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時間殺人

作者: 井坂りんご

きちんとした小説を書くのは初めてですが、目を通してくれたら嬉しいです。


[プロローグ]


はるか昔、激しく争う世の中で、謎の死を遂げた者がたくさんいる。

教科書に暗殺と書かれていても、それが本当だとは言い切れない。

当たり前だ。

その現場にいないのなら、今起きた暗殺でも真相はわからないだろう。

それは科学や数字で表せない何かがあるからだと、私は思う。

まして、紀元前2000年以上前の殺人なんて確かめる余地もない。

ただ怖いのはその暗殺に込めた人の思い、つまり呪いである。

命をかけて呪ったものは、その呪いを果たすまで消えないという伝説がある。

その伝説は、紀元前に起きた暗殺であろうと、今日起きたばかりの暗殺であろうと関係ない。

その呪いは時を越え今もひっそりと世に影を落としている。

しかし、その影は意外にもはっきりと表れている。

この世には何億人もの人がいるのだから、少なくとも何万個以上の呪いがある。

その上、地球が誕生してから何億年という時が経っている。

これを考えれば、呪いの数なんて数字で表せないだろう。

このお話はそんな無限にある呪いのうちのひとつだと言える。


さて、ここで話題を変えよう。

「生まれ変わり」というのはどんなものか知っているか?

自分は誰の生まれ変わりだろう、と考えたことはないかい?

ある人もいるだろうしない人もいるだろう。

「生まれ変わり」とは肉体や心が変わっても、魂だけは変わらず心を司ると言われている。

つまり魂が呪いを持っていても、心が気づかない場合もあるのだ。

むしろ、気づかない人のほうが多いだろう。

その上、生まれ変わったら肉体も心も違うわけだから前世の記憶はない場合が多い。


それを踏まえて聞いて欲しい。

紀元前2335年に呪いをかけられた植物の種がある。

それは「ラミナ」と呼ばれる大きな木の種だった。

紀元前で呪われた種は、芽を出し大きく立派な木に育っていった。

だが、そのあたりに住む人々は誰の記憶にも残らないという、謎の死を遂げた。

誰の記憶にも残らないというのに、謎の死を遂げたという書物があるのは不思議である。

それはさておき、その呪いは特定の「ある人」を殺すためだった。

が、その「ある人」の居場所がわからないため、とにかく近くの人を殺すという呪いだった。

全く恐ろしいものである。

しかし、呪いをかけた人まで殺される可能性があると気づき、呪いの言葉を決めようとした。

その言葉はもちろん、殺したいあの人がよく使う言葉だ。

よく使う言葉は、

“時間とは戻せぬものなのか?”

だった。

その時代、時間や人生は神が全てあやつっていると言われていたので、「戻せぬか?」と問うということは神に反する考えとみなされた。

それを恐れてみな口に出せなかったのである。

その言葉を使っていたあの人は、神を信仰していなかったせいか神の怒りに触れたことはなかった。

しかし、どうしてもあの人を殺したかった人、つまり呪いをかけた人はあいにく神を信じていた。

そのため自分の命と引き換えに「ラミナ」という木の種に呪いの言葉をかけた。

それだけ当時の神の存在は大きかったのである。

そんな呪いをかけられた木は、江戸時代の時計職人によって再び呪いの仕組みというものを変えたらしいがその真相は分からない。

ただ、その「ラミナ」の木には、時計が埋め込まれ、そのすぐ横で謎の死を遂げた時計職人が倒れていたという。

紀元前にかけられた呪いが、江戸時代の人まで影響が及ぶとは驚きである。

しかもその時計が埋め込まれた「ラミナ」という木は、今も残っている。

それが現在どうなっているかというと、詳しくは分からない。

だが、「ラミナ」は井坂家の庭にあると言われている。


井坂りんご。

この名を聞いたことはないだろう。

もし同姓同名の人がいたとしても、家に時計が埋め込まれた「ラミナ」という木がある人ではないはずだ。

この井坂りんごという少女は、呪いの被害者であると同時に、多くの人を殺した殺人犯でもある。

殺人と言っても、誰の記憶にも残らず時間から消え去ってしまうものだ。

この殺人を皆''時間殺人''と呼んだ。

今から、この時間殺人という呪いによっての殺人で起きた、ひとりの少女について語らせてもらう。

なぜ誰の記憶にも残らないはずの殺人を、時間殺人と名付けるほど知られているのか。

そして、なぜ記憶に残らないはずの物語を私は語っているのか。

これは物語の最後にでも話させてもらおう。


それでは、と本題に入りたいところだが、あとひとつ話しておかなければならないことがある。

今私たちの世界は時間がある中で暮らしているが、時間というものを含んでいる世界に時間はない。

これでは分かりにくいかな。

私たち人類の人生は、切ることのできない一本のひもだと考えてほしい。

呪いがかかると、実際には時間をループするということになるが、ループすると私たちの人生のひもは先に伸びない。

先にないということは後にもない。

私たちの人生というひもは、一部分だけ消すことはできないのだ。

故に時間自体から消えることになる。

理解するのは難しいとは思うが、これを理解してもらわないと、時間殺人を受け入れることは不可能だろう。

まぁ要するに、目に見える世界が全てではないということだ。


被害者と同時に殺人犯でもあった井坂りんご。

無限にある呪いの中から「ラミナ」という呪いについて語らせてもらう。

それでは始めようか。









[1章 都市伝説]

            

 

「いってきまぁす。」

 ここはある森の一角に建つ大きな家。

ひとりの少女が中学校に向かおうとしてふと足を止めた。

この少女こそがこの物語の主人公、井坂りんごである。

そして庭にある大きな木を見つめた。

なにかに吸い込まれるように、ただ木に埋め込まれた時計を眺めていた。

「あぁ、」

木を眺めているりんごを見て、ひとりの老女がため息に近い声を上げた。

りんごの祖母、井坂ザクロである。

りんごに続きザクロという名は不思議であるが、このわけは後ほど話そう。

りんごの母つまりザクロの娘は、りんごが生まれたと同時に亡くなり、りんごの父はりんごが生まれる前に亡くなったという。

りんごの母はよく木を眺めていたらしい。

これがため息の理由である。

自分より先に逝くとは思ってもみなかったと、ザクロは心の中で嘆いた。

そんな祖母の気持ちを知らず、りんごは小さな時計を眺めた。

1分ぐらい経っただろうか。

カチッ

かすかに音がした。

りんごは驚いて時計の秒針を見る。

8時13分46秒。47秒、48秒、49秒・・・・。

もう何十年も動いていなかったのに、その秒針は確かに動いていた。

時計が生き返ったのをりんごはうれしく思ったが、ちょっと不気味でもあった。

りんごは動いている時計をじいっと見つめてから、友達に知らせようと思い、軽い足取りで学校へ向かった。

これが呪いの封印が解けた合図とは知らずに。


 「おはよ。」

りんごはいつものように教室へはいると、ゆゆの席へ向かった。

山石ゆゆ。りんごの一番の親友である。

髪が長くスタイルも良い。その上美人だが、なぜかあまりモテない。

そろいすぎているからだろうか。

そんなゆゆにりんごは早速今朝の話をした。

「あのさ、今日庭の時計が動いたんだよー。」

「ほんと?あの木の中にあるやつでしょ?」

ゆゆは小さいときから仲良しで、りんごの家に何回も行ったことがある。

「てゆうか、いきなり動くって怖くない?」

「うん。お化けとかいたりして。」

「やめて。そうゆうの苦手。」

「あはは、冗談だよ。意外にゆゆって女子だね。」

「意外ってなによぉ。」

女子トークで盛り上がっているところへ、ひとりの男子が近づいてきた。

「おはよ、井坂。」

「うわ、山崎か。」

山崎光。運動神経抜群でかっこいいが、とにかくうるさい。

山崎はりんごのことが好きだが、りんごは全く気づかない。

女子は色んなことに敏感だが、たいてい人に好かれるのには鈍感である。

「なぁ、都市伝説って知ってる?」

「都市伝説?」

ゆゆとりんごは少し怪訝そうな顔をした。

むろん怖いからである。

「この中学にもあるってさ。」

「鏡中に?」

「うん。」

「まぁ、ありそうだよね。」

ここ奥鏡西中学校は、鬱蒼と覆い茂る森の一角にある。

そのためなのか、薄暗く不気味な空気を感じさせる。

都市伝説とか、お化けとかあってもおかしくない所だ。

「で、どんなのなの?」

「ん?」

「都市伝説。」

「ああ、よく聞けよ。」

山崎が話したのは次のことだ。

 この奥鏡西中学校には、とても古い図書室がある。

そして教室三個分くらいの大きさで、言わば図書館のような所だ。

その図書室の一番奥の棚に、薄緑色の表紙をした大きな本がある。

その中には、紀元前から続く「殺人履歴」が載っているという。

殺人をしたことがある者は、そこに綴られる。

それで今年、この中学の生徒の名前が載ったらしい。

しかもその殺人が実行される日は、今から約一ヶ月先だと書かれていた。

つまり未来の殺人犯も分かるということだ。

「おもしろくねぇか?」

いっきに話した山崎はニヤリと笑って問いかけた。

「「こっわ!」」

りんごとゆゆは同時に叫んだ後、顔を見合わせた。

殺人犯が誰だか知りたくなったのである。

「で、結局誰なの?」

りんごが問うと、山崎は

「知らない。」

と答えた。

「えー、じゃあ山崎見てきてよ。」

「いやいや、それはちょっと・・・。」

山崎が口ごもると、

「なんで?男でしょ?」

「そーだよ!」

と女子が攻めた。

自分たちも怖がってたくせに、と山崎は呆れた。

まぁ、女子とはこうゆう生き物である。

「なーに盛り上がってんの?」

3人が話している所へある人が近づいてきた。

ぽっ、とりんごの頬が色づいた。

木村爽。見て分かる通りりんごの好きな人である。

イケメンで学年一のモテ男、その上性格もいいが、どこか影がある。

その影ってる感じがまたかっこいい。

要するにイケメンは何をやってもかっこいいということだ。

「爽、都市伝説とか好き?」

「んー、まぁまぁかな。」

「な、調べてみようぜ。」

山崎はきらきらした顔で言うが、今来たばかりの木村にはさっぱり分からない。

「今日の放課後空いてる?」

「ん、私はオッケー。」

りんごは答えるとゆゆの方を向いた。

「私もオッケー。」

わいわいと話しているみんなを、ぼんやりと見つめながら、りんごは今朝の時計のことが頭から離れなかった。

どうして、今頃動くのか。嫌でもりんごは記憶の中のあの日に戻っていった。

-「あのね、この時計は呪いを閉じ込めた物なの。」

-「呪い?」

-「うん。だからこの時計は動いちゃだめなの。」

-「動いたらどうなるの?」

“たくさんの人が殺されるの”

これは幼い頃、りんごが母と交わした会話だ。

りんごの母は、りんごが生まれたときに亡くなっているのだから、記憶に残っているはずがない。

それなのに、昨日の事のように鮮明に思い出せる。

母の夢を見たことも、話を聞いたこともない。

そればかりか、写真さえも見たことがない。

まぁ、母の話を聞きたいと言ったこともないのだが。

なのになぜこんなにもはっきりとした記憶があるのか。

もし記憶が正しいとしても、あれはただの作り話?

それとも・・・。

りんごが考え込んでいると、少し遠慮がちな声がした。

「井坂、どうした?もしかして実は行きたくないの?」

山崎の声にりんごはあわてて首を振る。

「ううん。ちょっと考え事をしてただけ。」

りんごが言うと山崎はほっと息をつき、

「よかった。」

と言って笑った。

山崎はりんごが今朝から様子がおかしいのを、心配していたのである。

「そんでさぁ、その犯人が知ってる人だったらどうすんの?」

ゆゆが山崎に聞くと、

「そいつを捕らえてやめさせる。」

と張り切って答えた。

「えー、逆に殺されたらやばいよぉ。」

りんごが笑いながらそう言うと、爽が遠慮がちに手を挙げた。

「あのー、なに話してるのか全然わかんないんだけど・・・。」

「あ、ごめん。忘れてた。」

「ひどっ。」

みんなが説明しようとすると、先生が入ってきた。

「おーい、早くせきにつけー。」

安東先生。歴史が大好きな、社会科の先生だ。

その上哲学が好きで、「時間理論」という本を出版しているらしい。

比較的生徒から好かれ、授業の評判も良い。

ただひとつ、雑談が多いというのが欠点である。

まぁその雑談もなかなかおもしろい話だが。

「なぁみんな、この学校の都市伝説って聞いたことあるかい?」

安東先生がみんなに問いかけると、りんご達4人は顔を見合わせた。

むろんさっき話していたからである。

「先生はあんまりよく知らないんだが、なんかこの学校の生徒が殺人犯として載ってるらしいね。もしかして山崎か?」

安東先生が山崎を見て言うと、

「何で俺なんすか、こんなに真面目なのに。」

と言い、クラスのみんながクスクス笑った。

「いや、あり得るね。ま、それは良いとして本題に戻ろう。その都市伝説見に行ったやついるか?」

教室を見渡して、誰も手を挙げていない事を確かめてから、先生は静かに続けた。

「もし見に行ったとして、誰か知っているやつが書かれていたとしても、噂を流したり本人に問い詰めたりしないこと。だって誰かのいたずらということもあり得る。それで本当は違うのに、自分が殺人犯と決めつけられたら嫌だろ?んー、別に見に行くなとは言わない。都市伝説はおもしろいしね。だけど、この都市伝説で傷つく人が出ないように。いいね?」

