、クラウスからの贈り物は週に何回も届く。
その度に、彼女は悪意なき自慢をしてくるのだ。
あーあー、いいよなあ。美人は。
裕福な男性に見初められて玉の輿なんて、いいなあとノアは思う。女子にしか成せない技であるし、自分は何もしなくても愛され、養ってもらえるとは素晴らしい。ノアも生物学上は女なのだから、その道を目指すべきだと考えたこともあるが、鏡に映る自分の冴えない顔を見て一瞬で諦めた。
ノアはシャルロットのような絶世の美女とは口が裂けても言えないし、容姿を整えるのには莫大な金と労力がかかる。しかもそれで男が釣れるかは分からないのだ。
そんな低い確率にかけるリスクは負えない。そんなことをやっていたらノアの家は滅びるしかない。
はいはい、勉強勉強。
ノアの存在意義は己の魔力と知識のみ。無事に学校を卒業するまでは、一瞬たりとも気を抜けない。
卒業後両親にいつ挨拶に行くとか、今度のデートの話だとか、シャルロットののろけを聞き流し、黙々と作業を続行したノアだった。
―*―
ノアはそれからも変わらない生活を送っていた。
すなわち、金がなく、これといった趣味もなく、遊ぶ友人もおらず、食事・睡眠の時間を削って勉強に没頭するという、他人が聞けば涙が出るほど寂しい学生生活を送っていた。
だが、その努力の甲斐があってか、通常18の歳で卒業するはずが、飛び級で卒業試験の受験を案内された。
卒業試験の通達を聞かされたときは、ノアにしては珍しく感情むき出しで歓喜の声をあげてしまった。
なんせ、あと数年かかる予定だった卒業が、向こうから降ってきたのだ。
しかも飛び級で卒業、となれば教授からの推薦・就職の斡旋もつくはず。なんとしてでもこのチャンスをモノにしなければ、と意気込んだ。
しかし、やはり人生はそう甘くない。
「なんで、卒業試験に『採集』が含まれてるんだ…!」
日光もあたらない鬱蒼と生い茂る森の中、ノアは頭を抱えていた。
彼女が今立っているのは、魔法学校からやや離れた地にある森。不思議なことに、ここは常に魔力に満ちており、貴重な薬草や魔性生物が採集できる。
今回の卒業試験では実技項目として、この森に自生している薬草や素材を集め、指定時間までに学校に戻るというものが言い渡された。
「私の希望は、研究室にこもって研究する学者だぞ…フィールドワークなんて絶対いらない…研究に必要な薬草とかは冒険者に依頼すればいいことだろう……なんで…」
ノアが魔法研究学者を目指していたもう一つの理由。
それは、極度の運動音痴で、体を動かす仕事は全くできないということだ。
幼いころから非力で、少し走っただけで息切れする。日光にあたれば肌は赤く焼けるし、転んでけがもする。完全インドア派でひきこもるようになったのは、彼女のこういった気質にも依る。
魔法アイテム、回復薬はしこたま持ってきたが、素材の捜索・移動手段は徒歩しかない。
普段外を出歩かないノアにとって、足元の悪い自然の中を歩きまわるのは苦行でしかない。
森に入って数時間で、ノアはもう満身創痍だった。
「うう、なんで他の試験で代用できなかったんだろう…筆記でも口述でもよかったのに…」
ぶつぶつと恨み言は止まらず。
だが、そうは言っても学校から指定された試験だ。同じ卒業候補生が皆、この森に入って採集を行っている。アウトドアが苦手、などとわがままを言っていられない。
「…はあ。とにかく目的地を目指そう…ええと、この辺りの野草は採り終えたから、あとはセレスティア泉の近くかあ」
ノアは魔法のコンパスをかざして方角を見、地図で自分の居場所を確認した。
早く移動しないと、日が落ちて動けなくなってしまう。
さっさと終わらせてしまおう、と立ち上がろうとした、その時。
ガサガサッ!
