貸元たち
上州赤城の桐生の町。そこに蟠踞するのが、上州博徒の中で勢力を拡大しつつある赤光一家である。
無偏辺組の襲撃を一手で引き受け、多くの犠牲を払いながら撃退したことで『男を上げた』結果、権勢は盤石になりつつあった。
不可侵協定を結びたいと申し出てくる競合組織も出始めている。
だが赤光一家は、上州は博徒の組織が多すぎて飽和状態になるという見解だった。
桐生近辺は土地が痩せており、度々水害に襲われることから『養蚕』に主要産業を切り替えた結果、絹の需要が増えた事も相まって、小金持ちが増えた。
徳川の領地だが、租税面に関して何故か優遇措置が取られており、加えて養蚕の技術指導や機織り機の格安な販売などの至れり尽くせりの公的援助もあった。
これで養蚕業に舵を切る農家は増え、ますます銭が桐生には流れ込む結果になる。
これは、京・大阪・堺の絹商人たちに対する、徳川が仕掛けた『銭の戦争』の一環なのだが、民草は知らない。
勿論、博徒たちもその事は知らない。博徒は銭の匂いに敏感なだけだ。
周辺の博徒は、上州に集まり、相州などと並んで博徒が多い地域になっている。
ただし、上州は本来は基本的に貧しい。
絹産業一本に縋っている側面があり、今は順風だとしても危険性はあると、赤光一家の貸元の赤城山光三郎あたりは危惧していたのだ。
ならば、余力のあるうちに新しい拠点を開拓すべきであると判断して、信用する代貸の朽縄の五郎左を江戸の派遣したのである。
五郎左は、勘働きもよく、頭もいいし、度胸もある。
欠点は、女をいたぶり責苛むという悪癖だが、それでいつか致命的な事になるかもしれないと光三郎は危惧している。その欠点を補ってあまりあるのが、拠点を作り勢力を拡大する手腕。
これには、光三郎も一目置いている。
その五郎左から文が届いた。
祐筆でも雇ったのか、彼の金釘流の見難い字ではなく、几帳面な字だった。
江戸の博徒の情勢、江戸支店の様子などが描かれている報告書だが、要請が一件。
『即戦力の荒事専門の連中を、寄越せるだけ寄越して欲しい』
という要請だった。
具体的な根拠はないが、「どうもキナ臭い」というのが五郎左の直感で、赤光一家が持つ抑止力の一つ、凄腕用心棒の通口定正の病が重いのかもしれないという不安も書かれていた。
光三郎が、頭の中で算盤をはじく。
地元の桐生の兵力を低下させる事と、江戸の拠点を危機に晒す事、その最適解は?
硯を出し、考えながら墨を磨る。
光三郎は、元・力士で巨漢。鼻はつぶれ、耳は変形し、額は傷だらけという粗野な外見だが、手先は器用で、達筆だった。
先日、行き倒れの浪人を拾った。
まだ若い男だが、博徒でありながら馬庭念流の目録所持者でもある光三郎が見ればわかる。
かなりの腕の剣士だった。
今は手厚く看病している。
この男はいずれ利用する。こうやって、恩を着せてゆくのが博徒というものだ。
通口が長くないのは、分かっていた。
だが、今まで十分に役立ってもらった。そろそろ次を探そうかと思っていた矢先のことである。
「俺には、運がある」
光三郎が呟く。
その若い浪人を絵図面に組み込んで、方針を定める。
おおよその考えはまとまっていた。
磨りあがった墨で、さらさらと筆を走らせる。
いくつか、書状を送らないといけない。
書き上がった書状に、ふうふうと息を吹きかけて乾かしながら、家僕を呼び出す小さな鐘を光三郎は鳴らした。
「いや、だから、もっと護衛をつけてくださいよ」
身支度する夜刀神 長久 の背中に、蕪 九兵衛 が言っていた。
