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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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仕掛崩れ

 日本橋の料亭の一室に夜刀神が到着すると、そこは水を打ったように静かになった。

 この日集まったのは無偏辺組の傘下に加わった中小の博徒の貸元たちで、その数十名。二人から三人の用心棒を同行しているので、襖を取り払って二つ繋げた座敷は、それでも圧迫感があった。

 夜刀神が設えられた上座にふわっと座る。

 衣擦れの音がして、強面の貸元たちが無言のまま一斉に頭を下げた。

 博徒は厳密な『掟』や『しきたり』の世界だ。

 本来は、配下代表の筆頭が滔々と口上を述べる等の儀式があるが、無偏辺組は省略する。

 宴会形式で、出される料理も決まっている。無偏辺組は飲食も省略。お茶も出ない。

 無駄な経費を使うぐらいなら、売り上げに乗せよという発想だ。

「では、定期総会を始めます」

 夜刀神が宣言して、持参した風呂敷包を解いて帳簿を取り出す。

 貸元たちは、慌てて障子紙と木炭を細く削ったものを取り出した。

 この筆記用具は夜刀神が指導したもので、こうした会議の際に持参する事になっていた。

 いちいち墨をつけなくても、文字が書けるからである。

 貸元は帳簿をつける関係上、読み書きは出来る。

 議長役の夜刀神が議題を読みあげ、発案し、意見を求める。

 きっちりとした身分制度があり『上意下達』が常の博徒の世界だが、夜刀神はそれも無視した。

 博徒たちに混乱があったが、これは新興の若い連中にも意見を開陳する好機が与えられるというわけで、おそらく江戸博徒の中では、最も意見交換が活発なのは無偏辺組だろう。

 夜刀神が博徒の世界に持ち込んだのは、効率的な組織化と意志統一。

 つまりは、博徒を事業化し、官僚組織を流用して運用させる仕組み。そのための改革だった。

 見た目も重視される博徒では、顔に受けた傷をわざと雑に処理して『向う傷』を目立たせたりする。

 刃にも恐れず真正面から立ち向かった……という周囲への誇示だ。

 中には、酒で痛みを麻痺させて、わざわざ傷を作る輩もいる。

 だが、夜刀神には、そういう演出もない。

 最初は、当然軽く見られた。

 そして、改革案は黙殺された。しきたりに反するからだ。

 だが、夜刀神の反撃は速やかで徹底的だった。

 売上を誤魔化していた傘下組織の貸元と代貸の塩漬された首をこの席に持参して床の間に晒し、全くこの事には触れず、まるで装飾品の様に無視しながら淡々と会議を進めたのだ。

