旅 8
ジェルヴェーシが寝ている時間はどんどん多くなって行った。
僕もそれがどういう事なのか察していたし、ジェルヴェーシも多分、もう覚悟は決めていたと思う。
そんな時でも、太陽も空も、月も、森も、川も、何も変わらなかった。
死って言うのは、他の何かを全く変えない。その死で幾ら僕が悲しもうとも、きっと幾ら誰かが喜ぼうとも、きっと何も変えないんだろう。
図体がでかくても、それは僕達ドラゴンでも同じだ。
そんな事を理解すると、やっぱり何か寂しくなる。
どれだけ飛び続けたのか分からない。僕が元々住んでいた場所から、どれだけ遠くに来たのかも分からない。
気紛れに進路を変えて飛び続けて、途中からオヴキアノスと共に飛び続けて、随分と長い距離を飛んだと思うけれど、あれ以降人間の町には近付かなかった。
オヴキアノスがやめとけ、と言って聞かなかった。
僕はまだ見た事は無いけれど、人間がオヴキアノスの言うような術式、みたいなものが使える可能性は捨てきれなかった。
何となく、そんなものは無いと僕は思っていたけれど、そう言える自信も無かった。
僕も、いや、この世界に住むドラゴンの大体は人間に関して無関心だろうから。
そして、ジェルヴェーシが「そろそろかな……」と呟いたその日に、僕は黒いドラゴンに会った。
歳も同じ位。成竜したばっかり位。
僕だけで獲物を探しているとやって来た。
「おい、ここは俺の縄張りだぞ」
「……ああ、ごめん」
「さっさと出てけ」
素っ気ない口ぶり。出て行かなかったら、多分戦う羽目になるんだろうな、と思う。
最後に戦ったのはいつだったっけ。フリガンと子供の時、遊び半分で戦った事だけしかない。
僕の体に傷は殆ど無い。それに比べてこのドラゴンには結構傷がある。
戦ったら確実に負けるだろうな。
「分かった」
話したいのは山々だったけれど、戦って負けて、もし飛べなくなったり、万一殺されたりだとか思うと、去るのが無難に思えた。
「え、おい」
何か意地悪したくなって、その引き留める声を無視すれば「弱虫が」と呟いたのが聞こえた。
それには何も言い返せなかった。
僕は、弱いのは当たり前だった。ずっと毎日飛び続けて、持久力はそこそこあると思うけれど、それ以外は何もなかった。
背を向けて飛び去って、フリガンに似てるな、とふと思った。成長したら、きっとあのようになっていたんだろうな。
振り返ると、翼を中途半端に動かして、僕を追い掛けようか迷っている姿が見えた。
そして僕が振り返ったのを見止めると、追い掛けて来た。
「何?」と追いついて来たそのドラゴンに聞くと、「普通戦うだろうよ」と返された。
それが普通なんだ。
「僕は戦った事自体無いからさ」
「……兄弟とか居ないのか?」
「居ないよ」
「お前から別のドラゴンの臭いもするが」
「いや、僕よりかなり年上。戦い相手とかと言うよりは、話し相手って感じ」
「友達とかも居ないのか?」
「一匹だけ居たんだけど、死んだ」
「……すまん」
「うん、いいよ」
もう、随分前の事だし。あの場所で過ごしていた時間と、こうやって飛んで過ごしている時間、どっちが長いんだろう。
「……あのさ」
「何?」
「どうやって死んだんだ? 老いて死んだって事以外余り知らなくて」
言って良いのかな、と思ったけれど、まあ、そんなに気にする事でもないかな。
「人間に殺されたんだ」
「……はあ?」
そりゃ、理解出来ないよな。
「やっぱり知らないんだ」
「何をだよ」
フリガンが殺された物を教えると、とても驚いていた。
ジェルヴェーシにとっては、もう居心地悪いってものじゃないだろうな、と思いながらオヴキアノスの所に着いた。
ジェルヴェーシはどこかに行っているのか、見えなかった。
「おう、何だそいつ」
「そいつじゃねえ、ユンケーだ」
「ユンケー、か。俺はオヴキアノス」
オヴキアノスは立ち上がって、ユンケーを見た。
「おっ、やるのか?」
「お前がやりたそうにしてるからな」
すぐに僕は置いてけぼりにされた。
オヴキアノスの氷弾と、ユンケーの酸弾が空で弾けて、いつの間にか僕の近くに寄って来ていたジェルヴェーシを翼で庇った。
オヴキアノスが戦う様を見るのは、今更ながら初めてだった。ユンケーの方が攻めているように見えるけれど、オヴキアノスの方が優勢なのは見ているだけでも分かった。
