豺狼と剣鬼
江戸湾から深夜、千石船が出港してゆく。
無偏辺組が借り上げた船『百足丸』である。
船主は、碁石金を扱う両替商『是清屋』という。徳川の……というよりは、大久保 長安 の息がかかった御用商人で、実態は武田家の鉱山技術集団『百足組』の受け入れ先だった。
似た名前に、武田軍団で伝令を担う『百足衆』という部隊があったが、これとは別物で、武田家の財政を支えた金鉱掘の技能集団がいたのである。
百足は金鉱掘にとっては、鉱脈探しの基準になる生物の一つであり、縁起がよいとされていた。
武田家滅亡により、金鉱掘の技術が散逸することを憂いた 大久保 長安 が、彼らを保護したのが『是清屋』なのである。
その『是清屋』が商取引や金鉱秘術者派遣に使う輸送手段が『百足丸』。
密輸や破壊工作といった闇の活動にも利用される。
今回は、それに類する使用だった。
船長は、武田氏の海上戦力を支えた向井水軍の残党で、船将の一人 両口 是清 で、『是清屋』の主人も兼ねていた。
深夜の出港など、お手の物だ。
博徒、甲州忍などが、どやどやと『百足丸』に乗り込む。
戦支度をした博徒は、一度は無偏辺組を裏切り、その後許されて帰参した中小の博徒から徴用された三下たちで、こうした『出入り』の度に割り当てに従って供出される戦奴みたいなもの。その数五十名あまり。
それらが、狭い船室に押し込められてゆく。
おっかなびっくり乗船する三下と違って、慣れた動作でさっさと船に乗り移り、ある者は帆桁に、ある者は舳に、またある者は艫に、監視要員として配置についたのは、無偏辺組の三下に成りすました甲州忍たち。その数、二十名あまり。
その中に、三番代貸を演じる甲州忍 蕪 九兵衛 と、彼の祐筆 桜井 平八郎 の姿があった。
最後に乗船したのは、物々しい戦支度の野郎どもに混じって、ちょっとそこまで散歩に出かけるような様子の三人。草深 甚吾 と 露木 玉三郎 と 瓦走りの権太 という『宿星屋』の面子だ。
「草深先生、夜分にご出馬、申し訳ありやせん」
甚吾の姿を見つけて、九兵衛 が博徒の幹部らしく、へりくだって挨拶をする。
その斜め後ろに控えた 平八郎 がぺこりと頭をさげ、その 平八郎 に 露木 がねっとりとした視線を送っていた。
甚吾は、欠伸をかみ殺したような声で
「まったくだよ」
とだけ言い、適当な場所を見つけてさっさと横になってしまった。三下がぎっしり詰められた船倉には降りてゆく気がないらしい。人いきれで臭いし蒸し暑い。
甚吾の枕元には、まるで忠犬……いや、ネズミか……よろしく、権太が胡坐をかいていた。
権太は、まだ寒中水泳をさせられたことを恨んでいるのか、掬い上げる様な眼で、九兵衛をにらみつけてくる。
扱いにくい連中だが、今回が罠だとすれば、コイツらが生存のための切り札だ。
集めた三下はともかく、子飼いの甲州忍が逃げるまでの時間を稼いでもらわないといけない。
「いやどうも、とんだことで……」
九兵衛 がペコペコと頭を下げる。甚吾 は無視して返事もしない。
「酒肴でも届けさせましょう」
背を向けて眠ってしまった甚吾に話の接ぎ穂にそう言ってみる。
「不要」
やっと、甚吾 がぼそっと一言返してきた。
権太 は睨みつけてくる。
露木 は背後の若侍 平八郎 を見てトロンとした眼を向け、袴の上から自らの股間をさすりながら舌なめずりしている。
放っておくか……と、九兵衛 は退散することにした。
どうも、甚吾 は夜中に起こされて機嫌が悪いらしい。
それにこの連中は苦手だった。
ギイコ、ギイコと一定の間隔で、長櫂が舷側に擦れて軋む。
上半身裸の水夫の背中の筋肉がうねり、低い唸り声とともに長櫂が海面を噛む。
拍子を合わせるために『御囃』と呼ばれる者が太鼓を叩いたりするものなのだが、密輸などに従事することが多い『百足丸』は太鼓などの鳴り物なしで拍子を合わせる訓練を積んでいた。
凪いだ海に、月光が白い光を浸たたらせて光る。
今夜は十六夜。
「月とはこんなに明るいものなのか」
帆柱につかまりながら、平八郎 がつぶやく。
ゆるゆると船は進む。
展帆するのは、もう少し沖合に出てから。
視界の悪い夜間は、速度を出すと暗礁や浅瀬で座礁してしまう。
深夜、湾内で速度を出すのは危険だった。
