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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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剣と拳

 気温が高くなると、海面の温度が上がり小魚が浅いところに餌を求めて集まる。

 それを追って、肉食の大型魚が沖合や深い海から来る。

 日毎に暖かくなり、もはや初夏と呼んでもいい季節になっていた。

 海風も心地よい海岸。

 釣り糸を垂れる 草深 甚吾と、蟹をいじめる露木 玉三郎 の姿があった。

 瓦走りの権太はいない。

 なんでも、寒中水泳をやって風邪をひいたらしい。


 甚吾が強く撓る釣竿を引くと、水面下で魚が暴れた。

 蟹をいじめる手を休めて、露木 玉三郎 がタモ網を構えていた。

 釣りは呼吸だ。

 糸を伝い竿を通じ相手の息吹を感じ取る。

 相手は魚だが、怯んだり、怒ったり、そういった感情が伝わって来るような気が甚吾はしていた。

「来るよ、露木。タモの用意」

 今、魚が怯んだ。竿を引く。

 鰆が水面を破り、銀鱗を春の陽光にきらめかせて跳ねた。

 二尺三寸ほどの大きさだ。

 まぁまぁの大物だった。

 甚吾が小柄を抜いて頭部の一点をトンと貫く。

 暴れていた鰆が大人しくなった。

 パクパクと口が動いているので、死んだわけではない。

 運動中枢が破壊されて、麻痺した状態なのだった。

 こうすると、魚籠の中で暴れない。

 暴れると『身が焼ける』といって、味が数段落ちるらしい。

 鯵が数匹釣れたので、食べる分には十分だった。

 鯵はその場で捌く。

 内臓は海に捨て、身を海水で洗った。

 竹串で身を開いたままに固定して、潮風に晒す。

 海面に浸した魚籠の中で鰆がパクパクと口を開いて呼吸し、玉三郎は蟹いじめに戻った。

 甚吾は竿に糸を巻きつけ、持参した蓆に横たわって太陽を浴びていた。

 まるで、日向に温くむ猫の様に。

「あたしが殺ります? それとも甚吾さんが?」

 蟹をいじめながら、ポツンと玉三郎が言う。

 プクプクと泡を噴きながら蟹は自分をつつく小枝を鋏で掴んでいた。

「肩慣らしもしたいからね。私が行くよ」

 甚吾はそう言ってのっそりと立ち上がり、左手に下げた一刀を腰に差す。

 葦をかき分けて出てきたのは、平良 宗重 だった。

 長身細身。猫背なのは、頭一つ大きな体格を目立たなくさせるためか。

 浅黒く日焼けした肌。

 太い眉の下のぎょろ目。

 表情は微笑をたたえて。

 そのまま、まっすぐ甚吾に向かって歩く。

 歩幅が広いので、ゆっくり歩いているように見えて、速い。

 甚吾が、左手で鍔元をつかんで刀の据わりを調整する。

 右手は、柄にかぶせていた。

 そして、大きく息を吸い吐く。

 まるで能面の様に、甚吾から表情が抜け落ちていった。

 揺らめいたのは、ズブ泥に黒い炎。

 人斬りが纏う炎だ。

 平良は、甚吾とは逆に笑みを深くして、いきなり地面を蹴る。

 迎える甚吾は、やや腰を落とした。

 居合腰。左手が鯉口を切る。

 無言のまま、平良が横に跳んだ。

 甚吾は目でそれを追わない。まるで、途方に暮れたかのように、斜め下に視線を落としたまま。

 一見、隙だらけに見える。

 だが、違う。深甚流の奥義『うつろ』だった。

 さぁっと、平良の腕に鳥肌が立つ。

 甚吾の死角に入ったはずなのに、間合いに踏み込めない。

 