 これは、今でも無偏辺組に加わっている博徒たちの語り草になっている。

 夜刀神は白皙の学者風容貌なので、余計に怖さが際立ったということもある。

 改革者は煙たがれるものだ。だが、この演出で夜刀神は、博徒たちの抵抗の意志を効果的に奪ってしまった。

 統治のための鞭ばかりではなく、彼は飴も与えている。

 上納金は安く、定額制。つまり、頑張って稼げば多くの金が手に入る仕組みだ。

 勝率はどこまで誤差を出して良いか組織内の系列で談合されているので、多くの客を呼び込むためには、演出や盛り上げ方や客への便宜の図り方を工夫するしかない。

 こうした、事業への努力の結果、他の洗練された相州博徒や上州博徒の客を奪いつつある。

 これが、夜刀神が仕掛けた既存博徒たちへの『銭の戦争』。

 本拠地である無偏辺組は、徳川の予算編成を握る大久保長安からの莫大な資金援助を受けている。

 利益追求を目的としていないので、夜刀神の作りつつある仕組みが広がれば広がる程、続けば続く程、江戸博徒が完全統一へと傾く。

 この夜刀神が主催して始まった定期総会が緊張を強いるのは、売上が落ちている組織の報告会があるからだ。

 別に、吊し上げるわけではない。

 なぜ、売上が落ちたかの分析、挽回するために何をするのかの方針、そういったものを発表させられるだけである。

 これが、『面子めんつ』というものを重視する博徒には苦痛なのだ。

 実際に改善されたかどうか、検証までされるのだからたまらない。

 きっちりと数字を突きつけられ、見栄の張り様がない。

「なんとかなります」「次はがんばります」と言っても、「その根拠は?」と聞かれるのだ。

 それに、安定的に売り上げ水準を保っている組織も安心できない。

 売上げ予測を低め目に見積ると夜刀神の監査が入り、予測の根拠を求められたりする。

 六十日毎に開催される定期総会は、成績発表会の場でもあり、自分たちの能力を客観的に数値化される場所でもあるのだ。

 ピリピリした緊張感はそれが由来。当の夜刀神は、組織運用とはこういうものだと思っているので、傘下の貸元たちの苦悩など忖度していないが。

 会議が終わり、げっそりとなった貸元たちが帰ってゆく。

 打ち上げの宴会も無し。

 会議と宴会は別物……と、夜刀神は考えている。

「どう見ました?」

 資料を片付けながら夜刀神が、部屋の隅で刀を肩に立てかけ退屈そうに壁に背を預けて座っている甚吾に言う。

 人嫌いな権太は廊下の暗がりに蹲って潜み、露木は若手の役者あがりの美男な貸元にねっとりした視線を送っているばかり。

 会議の内容など、眠そうな甚吾も含め誰も聴いていないように見えた。

「不満が溜まっているね」

 欠伸混じりに甚吾が答える。

「さすが、よく『観て』いますね。古い組織ほど、反発が強いみたいです」

 甚吾は経営などに興味はない。『銭の戦争』と言われても、理解しようとすらしない。

 だが、甚吾は感情を読む。深甚流の基本だ。

「一人、殺気が流れていた。上手く隠していたけどね」

 ふっふと浅く甚吾が笑った。

魚黙過うおもっか組の相良さがら久三きゅうぞうさんですね」

「そいつが、どこの誰だか知らんよ。左列の三番目の男さ」

「ああ、間違いない。久三さんですよ」

 魚黙過組は老舗だ。本当かどうか知らないが、太田道灌がこの地を治めていた頃から土着の博徒として存在していたらしい。

 紺護和尚が無偏辺組を作り勢力を拡大する以前は、最大勢力を誇っていた組織である。

 無偏辺組に隷属していたが、相州博徒、上州博徒に無偏辺組が駆逐されると、失地を取り戻し相州博徒、上州博徒に対抗しようとする程度には野心もある。離反の要素が強い要注意な組織だった。

 蕪九兵衛の内部監査では、進出当時の勢いを失くした上州博徒が、魚黙過組を抱き込む動きがあるとのこと。先般行われた神奈川湊でのでいりで、一番多く三下を供出させられたのは魚黙過組。