はーい、とクラスのみんなが返事したのを確かめると、いつもの朝の会が始まった。

挨拶をして、服装確認、健康チェック、係からの連絡、それに朝の歌。

いつもと変わらない。

・・・はずなのに、りんごはちょっと首をかしげた。

なにかおかしい。

「あ、」

りんごは小さくつぶやいた。

でも騒がしいせいか誰も気がつかなかった。

時計が止まっていたのである。

8時13分46秒。

今朝、木に埋め込まれた時計が動き始めた時刻だ。

偶然なのか。いや絶対偶然だろう。それ以外に何がある。

そうやって必死にりんごは自分に言い聞かせる

今朝の時計と記憶、それに教室の止まっている時計。

りんごは自分を説得しようとするが、やはり偶然ではないと思ってしまう。

「先生、時計壊れてますよ。」

山崎が先生に言うと、

「おお、ほんとだ。気がつかなかった。直しとくよ。」

と壁から外した。

そんなに変わったことでもない。

それなのになんで。なんでこんなに時計が気になってしまうのか。

あの母と交わした会話の記憶もきっと、母を想像でもしていてそれが本当にあったことのように覚えてしまっているだけだ。

だから気にすることはない。

りんごは無理矢理自分を納得させると、それ以上は考えないようにした。

「井坂、プリントを取りに来てー。」

「はーい。」

先生の声に慌てて立ち上がる。

考え込んでいたため係の仕事を忘れていたのだ。

「どうした。仕事忘れるなんて珍しいじゃないか。」

先生と並んで歩きながら、そう言われてちょっと笑いながら答えた。

「んー、考え事をしてたんで。すみません。」

「いや、なんか今日沈んでない?暗いよ?」

「そう見えますか?そんなことないです。」

「そうか。ならいいんだが。」

そんな落ち込んでたかなぁ、とりんごは笑いながらつぶやいた。

「ところで井坂。この前の作文よかったぞ。」

先生はりんごの気分を上げようとしているのか、にこにこしながら褒めた。

「井坂は時間に興味があるのかい?」

りんごは作文で時間の謎について書いたのだ。

正直、時間とはなにか分からない。

分からないからこそおもしろいと思っている。

りんごは作文にそう書いた。

「はい。亡くなった父が哲学者だったそうで、この前本を見つけて。あ、先生も時間お好きですよね?」

「うん。時間っておもしろいからね。」

「時間は戻せないのかなって思って、今本読んだりして勉強してるんです。」

「戻す?」

「時間とはなにかって分かったら、時間を戻すことはできると思うんです。」

「ほぅ、井坂の考えることはおもしろいな。」

「あ、これ私本気ですよ?まぁ本気に考えてる人はあんまりいないでしょうけど。」

「それだけ時間を戻したいなにかがあるのかい?」

「はい。祖母以外の家族に会いたいです。だって私の記憶にある親戚って祖母しかいないから。別に悲しいとかじゃなくて、私はその親戚に繋がってというか、その人達がいるから私がいるのに記憶にないってなんか申し訳ないなって。」

少し寂しそうに笑うりんごを見て、先生は胸を痛めた。

先生は家庭状況を知ってから気にかけているのだが、本人が口にしたのを聞いたのは初めてである。

「そうか、井坂は優しいな。よし、このプリント持って行ってくれ。」

「はい。」

先生気を使っているのバレバレだよ。

そう思いながらりんごはクスッと笑った。

りんごは先生からプリントをもらってひとりになると、ため息をついた。

なんか安東先生と話すと、言うつもりなんてなかったことまで言っちゃうんだよな。

それに親がいないかわいそうな子に見られるのはいやだ。

あーあ、悩みの種がもうひとつ増えたなぁとりんごは思った。

「なんとかなる。なんとかなるさ。」

と、おまじないのようにつぶやくと、廊下を軽い足取りで教室に向かった。

窓からは爽やかな夏の風が、りんごの背中を押すように優しく吹いた。


それと同じ頃、井坂家では悲しい出来事が起きていた。

ザクロの心臓が止まったのである。

夫と娘を亡くし、娘の婿までいないのだからもう耐えきれなかったのであろう。

心の病とでも言おうか、突然のショックによるものだ。

なにによってショックを受けたのか。

それはまだ誰にも分からない。

だが、りんごがこのザクロの死によって、どれだけ苦しめられるのか。

そうとは知らず笑顔で友達とじゃれ合っている彼女には、知る予知もないのだった。


 帰りの会が終わり、りんごが部活に行こうとすると、

「りんご。放課後校門ね。」

と、ゆゆが声をかけた。

「部活終わってからだよね?」

「うん。6時くらいかな。」

「オッケー。」

ゆゆと別れると、りんごは部室へ向かった。

りんごは文芸部の作詞係。

作文や論文、詩、エッセイ、それに歌詞など、好きな物を書いて良い自由な部活だ。

りんごの作詞係は何個か歌詞を作り、その中で軽音部と相談し曲にする。

そのうち3曲くらいを文化祭、通称「鏡祭」で披露するのだ。

もちろん、作詞係でも作文やエッセイなどを書いたりする。

そしてそれをまとめた冊子を、月に一度全校に配布するのだ。

さっき安東先生が褒めていたのは、この冊子に載った作文である。

りんごは今年から2年生だから、先輩になる。

りんごの文章力はとても優れていて、りんごに憧れて入ってきた1年生もいるくらいだ。

コンクールでも何度か入賞している。

「こんにちは。」

りんごはいつも通り部室のドアを開けると、窓側の席に座った。

部活ノートを出して準備していると、桜先輩がプリントを持ってりんごの所へ来た。

宮森桜。りんごのひとつ上で3年生。この部の部長だ。

「りんごちゃん、軽音部から今回のテーマは「夏」にしてほしいって。」

6月くらいつまり今の時期になると、軽音部から曲の提案が来る。

「夏、ですか?」

「うん。それでパァって盛り上がる感じが良いって。」

「テーマそれだけですか?」

「ううん。もうひとつは「恋」だよ。」

「あぁやっぱり。毎年恋はありますね。」

「そりゃ恋と生死は人間の本能だもの。」

「じゃあ今度死の歌詞作りましょうか。」

りんごが笑いながら言うと、

「怖い怖い。」

と桜先輩が大げさに肩をすくめて言った。

「そんで、最後のテーマは自由。」

「何にしようかなぁ。」

「ま、考えながら書いて行こ。」

「はい。」

「ってことでりんごちゃん、作業場に行って良いよ。」

りんごはいつも部室で書かず、廊下や誰もいない教室などで書く。

だからいつの間にか、作業場と呼ばれるようになった。

「分かりました。先輩はなに優先しますか?」

「私はもちろん恋!」

「あはは、先輩らしい。」

「りんごちゃんは?」

「夏かな。」

「んじゃ期待してる。」

「私も楽しみにしときます。」

先輩と打ち合わせが終わると、りんごはノートを持って部室を出た。

今日はどこ行こうかな。

りんごは校庭が見渡せる誰もいない教室に行き、ベランダに出た。

ベランダの端に腰掛けると、ノートにシャーペンを滑らせていく。

夏、爽やかな風、緑の青々しい葉っぱ、きらめく太陽、それから・・・。

りんごは頭に夏で思い浮かぶ言葉を並べる。

それをつなげて歌詞にするのだ。

もっとみんなが共感するような、うーんこれじゃあきれい事を並べてるだけになっちゃう。

りんごは何回も書き直しながら、語句を練る。

夏ってどんなイメージだろう。

キラキラしていて、はっきりとした色の景色。

爽やかで、元気が出て、楽しくて。

あーあ、ありふれた言葉ばっかり。

ん?待てよ?

ありふれた言葉ばっかりってことは、それが今思っていること。

てことはそれがぴったりだっ。

りんごが一通り書き終えて校庭を見ると、同じクラスの中野君がサッカーボールを一生懸命追っていた。

あ、なんかいいな。

夏ってこうゆう輝きがある。

中野君はいつも静かで、特に女子とは全然話さない。

だけど、今ボールを追っている姿は、思い切り笑っていてかっこいい。

これが夏だ!って感じ。

りんごはまたノートに目を戻すと、中野君のキラキラした笑顔を夏と関連させて、また新しい歌詞を書いた。

     

  いつもはただ通りすぎるだけなのに

       ふと足を止めて

       輝くような笑顔に見入ってしまうのは

       夏の太陽がキラキラしているせいかな

  

なんか恋みたいになっちゃった。

りんごは笑いながら校庭を見ると、中野君は静かないつもの中野君だった。

そっか、いつでもかっこいいわけじゃないんだ。

なんかささやかな魔法みたい。


       夏が来た! 夏が来た!

       いつも通り 特別な

       夏が来た! 夏が来た!

       爽やかな風と共に


さびの部分ができると、りんごはいったん休憩。

「りんごちゃーん。」

「あ、桜先輩。」

「書けた?」

「はい。先輩は?」

「さびだけ。」

「見せてください。」

「いいよ。交換ね。」

先輩からノートを受け取ると、早速読み始めた。


       一瞬笑った顔に

       一瞬で君色に染まった

       その笑顔 自分の物だけにしてみたくて

       一瞬触れた手に

       一瞬世界が全て美しく見えた


んー、すごい、さすが桜先輩だ。

想像しやすくて、恋がしたくなる感じ。

それにリズムも良くて、かわいらしい。

「先輩もしかして体験談ですか?」

「ちがうよ~。りんごちゃんこそサッカー部に好きな人でもいるの?」

「いませんよ。何でサッカー部なんですか?」

「校庭見てたじゃーん。」

「それは詩の材料を探してたんです。」

「ふーん。」

桜先輩はニヤニヤしながら言うと、立ち上がり部室へ行った。

桜先輩って慌ただしいな、なんか台風みたい。

りんごはひとりになると、ベランダから教室の時計を見た。

5時26分。

カチッ、コチッ、カチッ、コチッ、カチッ・・・。

進んでいく時計をぼんやりと眺める。

りんごは幼い頃から時計が好きだった。

ずっと眺めているとなんか違う世界がのぞける気がしてならないのだ。

きっとね、その世界にはお母さんとかお父さんとかがいてみんな笑ってるんだ。

そうやっていつもりんごは信じていた。

お母さんもこんな風に時計を眺めていたのだろうか。

りんごは初めて、お母さんのことをもっと知りたいと思った。

帰ったらおばあちゃんに聞こうかな。

そう思ってまたノートにシャーペンを滑らせた。

「井坂ー!」

校庭から大きな声がしてびくっとすると、山崎がりんごに満面の笑みで手を振っていた。

「なにー?」

りんごも大きな声で聞き返す。

「良いの書けたー?」

「うん!」

「楽しみにしてるからー!!」

りんごは山崎が励ましてくれたのに気づいた。

桜先輩がきたのも、もしかしてそうかな。

今日なんか沈んでるのが自分でも分かる。

どうしてだろ。

今日の放課後の都市伝説だって楽しみだし、作文だって褒められたし、授業もいつも通り。

それにいい歌詞だって書けた。

なのに・・・。

りんごの気分は上がらない。

りんごは嫌な気分を振り払うように首を振ると、都市伝説のことについて考えた。

殺人履歴ってどんなんだろ。

ってゆうか、都市伝説ってほんとかな。

本当だったらこの学校で殺人が起きるのかな。

それに、殺人ってどんなんだろ。

もしかしてお母さんやお父さんは殺されたりしたんだろうか。

ふとりんごにそんな思いがよぎった。

りんごの祖母ザクロ以外、りんごの親戚は誰ひとりいない。

みんな死んでしまった。

だが、誰ひとりとも写真がなく、遺品もない。

都市伝説の「殺人履歴」に、お母さんや親戚を殺した殺人犯が載ってたりして。

なーんてね、あるわけないじゃん。

お母さんもお父さんも病気で死んだんだし。

りんごは自分の想像に笑いながらも、ありえるかもと少しばかり思っていた。

家に帰ったら、おばあちゃんに問い詰めてみようか。

りんごはいろいろ考えながらも、放課後が待ち遠しくてしかたがなかった。


 りんごが部活を終えて校門に行くと、もうみんな集まっていた。

「お、井坂。」

「お待たせー。」

「今年の鏡祭はテーマなに?」

「夏と、毎年定番の恋。」

「りんごは?」

「夏。楽しみにしといて。」

「ん、期待しとく。」

山崎はバックを背負い直すと、

「じゃ、行きますか。」

と、声をかけた。

私たちが図書室に行くと、ドアの前に安東先生が立っていた。

「あれ先生、なにしてるんですか?」

ゆゆが声をかけると、

「井坂!落ち着いて聞いてくれ、」

とびっくりするくらい大きな声で言った。

「あのな、さっき学校に連絡が入ったんだが、井坂ザクロさんが、」

そこで一回言葉を区切った。

「おばあちゃんがなに!?」

りんごは先生のただならぬ様子を感じ、先生を急かした。

「・・・・お亡くなりになったって。」

「え・・・。」

うそだ。

絶対にうそだ。

りんごは頭がついていかない。

「井坂は家に早く帰れ、先生が送る。」

「・・・です。いいです。近いので歩いて帰ります。」

「そ、そうか。」

りんごの顔はほぼ無表情だった。

うそだ。

うそに決まってる。

家に帰ったらおばあちゃんが、今日は暑かったねとか言いながら、先生ったらそんなこと言ってたの?おかしわねぇとか言って笑うはずだ。

縁起でもないこと言わないでちょうだい、とか言って笑うに決まってる。

「ただいまぁ。」

いつものように家に入ると、おばあちゃんの親友だった美代子さんが迎えてくれた。

「おばあちゃんは?」

りんごは何でもない風に装って聞くと、

「ザクロは・・・。」

と、声を詰まらせた。

りんごはバックを投げ捨てるとリビングに飛び込んだ。

そこには、白い布団に静かに横たわっているザクロがいた。

「おばあちゃんっ!起きてっ!ねぇ!いつまで寝てんのっ!」

りんごがいくら叫んでも返事はない。

どうして・・・。

「ねぇ!起きて、よ。起き、ないの・・・・?」

どうして私の周りにいる人は、みんな消えてくの?

どうして・・・。

「やめて、おばあちゃん・・・。ねぇ・・・っ。」

なんでいつも私の大切な人は消えていくの?