「七尋ぉお」
船首から、熟練の水師(航海士のこと)からの歌うような声。
獣脂を塗った紐付きの錘を投げ入れ、海底に着いた微妙な感覚を感じ取って、水深を計測しているのだ。
獣脂に付着した物を見て、海底が砂地なのか、岩礁なのかを判断したりする。
こうした専門家の動きを見ながら、平八郎 は、今回の任務について思いを馳せる。
任地を転々と、旅から旅へ。大久保 長安 の子飼い官僚の生活はそれだ。
長安 という巨大な獣の血管がこうした『百足丸』のような御用商人の船であり、巡る血は官僚。その血によって、九兵衛のような牙や爪が敵を喰らう。
大きな仕組みの中に組み入れられている実感があった。それが、誇らしい。
横になったまま、微動だにしない 甚吾 を、平八郎 が盗み見る。
九兵衛 の話では、バケモノ級の剣士らしい。
奥山神影流の剣を学び、平八郎 は最年少で免許皆伝を受けた。
血反吐を吐くほどの努力をしたからだ。官僚であり、剣士でもある。それは、強みになると思っていた。
事実、作戦行動の最前線にいる。
その作戦の切り札になるのが、甚吾。
どれほどの男かと、平八郎 の好奇心が疼く。
剣士の端くれとして、技量を試したいという想いがある。
「だめよぅ。だめ、だめぇ」
いきなり、耳元で声がして、平八郎 は横飛びに跳ねた。
くるりと体を反転したときには、既に鯉口は切っており、右手は柄にかかっていた。
誰にも気付かれずに、こんなに接近を許したのは、平八郎 にとって初めてだった。
思わず臨戦態勢に入ってしまっていた。
抜刀はしなかった。いや、出来なかったのである。
思い切り距離を取ったはずなのに、触れるほど目の前にひよろりとした人物が立っていて、この男の柄頭が 平八郎 の佩刀の柄頭を押えていたから。
「棒状のものと棒状のものの先端同士がくっついているとか、ちょっと興奮しちゃう」
ねっとりとした視線。
掠れた、それでいて高い声。
剥いたゆで卵のようなツルンとした女形役者のような顔。
それで、相手が誰だか 平八郎 には、わかった。甚吾の腰巾着の一人 露木 玉三郎 だ。
「無礼な! 退け!」
思わず武家言葉が出てしまっていた。さぁっと、鳥肌が立つ。気持ちが悪いうえ、得体の知れない怖さがあった。
露木がふふっと笑う。
「可愛い上に、なかなか筋がいいわね。反応も早いし。それに可愛いし」
可愛いという言葉を二度重ねられて、平八郎 に頭にカッと血が上る。
平八郎 は、露木が指摘するまでもなく、美少年だった。それも、まるで可憐な少女のような『女顔』である。それで、侮られることもあった。
剣に傾倒したのは、侮蔑を力で跳ね返すため……と、いう側面もある。
露木 の欲情に濡れた目線と 平八郎 の怒りに満ちた目線が絡む。
「気持ちはわかるけど、甚吾さんに興味をもってはだめよぅ。アレは、私たち凡人が踏み込んではいけない領域。惹かれると、身を焦がし死んじゃうわよ。あの子みたいにね」
露木 が、船龕灯の周囲を舞う蛾を指さす。
翅に火が燃え移って墜落し、暗い海に消えるところだった。
はっとして、向き直った時、平八郎 の前から 露木 の姿は消えている。
まるで、一時の幻魔であったかの如く。
神奈川湊に上陸した無偏辺組の襲撃部隊は、その存在を隠すことなく堂々と神奈川宿へと向かった。
宿舎の手配は、無偏辺組に派遣されている官僚たちによって済ませてある。
出迎えから、宿の割り振りまで完璧だった。
襲撃部隊は、ここで二手に分かれる。
事前の情報では、金城一家の金塊輸送計画は二つの部隊によって行われることが分かっていたからだ。
神奈川湊から、荷車に積み替えてまっすぐ神奈川宿に向かう部隊。
塩沢湊から、川舟に積み替えて神奈川宿に向かう部隊。
神奈川宿から先は、風魔衆の支配地域であり襲撃が困難になることから、無偏辺組は神奈川宿に入る前に荷を奪わなかければならない。
今回の作戦指揮を執る 九兵衛 は、
「目立つ神奈川湊からの荷駄は囮。本命は塩沢湊だな」
と、言っていた。
囮と分かっていても、襲撃の構えを見せないといけない。「囮だと分かってるぜ」という態度を見せてはいけないから。
平八郎 には、神奈川湊襲撃隊に加わるよう指示があった。
