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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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勇魚

 海で生き、海で死ぬのだと 勇魚 は思っていた。

 父も祖父も銛を手に沖に出て、大きな鯨を獲るのを生業としていて、ずっとそれに憧れていた。

 たまさか家に帰宅した父の膝の上で、祖父がぽつりぽつりと話す海の王者との戦いは、何よりも 勇魚 の胸を震わせたものだ。

 まるで、英雄譚を聴いているようだった。

 豊後の沖合の孤島。

 それが、捕鯨と漁業を生業としている 勇魚 の故郷。

 年に数度、年貢を取りに威張り腐った武士が上陸するぐらいで、少数の島民が肩を寄せ合って暮らしている小さな島であった。以前は大友氏が支配していたが、今は中川氏とやらが支配しているらしい。

 勇魚 ら民草にとって、武士同士の殺し合いなど別世界の物語であり「なんで、見たこともない野郎のために年貢を納めなければならんのか?」という疑問を感じるばかりであった。


 その船が漂流してきたのは、野分のわきが次々と通過した後の、返し波荒れ狂う日だった。

 漁村の若衆や男衆は捕鯨で沖に出ており、多分どこかの無人島で風除けをしていて、島には漁に出られなくなった老人の他、女子供ばかりが残っている状況だった。

 勇魚 はその残留組にいた。

 年齢は十四。

 同じ年代の若衆は、見習いと称して沖に出る年齢だった。

 若衆の誰よりも操船が上手く、風を読むのが巧みで、誰よりも正確に銛を突く事が出来た 勇魚 だが、船主を務める父の言葉は絶対だ。

女子おなごは、沖には連れ出せん」

 地団太踏んで 勇魚 は悔しがったが、『板一枚下は地獄』という漁師には厳しい掟があり、集団で呼吸を合わせる必要がある捕鯨は更に厳しい掟が課されていた。

 女人禁制もその一つ。

 胸が膨らみはじめ、体が丸みを帯び始めてきた 勇魚 は、もう漁師仲間ではなくなってしまっていた。


 帆柱が折れたその船は、岩礁に舷側をばっくりと割られ、島の砂洲に座礁していた。

 見た事のない大きな船。明らかに和船とは構造が違うと、第一発見者の 勇魚 は気が付いた。

 南蛮貿易で使われる『からっく』とかいう船だ。

 海に生きる者の掟の一つに……


「生きて漂流している者は助ける」


 ……と、いうものがあり、それが南蛮人だろうと支那人だろうと、生きているなら助けるのが不文律。

 なので、村人総出で沖に船が流されないように錨を打ち、ずぶ濡れになった南蛮人の乗組員を保護し、なけなしの食糧をあてがったのである。

 遭難した南蛮人は、島民の親切に感謝した。

 だが、彼らは人狩を生業とする奴隷商人だったのだ。

 女子供や老人しかないと気付くと、彼らの態度は豹変した。

 当時、日本人奴隷は人気商品であり、それを求めた南蛮船が人狩を行う事案が多く発生していたのである。

 勇魚 を含めた若い女と子供は全員連れ去られた。

 船の中は、地獄だった。

 南蛮人にとって、日本人など「人間に似た猿」程度の認識しかなく、人道的な扱いなどするはずもなかったのである。

 連日連夜の凌辱。これは、紀州の淡輪水軍の残党にその南蛮船が襲撃されるまで続いた。


 解放された女子供は、殆どが故郷に戻ったが、勇魚 は戻らなかった。

 かねてより、女として暮らすには向かないと思っていたのだ。

 なので、淡輪水軍の海賊衆になぶり殺しにされた南蛮人の籠手がんとれ刺突剣れいぴあ鎧通そうどぶれいかを譲り受け、海賊稼業に弟子入りしたのだった。

 胸は晒で巻いて平らに潰し、髪は切り落とした。

 銛打ちを応用して、南蛮剣法を独学で身に着けた。

 相手を殺す技法に傾注したのは、自分が無力だったから。

 筋力ではどうしても男とは差が出る。なので、接近戦は避けるべきだと 勇魚 は考えていた。

 深い間合いということを考慮すると、刺突剣れいぴあは最適解だったのだ。

 ひたすら戦う牙を研いだ。それがないと、凌辱される。それが、骨身にしみていた。

 男装もまた、心に刻まれた深い傷ゆえ。

 通口 定正 と 平良 宗重 以外の男は大嫌いだった。

 もともと男には興味が無く、むしろ女子に興味湧く性癖だったようだ。地域への帰属意識も薄い。

 そして、凌辱され続けた経験により、男の獣性を嗅ぎ取るとすざまじい攻撃衝動が 勇魚 を支配する。

 なので、勇魚 を襲おうとしている河原者が憎かった。


「来な。ぶっ殺してやるぜ」


 挑発に、河原者が怒号を上げ、腰だめに短刀を構えて体ごと突っ込んでくる。

 それを 勇魚 が、ひょいと躱した。

 喧嘩慣れしているのか、その河原者は、右手で突き込んだ短刀を手首を曲げて短く投げ上げ、左手で掴み取ってそれを、ぶん回してきた。

 勇魚が面倒臭そうに、鎧通そーどぶれいかを叩き下す。