お母さんもお父さんも、おばあちゃんまでいなくなったら私ひとりだよ。

りんごの胸の叫びは声にならず、代わりに涙が流れた。

いつも私の周りには誰もいない。

りんごはザクロの横でずっと泣き続けていた。

どれくらい経っただろうか。

りんごの涙が止まりかけた頃、美代子さんが優しく言った。

「おなかすいた?」

「うん。ごめんね、美代子さん。」

「ううん。ザクロはね、自分が死んだときのためにって遺書を残していたわ。」

美代子さんは白い封筒を机に置いた。

りんごはそっと手に取ると、静かに開封して読み始めた。

最初はザクロの字を見て涙を流していたが、どんどん読むにつれて悲しみが薄れていった。

ザクロの死よりももっと衝撃なことが書かれていたのである。

「美代子さん、これ、どうゆうこと?」

「どうゆうことって、そのままよ。」

「いや、意味は理解したけど、なにこれ、呪い?殺人者?都市伝説がよみがえる?なんなの?」

りんごはザクロの死に対する悲しみは吹っ飛び、ただただ呆然としていた。



りんごへ         2015年5月6日

 りんごがこの遺書を読んでいると言うことは、私はもうこの世にいないね。

私が死んだのには意味があるんだよ。りんご今から簡単に書くから、よく考えるんだよ。

りんご、あなたのお母さんは殺されたんだ。というかりんごのために自殺した。

そして私もあなたのお父さんを殺した。殺したと言っても、ニュースで見るようなのじゃなく、

時間から、そして記憶から消す殺人だ。これを時間殺人と呼ぶんだ。

りんご、あなたの魂は呪われている。これは冗談じゃない、本当の話だ。

家の庭に大きな木があるだろう?あの木は紀元前から呪われている。呪いという物は

たいてい誰かへの復讐か、憎しみによって生まれる殺人願望だ。紀元前に呪ったひとの目的は

その時代に生きた人を殺すためだが、その魂が生まれ変わったのがあなただ。

りんごは紀元前に殺されるはずだった魂を持った人なんだ。だから呪いから逃れようと、様々な殺人を

するだろう。りんごは殺人者になる。殺人しても、記憶には残らない。だけど一度殺したことがある人は、

誰かが時間殺人をしたとき、記憶に残るんだ。私はりんごのお父さんの記憶はないが、自殺した

お母さんの記憶はある。

みんなりんごが呪いの被害を受けないように、井坂家は頑張ったけど無理だったんだ。

奥鏡西中学の都市伝説の通り、りんごは「殺人履歴」に載る。

ごめん、りんご。

殺人者になるかそれとも被害者になるか。

そろそろ分かってくるだろう。

りんごを殺人者にしてごめんね、都市伝説がよみがえるから気をつけて。

                             井坂ザクロ



「ねぇ、なんなの?おばあちゃんふざけてるの?」

りんごは静かに眠っているザクロに向かって言ったが、むろん返事はない。

「ってゆうか、どうやって時間殺人が起きるとか書いてないし。ごめんねとか言われても、私殺人者じゃないし。意味わかんないんだけど。」

りんごは頭の中から、ザクロを亡くした悲しみは完全に消え、ただただ呆然としていた。

「美代子さん、私は誰なの?おばあちゃんの孫じゃないの?」

「え、どうしたの?急に。」

「おばあちゃんの遺書が本当なら、お母さんもお父さんも時間から消えてる。そしたら私は誰の子でもないよ。お母さんが時間から消えているなら、私も時間から消えてるはずだよ?」

「言われてみればそうね。」

「私は誰?」

「んー、井坂りんご、かな。」

「そうだけど、誰の子なの?」

「分からないわ、私にも。」

美代子さんも親友の遺書に困惑し、対応できないのである。

りんごも、美代子さんがなにか知っているとは思ってないが、とにかく自分の持ってる疑問をはき出すしかなかった。

「まぁそれはさておき、夕飯でもしましょうか。」

「うん。」


りんごはお葬式を終え、3日後に学校へ行った。

「おはよ、山崎。」

「お、井坂。久しぶり。」

そう言ったきり、山崎は気まずそうに黙ってしまった。

りんごは、山崎が気を使っているのが分かって、申し訳なく思った。

いつもだったら、うるさいほどしゃべるのに。

「あのさ、都市伝説見に行くのやめない?」

りんごが山崎に言うと、えっと言った後、いいよと優しく笑った。

「ごめんね、知りたがってたのに。」

「ううん。どうしたん?やっぱ怖かったか。」

「いや、ちょっと・・・。」

りんごが口ごもると、

「話したくないなら、話さなくていいよ。」

と笑って言った。

「なんか山崎やめてよ、気を使わないで。全然大丈夫だから。」

りんごはいつもの山崎らしくない、と付け加えた。

「ふーん、そうには見えないけど?」

「見えないとしても普通にしてよ。」

「んじゃ、なんで都市伝説見に行きたくないの?井坂が行かないんなら、俺ひとりで行くよ。」

「え、やめた方がいいって。」

「なんで?先生が言ってたように、傷つく人が出ないようにするよ?俺そんなやつじゃないし。」

「だけど、行かない方が良い。」

「別に井坂を無理矢理連れて行ったりしないからさ。今日の放課後ひとりで行くよ。」

山崎はりんごが傷つかないように優しく言った。

りんごはザクロの遺書の言葉が頭でこだました。

「だめっ!絶対に行くなっ!行ったらだめなのっ!」

自分でもびっくりするくらい大きな声でりんごは叫んだ。

シーンと教室が静かになる。

はっと口を押さえると、りんごは廊下へ出た。

なんであんな風に言っちゃったんだろう。

あんな風に言う必要なんてなかったのに。

もし、ザクロの遺書が本当ならりんごは殺人履歴に載る。

そんなの山崎に知られたくないっとりんごは心の中で叫んだ。

「井坂。」

すぐ後ろで聞き慣れない声がする。

りんごが振り返ると中野君だった。

あまり話したことがなく、この前詩を書いたときに、初めてじっくり顔を見たくらいだ。

「どうしたの?」

りんごは優しく聞いた。

「鏡祭の道具係になってくんない?」

はぁ!?と言ってしまいそうになった。

あんな教室で叫んで飛び出したのに、係って・・・。

「いいよ。」

りんごは力が抜けて笑いながら言った。

別に係やるのは嫌じゃなかったし、中野君が真面目な顔して頼むから引き受けた。

「他に誰かいる?」

りんごが聞くと、

「俺。」

と短く答えた。

「よろしく。」

りんごが中野君に笑顔で言うと、ちょっと照れくさそうに頷いた。

「なんでそんなに話さないの?」

まだ目すら合わせないから不思議に思ったのである。

「めんどいから。」

ズバッと一言帰ってきた。

「そっか。」

なんか変なの、りんごはそう思いながらもちょっと元気になった。

りんごがだんだん笑顔になったのを見て、中野君は少し笑った。

「中野君、いいね。笑ってるの。」

りんごがそう言うと、はぁ?と言いながらも目を上げてりんごを見た。

中野君の目に時計が映ってる気がした。

その瞬間なぜか二人とも固まった。

まるで見てはいけない物を見てしまったかのように。

頭に嫌な音が響く。

中野君の目になぜか記憶が映っていた。

りんごは、なぜそれを記憶だと思ったのか分からない。

おそらく直感、いや、本能と言うべきだろうか。

まるで映画を早送りで見ているかのように、どんどん映っては消えていく。

りんごは吸い込まれるようにそれを見ていた。

「あのさ、時間って、」

誰の声だろうか。

どこか遠くから言っているように聞こえる。

りんごはそれが自分の声だと気づくのに時間がかかった。

戻せないの?と言おうとした。

分からない、なんでそんな言葉を言おうとしたのか。

なぜだか分からないが、りんごの頭にそんな言葉が浮かんだ。

まるで、中野君の目に映る記憶から自分を守るように。

パチッ

中野君は瞬きをした。

その瞬間りんごは、言おうとしていた言葉を忘れ、呆然と立ちすくんだ。

「え、今のなに?え、え?」

中野君のやけにかすれた声が静かな廊下に響く。

「げ、幻覚かな。俺慣れないことしたし。」

「慣れないこと?」

「ん・・・。」

「何したの?具合悪い?どうしたの?」

「いや、そうじゃなくて・・・。」

もごもごと口を動かす中野君にりんごは問い詰めた。

りんごは、さっき見た幻覚のような物の原因を知りたかったのである。

「もしかして係頼むのとか初めてだった?」

「うん。」

「で、さっき見えたのは何?」

「知らないよ。俺が知りたい。」

「だよね。このこと誰にも言わないでくれる?なんかやばそうだから。」

りんごが頼むと、中野君は素直に頷いた。

「てゆうかさ、井坂良いの?教室飛び出してきたでしょ?」

「あ、忘れてた。ありがと、バイバイ。」

りんごは慌てて教室に戻った。

山崎を探して見つけると、声をかけた。

「ねぇ、私がどんな人でも友達でいてくれる?」

必死に聞いた。とにかく必死に。

私は都市伝説を確かめなければいけない。

りんごは本能的にそう思った。

ここで確かめなければ私が殺人犯だと知られるより、もっとずっと後悔するだろう。

山崎はしばらく沈黙してりんごを眺めた後、

「いいよ、井坂がどんな人でも友達でいる。」

と真面目な顔して言った。

「じゃあ、放課後の都市伝説一緒に行ってくれる?」

「ん?さっき井坂だめって言ったじゃん。」

山崎は意外そうに言った。

「ごめんね、さっきはそう言ったんだけど・・・。あの、えっと、その、行ったら分かるから。」

りんごは適当に言葉を繋げると、山崎の答えを待った。

「ん、なんかよく分かんないけど、いいよ。」

りんごはわっと叫びそうになった。

誰かにザクロの遺書のことを相談したかったのである。

まぁ、あんなことを一人で抱え込むのは良くないだろう。

 放課後部活が終わると、りんごはすぐ図書室へ向かった。

山崎の隣には、ゆゆと爽も立っていた。

「なんかよく分かんないけど、俺たちもついてきた。」

爽は、にっとかっこよく笑って言った。

りんごは、ついてきてくれたのは嬉しいけど自分が殺人犯って知られたらどう思うかな、と心配し素直に喜べなかった。

「んじゃ、行きますか。」

四人で図書室に行くと、まず一番奥の棚を探した。

「なぁ山崎、一番奥ってどれだよ?何個もあるぜ。」

爽の言う通り、図書室の一番奥には来てみたものの本棚はいくつもある。

「んー、そこまでは知らねぇな。俺の勝手な想像だけど、端っこの一番下の段じゃね?」

「ま、とにかく順番に探していくか。」

「うん。薄緑のやつでしょ。題名なんだっけ?」

「殺人履歴。」

りんごはみんなの会話を聞きながら心配して言った。

「見つかるかなぁ。」

しばらくの間話しながら探していったが、りんごの心配は無用だった。

「あ、これじゃね?」

探し始めてからほんの五分、山崎が少し大きめの声を上げた。

みんなで覗き込むと、広辞苑ほどの厚みがある薄緑色をした本が静かに置かれていた。

りんごの心臓がドクンと音を立てた。

埃を軽く落とすと図書室の机と椅子があるところまで持って行った。

表紙には「殺人履歴」と黒く太い文字で書かれており、大きな木の絵が添えてあった。

その木はりんごの家の庭にある、あの時計が埋め込まれた木によく似ていて不気味だった。

「いかにも都市伝説って感じだねー。」

ゆゆの言葉にみんな頷く。

「じゃあ最初のページオープン!」

山崎は気取った風に言って、本を開いた。

最初のページは、普通の本と同じように題名と作者が書かれていた。

題名「殺人履歴」、作者「井坂家一族」と。

「え、井坂家って、り、りんごの、一族なの?」

ゆゆは驚きすぎて舌がうまく回らない。

りんごは衝撃の中、心の隅でやっぱりと思っていた。

りんごは、あのね、と言いながらポケットから封筒を取り出した。

ザクロの遺書を持ってきたのである。

「これおばあちゃんの遺書なんだけど、」

遺書を広げてみんなで読んだ。

誰も一言も発しなかった。

「これを信じるかどうかはその人次第だから、くだらないって信じなくてもいいよ。でもね、私はこの遺書信じてる。自分が殺人者なんて信じたくもないけど、おばあちゃんの遺書に書いてある通り私の名前は殺人履歴に載ってると思うんだ。」

りんごは静かに言うと目を閉じた。

そしてまた静かに続けた。

「殺人履歴に載ってるから友達やめるって言っても良いよ。そうやって言ってもその人のこと嫌わない。

だって殺人犯と友達で仲良くするなんて誰だって嫌でしょ?さっき山崎には友達でいてほしいって言っちゃったけど、その発言は無理矢理すぎるから撤回ね。」

りんごは言った後ちょっと笑った。

心の中ではなんかそうゆう運命なのかなとか思っていた。

「りんご、それ一人で抱え込んでたの!?つらかったでしょ!?」

ゆゆの言葉にりんごは顔を上げた。

「友達やめる気ないから。ね?りんごが殺人者だとしても私友達でいる。」

りんごはゆゆの顔を見て驚いた。

目に涙を浮かべていたからだ。

「それ信じて良いよね?」

りんごが言うとゆゆは笑顔で頷いた。

「てゆうかさ、まだ載ってるかどうかもわかんないんだし。まず見よう?」

爽はなだめるようにして言った後、次のページを開いた。

そこには、この本を最後の呪いを持った井坂りんごに送る、と書かれていた

りんごは口を両手で覆った。

爽はまた次のページをめくった。

みんな息をのんだ。

表のようになっている一行目、やはりりんごの名が綴られていた。









殺人者:井坂りんご 

被害者:山石ゆゆ・木村爽・クラスメイト10人ほど・その他予想不可能

解決方法:未だ不明

殺人種類:時間殺人(時間及び全ての人の記憶から消す殺人)

殺人方法:呪いの言葉

原因:紀元前2335年にかけられた呪いの魂の蘇り(殺人から逃れようとするため)

呪いの種類:言霊

罪:その人に罪は無い

合図:井坂家のラミナの木の時計が動き出す

文書記録者:安東次郎

記憶守護または保管者:中野時雨

殺人予定日:9月17日~9月26日

殺人順番:不明

今まで井坂家の呪い歴:井坂ザクロ(逃亡者の魂)

           井坂れもん(被害者の魂)

           井坂ライム(逃亡者の魂)           

井坂カキ(復讐者の魂)

           井坂ウメ(逃亡者の魂)

           井坂イネ(被害者の魂)

           井坂ムギ(逃亡者の魂)

           井坂コメ(仕組み改造)

解説:井坂コメが時計職人であり、井坂家を残していくために呪いの仕組みを変えた。

   元の呪いの場合時間殺人が起きると子孫も消えるが、井坂コメの改造によってその人だけ消滅するという仕組みになった。そしていつか本当に殺されるはずだった魂が蘇り、多くの被害者が出ることになる。これを最小限に抑えられるようにするため、本書を作成した。

名前の由来:食べ物は呪いに強いため食べ物の名前にしている(花は呪いをかけられやすい)

その他:井坂りんごの魂は本来殺されるはずだった魂だ。だが殺人者の魂は誰に宿っているか分からな

い。だが、井坂りんごと同じ年に生まれてくることだけは分かっている。井坂りんごは多くの殺人を犯してしまう可能性が高い。それは残念なことだが解決方法が見つかればりんごの代で

呪いを消滅させることができるだろう。

声明:解決方法を見つけられなくてごめん。

   井坂りんご、そしてその時代に生きる人々が無事を願って

   本書を井坂りんごに託す。









読み終えたみんなは顔を見合わせた。

「私、こ、殺されるの?りんごに?」

震える声で最初につぶやいたのは、ゆゆだった。

「ごめん。」

りんごは下を向いて謝った。

「りんごは悪くない。悪くないんだけどさ、」

ゆゆは一端言葉を切る。

りんごはゆゆの方を心配そうに見上げた。

「殺されたくない。しかも誰の記憶にも残らないって絶対いや。生きた意味無いじゃん。」

ゆゆの声はりんごが想像していたより、冷たかった。

りんごは下を向いて黙った。

さっき何があっても友達でいるって言ったのに。

あの時嬉しくて安心したのに。

りんごは心の中でつぶやいた。

私だって・・・。

りんごが心の中でもう一度叫んだと同時に、口から言葉が出た。

「私だって殺したくない。大切な友達を殺したくなんかない。」

いつの間に降ってきたのか、窓の外では小雨が不気味な音を奏でている。

私だって殺したくない。

りんごは心の中でもう一度繰り返す。

ゆゆの気持ちも分かりすぎるほど分かる。

殺されたくない。

りんごがゆゆの立場だったら間違いなくそう言っただろう。

重たい空気が流れる。

りんごはあの遺書を読んだときからもうすでに感じていた。

これは私が背負わなければならない運命だと。

立ち止まってはいられない。

なんとかして呪いを解かなければ。

りんごはくいくくるように「殺人履歴」を見つめた。

ようやく動き出した。

だがもうすでに呪いはすぐそこまで迫っている。






[2章 殺人記録]