「これが、自動迎撃『虚』か。ならば……」


 平良は薩摩の対琉球工作の密偵だった。

 暗殺や探索の腕が見込まれて、琉球の駐留武官という名目で現地に行っていたのだ。

 なので、調べ物は得意である。

 師匠と慕う 通口 定正 の事は調べた。

 彼が『まがいもの』であることも知っていた。

 そして、いずれ対決するかもしれない人物がいることも。

 それこそ魔剣・深甚流。予備知識として流派の事は知っていたが、これほど薄気味悪い剣とは思っていなかった。


「……これは、どうですかね?」


 平良が、地面に滑り込むようにして間合いを越える。剣術にはない動きだ。

 狙うのは足。死角から地面を擦る様にして蹴りを送り込んでいた。

 甚吾は、平良を見もしない。

 だが、蹴りが届く寸前にふわっと跳ぶ。

 抜く手も見せぬ抜刀。

 甚吾は空中で体をひねり、地面に向かって斬撃を放っていた。

 一瞬で足を折りたたみ、平良が跳ね起きる。

 同時にズンと腰を落として右拳を突き出す。

 平良は長身だ。手足も長い。なので、最も基本的な打撃『正拳突』は、ぐぐっと伸びた。

 空中の甚吾はこれを躱す事が出来ない。相手を浮かせるための蹴りだった。

 甚吾が刀を引き戻し、刀身を立てて受けの姿勢を見せる。

 素拳が不利な点が、これだ。

 刃に触れれば、大怪我をする。

 平良は、刃の寸前でピタリと拳を止め、その場で独楽の様に回転した。

 遠心力が乗った拳が空気を裂く。振り返りざまの拳撃『裏拳』だ。

 硬い物を殴り続け、ゴツゴツと拳胼胝けんだこが出来た平良の拳は、厚さ五分の杉板を五枚重ねたものを、簡単に割る。

 平良が振るえば彼の拳は凶器であり、骨に当たれば骨を砕き、肉に当たれば肉は潰れた。

 着地と同時に、甚吾が首を振って裏拳を躱す。

 右拳の裏拳が躱されても、平良の動きは止まらない。

 上から叩き下す様に、左手の掌底が甚吾の側頭部を襲う。

 耳を狙っていた。

 当たれば、空圧で鼓膜は破れ平衡感覚が狂う。

 これを、仰け反って甚吾が躱した。

 体が密着するほどの接近戦を嫌がって、甚吾が跳び下がる。

 これは、剣の間合いではない。

 更に一回転して、今度は蹴りを放とうとしていた平良が、ピタリと止まる。

 甚吾の回避行動は、斬撃動作も兼ねている。

 跳び下がりながら、下から刀を薙ぎ上げていた。


 『無拍子』


「いつの間にか斬られている」……と、深甚流は評されるが、それはこの技による。

 平良も追撃をあきらめ、跳び下がる。

 予備動作が読みにくいのに、迂闊な追撃は危険だった。

 右半身になり、左拳は腰に。右手の手刀をわが身を護る盾の様に構える。

 甚吾は、だらりと刀を下げたまま、途方に暮れたようにそっぽを向く。

 殺気を漲らせた平良を見もしない。


かすりもしませんか……」


 ひとりごちて、平良が苦笑を浮かべた。

 すうっと平良の胸元に朱線が走り、血玉が浮く。


「しかも、いつ斬られたかわからないとは、驚きです」


 左手で胸元をなぞる。

 平良の指先が血で濡れた。

 ぺろりと舐めてペッと吐き出す。

 あの日、死のうと思っていた。それを、定正に救われた。

 そのことを思う。

 怯みそうになった精神に喝が入る。


「では、次の実験と参りましょうか」


 腰の裏から、二尺ほどの棒へ垂直になるように取手をつけた『とんふぁ』を左手に持つ。

 右手は、仏具の三鈷杵を大型化したような『さい』を握る。

 釵の尖らせた先端を甚吾に向けて構える。

 琉球駐留武官だった時に、地元の武術家から学んだ琉球空手の武具だ。

 『とんふぁ』と『釵』を組み合わせるのは、平良の工夫だが。

 平良に目を向けないまま、甚吾がゆらりと下がる。

 それで、一つ平良は理解した。

 この魔人は、慎重な性格である……と。

 『虚』と『無拍子』は見た。

 理解はできなかったが、肌で感じた。

 もう、未知の技法ではない。

 それは、大きな違いだ。

「さあ、丸裸にしますよ」

 外見から、大雑把な性格に見られる事が多い平良だが、実は器用だった。

 得意なのは模倣。

 鳥の鳴き声などは、本物と区別がつかないほど上手にこなす。