この二人、表向きは本職の坊主のくせに博徒の貸元でもあった阿振山無偏辺寺の住職 紺護の代貸という名目だが、夜刀神は徳川の領地を運営する代官の 大久保 長安 子飼いの官僚で、九兵衛はそれを補佐する契約を結んだ甲州忍である。
紺護は精神を病んで座敷の奥に逼塞しているので、夜刀神が実質の貸元だ。
「被害を最小限に抑えるために『霞の陣』を使ったので、こっちが甲州忍だってバレましたぜ。相州の野郎どもが、それをなぜ秘密にしてやがるのかわかりませんが、次は表立っての戦じゃなく、暗殺を狙ってきます。今の段階であんたに抜けられちゃあ、困っちまう」
必死に九兵衛がまくしたてるが、夜刀神は聞く耳をもたない。
「だいぶ、私を買い被っていますが、私が死んでも代わり者が来るだけですよ。それに、こっちの警戒態勢を強化したら、相手も『無偏辺組が何かを悟りやがった』と、思うんじゃないですかね? だから通常のままいきます。ただし、護衛の質を上げて甚吾さんと露木さんと権太さんを呼んでいますよ」
まぁ、直衛があの連中なら大丈夫かと、九兵衛は思い直した。
まったく、甲州忍頭目の甚内といい、変人官僚の夜刀神といい、上官に振り回されていつも胃が痛い。
会合に出かける夜刀神一行を遠巻きに、夜目が利き、短弓が得意な忍を三人つけることにする。
あの薄気味悪い剣術使い 草深 甚吾 がいれば、逃げる間の時間稼ぎくらいは出来るだろう。
無偏辺寺の山門を潜って、甚吾、露木、権太の三人が来るのが見えた。
金城一家との抗争を思い出す。
あの『豺狼』こと、斎藤 刀哉 に手傷を負わせ、撃退した現場を九兵衛は見た。
刀術には多少自信があったが、刀哉が突っ込んできたときには、手足が動かなかった。
殺気に当てられたとでもいうか、甚吾がいなければあっさりと首を刎ねられていただろう。
幾多の戦場を渡り歩いた九兵衛ともあろうものが、完全に竦んだのだ。
それほど、刀哉は恐ろしかった。
刀哉によって甲州忍の本陣が崩されていたら、大打撃を受ける結果になっていた。
それを、甚吾は一人で防いでしまった。
忍にとって、戦とは情報戦や暗殺も含めた結果。
個の技量などは、その結果に含まれる因子に過ぎないという考えだった。
だが、違う。たった一人の突出した技能者の存在で、描かれた絵図面が変わる事があるのだと思い知らされた。
そういう意味では、夜刀神が甚吾に拘ったのは、正しい判断だったのだ九兵衛がひとりごちる。
そして、夜刀神は甚吾ありきで策を練っているらしい。
一件無防備な外出も、その策の一環ということか。
「それでは行ってくるよ。心配無用。もし私が死んでもしばらくは機能が残る。機能が残っているうちに、後任の者が来る。組み上げた官僚の仕組みとは、そういうものだよ」
そういって、上り框から腰を上げた。そして、気楽に甚吾たちにやあやあと手を振る。
夜刀神の博徒風の着流し姿が、やっと様になってきていた。
例の竹光は持たない。
組織の代貸ともなれば、護衛が着くのは当たり前なので、武装はしないもの。
『襲えるものなら、襲ってみな』という度胸を示す意味合いもある。
あの、お堅い役人が、変わったものだ……と、頭を下げて見送りながら九兵衛は感心していた。
「手薄すぎませんか?」
いつの間にか、九兵衛の祐筆を務める 桜井 平八郎 が九兵衛の脇に立っていて、そんな事を言った。
変わったといえば、この若造も変わった。
子供っぽさが削ぎ落とされて、急に大人びた感じになった。
神奈川湊の陽動作戦で一人斬ってから、一皮剥けたようだ。
気配も変わった。
現に今も、九兵衛がひやっとするほど、接近に気付かせなかったのだ。
