第四章 火の使い手
セントラルを南西に一週間ほど進んだある村、アコール。
高台にあり、遠くまで見通しもきく。村の横手には切り立った崖があり、そこをエイル川の支流であるイニール川の急流が渦を巻いている。
村はどこか物々しい雰囲気で、木の先端を尖らせ、それで村をぐるりと塀のように取り囲んでいる。
中には物見櫓も組まれ、それは村というよりも、ほとんど砦に近い装備が施されているのだ。
「おい、止まれ」
二人の兵士が槍をクロスし、青年の行く道を塞ぐ。
どんよりと曇った空からは今にも大粒の雨が降ってきそうだ。
鋭い槍が圧倒的な存在感を表し、一般の人なら及び腰になるだろうが、この青年は違った。
旅人の多くが愛用する緑色の上着を黒いベルトで締めている。
ここまでは一般的だ。だが、彼は他の旅人とは確実に違う点をひとつ持ち合わせていた。
もちろん、洞察力のある者なら、彼の全く汚れていない服や、艶の効いた肌など疑うべき点も多々有ったのだが。
彼は武器を持っていなかったのだ。
街や村の中では持たない者が一般的だが、一歩でも外の世界に出たらそこはもう無法地帯。
命はとるかとられるか。
カノンのように戦いに慣れた者も必ずいざという時のため、武器は携行している。
魔法のように一発逆転の力は無いものの、詠唱だのの事をしなくてもいいため、矛盾しているが旅人の楯であるとも言える。
「何だ?その顔は?」
兵士の一人が下を向いた青年の吊り上った口元に気がついた。
長い黒髪のせいで良く目元は見えないが、どうやら笑っているようだ。
ドサッ……
「え?」
兵士の一人が足にまるで力が入らないかの様に膝から崩れた。
その首には細い銀色に輝く鎖がいつの間にか何十にも巻きつけられ、目をむき、舌を突き出して絶命していた。
「お、おぃ!」
槍をほっぽり投げ、すぐさま抱き寄せると、瞳の色が燃えるような赤に変化しているのに気がついた。
カッと見開かれた目に、生気は無くガラス玉が入っているかのようだ。
「お前、なんっ……」
もう一人の兵士が言い終える前に、前の兵士同様、魂はこの世には無かった。
鎖は青年の腰から伸びていて、兵士を殺してからはほんのりと赤みを帯び、脈打っている。
まるで彼らの血を吸っているかのようだ。
反対に兵士の血色は悪くなり、その瞳の赤さをより一層際立たせる。
「もう良いかな?」
始めて男が口を開いた。
その声はまだ若く、背格好の割りには高い声だった。
髪を軽く掻き揚げ、首の骨を鳴らす。
掻き揚げたとき、チラッと見えた限りでは男は鮮血のような色をした瞳を持っていた。
「よし、戻れ」
男の声に従って、まるで生きた蛇のように男の元に吸い込まれていく。
鎖の先端、髑髏があしらわれた楔が兵士から抜けると、そこにはまだ新しい真っ赤な血がベットリとついていた。
が、それも一瞬。血はすぐに吸い込まれるように消え、地面に僅かな血痕を残すだけとなった。
男は何も無かったかの様に兵士を両脇に抱えると、茂みの向こうに広がる崖に投げ込んだ。
激しい急流に、二度とこの街の人の目につく事は無いだろう。
男は黙ったまま淵に立って下を見下ろす。
赤かった瞳は徐々に黒みを帯びていき、遂には明るい茶色に落ち着いた。
音もなく、一瞬にして二人の命を平然と奪ったこの男。
数多の名を使い分け、誰も真実の名を知らない。
いや、誰もが真実だと思っているから、彼の名を知らないのだ。
彼の属性は火。
戦闘能力に長け、速度こそないものの、当たれば全てが一撃必殺。
戦時において彼等は最強と讃えられる。その理由は大きく分けて3つだ。
「さて、アコールでも……頂きますか」