「え?」
近くの茂みで音がしたと思えば、突如として、大きな影がノアの背後から彼女を覆った。
瞬時に振り向いたノア。
そこには
「グルルルルル…」
「っひい!!?」
熊だ。それも、体長3メートルはありそうな巨大な熊がノアの目の前に現れた。
「ぐ、グラント・ベア…!はじめて見た…」
「グルルルルル…ガアアアア!」
「わあああ!!」
なんて、冷静に言っている場合ではなかった!食われる!!ノアは、慌てて餌めがけて襲いかかってくる熊から走りだした。
が。
「っ!うわ!?」
彼女はあろうことか、木の根に躓いて盛大に転んでしまった。
もろに地面に倒れ、手と足に擦り傷を作る。
その隙に、熊がその鋭い爪を振り下ろそうとする気配を背中に感じた。
ノアは自分の愚鈍ぶりを呪うとともに、あまりにもあっけないもんだ、と死を覚悟した。
「ほんと危なっかしいな、お前は」
「…え?」
しかし、またしても予想外のことが起きる。
覚悟していた痛みはなく、代わりに落ち着いた男性の声が降ってきたと思えば、次いで聞こえたのは獣の咆哮。
何が起こったのか、とノアが身を起こしたときに見たものは、学生服を着た男子生徒の背中と、呻いているグラント・ベアの姿だった。
剣を構え、熊と対峙している金髪の男子学生。
クラウスだ、とノアは思った。
「下がってろ」
言うやいなや、クラウスは手にしていた片手剣を熊めがけて振り下ろした。
あがる血飛沫。咆哮をあげ、あっけなく倒れるグラント・ベア。
一撃で熊を倒したクラウスは、ノアに向き直った。
「立てるか」
「あ、ああ、ありがとう……っいた!」
魔物を一体倒したというのに、何事もなかったかのように涼しい顔でノアを見下ろすクラウス。
ノアはどもりながらもとりあえず礼を口にし、立ち上がろうとしたが、転んだときの傷が痛み、顔をゆがめた。
「…、怪我しているのか」
「へ!?いや、別に。これは魔物につけられた傷じゃ…」
「見せろ」
クラウスはノアのそばに近寄り、服が汚れるのも構わず片足をついてノアの怪我を見た。
そのあまりにも絵になる光景に呆然とするノア。
王子様か。
「なんだこの足は。擦り傷だらけだ」
「こ、転んで…。あの、全然大したことないから、」
「………。」
恐縮するノアの足に手をかざし、クラウスは無言で回復魔法をかけていった。
また、ここも、ここも、とこれまで木の枝だの葉で軽く傷つけたひっかき傷まで丁寧に治療していく。
…な、なんか恥ずかしいんですけど!!
「も、もう大丈夫です!ありがとうございます!」
一通り傷を治してもらったノアは、今度こそ立ち上がり、改めて礼を言った。
何はともあれ、彼が窮地を救ってくれたことには変わりない。
クラウスのことを嫌味な奴と一方的に嫌っていたが、考えを改めるべきか、とノアはひそかに反省した。
「別に、いい。」
「あ、べレスフォードさんも卒業試験で…」
「クラウス」
「え、」
「クラウスだ、そう呼べ」
「は?でもべレスフォード、」
「クラウスだ」
「……。」
なにこいつ。
しかも同じ歳だ、敬語は不要だ。とか言ってくるし。責めるように睨んでくるのをやめていただきたいんですが。
「…クラウスさんも、卒業試験で?」
結局、押し問答になったので、ノアはしぶしぶ呼称を改めた。
屈辱だ。卒業間近になって、なぜこんなよくわからない男と関わる羽目になるのか。
「ああそうだ。それで…お前、パーティは組まなかったのか?」
「ぐ」
クラウスの至極当然な質問に、ノアは気まずそうに顔をそらした。
卒業試験、実技試験『採集』では、複数の生徒とパーティを組むことが推奨されている。
森は広範囲にわたる上、先ほどのような危険な魔物に出くわす可能性もある。故に、攻撃魔法に特化した者、索敵に特化した者、回復魔法に特化した者などバランスのよいグループを組み、全員で協力しながら安全に試験を終わらせよ、ということだ。
この試験はタイムリミットこそ設けられているものの、クリアする速さを競うものではない。
卒業候補生たちは大体4~5人ほどのグループで試験に臨むのがふつうであった。
「あんな熊で手こずっているようでは、先に進めないぞ。見たところ、戦闘は苦手のようだしな」
「うう…」
だがしかし、ノアにパーティを組めるような友人などいる訳ない。
――いたら、ぼっちで森の中にはいるものか!