 それより得手なのは形態模写。

 目に焼き付けた動きを正確になぞることが出来る。

 二年という短期間で、複雑な琉球空手を学ぶことが出来たのは、これがあったから。

 あとは、自分の脳内で再生される動きに肉体がついていける様に、ひたすら反復するだけ。

 平良が甚吾に挑んだのは、謎に満ちた深甚流を写し取るためだった。

 長さ二尺ほどの鉄棒である釵を突き出す。

 どういう理屈かわからないが、完全に死角をついたにも関わらず、甚吾はそれを探知し、目も向けずにそれを最小限の動きで躱す。

 躱すと同時に、斬撃が走った。

 目の付け所がわからない。

 予備動作は殆どない。

 いかにも難剣だった。

 わざと平良は釵で甚吾の一撃を受ける。

 軽くひょいと振っただけの様に見えて、甚吾の一撃、一撃が、重い。

 ジンと肩まで痺れは走る。

「手の内が締まっている」

 それがわかる。

 当たる瞬間に、力が集中しているのだ。

 だから、柔らかいのに重い。重いの迅い。

 平良は受けた刀を滑らせ、釵の『つば』にあたる突起で、刀身を絡め取ろうとした。

 釵は本来左右二本持つ。

 拳の延長が釵であるという考えらしかった。

 なので、二本を組み合わせて相手の武器を絡め取り、へし折ったりする。

 平良は膂力がある。

 手首をひねるだけで、二本の釵を使ってやる武器砕きを一本で出来た。

 甚吾が、刀身と釵を絡みあわせたまま、刀をおっかぶせてくる。

 ギャリギャリと鋼が擦れて、平良の拳に刃が迫った。

 舌打ちして、平良はあっさりと釵を捨てる。

 あのままだと、拳を割られていた。


『ねちっこい、嫌な剣だ』


 同じ剣流でも、性格が出る。

 甚吾の剣に感じるのは、底なしの暗い情念だった。

 定正の馬庭念流に感じる『氣』とは真逆と言っていい。

 左手の『とんふぁ』を振る。

 左手の側面に沿っていた棒が、取手を中心にくるりと反転し、甚吾の側頭部を襲う。

 やはり、甚吾はそれを見ずにひょい潜る。

 刀身にぶら下がった釵を弾き飛ばしながら、刀を肩に担ぐ。

 この時、やっと甚吾は平良を見た。

 『とんふぁ』をぶん回して体勢が崩れた平良も、肩越しに甚吾の眼を覗き込む。

 そこに見えたのは、まるで灰色に染まった冬の枯野だった。

 虚無と哀しみ。

 どれだけ人を斬れば、こんな有様になるのか?


「こいつは、『なれの果て』。人外のバケモノ」


 平良の胸に闘志が湧く。

 甚吾は敵なのだと、魂で理解したから。こいつは、殺す。殺してもいい相手だ。

 『とんふぁ』を振り抜いた勢いのまま、地面に右手をつく。

 甚吾に背中を晒した格好になった。

 刀はすでに振りかぶられていた。

 死地。平良は今、そこにいた。

 紫電が走る。

 二人の殺気が迸り、激突した。

 驚いたヒヨドリが、鋭い声で鳴く。

 無様な四つん這いの姿勢から、平良は後ろに蹴りを放っていた。

 防御など全く考えていない。


「甚吾の胸をぶち抜く」


 それだけを考えていた。

 相討ち覚悟の一撃。甚吾はそれを嫌った。

 相手を斬るのではなく、咄嗟に攻撃を柄で受けていた。

 ベキンと、刀の柄拵こしらえが砕ける。

 目釘も折れた。

 珍しい事に、表情が抜け落ちた甚吾の顔に強い苛立ちが浮かぶ。

 露木が佩刀をすっぱ抜いて投げる。

 柄の拵えが折れた刀を捨てて、甚吾が飛来した露木の刀を見もせずに掴み取った。

 それを叩き下す。

 だが、そこに平良の姿はなかった。

 這いつくばるような姿勢から全速力で駆け、そのまま体を起こしつつ疾走していたのである。


「はっはっは! 深甚流、見ましたよ! いずれまた!」


 高笑いを響かせて、平良が走り去る。

 甚吾は追おうとして、やめた。

 とても追いつける速さではない。


「助かった。ありがとう」


 柄頭を向けて、甚吾が露木に刀を返す。

 露木がポカンと口をあけて。甚吾を見た。

 彼がお礼を言うとは、思わなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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