 都市伝説を見つけてから2週間が経った。

特に以前と変わらず、友達と接している。

だが、どことなく警戒しているようにも見える。

りんごはタイトルをつけてない小さなノートを開く。

まずは、殺人方法。

その次は、解決方法。

要するに呪いを回避する方法を探っているのだ。

解決方法を知るには、殺人方法を知らなければならない。

だが肝心の呪いの言葉がなにか分からないのだ。

「おはよ。今度の俳句祭知ってる?」

「ん、噂は聞いてたけど。まさか全校生徒なんてね。」

ゆゆに向かって軽く笑った。

この鏡中には毎年俳句祭と言うのがある。

応募した人がその会場で言われたお題の俳句を書き、みんなで良いと思ったものに投票するのだ。

昨年までは文芸部が対象だったが、今年からは全校生徒が対象になった。

「りんごは出るでしょ?」

「うん。ゆゆは?」

「出る。それでね、勝てるようにおまじないしない?」

「おまじない?」

「うん。ライバルの誕生日の時間になったら時計の針を見るの。うーん、6月23日だったら6時23分に時計を見るの。簡単でしょ?」

「うん。いいね。何人までできるの?」

「何人まででも。」

ゆゆと会話をしながら自分の心の闇がグンと大きくなったことに、りんごは気づいていた。

「りんご去年優勝したんでしょ?じゃありんごに勝てるようにおまじないしよっかな。」

「じゃあ私もゆゆに勝てるようにしよ。」

ゆゆの瞳に映った木の葉がざわっと揺れた。

りんごは目を閉じる。

「りんごの誕生日って一分後じゃない?」

「あ、ほんとだ。」

目を開けるともうすぐ8時22分になるところだった。

「よし、なった。りんごに勝てますように。」

どくり。

りんごの心臓が音を立てた。

時計を見るとゆゆの目が毒々しい赤色に変わった。

―復讐

りんごの頭にはっきりと響く。

すべて察した。

りんごの魂を恨み、生まれ変わってきたのだ。

お呪い。

まるで準備したようじゃんか。

私だって殺したくなんかない。

あの日の言葉が蘇る。

「あのさ、時間って戻せないの?」

真っ赤に染まったゆゆの目を見て言う。

ごめん、ゆゆ。

頭にいやな音が響く。

車が急停止したような、そんな音。

お呪い、か。

自分から殺されに行ってどうすんだよ。

ゆゆとさっき交わした会話が蘇る。

ほんの2、3分の中で殺人に持って行こうとするような、そんなほど無理矢理な会話だった。

いきなり朝会ってすぐおまじないの話を持ち出すなんて、明らかにおかしい。

ゆゆの魂はきっと、りんごの魂が殺されるはずだったのに、という憎しみだろう。

復讐ということは、私を殺したかった当の本人ではないとりんごは思った。

ゆゆの魂は復讐したくても、ゆゆは悪くないのに。

ゆゆはどうなるの?

消える、のか。

記憶がなくなるの?

おいっ。

どこから呼ばれた気がした。

目を開けると下の方に世界の時間があった。

一気にりんごを包む世界が変わった。

時間が流れていなかったのだ、そこは。

きっと二次元とかでも言うのだろうか。

それでも思考ができるのは、りんごが別世界から来たからだろう。

いくつもの色とりどりのひもが無数に絡まっていた。

伸びたり縮んだり切れたりしながら、色を変え確実につながれていた。

なぜだがそれを見たことがある気がした。

飛ぶようにして時間のひもに入ってくと、一本のピンク色のひもが消えていくところだった。

あぁ、ゆゆの時間だ。

私が殺したんだ。

りんごは心の中で嘆き、はかなげにそのひもが消えていくのを見た。

ゆゆの人生はピンク色。

華やかで綺麗で美しくて、はっきりとしたピンク色。

それと同時にゆゆのピンク色がかかっていたひもが、次々と色を変えていく。

ゆゆの人生に少しでも関わった人から、記憶とゆゆと過ごした時間が失われていった。

ああ、ゆゆってこんなたくさんの人の人生に関わって、こんなにたくさんの人を明るくしてきたんだ。

りんごは自分のやったことの大きさに気づいた。

ゆゆのおかげで明るく生きてこれた人も、ゆゆに出会わなかったときに戻ってしまう。

だからせめて私だけは覚えていたい。

りんごはそうつぶやいた。

何度も、何度も。

ゆゆの人生のひもが最後まで消えたとき、また車が急停止したような音が響いた。

ゆゆ、山石ゆゆ、私の友達、ゆゆ、ゆゆ、ゆゆ・・・・・・ゆゆ!

りんごは無理と分かっていながらゆゆの名前を叫んだ。


一人目の被害者、山石ゆゆ。

時間及び全ての人の記憶から消える。


誰の声だろう。


殺人者、井坂りんご。


意外にも透き通って綺麗な声が響く。

哀れむような、嘲笑うようなその声を。

りんごはどこかで聞いたことがあると思って記憶を探ったが、まもなく意識が薄れていった。


 「りんご?どうしたの?」

優しくてかわいらしい声が聞こえる。

誰だろう。ここは・・・学校?

「ゆゆ?」

え。

りんごは自分の口から出た言葉に驚いた。

ゆゆって誰だよ、とりんごは自分で突っ込みを入れる。

「はぁ?誰だよそいつ。あんた寝ぼけてんの?」

さえが呆れた顔で見てくる。

笹胸さえ。りんごが中学生になってできた親友。

「あたしも分かんないわ、その人。」

「は!?自分で言っといて?アホか。」

「アホかも。」

りんごは一瞬、自分を取り巻く人が分からなくなった。

目の前にいるのがさえ、その奥にいるのが山崎、ドアのとこにいるのが爽・・・。

あれ?

誰か・・・・。

誰かいない気がする。

「あれ?りんごそのひも何?」

さえがりんごの手の中にあるピンク色のひもを指さした。

りんごは言われるがままに自分の手の中を見た。

え。

何、これ。

りんごの手の中にあったのは、華やかで綺麗で美しくてはっきりとしたピンク色のひも。

なんだろ、私それ知ってる。

どこかで・・・。

りんごはそう思ったが、いくら記憶を探っても思い出せなかった。

「おい、」

後ろから声が聞こえる。

記憶の傷をなでられたような感触に襲われ、りんごは無意識にひもを握りしめた。

「そのひもどうしんたんだよ。」

聞き慣れた山崎の声がする。

「・・・や、山崎。」

りんごの声はかすれて弱々しかった。

私この声も知ってる。

ずっと前から・・・。

そんな気がした。

なんでだろ。

おいっ。というその一言が忘れられない。

記憶に残ってそうで残ってない声やひも。

なにかおかしい。

何とは断言できないが、りんごの周りでなにかが狂い始めている気がした。

「井坂、どうした?声かすれてんぞ。」

「ううん。なんか変になっちゃった。」

りんごは、山崎の心配そうな目から逃れるように笑ってごまかした。

少し居心地が悪くなって、りんごはあわてて話題を変えた。

「あのさ、今度の俳句祭出る?」

「私は出る。勝ちたいっていうより、みんなの俳句がみたいって感じかな。」

さえは笑って言った。

「井坂去年優勝したんだろ?今年も行けんじゃね?」

「さぁ?今年から全校生徒対象だし。」

「じゃあおまじないすればいいよ。」

さえが何を思ってか突然そんなことを言った。

どくり。

私この続き知ってる。

りんごが無意識に身を固くしたとき、中野君がりんごを見た。

「中野君、おはよう。」

中野時雨。記録守護または保管。

山崎と爽と・・・あれ?あとひとり誰か居た気がするけど、殺人履歴を見たとき中野君の名前があった。

「井坂、道具係のことで、ちょっと来て。」

中野君に呼ばれたりんごは立ち上がって返事をした。

「ん、わかった。ごめんねさえ、またあとで聞くから。」

さえは気にする風も無くいってらっしゃーいと、笑って言った。

廊下に出たとたん、中野君にしては珍しく長文を話した。

「井坂、全部自己防衛だろ?しょうがないと言えばしょうがないんだけどさ。」

は・・・?自己防衛・・・?

中野君はりんごの気持ちを傷つけないようにと優しく言っているようだったが、りんごには何のことかさっぱりわからず黙って目を見開いたまま動かなかった。

「俺、記憶守護者。」

「知ってるけど?」

「だから俺は全部知ってんの。」

「はぁ・・・。」

りんごは気の抜けた返事をし、次の言葉を待った。

「えっと、まだわかんないの?」

「だから何が?」

りんごはだんだんイライラしてきた。

中野君は困ったような顔をしていたが、やがてあきらめたように、

「井坂が理解出来るようになるまで待つ。」

と言った。

りんごは全然わかんなかったけど、中野君があまりにも真剣に言うからこくりと頷いた。

結局中野君が変だったのはそれっきりで、あとはいつも通りだった。

なんとなくだけど中野君は助けてくれたのかな。

りんごは根拠なしにそう思い、心の中が安心感で満たされているのがわかった。

 教室に戻ると爽がいてりんごの名前を呼んだ。

りんごは何?と答えながら笑顔で話の輪に加わった。

「ごめんねー、話の途中で抜けちゃって。」

「ううん、りんご道具係だっけ?忙しそうだもんね。」

さえはいつものように笑って言うが、りんごはさっきのおまじないの話の時の嫌な感じが忘れられなくてうまく笑えなかった。

「井坂今年の鏡祭の歌詞書くんだろ?俺の書けよ。」

突然、爽が言った。

「なんで?」

とりんごが聞くと、

「それは、えっと、まぁ・・・。」

みたいな感じで口ごもってるから、りんごは爽が不器用なりに話題を振ってくれたのがわかった。

もしかして爽はうまく笑えない私を、気遣ったのかもしれない。

りんごはそう思うと不思議と笑えてきて、やっぱり私はこの人が好きだな、なんて思えてきちゃう。

りんごなにか明るい話をしようと思って、軽音部との合同制作の歌について話題を振った。

「今年のテーマは夏と恋だけど、私は多分夏だろな。」

「なんで?私りんごの恋の詩好きだけどなぁ。」

さえは頬杖をつきながら言った。

「恋は桜先輩だもん。あの人には叶わないからな。」

「あの人恋愛経験豊富そうだもんね。」

「わかる!あの人の詩読むと、絶対恋してるでしょって思うもん。」

「ところでりんご爽とはどうなの?進展あったの?」

「まさか。さえこそ山崎とは?」

「なし。」

「だよねー。」

「でもさ、りんご最近中野君と仲良いでしょ?どうなの?」

「えええ!そう見える?」

「見えるよ。というかそうにしか見えん!」

「はぁ?さえの目がおかしい。でも、中野君は最近仲良くなった、それは事実。」

女子トークが盛り上がっているところで、中野君が遠慮がちに声をかけた。

「あの、井坂、これ道具係の表。今日の放課後チェックするから。」

「ん。わかった、ありがと。」

タイミングが良いのか悪いのか。

ニヤニヤしたままりんごを見つめてるさえに、りんごはため息をついた。

 放課後になると道具係の仕事をした。

体育倉庫の前に行くと、すでに中野君が役割分担をしてくれていた。

「中野君、私の軽い物ばっかだよ。マットは私やろっか?」

りんごは旗を運びながら言うと、

「いい、大丈夫。」

と、中野君は二枚重ねのマットを重そうに引きずりながら言った。

りんごは何も言わないで旗を持ち直すと、急いで体育館に置き、中野君の所に戻ってきた。

「はい貸して、見るからに重そうだよ。」

りんごはマットの反対側を持って言った。

「いいって別に。」

中野君はそっぽを向いたまま答えた。

「あの役割分担、中野君大変な物ばっかじゃん、もっと私の方に任せても良いんだよ?」

りんごが笑いながらそう言った。

中野君は少し黙った後、ぽつりとつぶやいた。

「あんた女子だろ。」

聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声。

うっすらと赤い耳。

「なにそれ、かっこいいじゃん。」

りんごは真っ青な夏の空を見上げて言った。

きっと桜先輩だったら恋の詩の材料にするとか言うんだろな。

でもなんかわかる気がする。

今度機会があったら中野君に言おう。

夏にぴったりだねって。

普通の日々が嬉しい、何も起きない少し退屈な日々が愛しい。

普通の中学生なら、こんな明日にでも死んでしまう人が思うようなことを、こんなにも切実に思わない。

けれどそんなことを思ってしまうくらい、りんごは気づいている。

なにかが狂い始め、どんどん大切な物を蝕んでいく物があるということを。

それは自分自身かもしれない。

私は殺人者なのだから。

りんごはそう思うと、無意識にポケットに入っているピンク色のひもを握りしめた。

なんとなくわかる。

すでに私は大切な物を失ったんだなって。

おまじないという言葉を聞くと、どくりと鈍い音を立てる心臓。

誰かが消えてしまったようなぽっかり穴が空いた心。

それを必死に取り繕っている自分。

おばあちゃんの謎の遺書。

記憶守護者の中野君。

8時13分46秒に息を吹き返した時計。

写真も無く話も聞いたこともなくあるはずのない母の記憶。

誰ひとりとして記憶に無い祖母以外の家族。

鏡中の都市伝説。

そして自分の名前が殺人者として載っていた殺人履歴。

あとちょっと・・・。

あと少しでなにかわかりそうなのに。

何が足りない。

情報も記憶も殺人者の自分も居る。

あとはなんだ?