ノアは情けなさに少し涙目になってしまった。
「く、クラウスさんだって、ソロじゃないですか!」
「俺はソロで十分だからな。戦闘能力に特化しているし、何回かフィールドワークで魔物を相手にしたことがある」
「うぐ」
本当に欠点のひとつもない男だ。
しかもノアと同じく、飛び級で卒業試験を案内されている。これでは、ノアが他の試験でいくら優秀でもクラウスには勝てないだろう。悔しさにうめくしかないノアである。
「…ご忠告ありがとうございます。じゃ、私はこれで」
これ以上惨めな思いはしたくない、とノアはクラウスに向けてそう言い放った。
そうだ、この試験さえ突破できれば晴れて卒業だ。
この男に敵わなくても、とりあえず学校を卒業できればいい。同級生同士、飛び級での卒業ということでクラウスと比較されるだろうが、その後また努力を重ねれば良いことだ。
ノアはそうして気を取り直し、目的地へ向かって歩き出した。
「待て」
歩き出そうとした、が。何故かクラウスに呼び止められた。
「なんでしょうか」
ノアはイライラとしながら再びクラウスを見やった。
小さなプライドがボロボロになり、気が立っているノアがつい冷ややかな口調になってしまったのは仕方のないことだろう。
というか、本当に何なんですかね。あれか、御礼でもよこせとかいうことか。
「すみません、助けていただいて何ですが、御礼などは持ち合わせていませんので、また後日…」
「お前、ここから先一人で行くのは危険だろう。一緒に行かないか」
「え?」
ノアは目を丸くした。何を言い出すのか、この男。
「え?いやいやいや!何故ですか!」
「別に目的地は一緒だろう。同行の間、お前を守ってやる」
「結構です!大丈夫ですから!」
「俺が大丈夫じゃない。大怪我でもされると、困るからな」
「はあ?」
困るとは、なにが困るのか。
一緒に行く、行かないとまたしてもお互いに譲らないノアとクラウスは膠着状態になった。
なんなんだ、この貴族様は。さっきから押しが強すぎないか。というか、ノア(足手まとい)と一緒に試験に臨むメリットなんて、皆無だろうに。
「…わかりました。よろしくお願いします」
結局、よくわからない迫力に負けたノアは、クラウスの同行を許可した。
すると、クラウスは女学生たちが歓声をあげそうな、実に爽やかな笑顔を作った。
「そうか、では行こう」
「え、わっ!」
言うなり、クラウスに手を取られたノア。そのまま彼は手を繋いで歩き出した。
「いや、手を繋ぐ必要はどこに!」
「お前、放っといたらすぐに転ぶだろう」
「え、いやあれは熊のせいで!」
「いいから」
心なしか嬉しそうなクラウス。先ほどの仏頂面はどこへやら、声まで弾んでるように感じられた。
何が何だか意味が分からないノアは、戸惑いながらも、『まあ、魔物退治してくれると言ってるし、無事にこの試験がクリアできるなら』と思い直した。
切り替えの早い所は、ノアの数少ない長所のひとつなのだ。
「さて、今日はこの辺りで野営するか」
「野宿ですか」
「俺の持っているテントを使うか?」
「いえ、田舎育ちなので平気です。お構いなく」
夜の森は危険だ。
夜行性の動物たちが活発に動き出す上、視界は暗く身動きが取りづらい。ノアとクラウスも、辺りが薄暗くなってきたところで、足を止め野営の準備にはいった。