年季の差ってものなんだろう。暫くしてオヴキアノスがユンケーの噛みつきを躱して尻尾で顎を弾くと、ユンケーは一瞬気を失ったように落ちて行き、意識を取り戻した時には首に噛みつかれていた。
「なあ、ちょっと良いか?」
ユンケーが気落ちしながら遠くで着地するのを見ていると、ジェルヴェーシが僕に話し掛けて来た。
神妙な感じで、僕はそれだけで何となく察した。
庇っていた翼を戻して、僕はジェルヴェーシの方を向いた。
「もう、……狩れなくなった」
「……うん」
「色々考えたんだがな、何だろうな、お前に食われても良いとも思うし、お前がそれを拒むなら、ここで俺は死のうと思う。
どうする?」
「……ジェルヴェーシにとっては、どっちが良いの?」
「そういうのは、余り、無い。お前の友達も、お前すらも見殺しにしようとしたのは確かだし、ああいう結末を迎える事になったのは、俺にも原因がある。
お前の好きにして貰って構わない」
ジェルヴェーシの考えている事は、良く分からなかった。
自分の為に、僕に、人間達が僕とフリガンを殺そうとしている事を言わなかった。自分の為に、喋れなくなるのが嫌だから、僕に付いて来た。
多分、ジェルヴェーシが洞窟の中で逃げるように促したのも、多分、僕の為を思って、っていうのもあるんだろうけど、ジェルヴェーシ自身がまだ死にたくないからって言う方が強かったと思う。
結局、大概の獣は、自分が一番なんだろう。父さんのように命を賭してまで子供を、僕を守ろうとする何かは、とても珍しいのかもしれない。
そのジェルヴェーシがこんな風に言っている。
どうしてかは分からないけれど、ジェルヴェーシにはやっぱり、僕に対する罪悪感があったんだろうとは思った。
ジェルヴェーシの好きにしても良いよと言おうと思ったけれど、そう言うものでもないんだろうか。
分からなかった。
どっちにせよ、ジェルヴェーシは近い内に死ぬのは変わらない事だ。
けれど、決定的に一つ、変わる事があった。
「あのさ、僕に食べられて良いって事はもしかしたら、あの塵のようになるって事だけれど、それでも良いの?」
誰しも、その肉体は死んだら、土に還って、次の命を育てる糧になる。
でも、あの塵のようになるって事はきっと、その糧にもなれないって事だ。この世界から放逐される、と思っても良いような事だ。
「それでも構わない。誰だって、死んだらもうその後の事何て考えられやしない」
「……なら、食べるよ」
そうするのが、ジェルヴェーシにとっても本当に望む事なんだろう。
どうしてかは分からないけれど、僕もジェルヴェーシから受け取ったものが無い訳じゃない。
「分かった」
そうして、ジェルヴェーシは座って目を閉じた。
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ユンケーとオヴキアノスが戻って来て、僕は噛み砕いたジェルヴェーシを飲み込んだ。
変な気持ちだった。ジェルヴェーシを殺して食べた。その事実は、僕にはっきりと刻みこまれていた。
「なあ、アレフ。ジェルヴェーシはどうしたんだ?」
オヴキアノスが、何故かこんな時にそんな事を言う。そして、僕の口に付いている血の臭いに気付いた。
「食べたよ」
「……何故?」
「ジェルヴェーシがそう望んだから、としか言えないよ。僕にも良く分からなかった」
「……ふぅん」
納得しきれないようだったけれど、僕だって同じだ。
その後、ユンケーが言った。
「なあ、お前さ、これからもぶらぶらするのか?」
「うん。そのつもり」
結局、何だかんだで、ぶらぶらするのは楽しい。どこに行ったって、初めての景色が待っている。初めての何かがそこにはある。
それは楽しい。それに、そうしていれば、いつか母さんに会えるかもしれないし。
「なら、俺と一緒にちょっと来てみないか?」
「どこに?」
「俺の父親の所へさ。もうそろそろ、一回俺という子供の顔を見せようと思ってたんだ」
良いなあ、と心底思った。
「俺も、ただぶらぶらしてるよりは、良いんじゃないかと思うぞ」
オヴキアノスもそう言った。
まあ、ドラゴンに色々と会えば、母さんに会える手掛かりも掴めるかもしれないし。
「うん、そうするよ」
ジェルヴェーシを殺して食べたというもやもやとした気持ちはまだ残っていたけれど、そう答えた。
「じゃあ行こうか。俺の父親、カゥプトの所に」