記憶なら中野君に聞けばいい。

情報は殺人履歴を見ればいい。

何でもできそうで何にもできない自分が居る。

呪いを消さなければいけない。

消せないとしても、被害を少なくしなければ。

殺人履歴をもう一回見よう。

りんごは自分の考えを無理矢理まとめると、持っていたマットを持ち直し早足で歩いた。

今自分がマット運びをしているのだと改めて知り、異世界から戻ってきたような気分になった。

まだ考え事をしているようにぼんやりとしているりんごの耳に、はっきりとした声が飛び込んだ。

「井坂どうしたの?」

中野君は無表情のままりんごを見る。

「あ、ごめん。ボーッとしてた。」

りんごはあわてて笑いながら言いごまかすと中野君は、

「重いなら俺ひとりで持つけど。」

と口をとんがらせて言った。

「いや、大丈夫だから。ね?」

りんごはそのまま強引に走り出す。

りんごは、「何してんだよ。」と言う中野君の声を聞こえないふりをして、走るスピードをもっと上げた。

真っ青なこの空でさえいつか見られなくなる気がして、りんごは目に飛び込んでくる景色を抱きしめるように一瞬目を閉じる。

なんで私はこんなことを思うんだろう?

あんな都市伝説に騙されてバカみたい、って思うけど心は確実になにか感じているのだから仕方ない。

心の不安は尋常じゃないほど大きくなっている。

ひょっとしてもう私は・・・。

考えても無駄だ、図書室に行って殺人履歴を読んだ方が早い。

りんごはそう思い道具係が終わると、部活に行く前に図書室に向かった。

「失礼します。」

ドアを開けて中に入ると、爽がいた。

「爽、どうしたの?部活は?」

「りんごこそ部活は?」

「この後行く。その前に殺人履歴見ようと思って。」

「井坂も?俺もそう思ってさ。」

「なんで?あ、そっか。被害者欄に載ってるもんね。ごめん。」

りんごは決まりが悪くなって下を向いた。

いくら信じてくれていても、自分が殺人者と書かれている手前、謝るしか無いのだ。

「いや、そうじゃなくって、井坂最近不安そうだったからさ。」

「え。」

「なんかこれが関係してるのかなって思って。」

そう言うと爽は本棚から「殺人履歴」を取り出した。

1ページ目を開くと、りんごの背中に悪寒が走った。

殺人履歴のページが妙にきれいだ。

誰か掃除でもしたのだろうか。

殺人者:井坂りんご

もうすでに起こった殺人:一件

山石ゆゆ

もう私・・・・、殺人者なんだ。

“サツジンシャ”

その言葉がりんごの全く知らない言葉に思えた。

自分がその言葉に当てはまると言われても、なにも実感がない。

そうだな、もっと、そう、もっと・・・。

わかりやすければ良いのに。

りんごは不意にそう思った。

どんな風に殺したか、動機はなにか。

全部わかって罪を償う方がよっぽど良いかもしれない。

記憶にないのにも関わらず、どこかしら心に穴が空いている。

なんとなくりんごはわかった。

この山石ゆゆと言う人は多分自分にとって大切な人だったのだろう。

ねぇおばあちゃん、私殺人者なんだって。

記憶に無い大切な人を殺したんだって。

りんごはザクロに心の中で呼びかける。

むろん答えはなくて、心の中で自分の声が反芻されるだけだった。

「井坂、あのさ、この殺人履歴誰が書いてるの?」

爽の言葉に我に返ったりんごは、爽の言葉を繰り返した。

「殺人履歴を書いてる人?」

「うん。情報が更新されていくってことは誰かこれを書く人がいるんだよ。」

「この学校の生徒とか?」

「いや、リスクが高すぎる。僕の勝手な考えだけど先生の誰かじゃないかな。」

爽は腕組みをして少し上を向いた。

「先生?この学校で時間殺人を知ってる先生がいるってこと?」

「しかも都市伝説に興味を持ってて・・・。」

「文章をよく書く筆まめな人で・・・。」

「時間について興味を持ってる・・・。」

爽とりんごは順番に特徴を挙げていった後、顔を見合わせていった。

「「安東先生!」」

爽とりんごが改めて殺人履歴を見ると、文書記録者:安東次郎 と確かに書かれている。

「安東先生もこれに関わってるってこと?」

「ん、そうゆうことになるね。」

なんかめんどくさくなってきたな。

でも、私が悪いんだよね。

殺人者。

ワタシハサツジンシャデス。

何度心の中でつぶやいてもすっきりしなかった。

りんごは誰かに言って欲しかった。

あなたは悪くないよ、って。

いくら自分に記憶が無く意図的じゃないからと言って、許されるはずがない。

なんとなく友達がよそよそしいのもそのせいだろう。

わざとじゃなくても、人を殺すような人と一緒に居たくないのは当たり前だ。

それでも、誰かに言ってもらいたかった。

大丈夫、りんごは悪くないよって。

きっと母親がいたらギュッと抱きしめて言ってくれたと思う。

居ないのだからしょうがない。

「あ、爽部活でしょ?行ってきなよ。」

爽が居ることに改めて気づき、りんごはなにか言いたげな爽を無理矢理行かせ、ひとりになった。

「お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ねえどうすればいい?」

りんごは殺人履歴を本棚に戻し、その床に座り込んでつぶやいた。

私大切な人をもう殺したんだって。

助けて。

りんごは心の中で叫んだ後、違うなって思った。

これは殺人者が言うことじゃない、被害者が言うことだ。

なにをどう思って良いのかわかんなくなって、りんごは床に座り込んだままただボーッとしていた。

ガラリと図書室のドアが開く音がして、りんごは耳を澄ませた。

行く目的がキッパリとしているような足音が聞こえ、やがてそれはじぶんの前で止まった。

りんごはゆっくり顔をあげると、そこに立っていたのは中野君だった。

「あんたうるさいんだよ。」

は?

りんごは中野君を見上げながらぽかんと口を開けた。

「あんたは悪くない、大丈夫だ。」

中野君は唐突にそう言った。

「なんで・・・?」

意味わからないのに目頭が熱くなる。

視界がぼやけていく。

好きな人でもなくて、お母さんでもなくて、なんで中野君が言うの?

「なんで、あんたなの?」

りんごはぼろぼろ泣きながら言う。

なんで一番言って欲しいことを中野君が言うの?

中野君の目にりんごの母親が映った。

似ても似つかないのに、記憶にあるはずも無いのに、中野君がお母さんに見えた。

確かおばあちゃんが言ってたな、目に入る情報はどの感覚器官よりも多いって。

中野君の目に映っているだけなのに、りんごを包むように光景が広がった。

おかあさんっ。

りんごは一瞬抱きしめようとしたが、すぐ我に返りやめた。

「一瞬お母さんに見えて・・・。ごめんね、中野君だったのに。」

りんごは涙目のまま笑ってそういった。

思わず抱きしめようと広げた手がカクンと床に落ちた。

ねぇ、お母さん。

お母さん、あなたは誰に殺されたの?

お母さん、私の記憶にないだけできっと、もっと話したんでしょ?

お母さん、あなたが記憶から消えたみたいに私が殺した人が今泣いているの?

いや、もしかしたらもう消えてしまって泣くことも記憶に触れることもできないの?

お母さん、なんで?なんで私なの?紀元前とかいう呪いに苦しめられなきゃいけないの?

次から次へ聞きたいことがわき出てくる。

中野君はお母さんじゃないのに、中野君を見てただただ泣くしかなかった。

「お母さん。」

りんごは中野君の目に映る母親を呼んだが、むろん何も起こらない。

中野君はそんなりんごを瞬きせず見つめた後、迷いながら両手を広げた。

「抱きしめてもいいよ。別に。」

りんごは自分の耳を疑った。

りんごは迷っていると、中野君は引き寄せてりんごを抱きしめた。

りんごはそのまま泣いた。

「井坂、俺ほんとはひとつ下の妹が居るんだ。」

中野君が抱きしめたまま言った。

何を言い出すのかわかんなかったから、りんごは何も言わず黙って先を促した。

「でも、殺された。時間殺人。」

「・・・誰に?」

りんごは震える声で聞いた。

聞かない方が良かったのかもしれない。

中野君は静かにためらいながら言った。

「井坂の、」

耳を塞いでしまいたかった。

「・・・・・・母親。」

息が一瞬止まった。

なんて言って良いかわからなくて口から出たのは、

「ごめんなさい。」

だった。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

なんで時間殺人なんだろう。

呪いをかけた人は何をしたかったの?

殺したかったの?

何のために?

今私は何のために時間殺人をしたの?

・・・自分が殺されないようにするため。

じゃあ呪いをかけた人も自分を守るためだったの?

なんで?

今更紀元前のこと言ったって変わらないけど。

「井坂、そろそろ記憶見る?」

中野君が不意にそう言った。

記憶を見る。

それが何を指すか、りんごはわかっていた。

「うん、いつか見なきゃいけないもんね。」

りんごは自嘲する。

中野君は「ちょっと待ってね」って言って大きく目を見開いた。

ぶわっと周りの音が消える。

それから一気に視界が真っ暗になった。

気がつくとりんごは、記憶のスクリーンのようなものに囲まれていた。

大きな映画館みたいなところにひとりでいるような状態だ。

ひとりの女の人が映ってりんごに微笑みかけた。

お母さん。

頭の中でそうつぶやく。

思わずりんごは手を伸ばしたが、指先には何も触れなかった。

場面が次々変わり、りんごの心はどんどん壊れていった。

殺人、つまり消されてしまった記憶を見る。

それは殺人者としての家族を覗くようなものだ。

誰かの目が“復讐”という色に変わり、家族の誰かがそれから身を守るようにひとり、またひとりと殺してゆく。

そして場面は変わり、りんごの顔が映る。

りんごもまた同じように、目を復讐という色に染めた人を殺していった。

なんだよ、これ。

私何してんの?

意味わかんないじゃん。

こういうのは小説の中だけでいいよ。

現実になんていらない。

りんごは心の中でつぶやく。

井坂家はりんごのために頑張ったって言ったよね?おばあちゃん。

多くの殺人を、私は止めなきゃいけないんだよね?

紀元前からの呪いからみんなを、自分を救わなきゃいけないんだよね?

そして殺してしまったという罪を償わなきゃいけないんだよね?

そんなの・・・、無理だ。

数え切れないほどの記憶を前にして、りんごは叫んだ。

「記憶にない罪の償い方なんて知るわけないじゃんかっ!」

りんごは大きく息を吐き出した。

殺したあの女の子は自分にとって大切で、そんな人を殺した罪は深いことだって知ってる。

知ってるんだけどさ・・・。

りんごはどうしようもなく下を向いた。

どうにかして時間殺人を止めなきゃって思うけど、あがけばあがくほど誰かを殺してしまいそうな気さえする。

りんごが下を向いて嘆いてる間も、記憶は絶えず流れ続ける。

すると映像はなだらかになりまたひとりの女の人が出てきた。

「りんご、りんご、聞こえる?お母さんだよ。時間殺人とかなんとか言って、意味わかんないし、展開早すぎだし、どうしていいかわかんないと思う。」

りんごはいきなり会ったこともないお母さんに話しかけられ、驚いて顔を上げた。

「でもねりんご、ひとつわかったことがあるの。りんごの魂を殺そうとした殺人者の魂を持っている人はあなたのすぐそばにいるわ。その人はね、ラミナの葉を恐れている。自分がかけた呪いに自分がかかるのが怖いのよ。」

りんごはお母さんの言葉をしっかりと頭に入れた。

お母さんは少し微笑んだ後、また語り始めた。

「りんごはなんで紀元前の人がそんな呪いをかけたか知ってる?自分を守るためよ。私も詳しくは知らないけど、結局人間は自分の命が一番なの。きっとその人は呪いをかけないと生きていけなかったんだと思うわ。そして唯一井坂コメが仕組みを変えることに成功した。コメは自分の命を丸ごと入れ込んで、やっと出来たそうよ。みんな少しずつ自分の命を犠牲にしてりんごのために頑張ったの。だからあきらめないで。大丈夫だから。」

お母さんは少しの間黙り込んだ。

そしてりんごがそこに居るのが見えているかのように言った。

「りんご、少しは力になれたかしら。母親として何も出来なかった罪のせめてもの償いよ。ごめんね。」

そこでふっと映像は途切れ、視界はまた真っ暗になった。

りんごは泣いた。

こんなにも泣いたことはないというほど泣いた。

ごめんね、って言わないでよ。

お母さん悪くない、大丈夫だよ。

だから謝らないで。

りんごは心の中でつぶやいた後、あることに気づいた。

さっき私がお母さんに言って欲しかった言葉と一緒だ。

結局なぜか中野君が言ってくれたけどね。

お母さんも誰かにそう言ってもらいたかったのかな。

そう思うとなんだか自分とお母さんとの共通点が出来たみたいで、りんごは嬉しくなった。

涙も止まり気持ちが落ち着いてきた頃、視界が開けいつもの図書室が見えた。

目の前には中野君がぐったりとした様子で、りんごと同じように座り込んでいる。

「あの、中野君大丈夫?」

中野君は少し顔を上げて笑った。

「うん、記憶見せるのってなんか心の体力みたいなものすごく消費するからね。」

殺人の記憶をずっと持っているなんてすごくつらいに違いない。

ああ、そうか。

ここにもいる。

自分のなにかを削ってりんごを助けようとする人が。

りんごは顔をくしゃくしゃにして笑った。

「ありがとう。」

中野君は一点の曇りもない笑顔のりんごを見て、驚いた。

あんな記憶を見た後だから、どうやって慰めようか考えていたぐらいなのに。

「中野君、まず殺人者の魂を持った人を探さなくちゃね!」

りんごはやる気に満ちあふれていた。

ここで私があきらめてどうすんの。

りんごは自分を奮い立たせる。

その横には変わらず、怖いくらい綺麗な「殺人履歴」が夏の光に照らされ濃い影を作っていた。




 



[3章 殺意]



・ラミナの葉を怖がる

・すぐそばにいる

 りんごはいつものノートを開く。

・ラミナの葉を怖がる

・すぐそばにいる

お母さんから聞いた特徴はたったの2つ。

今度家からラミナの葉を持って来て実験しようか。

りんごは殺人者の魂を持っている人を見つけるために、ノートにいろいろ書いてまとめているのだ。

「おはよ、井坂なに書いてんの?」

突然、爽に声をかけられりんごは慌ててノートを閉じる。

「おはよー。」

りんごは何でもない感じを装ったが、爽の視線はノートに注がれている。

まずいな。

少し迷った後、口を開いた。

「あの爽、ラミナっていう植物知ってる?」

りんごは慎重に爽の瞳を見ながら言う。

あれ?

少し爽の瞳が揺れた気がする。

「知ってるよ。殺人履歴の表紙に書いてあったやつでしょ?」

爽のいつもの優しい笑顔に、りんごはほっとした。

よかった、爽じゃない。

「今日見に来ない?私の家に。」

「ええっ。」

爽は少しうわずった声をあげる。

ん?ちょっとまてよ。

いきなり朝来て、好きな人を家に誘うとか私大胆すぎない!?

いやまあ、時間殺人のため・・・・だよね?