クラウスは薪を組み、火の魔法を詠唱してたき火を作った。ノアも寒気の遮断と魔物よけ効果のある、簡単なシールドを張った。
これでよし、とノアは大きな木の根に腰をおろして持ってきた荷物の中を漁った。
たくさん動いて腹の虫が鳴いている。普段ほとんど食べないノアも流石に何か食べないと体力が持たない。目当てのものを掴み、ノアはもそもそと食べ始めた。
「おい」
すると、クラウスが戻ってきた。手には水筒と桶いっぱいの水を抱えていた。
「何ですか?あ、水汲んできていただいて、ありがとうございます」
「別にいい。それよりお前、飯は」
「え?今食べてますけど」
「それは薬草だろ」
「ええ、ですから薬草がご飯なんですが」
何を言っているのだ、この人は、とノアはもしゃもしゃと緑色の野草を頬張っていた。
薬草は万能だ。つぶせば薬になるし、摂取すれば魔力も少し回復する。
おまけに学校の庭で大量に栽培されているので、こっそり盗っても誰も何も言わない。普段からのノアの主食であった。
…まあ草は草なので味はいまいちだし満腹感はないが。
クラウスはそんなノアを見て、顔をしかめる。
「…ちょっと待て、ステイタス確認させろ。」
「え?ちょっと!何勝手に見てるんですか、プライバシーですよ!」
ノアの発言をスルーし、クラウスは素早く状態開示の魔法を展開し、ノアの様子を調べた。途端、彼にしては珍しく表情を変えた。
「待て、お前…HPの最大値も恐ろしく低いが、常時飢餓!?歩くだけでHP削られている状態じゃないか!常に気絶一歩手前で動いてたのか!?」
「あーそうなんですよ、生まれつき」
「阿呆か、栄養不足なだけだろう。怪我の治りも遅いわけだ…」
「でも飢餓状態では死にませんし、薬草食べればHP回復しますし」
「そういう問題じゃない!!」
クラウスが突然大声を出したので、ノアはびっくりして飛び上がった。
「な、なんですか急に…何で怒ってるんですか?」
「………。」
ドキドキと鳴る胸を押さえるノアを、クラウスは見下ろした。眉を吊り上げ、一気に不機嫌な表情になった彼は、なんてことだ、ありえないとぶつぶつと文句を垂れながら、自身の荷物の中から袋を取り出してノアに渡してきた。
「食え」
「え?」
「いいから」
ノアが袋の中を覗くと、干し肉やチーズ、パンなどの保存食がぎっちり入っていた。
見ればわかる、美味いやつだ。
特に肉などここ最近口にしていなかったノアは思わず手が出そうになったが、ハッと我に返り、クラウスに袋をつっ返した。
「結構です。クラウスさんの分でしょう?」
「いいから食え!」
「お腹いっぱいだからいらないです」
「………。」
ノアがツンとした態度で断ると、クラウスは急に黙った。
と思えば、
「え」
ぐいっとノアの右手を掴んで引き寄せた。突然のことに対応できず、されるがままノアは彼の方に倒れ込む。あっという間にあぐらをかいた膝の上に抱き込まれてしまった。
「ちょ、ええ!?何するんですか!」
「自分から食わないなら、食べさせてやる」
「え、はあ!?」
言いながらクラウスは袋の中をあさり、パンを取り出した。それを一口大にちぎり、ノアの口元に持ってくる。
「口開けろ、ほら、あーん」
「や、やめてください!恥ずかしい!」
いや、ほんとに恥ずかしい!なんでこの人こんなに強引なのっ!?