 神奈川湊での作戦では、三下は使い捨て。魚黙過組の勢力を削る意味もあったのである。

 だが、これで、勘のいい久三は、自分が疑われている事に気付いたのかも知れない。

 『殺られる前に反旗を……』

 とは、考えられる筋書。

 この工作には、間違いなく上州博徒のまとめ役、赤光一家の代貸の朽縄の五郎左が動いている。

 夜刀神の首を手土産にもってこいと、焚きつけていることは容易に想像できた。

 魚黙過組が潰れれば、無偏辺組の勢力は削がれる。

 首尾よく夜刀神の首を獲る事ができれば万々歳である。

 赤光一家にとっては、どう転んでも損は無い取引だ。

「それで、私の出番というわけだね。死地に身を晒すのは潔いけど、自分を餌にして敵を引きつけ、私に討たせるという手段は、気に入らないね」

 立ち上がり、肩に立てかけた黒鞘の無銘刀を腰に差し、下げ緒をさばいて帯にたくし込みながら甚吾が言った。

 甚吾と夜刀神は用心棒の専属契約を結んでいる。

 だが、あくまでも甚吾が所属する『宿星屋』の晴明を介しての契約であり、夜刀神に甚吾への命令権は無い。『受動的な護衛』そういう契約だった。

 しかし、夜刀神が自らを危険に晒せば敵が喰いついて来て、甚吾が護衛についている場面では、必然的に彼が敵を斬る事になる。

「契約違反ではないと思っておりますが?」

 そう言って、夜刀神が笑う。刀を持たず竹光を腰に差していた変人だが、度胸の据わり方は、彼もまた武士だった。平気で自分を囮にし、そして何より甚吾に臆さない。

「わかっているよ。小賢しいなと思っているだけさ」

「まぁ、役人なんて、こんなものです」


 夜中。暗天に朧月。

 江戸特有の磯臭い風が吹いている。

 海を埋め立てて拡大している江戸の町は、ふとした瞬間に消された海の怨嗟が漂う。

 不夜城の吉原や、色町が出来るのはずっと後年。

 土木工事に従事する男たちの街、江戸は繁華街は夕食や晩酌の時間が終わった夜中を過ぎれば閑散としたものだ。

 どこか遠くで、物悲しく野良犬が遠吠えしている。

 そぞろ歩きの四人。夜刀神と甚吾たちだった。

 いかにも「襲って下さい」という風情だが、夜刀神は現在の博徒の情勢を語り続け、甚吾は欠伸をかみ殺しながらその話を聞くともなしに聞いている。

 やや遅れて殿を守る様に露木玉三郎と瓦走りの権太がぶらぶらと歩いていた。

 妙に柄が長い変則的な刀に左手の肘を預け、右手を懐手にしている。

 熱死ねっし一家の貸元、役者崩れの美男、安藤雪乃丞の腰つきを思い出しながら乳首を弄っているのだった。

 怯えているのは権太ばかり。この物騒な情勢の中、まともな反応は彼だけだ。

「わかりやすいなぁ」

 夜刀神のしゃべりを断ち切って、不意に甚吾が口を開く。

 既に、露木は自分の乳首を弄うのをやめて、左手で鍔元を握り、右手をだらりと下げていた。

「あたしがります?」

 まるで天気の事でも訊くような口調で露木が言う。

 甚吾がケタ外れの剣士なので忘れがちだが、露木は江戸を震撼させた凶賊『七死党』の生き残りなのだと、権太は思い出した。

「そろそろ誰かを斬らないと、腕が錆びるところ。私がやるよ。露木は、権太と夜刀神を守って」

「承りました」

 甚吾が左手で鍔元を掴んで、刀を寛がせる。

 磯臭い江戸の夜風に塵が舞う。

 その紗幕の先に、道を遮る様に五人の浪人が立っていた。

 月代は伸び、無精髭。袖も袴も汚れほつれた者どもだった。

「結構浪人が死んだからね。質が下がったみたいだよ」

 俯いてぶらぶら歩きながら、甚吾が言う。

「二百人以上殺処分しましたからね」

 徳川の御用商人『駿河屋』は、淡輪水軍の残党によって編成された破壊工作機関だった。

 江戸に諜報拠点を築いていた豊臣側の密偵『曽呂利衆』との抗争を繰り広げた『駿河屋』だったが、この過程で江戸近隣の浪人が双方に雇われ、死んだ。甲州忍と拠点再構築を計った曽呂利衆・清麻呂党との抗争でもまた。

 一時的に、江戸の周囲から浪人の姿が消えるほど、浪人たちは死んだのだ。

 だが、大都会に変貌しつつある江戸には、蜜に惹かれた蟻のように人が集まる。

 真面目な労働者も、博徒も、売春組織も、食い詰めた浪人も。

「晴明から聞いた事があるのだけれど、『裏の口入屋』が依頼をしくじると『仕掛崩れ』といって、粛清の対象になるらしいね。博徒のついでに、裏の口入屋も処分するのかい?」

 人材を斡旋する職業があり、それを『口入屋』という。

 労働者不足の江戸では儲けている職業の一つだが、中には暗殺などの裏稼業に手を出す者もいた。

 甚吾を斡旋する『宿星屋』は裏稼業に手を出したクチで、別名『粛清屋』とも言う。

「合理的と言って下さい」

「ますます気に入らないね。私はどうやら、あなたが嫌いみたいだ」

 ふふっと笑って、甚吾が鯉口を切った。


 ―― 甚吾さんは人の話を聞いていない様で、そのくせ本質をついてくる。


 夜刀神がひとりごちる。彼がやっているのは、江戸の治安管理の下準備。

 博徒も裏の口入屋も邪魔なのだ。


 ―― 高い銭を支払っているのだ。モトはとらないとね

 

 

 

 


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