一歩、また一歩と村の入り口へと歩みよる。ゆっくりしているように見える足運びの割に、近づく速度は速い。
「侵入者だぁ!矢を放て!」
恐らく、二人の兵士殺害の現場を見ていたのだろうか。
物見櫓の者が警鐘を高らかに鳴らす。
すると、一斉に矢が雨のように男に向かって降り注いだ。
木の壁に小さな穴がいくつも開き、そこから放たれて来ている。
地面に矢が刺さり男の周りには足の踏み場もない。
「火矢だ!火矢も放て!」
男には矢が当たらない。
当たっているのに貫通してしまうのだ。一本も男には刺さらない。
その様子に壁の向こうでは大あわてだ。
最初の攻撃はお遊びだったかのように思わせる怒涛の攻撃を仕掛けてくる。
文字通り、矢継ぎ早だ。
なのに、矢は一本たりとも男に刺さることがないのだ。
これが、火属性が戦闘において最強たる所以。
「神々が悪戯。紅蓮の炎がおこしたる揺らぎの力。炎よ、燃えよ」
男の姿がぐにゃりと歪む。
と、同時にボッと男の周りにあった矢が一瞬で消し炭になる。
衝撃波のような炎が男がいた地点を中心に爆発的に燃え広がる。
すでに炎の中を覗きこむのには不可能なほどの燃え様だ。
もし、彼が火属性で無ければ、全員彼は死んだと思っただろう。
事実、数人の喜びの声が砦内から上がった。
しかしそれも束の間、その炎の燃えようにハッと息を飲む。
明らかに火矢のせいで燃えてるのではない。
その内側から発せられる力強い魔力に、誰もが身を固くした。
「……近づきし、揺らぎの時。
古より数多の神々の使いとされる姿。開かれる扉。
火の星の力を借りて、いざここに目覚めさせん」
「石だ!い、石を当てろ!」
指揮者なのだろう男の声は恐怖に震えている。
この街中の石を集めてきたのではないかと思われるほど、大小様々な石が壁の向こうから火に向かって投げ込まれる。
恐らく投げてる当人は標的がどこにあるかなんて考える余裕はないのだろう。
狙いは、てんでバラバラ。
だが、下手な鉄砲数打ちゃ当たる。
当然、幾発かは火を直撃している。
「……迫撃の時、来たれり。
我が命運の赴くままに、それに仕えよ。
聖霊魔法、召喚、フレイズ!」
男の地に響くような声が轟くと、それまで周りを燃やし尽くさんとしていた炎が、一点に集約していく。
それに合わせ、空気が炎の中心へと吸い込まれ、幻想的な紋様が地面に描かれていた。
男の姿が炎の外に出る程に集まると、炎の中から一枚の真紅の羽が舞い落ちた。
それは地面につく前にボゥっと燃え尽きる。
その刹那、炎の中から鳥の鳴き声が聞こえ、炎が消えると共に、神々しい姿が現れた。
全身を深紅の柔らかな羽毛で被われ、力強く張られた翼を含めれば大きさは、人間とさして変わらない。
呼吸とともに全身が躍動し、その度に周りの空気が燃えている。
「いけ!」
男がアコールに向かって腕を突き出す。
と、同時に優雅な羽ばたきを魅せながら凄まじい速度で一気に突っ込む。
「打て!」
それを打ち落とそうとそれこそ四方八方から矢がフレイズを襲う。
だがそれを軽く体を捻ったり、最小の動きでかわしていく。
時にはトルネードのように捩りはじき返したり。地面すれすれを滑るように飛んで行く。
壁ぎりぎりで急上昇し、あっという間にアコールの壁を越えると、村の上空を恐怖を与えつけるかのごとく旋回する。
その高さには、もはや矢は届かない。
諦めきれない者何人かが放った矢も、フレイズの数メートル下で万物の絶対なる法則に屈した。
「天からの使者。蘇りし聖獣。放て、灼熱の劫火を」
男の声に呼応するようにフレイズが口を開くと、直視出来ないほどの光と炎に包まれ、アコールは消失した。