ノアはクラウスの意味不明な行動に必死で抵抗し、なら自分で食べます!と言ってなんとか難を逃れたのだった。
たき火を前に、隣同士に座るノアとクラウスは無言で食事をとる。
「…アリガトウゴザイマス。オイシカッタデス」
「そうか」
渡された食事をすべて食べ終え、久しぶりに満腹というのを味わったノアに、クラウスは微笑んだ。
その、よしよし、偉かったぞと言わんばかりの表情に、赤ちゃんか?私は。一応長女なのに…とノアは少なからずダメージを受けたのだった。
とまあ、そんなちょっとしたハプニングはあったが、その後『採集』自体は順調に進んだ。
クラウスは宣言通りどんな魔物が襲ってきても瞬時に退治したし、安全で歩きやすいルートを導き出して提案、またノアがへばっているとすぐに気づき、回復魔法をかけてくれた。
――な、なんだこいつ、完璧かよ…
そんな完璧超人の完璧たる様を見て、ノアは次第に嫉妬すら沸かなくなっていた。
実技試験開始から二日が経過し、現在、二人は洞窟の中の鉱物や苔を採集していた。
そんな素材集めも終盤に差しかかった頃、クラウスが唐突に話しかけてきた。
「ところで、そろそろ返事をくれないだろうか」
「…え?なんの?」
ここまできてノアもだいぶクラウスに慣れてきたので、敬語はやめ、砕けた口調になっていた。中腰で目的の素材を探しながら、ノアは素直に答えた。
「手紙の返事に決まっているだろう」
「手紙?私、クラウス君から手紙なんてもらったことないけど」
「何だと?」
背後でぴたっとクラウスが動かなくなった気がした。が、素材探しに夢中のノアは気にせず、そのまま鉱物を手探りで探す。
あーこのグローブもうダメだ。無事卒業したら新調するか、いや、もう採集に出る事はないからいいか?いや…
と擦り切れてきた己の装備を気にしていると、クラウスからまた話しかけられた。
「…なにを言っている。いままでどれだけ手紙を送ったと思っている。お前の部屋に届いていただろう?」
「は?」
今度こそノアは振り向いた。仰ぎ見たクラウスの顔は真剣そのものだったが、知らないものは知らない。
というか。
「クラウス君の手紙って…シャルロットのでしょう?」
「……?」
今度こそクラウスは絶句した。
そして、もーいいですか?と作業に戻ろうとするノアを、待て!と制止する。
「いや、手紙だけじゃない、贈り物も届けたはずだ、それは…」
「え、だからそれも彼女への贈り物でしょう?」
「待て、もしかして…今まで俺が送ったもの、全部…」
「?」
「なんてことだ、あのクソ女…」
ノアには何が何やら全く分からない。
そういえば、恋人の話はクラウスから道中聞いたことがなかった。もしかしたらシャルロットとは喧嘩中なのかもしれない。『思い出させてしまったのかな、それは悪い事をした』とノアはのんびり思った。
「なに言ってるか分からないけど、とりあえずそこにある輝石取らせて」
「………。」
「よし、こんなもんか。素材はあと3つ、もうすぐ終わりそうだ…ね…?」
「………。」
反転。
クラウスの方を向くと同時にまた強引に手を引かれたノアは、洞窟の壁に追いやられた。
そしてクラウスはその両腕で彼女の小さな身体を閉じ込めてしまった。
「…元はといえば、お前が悪いんだよ、ノア」
「へ?な、ななな、なにがっ!??」
またも急展開に、ノアは慌てふためく。
というか、顔がすごく近い。
クラウスの、透き通った蒼だがどこか昏い目が、ノアをじっと見つめて離さない。
「ずっと寮と教室の往復で、会うチャンスがない。流石の俺もセキュリティ万全の女子寮に忍び込むのはリスクが高すぎて断念した…。たまに行くとしても俺のIDカードじゃ入れない普通科専用の図書室。クラブにも所属していない、夜ごと行われるパーティにもイベントにも顔を出してこない」
「え」
クラウスは恨み言のように雄弁に語った。
「しかも、今時の女子学生のくせに、お前は通信手段のひとつも持っていない。引きこもりにもほどがある」
「あ、それはスミマセン」
通信する友人もいないし、家族には伝書を送っているので、とつぶやくと、じとっとクラウスはノアを責めるように睨んでくる。
「だから、せめて俺の気持ちを伝えようと、手紙や贈り物を送っていたのに、まさかただのひとつもお前に届いていないどころか、あのピンク髪のクソ女に横取りされているとは。お前、一人部屋じゃなかったのか」
「え、あ、シャルロットは途中で編入してきた転校生で、二人部屋に…」
「今までの俺の苦労はなんだったんだ…」
はあ、とクラウスは壁に両腕をつきながらため息をついた。
「まあ、いい。やっとこうやって会えたわけだからな。無理言って卒業試験にこぎつけた甲斐があった…」
「へ?」
「ノア、卒業したら、俺と結婚してほしい」
「は?」
急 展 開 。
というかさっきから私、疑問符しか出してないんですけど!?