りんごは頭の中をフル回転させて言葉を選ぶ。

「えっと、さえとか山崎とかも誘うから、その、うん、えっと、変な意味はないっ。」

言ってしまってからりんごはまた慌てる。

ひとりで先回りしてしまった・・・。

爽は笑った後、

「う、うん。全力否定しなくていいよ。わかってるから。」

と言った。

うう、はずかしい。

りんごは小さなため息をついた。

その時風が吹き、カーテンがふわりと舞い上がった。

光を遮るものが一瞬途切れ、爽の目を照らす。

りんごの頭にまた母親の言葉が蘇る。

爽の目に小さな赤い光があったのは気のせいだろうか。

すぐそばにいるひと。

それが爽を指しているようにしか思えない。

ぞくり。

ふいにりんごの背中に悪寒が走った。

顔を上げると、爽はりんごに言った。

「ごめんね、今日用事があっていけない。」

爽の声が、心の奥底の傷をざらりとなでてゆく。

気味が悪い。

りんごはそう思った。

爽はいつもの美しい笑みを浮かべている。

「そっか、また今度ね。」

りんごは笑顔を作って前を向いた。

なんだろう。

爽の笑顔はかっこよくて、優しくて、声も透き通っていて綺麗だ。

それなのに、どうしてか今日は全部気味が悪い。

りんごはため息をついて下を向いた。

「ふふふ、りんご落ち込むなって~。」

後ろからニヤニヤしたさえが、りんごの肩をぽんっと叩いた。

「るさいな、なんだよ。」

りんごはだるそうに顔を上げた。

さえは笑っている。

明るく、かわいく、元気に。

まただ。

りんごはさえの笑顔を見て背筋が冷たくなるのを感じた。

気味が悪い。

心なしかさえの目が笑ってないように見える。

「さえ、ちょっと今日体調悪い。」

りんごはつぶやいた。

さえは疑うそぶりを見せず、

「大丈夫?保健室行く?あ、言われてみれば顔色悪いね。どうする?とりあえず朝の会は様子見よっか。」

と、りんごを心配した。

りんごは、さえの目を見ないままぼんやり頷いた。

その日はなんだかんだ六時間目まで授業を受け、部活を休んだ。

りんごはさえも爽も殺人者かなとか考えて、夜は全然眠れなかった。

明日は目を見ても何とも思わなければいいな。

なんてりんごは願い事をした。

これ以上の悩みが出来るなんて、考えもしなかった。

  次の日、りんごが教室へ入ると妙にみんな騒がしい。

たいていあんま話さない人でも挨拶ぐらいするのだが、みんな黒板の前に集まってなにかに夢中だ。

教室に入ってくる人なんか目もくれない。

そんなおもしろいものでもあるのだろうか。

りんごは近くの女子に、

「どうしたん?あんなに騒いで。」

と聞いた。

するとその女子は黒板を見なよと言うように道を空けてくれた。

少し黒板の近くへ行くと、一気にみんな静まって周りに散った。

りんごは驚いてクラスメイトを見る。

自分の前だけ道が空けられ、りんごは変だなと思いながらそろそろと前へ進んだ。

りんごは黒板を凝視した。

黒板には大きく乱暴な文字で、こう落書きされていたのだ。

井坂りんごは殺人者!殺されないように気をつけろ!

みんなりんごを見ていた。

好奇心を丸出しにして。

痛いくらい刺さる視線の中で、りんごは意外にも落ち着いていた。

ばかだなぁ。

りんごはクスクス笑いながら、

「これが本当なら書いた人は恨み殺されちゃうかもねっ。」

とおどけて言った。

「本当だよ。」

一人のクラスメイトが一冊の本を高々と上げ、大声で言った。

「都市伝説の殺人履歴にかいてある!」

みんな一斉に本を覗き込むと、次々に声を上げた。

「クラスメイト10人程って・・・私たちの可能性あるよね?」

「そもそも時間殺人って何?」

「怖い、やだ。」

「井坂さん大人しそうに見えてそんな人だったんだ・・・。」

「殺人者がクラスにいるって嫌じゃない?」

めんどくさいな。

殺人者ねぇ・・・。

そう言われても否定はしないけど、自分でもよく分かんないんだよね。

ま、そんなもんか。

りんごがぼんやり考えてると、ひときわ大きな声が耳に飛び込んできた。

「なにこれ!」

さえだ。

さえならかばってくれるだろうか。

「りんご殺人者だったの?まじか!通りで最近よそよそしかったはずだ。友達やめるわ!・・・っていうと思う?りんご、あれは・・・・。」

「さえだって怖いでしょ?」

りんごはさえの言葉にかぶせて言った。

さえは固まったように動かなかった。

さえはきっと支えてくれる。

りんごはそうわかってるからこそ、殺したくなかった。

親友であったはずなのに覚えていないゆゆのように。

こんな良い友達殺したくなんかない。

「りんご、うそなんでしょ?あんな落書き誰かのイタズラなんでしょ?だよね?ねえ、そうなんでしょ?答えてよ。なんでなにも言わないの?」

さえはりんごから不自然に離れたところから必死に問いかけた。

その目にははっきりと恐怖の色が浮かんでいる。

クラスのみんなも同じように警戒してジリジリと離れていった。

りんごはふっと冷たく笑い、さえを見返した。

「殺されるのやだったらさっさと私から離れれば?」

さえは、はっきりと傷ついた顔をした。

近くにいると冗談でなく殺してしまうかもしれない。

それならどんな理由であれ離れておいた方が良い。

「離れる?当たり前じゃない。私あんたと友達になったのって、あんたがぼっちだったのと仲良くしとけば木村とか山崎とかと話せるかなって思ったからだよ。勘違いしないで、あんたなんかをかばうつもりなんかないから。いずれ捨てるつもりだったし。」

りんごは無表情まま言った。

「離れるつもりなら、さっさとどっか行ってよ。目障り。」

本当はりんごだって気づいてた。

さえがりんごに言い返して欲しいって思っていることくらい。

私殺人者なんかじゃない。

ウソでもそう言えてたら、さえはきっとこんな風に言わなかった。

言ったとしても、しばらくしたらまた仲直りできるはずだ。

でももう今は・・・。

りんごは怯えずに前を向いた。

そこにはトゲだらけの視線の中でたたずむ親友がいた。

私はどれだけ失えば気が済むのだろう。

りんごは表情を崩さないまま、心の中で泣いた。

私は悪くない。

りんごは心の中で訴え、自分自身に問いかけていった。

私のせいじゃない。

じゃあ誰のせい?

紀元前に呪いをかけた人。

そして自分の近くにいるその魂を持った人。

それは誰?

わからないけど、近くにいるはずだから探せばきっと見つかる。

見つけたらどうするの?

・・・・殺す。

りんごは自分がりんごであることを忘れようとした。

この状況でしなければいけないのは、無情になること。

きっと感情に任せてたら自分が壊れる。

りんごは自分にそう言い聞かせ、心を完全に閉ざした。

その目は濁っていて、きっと昨日のりんごが見たら気味が悪いというだろう。

 それから3日が過ぎた朝。

りんごはクラスメイトの誰よりも早く教室へ来ていた。

手には紙袋を持ち、その中にはある木の葉がたくさん入っている。

そう、ラミナの葉。

殺人者の魂を持った人が見たら怖がるという、ラミナの葉。

りんごは注意深くその葉を取り出し、一枚ずつクラスメイトの机に置いていった。

すぐそばにいるのなら、まずクラスメイトから探していこうと考えたのだ。

あの一件からみんなりんごに話しかけなくなったが、爽と木村はクラスメイトがいないところで時々話してくれる。

それにみんなは無視するけど、嫌がらせはしてこない。

きっとなにかしたら殺されるとでも思っているのだろう。

その逆なのに・・・。

りんごは表情を暗くして、心の中でつぶやいた。

なにもしてない人を消してしまうのが時間殺人だ。

本当に何で私なんだろう?

そして何で時間殺人なんだろう?

普通の殺人で、捕まって、罪を償う方がよっぽど良い。

りんごの心は無に近かったが、苦しみから逃れることはできなかった。

もう苦しめないで欲しい。

やめて。

どうすればいいの?

りんごは自分に問いかける。

その魂を持った人を殺せば良い。

もう自覚のない殺人を、罪を、犯すのは嫌だ。

消してしまいたい。

殺してしまいたい。

早くその魂を持った人を。

りんごは醒めきった心に、ある感情が芽生えていくのがわかった。

その感情はりんごに行動する勇気を与え、苦しみの代わりに心の中を支配していく。

それは殺したいという欲望。

つまり、殺意。

こんなどこにでもいる中学生が抱くものだろうか。

りんごは少し驚きながらも、感情のないまま苦しむよりはずっと良いと思った。

狂っている。

そんなことぐらいりんごだってわかってた。

時間殺人なんて存在して、私の家族はみんな殺人者。

もうそんな世界自体が狂っている。

だから、もういいの。

りんごはクラス全員の机にラミナの葉を置き終えると、ゆっくりと自分の席に座った。

窓の外に見える景色が、妙に平和だった。

これからこの教室で起こるであろうことと、対照的に。

りんごはみんなが登校してくるのを待った。

8時10分。

教室の時計がいつも通り時を刻む。

それをぼんやりと眺めたりんごは、物思いにふけった。

時間殺人で殺されたらその人はどうなるのだろう。

時間をループするんだっけ。

殺されたら気づくのかな。

もしループするとしたら繰り返す時どうするんだろ。

何回も何回も殺される場面を、見なきゃいけないのかな。

りんごは、今度中野君に聞いてみよう、と思いそれ以上考えないことにした。

「おは・・・、うわっ、井坂さんひとり。なんか怖っ。」

朝練を終えたクラスメイトが次々に登校し、教室が騒がしくなった。

りんごは体を強ばらせ、みんなの反応をうかがう。

「何これ、葉っぱ?」

「誰が置いたん?」

「知らない。井坂さんじゃない?」

「なんのために?嫌がらせ?」

「なわけないでしょ。こんな葉っぱ捨てたら終わりじゃん。」

「それな。もしかして呪いとか?」

「えーやめてよ、怖い。」

「そうだよ、呪いってもっと漢字とかさ、血とか付いてるもんでしょ。」

「言われてみればそうだね。てか、いらないから捨てよ。」

「私もー。」

「あ、私のも捨てといて。」

「私もお願い。」

りんごはほっとして、安堵のため息をついた。

今登校してきた女子達は怪しんだものの、怖がるそぶりを見せずにゴミ箱へ捨てた。

よかった、あの人達は殺人者の魂を持った人ではない。

「おはよー、あれ?何これ葉っぱ?」

「あ、俺のとこにも置いてある。」

「なんだよこれー。誰か知らね-?」

「それがわかんないんだよ。私たち来たときすでに置いてあったし。」

「しかも、その時教室に井坂さんしかいなかった。」

「いやいや怖すぎだろ。呪いか?」

「でもたかが葉っぱだよ?」

「それでお前らはどうしたん?」

「捨てた。いらないじゃん。」

「まあな。俺も捨てよ。」

男子が登校してきてさっきよりも騒がしくなったが、ラミナの葉自体を怖がる人は見受けられない。

まぁ、りんごを怖がる人はいるが。

「何これ!」

さえもひときわ大きい声を上げたが、他のクラスメイト同様少し怪しんだだけで、すぐ捨てていた。

よかった、さえも違う。

りんごが安心した矢先だった。

「な、なんだよ・・・これ、なんで・・・。」

明らかに動揺した声がりんごの耳に飛び込んだ。

りんごは声のする方に視線を向け、はっと息を呑んだ。

机の前で今にも崩れそうな程震え、怖がっているのは、木村爽だった。

うそ・・・。

もしかして爽が・・・?

いやなんかアレルギーとか、虫が付いていたとかそんなのかもしれない。

りんごは頭を落ち着かせようとしたが、再び心の中である感情が広がっていくのがわかった。

殺したい、早く。

りんごはそんな風に思う自分にゾッとした。

「爽、どうしたんだよ!震えてるぞ?体調悪いのか?」

山崎がいち早く異変に気づき、爽を保健室に連れて行こうとした。

「・・・・い・・・・」

爽がかすれる声で何かをつぶやいた。

「何?おなか痛い?」

山崎が爽を支えながら言うと、爽は肩で息をしながら弱々しく言った。

「・・・い・・・怖い・・・」

りんごは振り返って爽を見た。

その瞳は毒々しい赤色だった。

ぞくり。

いつの日か感じた悪寒が体中を駆け巡る。

そして心は殺したいという欲望に満たされてゆく。

りんごは心の端っこで、爽を殺したくないと思っていた。

クラスメイト、いや好きな人を殺したくはない。

けれど、この苦しみから逃げたいという気持ちの方が遥かに強かった。

「爽、時間って、」

りんごはそう言いながら爽に近づいた。

クラスメイトはみんな後ずさった。

「やめろ、俺はお前を殺すために生まれてきた。そう簡単に殺されてたまるか。」

爽が完全に魂に乗っ取られたのだと、りんごは悟った。

りんごもまた自分ではなくなっていくのを感じた。

「やっと会えたな。お前は4000年間俺を殺すことが出来なかった。それで今さらどうすると言うんだい?」

りんごは熱に浮かされたように話した。

体は完全に操られている中、りんごは二人の会話に耳を澄ませた。

物理的に言えば、りんご自身が話しているのだが。

「呪いをかけ直すんだよ。」

「今の呪いはラミナの葉と、時間って・・・」

戻せないの?と言おうとして爽、いや乗り移った魂が叫んだ。

「やめろ!その言葉を言うな!!」

「そうだ、お前はこれを言うと殺されるんだな。」

「いいから黙って話を聞け。」

魂が乗り移った爽が言うと、語り始めた。

「俺は別にお前に恨みがあったわけではない。お前はあの時、結婚したばかりで幸せな生活を送っていた。俺はそんなお前を祝福し、嬉しく思った。しかし俺は神のお告げを聞いてしまったのだ。お前の最愛の妻が殺されてしまうというのを。そしてそこからお前は復讐のためだけに生き、殺人者になってしまうと。俺は驚愕した。親友がそう歪んでいくのを見たくなかった。薄っぺらいウソと思うだろう?まるで今の馬鹿げた恋愛小説の悪役みたいだ。そんなもんだよ、いつの時代も変わらない。殺したことに違いはないからな。まあ要約すると、殺人者になるお前も見たくなかったし、それによって起こる被害者の嘆きを聞きたくなかった。だから殺したんだ。誰も苦しまない方法で。必死に探して、勉強して、練習して、最後に自分の命を引き替えとした。そうすることでお前によって殺されるはずだった人を救ったつもりでいたんだ。でもさ・・・、俺の呪いのせいで、いっぱい人が死んだんだ。どこの誰がかけたかわかんないような呪いを、消そうとして・・・・。たった今も、俺のせいで一人の中学生が、いやその家族も含めて数え切れない人が苦しんでる。だから、ごめんな。俺を殺せ。お願いだ、魂ごと殺せ。」

りんごは呆然とした。

だがゆっくりと考える暇など与えず、りんごに乗り移った魂が叫んだ。

「ばかか!お前なんてどうでもいいんだよ!死のうが、生きようがもう知らねぇ!だけどな、今まで殺された人はどうすんだ!今苦しんでいる井坂家の娘はどうすんだよ!!」

りんごの心は意外にも穏やかだった。

もう、いいよ、大丈夫。

許してあげて。

りんごは自分の体を支配している魂に向かって言う。

なんでこんな風に思えるのかわからなかった。

心が温かく満たされていく。

「井坂家の娘さん、ごめんな。俺のバカな親友を許してやってくれ。」

自分の頭の奥で響くその声に、りんごは少し笑った。

なんかさ、展開早すぎない?

