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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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鳴神屋犬麻呂

 新興の商人町である日本橋の刀剣商に甚吾の姿があった。

 刀を平良に蹴り壊されてしまったので、修理に出す事にしたのだ。

 本来、刀剣は完全分業制だ。

 刀身を鍛える鍛冶、拵えを作る細工師、鞘を作る鞘師といったように。

 だが、甚吾が立ち寄った店は違う。

 職人を自ら抱えて刀剣の販売から修理から拵えまで一貫して行うという珍しい仕組みを持った店だった。

 屋号を『鳴神なるかみ屋』という。

 この店、刀剣に携わる昔ながらの職人にはすこぶる評判が悪い。

 鞘師は鞘師の、鍛冶には鍛冶の組合がある。

 複雑に利害が絡み合い、長い時間をかけて共利共生の仕組みを作ったのだ。

 それを完全に無視しているから。

 職人の世界には、徒弟制度が不文律として存在する。

 技術の伝承という観点では必要な制度だが、革新については弊害になる場合がある。

 たいがいは失敗に終わり、「先達の方法論が正しかった」という結論に至る事が多いのだが、若い技術者や職人は独自の工夫をしたがるものだ。

 そして師匠筋とやり合った挙句、職を離れてしまったりする。

 そんな、脱落者に居場所を作ろうと発想したのが鳴神屋の主人である犬麻呂いぬまろだった。

 ふざけた名前だが、もちろん本名ではない。

「珍しい名前だと、憶えてもらえるだろ?」

 などと嘯いている。

 年齢は若い。大金を持って江戸に流れ着き、日本橋の商人株を買い取って起業。

 職にあぶれた鞘師や鍛冶や細工師を集め、今の商いの形を作る。

 新しい商いの方式は旧来の利権を持つ者には害だ。

 事実、刀剣作成過程の中間利鞘を無視して、職人を厚遇する犬麻呂を慕い、腕のいい職人が手元から逃げる結果になった。

 犬麻呂は嫌がらせを受けるようになり、その報復に『宿星屋』を使った経緯がある。

 その過程で、甚吾と知り合いになっていたのである。

「やあ、甚吾さん」

 番頭の一郎太から連絡がいったのか、犬麻呂が汗を拭きながら店の奥から出てくる。

 商人と言うよりは、まるで鍛冶職人のような出で立ちだった。

「やあ、犬麻呂さん。また、鍛冶場の手伝いですか?」

「ええ、現場を知りたいもので」

 新興勢力の分際で大店とやり合う気鋭の商人とは思えない、穏やかな笑みが犬麻呂の茫洋とした顔に浮かぶ。

 なんとなく甚吾と犬麻呂は似ていると、同行の露木は思った。

「甘酒でもどうですか? 井戸で冷やしてあるんですよ」


 店の裏庭に甚吾と露木は案内された。トン・テン・カンという鋼を鍛える槌音が聞える。

 通りに面した店構えの他は、殆どが作業場と住居になっており、七死党が潜み隠れていた『渥美屋』の様に豪奢な造りは一切ない。

 釣瓶つるべを手繰る。

 井戸の底から上がってきた桶の中には素焼きの壺が入っており、そこに甘酒が入っているらしい。

 竹を加工した碗が、井戸に設えた棚にいくつか置いてあり、犬麻呂は桶の水でそれらをさっと漱いで、素焼きの壺からとろりと白い甘酒を注ぐ。

「どうぞ」

 と、言われて、甚吾がそれを手に取った。

 くんと匂いを嗅ぎ、口に含む。

「美味い」

 甚吾が思わずつぶやく。

 ふふふ……と、犬麻呂が笑った。

「でしょ? ここは、寝食忘れて没頭するバカが多いですからね。甘酒は、滋養強壮を兼ねているのです。酒粕に生姜のしぼり汁や漢方なんかも混ぜている、特製なんですよ」

 そういって、甘酒を喉を鳴らして飲む。

 恐る恐る露木も口をつける。

 露木はあまり甘酒は好きではないのだが、温めた甘酒と異なり口の甘みがすっと抜け、生姜の香りを微かに感じた。

 冷たいモノを胃に入れたのに、ぽっと暖かくなるのは、この生姜と漢方の薬効かもしれない。

「どれ、ブツを拝見します」

 犬麻呂が刀袋に収められた甚吾の佩刀を指さす。

 左手に下げたそれを、甚吾が差し出した。

 両手でそれを受け取り、拝む仕草をしたあと、刀袋から刀を取り出す。

「ああ、可哀想に……」

 つぶやいて、蹴り割られた柄を撫でる。

 慎重な手つきで、刀を抜く。

 刀袋で鞘を包み、懐紙を咥えて刀身を透かし見る。

 鞘を包むのは、虫などが鞘の中に入ると納刀した時に潰れ、その体液が錆の原因になるから。

 懐紙を咥えるのは、鼻息などが刀身にかからないようにするため。

「重ね厚く身幅広く地金板目肌良く詰み刃紋匂い深く逆互乱れる……か。銘は、無し。ううむ……肥前土肥の流れを汲んでいるように見えますね。斬れそうな良い刀ですが、だいぶ疲れている様子。細かい刃こぼれもありますし、このままだと折れます。拵えを修理するついでに、研ぎもいれておきましょう。鞘も塗が剥げているので、鞘も新調しましょう。差替えの刀はお持ちで? 無いなら御貸ししますよ」