ノアは高速で首をブンブン振った。
「いやいやいや!あなた、シャルロットの恋人でしょう!?」
「だから違うと言っているだろう。それはあの女が勝手に言っているだけだ。俺が好きなのはお前だ」
「えええ!?」
それこそ、なんで!?
ノアはクラウスの台詞に目を白黒させた。
「村に幼い兄弟がいるんだろう?まとめて養ってやるから、うちに嫁に来い。」
「う」
しかも身分も家族構成も把握されている。
「生活に不自由はさせないし、卒業後のお前の就職も支援する。悪い条件じゃないだろう?」
「うう!」
そして、これ以上ないほどの好条件を繰り出してきている。
流石、完璧な人間は交渉も非常に上手だ。思わず頷いてしまいたくなるくらいのメリット。
――いや、しかし、こんなウマい話があるわけない!
「…何が狙いなの。」
ノアは追い詰められたネズミのような気分になりながら、目の前の男に静かに尋ねた。
「狙いとは、なんだ?」
「だ、だって私と…けっこん、してメリットなんかないじゃない!」
「お前に惚れたからに決まっているだろう。それ以上なにがある」
「ええ!?」
「なにを驚いている。」
そう言ってクラウスはノアの頬に手を触れた。
瞬間、ノアの心臓が跳ね上がる。
今まで学業に全力投球してきたノアは、俗に言う恋愛経験ゼロ女。それが、こんな至近距離でイケメンが顔を近づけてくるなんて――完全に許容量オーバーだ。
――待って待って、マジで無理だから!!
ノアは心の中で悲鳴を上げた。
「待ってよ!ちゃんと聞かせて!」
「む、何だ」
「そもそも、何で私を知ってるの!?さっき会うチャンス全くないとか言ってたのに!」
「名前だけは入学時から知っていた。常に成績が俺に次いで2位のノア」
「黙れ、刺すぞ」
「いいぞ、お前に刺されるなら本望だな」
話が進まない。
ノアは、冗談に冗談で返す男を違う!と叱った。
「…じゃ、なくて!名前だけでどーやって、す、好きになるっていうの!」
ああもう、自分が自意識過剰のようでなかなか口に出せない!