気配は籠める。そして、一気に放つ。それが出来る様になったということだろう。
これは『人斬り』の呼吸だ。もともと、素質があったのだろう。それが一気に開花したといいうことか。
「化け物が護衛だ。心配あるまいよ」
ため息混じりに九兵衛が言う。
「ああ、露木さんが居ますね」
神奈川湊で、平八郎に人斬りの心得を身を以て教えたのが露木だった。
「あれも大概だが、本当の化け物は 草深 甚吾 だよ」
平八郎は陽動部隊だったので、甚吾を見ていない。
知識として魔剣 深甚流を知っているが、実感が湧かないのだろう。
ふんと鼻を鳴らして、口を噤んだ。
常に『善い人』の仮面をかぶっている相州小田原金城一家の代貸、仏の三之丞は、常に背中痛に悩まされていた。
本当は仏どころか、悪鬼羅刹の精神を胸に飼っているのだが、それを隠して暮らしている。
それが、無意識な緊張を強いているのか、背中が凝る。筋肉が引き攣って、痛みが走るのだ。
加えて今は、自分だけが取得した情報『無偏辺組は徳川の息がかかっている』を、どう有効に使うか、脳を酷使している状況で、背中痛がひどい。
この痛みが耐え難いので、三之丞は作戦行動に腕のいい按摩を随伴する。
今回の江戸での拠点構築に際しても、古くから使っている小田原の按摩を同行させていた。
それが、食中毒でコロリと死んでしまったのだ。
三下どもに背中を揉ませてみたが、どうにも満足できない。
そこで、江戸の相州博徒の息がかかった口入屋を使って按摩を紹介させたのだ。
その按摩が炉狸という男。
ころっと丸っこい外見で、古狸が炉端で温んでいるような様子からついた名前らしい。
見ているとなんとなく苛めたくなるような雰囲気で、訳もなくタプついた頬を抓りたくなる。
諜報担当の風魔忍ムササビは、外部から人材を入れることに渋面を作った。
密偵かもしれないと、危惧しているのだ。
相手は残忍で剽悍な甲州忍。油断は禁物だった。
だが、三之丞は炉狸に関しては、心配をしていなかった。
なにせ、この丸い男は、盲目であるうえ、口も利けないのだ。密偵に成りようがないという結論だ。
ムササビは炉狸が障がいを演じているのではないかと疑って、何度か仕掛けたらしいが、結果はシロ。
そのまま、三之丞専属の按摩として採用になった。
『くそ、風魔の野郎、しつこいったらありゃしねぇ』
心の中で、炉狸が罵る。三之丞の按摩を毒殺したのは彼だった。
侮られる外見は偽装。
忍らしからぬ体型もその偽装の一環で、わざとだ。
もちろん、障がいも偽装。
体術、武技、穏形といった技術を捨て、敵地への潜入にのみ特化した忍が炉狸だった。
盲目を演じる事が多いので、按摩の技術はその道の専門家並み。
その他、鍼灸なども身に着けている。
潜入のための小道具だ。
『風魔のムササビとやらは、だいぶ疑っていやがったが、どうやら俺様の勝ちだ』
ポンポンと手を打つ音が聞こえる。
三之丞が呼んでいるのだ。
按摩の最中、ムササビが見張っているので、暗殺は出来そうもない。
ただし、耳を澄ます事は出来る。
炉狸は侮られる。それが常態化すると、居ても居なくても誰も気にしなくなるもの。
そうなった時が、彼の本領発揮だ。
『こいつらを丸裸にしてやるぜ』
人を騙すのは楽しい。裏切りが成功すると、脳天が痺れるほど快感だ。
『まぁ、アノお楽しみには負けるが……な』
仕事が完遂し報酬が入り休暇を貰うと、炉狸は自分の趣味に没頭する。
一種のご褒美みたいなものだ。
それがあるから、過酷な任務も耐えられる。
『今度は、どういう趣向でいくかな?』
昏い笑みを剽軽な顔に隠して、炉狸は三之丞の部屋に向った。