 ポンポンとまくしたてられ、甚吾は「よろしく頼む」しか言えない。

 犬麻呂が参考のために集めた刀剣が甚吾に提示された。

 売り物ではないので、遠慮なく使ってくれと言う。

 甚吾はいくつか手にして、重さや釣り合いを見て、一本選び出す。

「こいつは、無銘ですが相州モノで、実用一点張りのいい刀ですよ。甚吾さんは、こいつを選ぶと思っていました」

 犬麻呂が笑う。甚吾はまいったなぁという様子で頭を掻いていた。

「試していいかい?」

「裏庭に用意してありますよ」

 青竹を斜めに切ったものに、湿った藁を巻いたものが数本用意してあった。

 露木がそれを地面に浅く刺して立てる。

 こうすると、刃筋が立っていないと竹は吹っ飛ぶだけで斬れない。

 甚吾が、軽く腕まくりしただけで、裏庭に立つ。

 腰には犬麻呂から借りた一刀。

 鍛冶や細工の手を休めて、職人たちが小屋の窓から、中庭の隅から、甚吾の様子を見ている。

 左手で鍔元を握って、刀を寛がせる。

 すうっと、甚吾の顔から表情が抜け落ちる。

 音は一度だけ。

 カッと竹を断つ音。

 露木以外は、いつ甚吾が抜いたのか、見えなかっただろう。

 押し殺した驚きの声の中、甚吾は掲げる様に持つ一刀を下向させ、下段霞に構えた。

 斬り上げる。

 軽い切断音だけがして、竹が斜めにズレた。

 くるりと振り向いて、斜め後ろの竹を断つ。


 『肝が冷える』


 露木がひとりごちた。

 甚吾の剣は、まるで魔性だ。

 剣士の端くれとして、「もしも甚吾と戦ったならば」と、考えることはある。

 だが、どうやっても自分が勝つ映像が浮かばない。

 やはり、甚吾の内懐に入り込んだのは正解だったと、露木は思った。


「いいね。馴染む。これを借りるよ」


 いつもの春の海みたいな微笑に戻って、甚吾が言う。

 職人たちが言葉を失う中、犬麻呂だけがにっこりと笑って

「どうぞ、どうぞ。お使いください」

 と普段の声で答えていた。



 亀戸天神に程近い門前町に、江戸の老舗博徒『無偏辺組』があった。

 『阿振あぶり無偏辺むべんべ寺』という本物の寺が、この博徒の本拠地なのである。

 博徒は寄進という名目で場所使用料てらせんを払い賭場を開くのだが、この寺は坊主が貸元という無軌道ぶりだった。

 この田舎博徒も、上州や遠州といった本場から洗練された博徒が進出してくると、次第に勢力を失い、今はこの本拠地だけが残されているだけ。

 名を上げようとする他の組織の若衆に命を狙われる恐怖で、本拠地に引きこもってしまった住職兼貸元の紺護こんごは名目だけに成り下がり、今は代貸を演じている 夜刀神 が仕切っていた。

 やっと、常設の賭場を取り返したところだった。

 暴力装置は甲州忍が、資金は 大久保 長安 が『無偏辺組』を後押ししている。

 なので、儲け度外視の焼畑商法を、夜刀神は仕掛けることが出来た。

 そうやって、無偏辺組の没落のどさくさで縄張しまを侵した小規模な博徒を壊滅させたのだ。

 甲州忍を使うまでもなかった。

 客を奪い、顎を干上がらせたのである。

 規模は小さいが、これもまた『銭の戦いくさ』の一つ。

 徳川の経済官僚である 大久保 長安 について、みっちりと彼の方法論を学んだ 夜刀神 長久 が得意とするものだ。

「赤光一家の用心棒が、草深 甚吾 にちょっかいを出した様ですぜ」

 とても博徒の代貸には見えない 夜刀神 に、無偏辺組の諜報を担当している 蕪 九兵衛 が報告する。

「甚吾さんを我々が取り込もうとしているのに気が付いたなら、神がかり的に優秀だけど、ありえないよね。私が接触したのは極秘だし。だとしたら、個人的な案件なのだろうね」

 夜刀神が言う。

 九兵衛は、それに返事をしなかった。

 この白皙の学者のような若者と付き合ううちに、判ってきたことがある。

 こいつは、大きな独り言を言うのだ。

 自分なりに頭を整理する方法なのだろう。

 報告だけしたら、あとは放っておけばいいと、学習したのだ。

「あぁ…… だとしたら、都合がいいなぁ。上手く、噛み合う様に工夫出来ないかしらん。もっと情報が欲しいね」

 博徒に偽装してから、やることが多くなった。

 賭場を仕切る役目を仰せつかっている甲州忍もいる。

 手妻たづま使いを演じる事が出来る、手先の器用な構成員が壺振つぼふりなんぞをしているのだ。

 『猿猴の九兵衛』などといった二ツ名をつけられ、諜報・防諜を担当する幹部を九兵衛も演じている。

 もうすぐ夏祭りの季節を迎える。

 博徒と香具師を兼ねている無偏辺組は忙しくなる。

 その忙しさが、ちょっと楽しかったりするから不思議だ。


「いったい俺は何やってるんだろうな?」


 九兵衛のつぶやきが、初夏の空に消えていった。


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