ともかく、この頭がどこかオカシイ貴族様は、何がどうしてノアを気にかけるようになったというのか。
ノアに促されると、クラウスは少し思い出すようなそぶりを見せた。
「去年だったか、上級生の女子学生から、ハンカチをもらったんだ。校章が見事に刺繍されていた。自分で一針一針愛情をこめて縫ったと言っていた」
「そ、そう…。それで」
それは、明らかにノアお手製の商品だ。ノアはうわ、と心の中で思った。
まさかクラウスに渡す女子がいたとは。
「今日日、魔法も使わず手作りで刺繍する奴がいるとは、と気になって調べた。そうしたら、売店で売っていたものと知って」
そんで、すぐにバレてますね。
はは、とノアは乾いた笑いをもらす。
「売店に行ってみたら、商品を並べている女子学生を見かけたんだ、ノア、お前を」
「…なるほど」
ノアは、おそらく出品した商品チェックの時だろうな、と思った。ご存じの通り出不精が故、寮と教室以外は外出しないノアだが、売店への出品の時は商品を納品・検品する必要があった。
「それから、小さくて可愛らしいノアを目で追うようになって、いつしか好意に変わって行ったというわけだ」
ちなみに、お前の作ったものは逐一チェックしているぞ、とクラウスは軽くストーカー発言もこぼした。
――いや、いくらイケメンだからって、それはちょっとキモイんじゃないか。
ノアの作るものは、多くが女子向けの可愛らしい小物だ。大柄の男子生徒が毎度売店をチェックするのはかなり不自然だと思うんだけど。
と、ノアは若干引いていたが、クラウスは気にせず言葉を連ねる。
「家族のために学業に打ち込む姿も好ましい。俺をずっと追いかけてきてくれたんだろ?そんな気概のある女は、どこを探してもいない」
「…追っているつもりはなかったけど」
「俺は追いかけられてたつもりだった」
ノアが 苦し紛れにぽつりと言い返した言葉は、爽やかに流された。そして、
「ノア」
「わっ、ちょ、」
クラウスはがしっと両手でノアの手を包んだ。彼の大きな手はすっぽりとノアの手を覆ってしまう。
ノアの顔にカッと血が上った。
「努力家で、家族思いで、いつも一生懸命なノアが好きだ。頼む、俺の妻になってくれないか。」
クラウスは懇願するように言った。ノアがクラウスを見返すと、キラキラと輝く蒼い瞳と目があった。
「………。」
ノアは手を握られたまま、やや目線を外した。
あまりにも真っすぐにこちらを見る彼の視線に耐えられなかった。
クラウスは真剣だった。
こんなイケメンで、強くて、将来を約束されている貴族の男性に求婚されたら、世の女性は二つ返事で了承するのだろう。
きっと。
「お断りします」
私以外は。
「ノア、」
「私は、誰とも結婚しません。今は卒業して研究者になることしか考えていません」
そう、卒業して研究者になり、田舎の家族を養う。それがノアの人生の目標だ。それ以外のことは正直考えもしていなかったし、その必要はないと今も思っている。
貧乏人のノアにとっては、今回のチャンスを活かして、のし上がるしか生きる道はない。
「…クラウス君にはわからないだろうけど」
何もかも持っている貴族様には、きっとわからない。
だから、いいのだ。
ノアはすうっと息を吸い、
「クラウス君には、私よりももっといい女を見つけて、私とは別の世界で幸せになってほしい」
そんな、断りの定型句を口にした。
「………。」
クラウスは呆然とノアを見下ろした。
一方、手を解放されたノアはするりとクラウスと壁の間を抜けて、パンパンと衣服の汚れを払った。
「じゃあそういうことなんで。さっさと残りの試験を終わらせましょ」
「…ふっ、」
「ん?」
完全に切り替えたノアが洞窟を出ようとコンパスを発動させていると、急にクラウスから声が漏れ出た。
なんだ?とノアが振り向くと、
「くっくっく……」
クラウスは俯いたまま、ぶるぶると身体を震わせた。そして、
「はっはっはっは!!」
ついには声をあげて笑い出した。
「え?」
ノアは、大丈夫かこいつ、という目でクラウスを見た。
「やっぱり、お前、最高だ」
「は?」
「流石は俺の女神だ。一筋縄にはいかないとわかっていたが…、はは、ここまでキレイに振られるとは」
「ええ…?」
ノアは、かなり酷いことを言った自覚があった。
庶民がふざけやがって!と逆上されるかもしれないとも思っていたが、逆に何故こんなに爽やかに笑っているのだ、この男は。
嘘、まさか、こっぴどく振られて喜ぶような特殊性癖の持ち主?