甲州忍が五人。それに 露木 玉三郎 が護衛として加わる。
実戦慣れしていない 平八郎 は、本命襲撃の足手まといという事か。
否、今回は敵の罠という可能性があるので、より生存の可能性が高い方に、平八郎 を配したというのが正解なのかもしれない。
激突は必至。
今後も抗争は続くことを考え、兵力温存という意図が透けて見える。
哀れなのは、徴用された三下たち。
完全に捨て駒の扱いである。
『囮部隊と、申し訳部隊か』
九兵衛 にとって、平八郎 は信頼に足る兵力ではないということ。
野卑な山猿の分際で……と、思わなくもないが、一つ一つ実績を積み上げていくしかない。
翌日の深夜、戦支度の三下五十名と 九兵衛 を含む甲州忍十五名、それに 甚吾 と 瓦走りの権太 が神奈川宿を進発した。
塩沢湊から滝野川を通って神奈川宿に入る敵の輸送部隊を襲撃する部隊だった。
博徒の抗争の原則として、市街地でも戦闘はない。
甲州忍と風魔衆だけならそんなことは忖度しないのだが、甲州忍は正体を隠しており、風魔衆は金城一家に雇われている身。博徒の掟は守らなければならない。
甲州忍の偵察の結果、神奈川宿にほど近い水車小屋に荷車が隠されていることが判明し、その周辺が塩沢湊からの荷駄隊の上陸地点であると踏んだのである。
夜陰にまぎれ伏兵となった 九兵衛 たちは知るよしもないが、彼らの更に後方の河岸段丘の上部には、風魔衆三十人あまり、それに 斎藤 刀哉 が隠れていた。
金塊輸送の荷駄隊を包囲した無偏辺組の背後から、刀哉 を先頭にした『鋒矢の陣』で突撃し、挟撃殲滅する算段だった。
荷駄隊は、京、大阪、箱根山中で集めた屈強な浪人たち二十名。
船と荷駄を横倒しにして簡易砦を作り、無偏辺組の足を止めるのが役目。
戦慣れした浪人どもである。こうした防御戦は手慣れたものだ。
金城一家と無偏辺組。
兵力は拮抗しているが、『地の利』も『時の利』も兵の質さえ金城一家に有利だった。
草叢に潜む無偏辺組の襲撃部隊の中、甚吾 が風の匂いを嗅いでいた。
季節は初夏。暗天に風強く、月は歪な円形。
場所柄、風の中に潮の香りがあった。
「権太」
不意に、甚吾が元・盗人である権太を呼ぶ。
「君はここから離れておくといいよ。短弓と蕪矢は用意したね? では、行ってくれ」
甚吾の隣には、今回の指揮官である 九兵衛 がいたが、全く気にすることなく指示を出している。
権太はコクンと頷くと、音もなく草叢の奥に消えた。
九兵衛 は、甚吾 の意図を汲み、内心舌を巻いていた。
この作戦が、あえて敵中の罠に踏み込む作戦であると読んでいたのだ。
斬り合いの場所に、権太は役に立たない。
なので、危険を知らせる斥候兵の役割を与えたのだ。
長く死地に身を置くと、奇妙な『戦場勘』が身に着くことがある。
この浮世離れした剣鬼も、何か予感のようなものを感じているのかも知れないと、九兵衛 は思った。
やがて、キイキイと木が擦れる音。
風に波立つ川面に、小さな川舟の姿が見えた。
その数三艘。
喫水が深いところを見ると、何か重いものを運んでいると知れた。
―― やはり、罠か……
川舟を操る水夫の動きが素人くさい。
大事な金塊を運ぶのに、不慣れな水夫を使うはずもなかった。
九兵衛が唇を噛む。ゾクゾクと背中が痺れていた。
背後から、殺気が流れてくる。間違いない、自分たちは包囲されている。
「後ろを任せます」
と言いかけて、九兵衛 が口を噤む。
甚吾 は既に背後を向き、左手で刀を寛がせているところだった。
この男もまた、強力な敵が背後を伺っているのに気が付いているらしい。
手筈通り、河原に三下たちを追い込む五名ほどの甲州忍を残して、自分の配下を背面に集中させる。
『被害を一番小さくする』
その観点に立って、作戦を立てた。
駆り集めた三下以外の面子には、その行動を徹底させている。
甲州忍が得意とする『霞の陣』を使う。
そう、九兵衛は、甲州忍たちに宣言していた。
小舟が水車小屋の近くに接岸する。
九兵衛がさっと抜刀し、前方に振った。
三下の後方に配置されていた甲州忍が、大声で三下たちを駆り立てる。
「かかれ! かかれ!」
へっぴり腰の三下を蹴りあげ、刀の峰でぶ叩きながら、まるで牧場の馬を駆り集めるかのように、追う。