普通さ、もっと探して探して見つかんなくて・・・、って感じでしょ?

なのに何これ。

頭が追いつかない。

いきなり魂乗り移るし、許すも許さないもあるわけがない。

もうさ、何これ、ほんと。

どうしていいかわかんないよ。

「俺たちの魂はさ、浄化されたんだ。だからもう永遠に消えることになる。」

あっそ。

勝手に消えとけ。

さんざん苦しませておいてさよならか。

りんごは心の中で毒づく。

言うには早い、気がつくとりんごは、

「時間って戻せないの?」

っと言いながら魂が消えていくのがわかった。

あーあ、殺人だ。

まるで他人事のように思う。

これが何人目の被害者だっけ。

あれ、声がしない。

もしかして・・・、あれは爽の声だったのか。

ん?待てよ?

ってことは・・・・・。

りんごは目を開けた。

前にも見たことがある世界が広がっている。

いくつもの糸が絡まり、様々な色に染まって、時の流れを作っていた。

あ、青色。

青色の透き通った糸がゆっくりと消えていくのを、目の端でとらえた。

爽の人生だな。

今まで殺すときに聞こえたのは、爽がカウントダウンする声だったんだ。

正しくは爽の魂だけど。

りんごはじっくりと消えていく糸を見た。

ああ、私殺人者だ。

なんとなくそう実感できた。

その時だった。

りんごは何かをひらめいたような衝撃を受けた。

“それ”が流れ込んできたのだ。

まるで雨上がりのダムが開放されたかのように、息をつく間も与えず勢いよく。

しかし“それ”は5秒にも満たない内に、頭の中に時系列に沿って並び、長い間そこにあったかのように収まった。

当然、感情が追いつかない。

りんごは時の流れを見る、時のない世界に浮かびながら混乱した。

それと同時に表しきれない嬉しさがこみ上げてきた。

記憶がある・・・・!

流れ込んで来た“それ”とは、“記憶”だったのだ。

あれだけ忘れていたのがウソのように、記憶は鮮やかで鮮明だった。

お母さん、お父さん、ゆゆ、爽・・・・。

きっともう殺さなくていいから記憶があるんだろう。

りんごはそう思い、胸を躍らせた。

もしかしたら今まで殺された人も戻るかもしれない。

けれどいつまで経っても、爽やゆゆの時の糸が戻る気配はなかった。

なんで・・・・。

そう思っている内に、だんだんと視界がぼやけ、眠りに落ちるように意識が遠ざかった。

これでもう全部終わった。

普通の中学生に戻れることが出来る。

そう安心していたりんご。

これが悪魔の時間の始まりとは知らずに。






[4章 悪夢]


窓の外から風が吹き込み、前髪が揺れる。

りんごはうたた寝をしていた。

妙に騒がしい教室の真ん中で。

まだ夢心地のりんごは、頭の中にかかった霞を取り払うように頭を振った。

えーっと、確かあの糸だらけの世界に行って、爽が消えるのを見て・・・。

あれ?その前この教室で何してたっけ。

りんごが思い出そうとする前に、大きな声が耳に飛び込んだ。

「あんたってさ、本当に殺人者なの?」

顔を上げると数人の女子が、怖い顔をして立っていた。

「どう思う?」

りんご薄い笑みを浮かべ、聞き返すと、

「今さ、誰かに向かって言ったじゃん。消えろって。あれ?死ねだっけ?」

と、まくし立てた。

あー、そういうことになってるのね。

「私さ、その言葉誰に向かって言ってた?」

りんごは注意深く聞く。

「はあ!?あんた自分で言ったんでしょ?」

女子は呆れた顔で聞いてくる。

まあ、そりゃそうか。

りんごはなんだか面倒になって来た。

「どうでもいいや。別に命を奪うような殺人はしないよ。」

りんごはそう言った後、まだ固まったままのクラスメイトに向かってこう言った。

「血も涙も出ない、世界で一番綺麗な殺人だからね。」

自分で言って気づいた。

そっか、この殺人って傷をひとつも作らないんだ。

誰も傷つかない。

美しい消え方じゃないか。

りんごはふっと殺してしまった人を思い浮かべる。

爽もゆゆも、幸せだ。

いっそ、死ぬより消える方がいいのかもしれない。

「井坂さん、明日から学校に来ないでくれる?」

我に返るとりんごは、まだ教室の真ん中にいた。

少し離れたところに、何人かの女子が固まりりんごを見ていた。

きっとあの中の一人が、さっきの声の主だろう。

りんごの周りにはバリケードでもあるかのように、そこだけ人がいない。

はっきり言って、孤独だ。

りんごは、ゆっくりと立ち上がった。

椅子を引く音がやけに大きく聞こえる。

ぐるりと見渡すと、怯えた目で自分を見る山崎を見つけた。

似合わないな。

いつもだったらもっと問い詰めるか、かばうか、とにかく何か強気でわめいてそうなのに。

そっか、爽いないから、全然強気じゃないのか。

りんごがそうやって色々考えているとまた、女子が言った。

「ちょっと井坂さん聞いてる?」

りんごは無言のまま見つめ返した。

何が目的?と心の中で聞く。

もし私があなたなら殺人者と言われている人には、話しかけないどころか近づきもしないのに。

と、りんごは心の中でつぶやく。

「井坂さん家族いないんだっけ?」

その女子は唐突に質問をぶつける。

「いないけど。」

りんごはため息をつく。

こいつは何をしたいのか、さっぱりわからない。

「それじゃあ問題ないね。」

ドスッ

鈍い痛みがお腹に走った。

取り囲んでいた女子の一人がりんごを蹴った音だった。

「自分が殺人者だからなにもされないとか思った?弱いじゃん。一人じゃ何も出来ないくせに。」

「そうだよ。何が世界で一番綺麗な殺人だよ。かっこつけんな、ださいから。」

ドスッ、ドスッ、ドスッ・・・・

女子達は悪口を言いながら、りんごを蹴っていく。

クラスメイトとはいえ、話したこともおろか、名前すら知らない人がなんでこんなことするんだろう。

蹴られた部分がキンキンと痛む。

周りのクラスメイトは一瞬固まった後、すぐそれに加わった。

なんで・・・・。

このクラスは印象に残らないほど、静かで、良くも悪くも全体でつるむことはなかった。

仲のいい人同士話している感じだったのに。

こんな何も知らない人たちに蹴られるなんて。

「やめてっ!」

りんごがそう怒鳴ると、一瞬静かになった。

だが、すぐ攻撃が再開された。

みんなの目がキラキラしてる。

不安を紛らわすように、楽しそうに笑っていた。

なんで・・・。

りんごは咳き込んで痛みに耐えながらも、このクラスの変わりように驚いていた。

心に穴でもあるのか・・・?

もしかして爽とゆゆがいないから・・・・。

でももし本当にそうだとしたら、殺したのは自分だから自分でこの状況を作ったことになる。

ズキンッ、ズキン、ズキン・・・。

体の痛みか心の痛みかわからなくなってくる。

「あ、時間だ。」

誰かの声で一斉にみんな席に戻り始めた。

りんごも立ち上がろうとしたが、情けないことに足に力が入らない。

それでもりんごは少しも泣かなかった。

泣いたら負けだと思っていた。

「おはよう。あれ、井坂どうした?」

安東先生が入ってきてりんごに声をかけた。

「すみません、ちょっとお腹痛くて。だから、保健室行ってきていいですか。」

そう言いながら、りんごは無理矢理立ち上がった。

体のあちこちが痛くて痛くてたまらなかった。

安東先生は生理だと思ったらしく、保健係を呼ばなかった。

不幸中の幸いだ。

早く、どこかに行きたい。

りんごは重たい足取りで屋上に向かった。

「もう全部嫌なんだーっ!」

ドアを開けるなりそう叫ぶ。

やっと終わったと思ったのに。

時間殺人が解決したのに。

なんで、なんで、なんで、ここまで私が苦しまなきゃいけないの!

クラスメイトはいい子なはずなのに。

じゃあ何で?

爽とゆゆがいなくなったから?

じゃあ私のせいだって言うの?

やめてよ、私だって好きでこんな自分で居るんじゃないっ!

殺人者なんてなりたくない。

ていうか、まず爽とゆゆ関係ないでしょ。

もう存在しないんだよ。

この世界に生きたことさえ、その存在が知られたことさえないんだよ。

じゃあ何なの?

私がこの世界を壊したというの?

そんなこと言ったらお母さんだって、紀元前の人だって、みんなそう。

少しずつ、でも確実に世界を壊してきたんじゃない。

その世界のひずみの象徴が私。

りんごは空を仰いだ。

真っ青な夏の空は、この世界で起きてることなんてお構いなしに、平和だった。

「ははっ、バカみたい・・・、ははっ・・・」

りんごは乾いた笑みをこぼした。

その頬には透明な涙が流れている。

でもさ、いいよ。

中学生らしい悩みだよ。

時間殺人で悩むより、イジメで悩む方が全然いい。

「ふぅ、」

りんごは息を吐き出した。

私はもう殺人者じゃない、普通の中学生。

お母さん、見てる?

お母さんとかのおかげで、井坂家の殺人劇場の幕は閉じたよ。

だから大丈夫。

普通の悩みっていいね。

りんごは決して幸せとは言いがたい状況に置かれているのにも関わらず、嬉しかった。

今どれだけ自分が安全な悩み事をしているかわかった。

殺人者でありながらイジメのないクラスにいるのと、殺人者でないけどイジメがあるクラスにいるなら、

私は絶対、殺人者ではないクラスを選ぶ。

たとえその教室がどれだけ酷くて、どれだけイジメが陰湿でも。

りんごは涙を拭いて立ち上がった。

私は名前が、存在が、命が、生きてきた昨日がある。

だから大丈夫。

イジメなんて、しょせん薄っぺらい人のストレス発散。

りんごは朗らかに笑った。

だから前を向こう。

見える傷で傷つくこと。

それがどんなに幸せなことか。

どれだけ素直に泣けることか。

りんごは知っている。

記憶のない罪よりも、ずっと心が軽い。

素直に、痛いことを、苦しいことを、泣けるってことはすばらしいことなんだ。

そう思うと、さっきまで痛くてたまらなかった傷が何でもないように思えた。

見える傷っていうのは、自分が存在しないと起こらないこと。

だから大丈夫。

つらかったら思い切り泣こう。

大声で叫ぼう、「助けて!」って。

りんごは屋上の端っこに立って、周りを見渡した。

そこには、特別綺麗でもない景色が広がっている。

私は真っ直ぐに助けを呼べる、この単純な世界が好きだ。

悪者と被害者と、傷がはっきりしているこの世界が好きだ。

「教室に戻ろう。」

りんごは自分自身にそう呼びかけると、全力で走った。

周りの景色がどんどん過ぎ去っていく。

「ふー・・・」

教室の前まで来ると、手をかけ、勢いよくドアを引いた。

ガラッ

音が響いてみんなが振り返る。

クラスメイトは一瞬固まった。

りんごの顔は今まで見たことがないくらいに、すっきりしていたのだ。

「おお、井坂体調は大丈夫か。」

安東先生は、ほっとしたように聞く。

「はい!」

りんごは元気に返事しながら席に戻った。

予想してた通り、机にはたくさんの酷い言葉が落書きしてあった。

ペンだけでなく、カッターか何かで掘られたものもある。

りんごは見ないフリをして、教科書を広げた。

何も怖くなかった。

それどころか、イジメをしてきた人たちに“申し訳ない”とさえ思っていたのだ。

心の中で気づかないうちに支えとなった人を、殺してしまってごめんなさい、

いなくなったら誰かにイジメをしてしまうほどのものを、奪ってごめんなさいって。

りんごは時間殺人のことはもう忘れようと言い聞かせた。

なんでもいいから違う悩みに没頭したかった。

だからその悩みが、「イジメ」でもよかったのだ。

いや、そう思うことでりんごは自分を強くしたのかもしれない。

トンッ

考えに考えているりんごの背中を、誰かが軽く叩いた。

りんごは消しゴム落としたっけ、とか思いながら振り向くと一枚の紙を渡された。

ゆっくり開くと、一言、

死ね

と書かれていた。

へー、なんかよくあるイジメの定番だね。

りんごはその紙を机にしまうと、前を向いた。

思ったより私の心は強い。

こんなことで壊れたりしないんだ。

りんごは逆に泣いちゃう方が良かったかな、なんて思っていた。

自分に対して強がらなくてもいいのに。

きっとりんごは大人になってからそう思うだろう。

 授業が終わると、また女子達が机を囲んだ。

作田、浦西、塚本、長瀬。

この四人がリーダーだな、とりんごは認識する。

「何か用?」

りんごがニコリともせず聞くと、

「用?あー、あんたに消えて欲しくて来たのよ。」

と浦西が言った。

「あ、そう。」

りんごはため息をつく。

こいつら他にすることないのか、暇人。

「それでさ、クラスから消えてくれない?」

「どうやって?転校しろってこと?この時期は無理だよ。」

「はははっ、何言ってんの。転校とかじゃなくて、死ねよ。」

「よくまあ、軽々しく言えるねー。本当に死んだら困るくせに。」

りんごは軽くあしらいながら、クラスメイトを観察する。

見て見ぬ振りか・・・・。

「何それ。あんたが死んだところで誰も困らないよ。」

浦西は自信満々に言う。

その自信はどこから来るんだか・・・。

りんごは口元に薄い笑みを浮かべると、

「そっか。じゃあ私の遺書にあんた達のせいって書くよ。これだけ見てる人は居るんだし、何しろこの机とか良い証拠。いじめようと思ってまだ一日目でしょ?これからどんどん証拠品集まるよね。そして自殺したら検死されるんだよ。さっき付けてくれたアザとかも裏付けする資料になるし。それでも困らないんなら、ずっと死ねって言っていじめていれば?」