「…もうここまで来れば、お互い単独行動でもいいよね。じゃあ、私先に行くから!」
「待て、逃げるな」
一気に恐怖を感じたノアは、言うが早いかダッシュで逃げようとしたが、すぐにクラウスに捕まった。
「離して!逃げるでしょ、普通!何、貴方怖すぎるんだけど!?」
「何がだ?それより、先にこれを渡しとく」
クラウスは暴れるノアを難なく抑えながら、四角い小型の箱のようなものを渡してきた。
「…何、これ?」
「通信端末だ。魔力を通してお互いの声を交換できる。伝書便はまた妨害される可能性があるからな。これが、俺の登録番号」
テキパキと説明するクラウスはいたって普通の様子だ。先ほどのノアの発言などなかったように。
ノアは手の中の小型端末を見て、次にクラウスを見上げた。
「え?ちょっと、人の話聞いてました?なんでそんな普通な感じなの?」
「ああ、聞いていた。だが、こちらも一度で諦めるとは言っていない」
「え」
クラウスは笑顔で言い切った。
途端、ノアの背にゾクリと悪寒が走る。
「悪いが、俺はしつこい男なんだ。ノアが諦めて俺の嫁になるまで、全力で口説かせてもらう」
「は!?」
「まあ、これからじっくりと攻めていくから覚悟しろ」
「え、ちょ、」
「さ、そうと決まれば、さっさと残りの試験を終わらせよう。無事に試験に合格したら、お祝いにデートしよう」
クラウスはノアの手を取った。そして機嫌よく鼻歌なんて歌いながら、歩を進める。
「え!?そんな勝手に!しかも受かるかどうかもわかんないでしょ!」
「合格するさ、俺もお前も」
「何、その自信!?ちょっと、手を引っ張らないで!」
強く握られた手は離されないまま、洞窟を抜け出る二人。外に出て、見上げた空は青々と冴え渡っていた。
数週間後、クラウス・フォン・べレスフォードとノアの両名は、卒業試験合格の通知を揃って受け取ったのだった。
―*―
「なるほどね~それがノア姉との馴れ初め?」
「ああ、そうだ」
「大変だったでしょ、あのカタブツ落とすのは」
「いや俺はこの上なく楽しかったぞ。はじめは牙をむいていた子猫が懐くようになるまで、じっくり愛していくのは。追い詰められた表情のノアは、それはそれは可愛らしくてな」
「クラウス義兄さん、愛が重~い」
「ははは、ノアへの愛情の重さならだれにも負けない自信はある」
豪勢な応接間の、これまた豪華なふかふかのソファに腰かけながら、朗らかに会話しているのは、クラウスとノアの弟妹たち。
数年前より、彼らはクラウスの邸宅のひとつにそろって移り住んでいた。
貧しい暮らしから一転、何不自由ない生活を送っている少年少女たちは、みんな健康そうだ。
クラウスは彼らを見てふっと微笑んだ。
そこに、バンッとドアを開けて入ってきた女性がいた。
「な・に・を!話してるんだ、このバカ!」
「ノア」
クラウスはノアの弟妹たちとの会話を切り上げ、すぐさま最愛の妻ノアに駆け寄り、慣れた手つきで抱き上げた。
「落ち着け、怒鳴ると胎教に悪いぞ。医者にも言われてたじゃないか」
「~~っ!この詐欺師が!」
「人聞きの悪いことを。ほら、ベッドに戻ろう。まだ熱があるんだろう?」
「ちょ、待て!変なこと弟たちに吹き込むな!」
「わかった、わかった」
ギャーギャーと騒ぐノアをなだめながら、クラウスは奥の寝室に消えていく。
その一部始終を眺めた子供たちは、顔を見合わせた。
「見た?クラウス義兄の甘々な顔。俺、砂吐きそう」
「結局、ノア姉が結婚承諾しないもんだから、外堀埋めてデキ婚まで持って行ったんだろ?クラウス義兄の計画通りらしいじゃん」
「完全犯罪とかできそうだよね、クラウス義兄さん…」
自分たちを極貧生活から救ってくれたのは間違いなくクラウスだし、そこは非常に感謝しているが、いつまでも幸薄い姉にはドンマイとしか言いようがない。
ノアの弟妹達は、一番上の姉の身を案じながらも、豊かで幸せな毎日を満喫していた。
END