 河原者の手首と直角に交差した鉈のように分厚い刃が、それをブツンと切り落とす。

「あっ」

 と、相手が怯んだ隙に、襟首を掴んで腹を刺す。

 一度、二度、三度、四度、五度……と。

 勇魚 の表情は変わらない。まるで、漁師が魚でも捌くかのように。

 残った二人の河原者がどっと駆ける。

 勇魚とは反対方向に。

 便宜上つるんでいるが、仲間などではない。

 相手が手強ければ、朋輩をあっさり見殺しに逃げるのが河原者。

「友達甲斐のねぇ野郎どもよ」

 地面から拳大の石を拾い、勇魚 が思い切り投げる。

 ゴツっと鈍い音を立てて、一人の後頭部にそれが当たった。

 その河原者がよろめいて、顔面から倒れた。

 脳が揺さぶられると、しばらく歩くことが出来なくなる。

 河原者は、虫の様に這いずりながら、それでも 勇魚 から逃げようとしていた。

 その背中を踏む。まるで、地面に縫い付けられて虫の様だった。

「かんべんしてけろ、かんべんしてけろ」

 譫言のような声。

 後頭部からは、ドクドクと血が流れていた。

「俺が許してくれって言ったら、おめぇらは許すのか?」

 地面から拾った拳大の石を拾い上げながら、勇魚 が言う。

「許す、許すよ」

 冷笑が 勇魚 の顔に浮かぶ。

「嘘つくんじゃねぇよ、ウジ虫が」

 後頭部に向けて、思い切り石を叩きつける。何度も、何度も……。



 浅草寺に近い河原で、石を積み上げて竈を作り、そこに金盥が乗せられていた。

 奉書で簡易な屋根が作られており、蒸気が中に籠る様になっている。

 俎板代わりの板切の脇には魚籠。

 河原の傾斜には茣蓙が敷いてあり、その上には鮮やかな色彩。

 いくつもの錦を繋ぎあわせた派手な小袖と、暗緑色の地味な野袴という装いの 通口 定正 であった。

 はるか頭上には、ひばりが囀り、初夏の川風がそよそよと頬を撫でている。

 細く編み上げた髪を束ねた独特の髪型。

 それを縛る深紅の細引きの端には、水色に白い筋が一条はいった蜻蛉玉が煌めいていた。

 陽光に、定正は眼をつぶっていた。

 顔色は、上州に居た頃より悪い。

 眼は落ち窪み、頬の肉は削げてしまっていた。

 肉体は衰えつつあるみたいだが、眼光は鋭くなった。

 微調整をするように、時折剣を振るうが、それには総毛立つ様な鬼気が籠る。

 残った命を燃やし尽くして、甚吾とかいう剣鬼を斬るつもりなのだと、勇魚 は悟っていた。

「そんなやつ放っておこうぜ」

 そう誘ったが、定正 は首を縦に振ってくれない。

 人生を楽しみ、風任せに流れてゆくのが信条の 定正 らしからぬ頑なさだった。


「こうなったら梃でも動かないのが、師匠だ」


 柔軟に見えるが、時折頑迷な牛みたいになる事がある。

 今がそれだった。

 ならば『目的を排除すればいい』と、考えたのが 平良 だったが、手傷を負わすことも出来ずに敗退してしまった。

 以来、何か 平良 は考え込んでいて、ポツンと 勇魚 に言ったことがある。


「場合によっては、師匠のため我らの命を捨てます。おつきあい願えますか?」


 こういのを、言わずもがなという。

 勇魚 の返事は決まっていた。

 惚れた男……定正……の為に何が惜しいというのか。


 その平良が、勇魚 の手元を興味深く見ている。

「何を捕まえてきたんです?」

「鰻だよ」

 初夏のこの時期、産卵のため鰻が川に遡上してくる。

 それをやなという仕掛けで捕えたのだった。

 穴や狭い空間に潜むという鰻の習慣を利用した漁法だ。

「鰻は脂が少し……」

 平良 が口ごもる。

 肉体を喰らう組織が臓腑に出来る病に罹病した定正の食は細くなり、特に脂を受け付けない。

「だから、蒸して徹底的に脂をおとすのよ」

 金盥と奉書の仕掛けを、大工道具の千枚通せんまいとおしで指し示しながら、勇魚 が応えた。

「鰻は栄養があるんだ。師匠はいっぱい栄養をとらねぇとな」

 じわっと浮かんだ涙を拳で乱暴に拭って 勇魚 が魚籠から鰻を掴み出す。

 平良 はそれに気が付かない振りをしてやる。

 俎板の上でうねうね暴れる鰻の頭部を押えて、ダンと一気に千枚通を撃ちこむ。

 頭部を貫通されて、俎板に固定された鰻は暴れたが、勇魚 が慰撫すように胴体をしごくと、次第に動きは止まり真っ直ぐになる。

「ごめんなぁ。残さず食うから、成仏してくれな」

 剃刀のように研ぎ上げた包丁で、背開きにする。

 背骨を抜き取り、肝も取り出す。

 胴体はぶつ切りにして開き、竹串を打つ。

 それを、簡易蒸し器に入れて封をした。

 もう一つ作った竈には上等な澄酒すみざけが煮立っており、そこに高価なザラメを惜しみなく投入し、醤油を入れ、背骨と頭を投入する。

 焦げないよう、火を調節しながら煮詰めてゆくと、これが鰻の身に沁み込ませるタレになる。

 陽光にまどろむ 定正 を見て、


「うめぇ蒲焼作るからな、師匠」


 と、勇魚 がつぶやいた。

 

 

 

 


 

 

 

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