「声を出せ! 叫べ! えい! えい!」
三下たちが、絶叫して河原を駆ける。
声を出せば、怯んでいても体は動く。
竹槍や長ドスを振り回して、三下どもが走っていた。
川舟から降りた水夫たちは、地響きを立てて殺到する三下を見ても慌てることなく、水車小屋から荷車を出してきて横倒し、積んできた木箱を開けて中から弓矢や鉄砲を取り出す。
やはり、金塊などなかったのである。
「慌てるな、まずは弓手が挨拶してやれ。相手はたかが三下博徒。恐るるに足りん」
川舟の指揮官が、褌姿のまま抜身の太刀を肩に担いで、指示を出す。
三人ほどの水夫が、横倒しになった荷車の背後に並び、ヒョウと矢を放つ。
水夫に偽装しているが、彼らは水夫ではない。生まれてからずっと戦場で暮らしてきた者たちなのである。
喉に、胸に、タンタンと矢が突き立ち、一時熱狂した三下の勢いが鈍る。
怯んだのだ。
「ふざけんな、糞ども! 駆けよ! 駆けよ!」
甲州忍が更に三下を駆り立てた。
背中を向けて逃げようとした三下を大根でも切るかの様にバッサリと斬る。
「死にたくなくば、敵を殺せ! えい! えい! えい!」
退けば無偏辺組の博徒に偽装した甲州忍に斬られる。
進んでも、水夫たちに撃たれる。
この小さな戦場に混乱が生まれつつあった。
彼等を駆り立てている甲州忍以外の主力は、一列に並んだまま動かない。
だしぬけに、蕪矢が化鳥の絶叫を思わせて、夜空を走る。
瓦走りの権太が放った信号だ。
見れば、河岸段丘の上に、二十名ほどの人影。
それらが、一斉に抜刀した。
月光にギラギラと刀身が光る。
「者ども! 『霞が立つ』まで、時を稼ぐぞ! 抜刀!」
甲州忍も、一斉に抜刀した。
九兵衛は、逆手に一刀を持ち変える。秘剣『甲州流剣法』。九兵衛の業だ。
バラバラと豆が爆ぜる音。
悲鳴と絶叫。
迫りくる三下の群れに、鉄砲が撃ちこまれたのだ。
闘争の気配が強くなる。
水車小屋の周辺では、矢合わせ・弾合わせの間合いは過ぎ、近接戦闘の間合いに入ったのだ。
河岸段丘の上から、ひときわ大きな鬨の声。
まるで、敵を見た狼のような。
豺狼の剣こと、斎藤 刀哉 の声だった。
「続け!」
刀哉が一直線に走る。
その後ろに、風魔衆が続いた。
陣形は前後に長く伸び、まるであたかも矢のように、待ち構える甲州忍に肉薄した。
甲州忍は退かない。
ここで退けば、一気に崩れるのを理解しているのだ。
ビリビリと空気が痺れるほどの圧力。
これは、刀哉 たった一人の力によるものだ。
目指すは、大将の首一つ。
どうして指揮官と分かったのか、刀哉 は真っ直ぐ 九兵衛 に向かって来ていた。
戦場で練り上げた甲州流剣法。
だが、そんなものは通用しないと、一瞬で九兵衛は悟った。
刀哉が走る。
それは、まるで『死』そのものだ。
たまらず叫ぶ。
「先生! 草深先生!」
いつの間にか、甚吾が 九兵衛 の前に立っていた。
腰の一刀を寛がせ、まるで途方に暮れたように、そっぽを向いた姿で。
刀哉が甚吾を見た。手配書の男だと、すぐに分かった。
激しい闘争の中、その男の周辺だけうっそりと薄闇が漂っているかのように見える。
手配書を見た時は、こんな特徴が無い男など見分けがつくのか? と、不安になったがそれは間違いだと刀哉は悟る。
化鳥の翼のように広がる、ズブ泥の昏い炎。
拭いきれぬ濃密な血臭。
刀哉が、その秀麗な顔をゆがめ、獰猛に笑いながらつぶやく。
「わかる。こいつは、俺と同種の獣だ」
立ち尽くす甚吾向かって、刀哉はズンと足を踏み出した。
甚吾は、混乱を極める戦場において、何だか途方に暮れたように俯いているだけだ。
だが、違う。
謎多き魔剣 深甚流の奥義『虚』。
本能的に死を避けようとするのか、甚吾と刀哉二人の周囲を、甲州忍も風魔衆も無意識に避けているかの様だった。
ぽっかりと戦場に開いた奇妙な空間。そこを迂回するようにして、甲州忍と風魔衆が激突した。
鏃が外れた鋒矢は、本来の威力を発揮できない。
金城一家の奇襲は失敗だった。
「はっ」
鋭く笑って、トン……と、剛刀を肩に横たえ、刀哉が駆ける。
『走掛』という。刀哉が戦場で練り上げた剣だった。
迎え撃つは、だらりと刀を下げたまま俯く甚吾の『虚』。
豺狼と剣鬼は、ここに相見えたのだった。