と、息をつく間も与えずに説いた。

教室が静まりかえる。

固まった浦西の横から、作田がひょいと出てきた。

「本当に死ななくて良いよ。」

りんごは驚いて顔を上げる。

だが作田は冷たい顔でこう言い放った。

「そんな面倒くさいことはいいの。だから死なないで。私たちのおもちゃがなくなってはつまらないもの。死ねってこれからたくさん言うと思うけど、死ななくて良いよ。苦しんでくれるだけで十分だから。」

りんごは固まった。

こんな人いるんだな。

作田の言葉が、攻撃開始の合図になった。

「死ねよ。」

「消えろ、調子乗ってんじゃねぇ。」

「遺書とか何ヒロインぶっちゃってんの。あんたがウソついたって言えばいい話。」

「そうだよ、あんた無力だもん。」

次々罵声が飛び、暴力が加えられた。

お腹、腕、足、顔、そして心。

あらゆるところが傷だらけだった。

痛いな、と第三者目線で感じる。

りんごは目を伏せた。

もしさ、私をいじめているリーダー達を、時間殺人で殺したとしたらどうなるんだろ。

元々存在しなかったことにしたらイジメはなくなるのかな。

「お前、死ねよゴミ。」

耳にひときわ大きい声が飛び込んだ。

何か危ない。

本能的に身を引くと、鼻の先に箒がかすった。

りんごの中でなにかが切れた。

「お前らが死ねよっ!」

床に落ちた箒を拾うなり、そう叫んだ。

りんごは大きく振りかぶる。

憎い四人に向かって、言葉を放った。

「時間って戻せないの?」

車を急停止したみたいな音が、頭の中で響く。

ダメ元で叫んだ呪いの言葉。

本当に殺せるなんて。

四人の目に映ったのは、紛れもない恐怖だった。

もっと苦しめばいい、あんなやつらは。

りんごは心の中でそう言う。

しばらくするといつものように、視界が開けた。

何本もの糸が絡まった糸が、様々な色と混ざり合い伸びてゆく。

その中に、薄汚れた四本の糸を見つけた。

ゆっくりと消滅する。

それを目で追っていたりんごは、ハッと目を見開いた。

普通、人生の糸は他の人生の糸に絡まり、その絡まった糸の色が少し混ざる。

混ざり方は人それぞれだけど、赤色の糸が絡まったら赤になるというように、そこまで色の大きな変化はない。

それなのに、その四人の糸は、りんごの人生の糸に絡まったところから汚れているのだ。

しかも、りんごの糸は全く汚れていない。

つまり、りんごの色に染まってないのに、りんごと接することで人生が汚れたのだ。

なんで・・・・。

私が何をしたの。

なんでひとつも汚れていない所から、あんなに糸が汚れるの?

りんごはその空間に浮きながら、ただ呆然としていた。

しばらくすると意識が薄れ、現実世界に戻されていった。

  窓から生暖かい風が吹き込む。

りんごはゆっくりと目を開けた。

なんか思ったより教室の空気静かだ。

りんごは重たい頭を上げ、周りを見回した。

クスクス

どこかから、人をバカにするような笑い声が聞こえる。

もしかして・・・。

りんごは自分の頭をよぎった考えに、身震いをした。

そんなはずない、と自分に言い聞かせる。

だが、頬杖をついていた傷だらけの自分の机をみるなり、りんごは悟った。

イジメはなくならなかったのだ。

いじめた人を殺したところでイジメはなくならない。

そう気づいた瞬間、りんごの目の前は真っ暗になった。

「悪夢だ。」

そうつぶやく。

きっとこれは覚めることない、永久の悪夢なのだ。

逃げることが出来ない。

なんで・・・・。

そもそもイジメって何で起こるの?

ムカつく奴がいるから?

いや、それならその人と一対一で喧嘩するだけで良い。

何かを得られるから?

いや、イジメから得られるものなんて罪悪感くらいだ。

イジメをされたことがあるから?

虐待された人が、自分の子どもに手をあげてしまうみたいに。

心の穴を紛らわすため?

私たち子どもは、目に見えない不安を、上手く言葉にすることが出来ないから。

どうすればいいの?

その子達の心の穴を埋めたら良いの。

どうやって?

失ったものを取り戻す。

ただそれだけ。

りんごは自問自答を繰り返した。

その間にも悪口が聞こえてくる。

みんなが失ったものって何?

・・・そんなの私が一番知ってる。

りんごは顔を手で覆う。

「私が殺した人」それは、みんなの失ったものだったのだ。

じゃあ、殺した私が悪いの?

全部全部私が悪いの?

そうやって頭を抱えていると、頭上から声がした。

「井坂、図書室来て。」

声の主は中野君。

こんな私に声をかけていいのか、後でなんか言われるぞ。

りんごはそう言いたいのを我慢し、中野君の後を大人しくついて行った。

図書室に入ると、中野君はこっちを振り返った。

その目は泣くのを我慢しているかのように、赤く充血していた。

大丈夫?そう聞こうとした、その時だった。

バシンッ

大きな音がして、りんごは一瞬、何が起こったのかわからなかった。

ただ頬が痛くて、見上げると中野君が泣いていた。

中野君が、りんごに平手打ちをしたのだ。

「なんで、泣いてるの?中野君が叩いたのに。」

りんごは頬を抑えて聞いた。

中野君は苦しそうに顔を歪めて、泣き笑いみたいな表情になった。

今にも崩れそうなその顔に、りんごは大きく目を見開く。

「井坂、この世はどこまでも完璧なんだ。生きることも、死ぬことも、笑うことも、泣くことも、全部。

だから、壊しちゃだめなんだよ。苦しみも、痛みも、その井坂が持っている力で世界を崩しちゃだめなんだ。」

りんごは息をすることさえ忘れて、その言葉に聞き入った。

「井坂が殺したのは、自分の身を守るため。それって必然だったのかな。誰が悪いとかじゃないんだけど・・・。紀元前の人も、井坂のお母さんも、そして井坂も、本当にこの世から必要ない人を殺したのかな。それともこの世界に必要だった人を、殺してしまったのかな。ねぇ井坂、あなたはこの世界を平和にしたの?それとも、心の穴を作っただけなの?」

「うるさい!」

りんごは拳を握りしめて叫ぶ。

「自分の身を守って何が悪いの!悪い人たちを消して何が悪いの!ええ、そうよ、中野君の言うとおり私は殺した。イジメなんかするはずのないクラスメイトの心に、大きな穴を作ったよ。だけどさ、じゃあ私がイジメにずっと耐えてればいいの?紀元前の呪いにとらわれてこの先生きていけばいいの?それで私が何回も傷ついていけばいいの?そんなのおかしい!」

りんごは肩で息をしながら、一息で言った。

頬には冷たい涙が流れる。

「私は・・・、私は、誰かの失敗の歪みを、しわ寄せを、直すために生きてるんじゃないっ!」

胸が痛い。

焼けるように痛かった。

「だけどさ、」

りんごはこぼれる涙をそのままぬぐわずに、顔を上げた。

「世界を壊すために生まれてきたわけでもない。」

悲しいのか、悔しいのか、感情が高ぶっているのかわからなかった。

ただ、何かを間違えてしまったと思って、世界を壊してしまったんだと気づいて、それによって心に穴が空いた人を作ったとわかって、戻したいと思って、それでも耐えることなんて出来なくて。

りんごは中野君が間違っているとは思っていなかった。

むしろ、正論をぶつけてくれたのだと思う。

だけど、今さらどうしろというのか。

「中野君、どうすればいいの?」

りんごは中野君を真っ直ぐ見つめていった。

中野君はしばらく無表情だったが、ハッとした顔になり、またつらそうに顔を歪めた。

「それは、俺の口から言えない。」

りんごは中野君に詰め寄る。

何回も問いただしたが、中野君はただ黙って、首を横に振るだけだった。

りんごは自分の頭をフル回転させ、答えを探った。

心の穴、つまり私が殺した人が戻ってくるには・・・。

りんごは考えに考え、ひとつの結論に達した。

その答えによって、自分が苦しむことはわかっている。

「中野君、わかったよ。」

りんごは黙って中野君に近づく。

窓の外ではりんごを案じるように、雨が音を立て雷が遠くで鳴った。

りんごは心の中でつぶやく。

中野君にさっき閃いたばかりの答えを言おうとした。

視界が涙でにじんで見えなくなる。

「もう悪夢は終わりにしよう。」



[5章 時間殺人]


りんごは深呼吸をして言った。 

「世界の歪みの一部分である私が、そう、私が、消えたら世界は元通りになる。そうでしょう?」

りんごが出した答え。

それは自分が消えるということ。

そうしたら、りんごがしたこと全てが消える。

つまり今まで殺したものが、戻ってくる。

りんごが到達した答えに、中野君は頷いた。

「だけどさ、井坂だって完璧な世界の一部なんだ。井坂が消えることで誰かの心に穴が空くかもしれない。」

中野君の言葉に、りんごは笑った。

「もう家族もいないし。それに、6人もの人生が戻るんだよ。1人くらい消えたって、きっと大丈夫。」

中野君も泣いていた。

「井坂、わかってるの?時間殺人は普通の死と違うんだよ。記憶も生きた昨日もなくなるんだよ。」

わかってる。

そんなの痛いほどわかってる。

だけど、私は何人もの「昨日」、つまり「生きた証」を奪ってきた。

だからもういいよ。

りんごは心の隅で嘆く、まだ生きていたい、という声に聞こえないふりをした。

「中野君、ありがとう。でももう、いいんだ。」

心は意外にすっきりしていた。

確か、時間殺人されたら、幸せな生きた時間をループするんだったよね。

じゃあ、おばあちゃんやお母さんにも会えるかも。

大丈夫、怖くない。

あとは鏡に映る自分に向かって、呪いの言葉を言うだけだ。

りんごは微笑むと、図書室のドアに手をかけた。

「俺さ、記憶係だから、なんか言い残しても永遠に覚えていられるよ。」

中野君は切ない声で言う。

りんごは流れる涙を頬で感じながら、振り返った。

窓の外に見える景色が、愛しい。

最後まで覚えていてくれる中野君の優しさが、嬉しい。

息を吸い込む。

この一言で、

今を生きる人の心の穴を、

埋められたらいいのに。

「私、明日がないよりも昨日がない方が悲しいなんて、知らなかった。」



 ドアを閉めて、りんごは駆けだした。

この決意が情けに負ける前に、実行してしまおうと。

階段の踊り場にある鏡の前に来るなり、りんごは言った。


「時間って戻せないの?」


ふっと目の前の景色が歪む。

あ、このまま消えるのかな。

私が中野君に託した最後の言葉。

これを聞いたら、誰かが生きている意味に気づけるかな。

りんごは心の中で、今この世を生きている全ての人に訴えかける。




明日がないというのは、死ぬと言うこと。

だけど昨日までの生きた証があって、その人が与えてくれた何かを持っていられる。

そして、その人を想うことができる。


昨日がないというのは、消えると言うこと。

昨日までの生きた証さえなく、その人が与えてくれた何かは全て消える。

そして、その人を想うこともできない。


ずっと明日がない方が、悲しいと思っていた。

自分に未来がないなんて、怖くて想像もできなかった。

死ぬということは、全部なくなるのだと。

だけど、そうではなかった。

人が死んでも、その人からもらった、

思い出も、

言葉も、

優しさも、

愛も、

ずっと消えないのだから。

だから、昨日がないというのは本当に悲しい。

昨日というのは、まだ色あせてない鮮やかな思い出だから。


昨日までの自分を思い返して。

何人もの人に、絶えず何かを与え、何かをもらっている。

もう一度考えてみよう。

来るはずの明日のために、今を生きるのもいいが、

今の自分を作ってくれた昨日のために、今を生きるのも素晴らしいのではないか。

だから明日が来るかわからないこの世界に、不安を持つ必要なんてない。

今、心に穴が空いて、今にも壊れそうで、この世から逃げ出したくても、

あなたには生きてきた昨日があるから。

大丈夫。

明日になれば、生きてくれた今日に感謝できる。


それから、心に穴が空いて苦しんでいる人がいたら、

その人の話を聞いてその穴を埋めてあげよう。

もしそうすることで自分が傷つくことになっても、

その日を過去として振り返る日が来たとき、

それは自分を支える力となるから。


つらいときは思い出を語ろう。

それで十分。


もしあなたにとって今日が人生最後の日だとしたら、

何を思う?

どんな気持ちになる?

どんなことを思い出す?


笑っているかな、泣いているかな。

うれしいかな、悲しいかな。

後悔しているかな、していないかな。


ずっと生きていたいと思えるかな。

何のために生きてきたかわかるかな。

生きていてよかったと思えるかな。


そんなのその時になってみないとわからない。

だけどさ、


その時、笑っていられるように、

その時、後悔しないように、

その時、生きていてよかったと思えるように、


今日を幸せな日にしよう。






りんごはそのままうたた寝をするように、小さく微笑んだ。

「りんご、家に帰ろう。お母さんもお父さんも待ってる。」

どこからか暖かな声が聞こえた気がして、幸福な眠りへと落ちていった。




[エピローグ]

誰の記憶にも残らなかった井坂りんご。

紀元前から起きた呪い、そしてその歪みを背負った。

この少女の決断、行い、ありふれた日常は、この世からとっくに消え文字に起こすことなんて不可能だ。

ではなぜ、この物語があなたの手の中にあるか。

その答えは、この本の表紙を見ればわかるだろう。

これを書いたのは、私、井坂りんごである。

私は時間殺人で自殺した後、幸せな時間を過ごし気づいた。

自分が消えたことを、伝えなければならないと。

誰の記憶にもないなら、せめて新しい物語という記憶で生きていけないかと考えたのだ。

いくら文芸部とはいえ、物語など書いたことなかったから苦労した。

今私は幸せな時間の中で、この世の人を見守っている。

中野君は私が最後に言った言葉を、多くの人に伝えようとしてくれた。

安東先生について詳しく書かなかったが、先生は殺人履歴を改訂し、研究をしている。

私が消えたとはいえ、私が生きた痕跡がきちんとあるように見える。

だからもう、私は幸せなのだ。



今、この本を読んでくれているあなたへ。

少し考えてみてほしい。

 立ち止まってみてほしい。


そして昨日までの思い出を心の中に並べて、

 笑顔になってほしい。


誰の記憶にもない私が、誰かの新しい記憶となり、

人生のひもを、

 少しでも美しい色に変えられることを願って。

 





                                      完

幼い文章と構成で、お世辞にも「小説」とは呼べませんが、最後まで書ききることができて本当に嬉しいです。ありがとうございました。

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