葦原の邂逅
農業から養蚕に切り替えたのが、桐生という町だ。
昔から織物産業は活発だったが、浅間山の噴火により農作物が壊滅的な損害を受けたのを契機に、主要産業を養蚕に切り替えた経緯がある。
それに保護を与えたのは、関東一円を支配下に置く徳川。
最初は逃散百姓を出さないための被災者支援の色合いが強かった。
今は、上方の主要産業の一つ、生糸と織物を安く流通させることによって価格破壊を起こさせ、未だ豊臣に支援を送る堺、大阪、京都の大商人に圧力をかけるための拠点になっている。
堺商人の主要輸出品目でもある「生糸」の損害は甚大で、干戈を交える戦のほかにも、こうした暗闘が繰り広げられているのである。
徳川の所領の管理で、忙しく飛び回る 大久保 長安。
今は、金喰い虫である戦争の戦費を支えるため、金山、銀山の開発に傾注している。
同時に、専売権などの利権に食い込むことでの『不労収入増大』にも力を入れており、賭博利権はその品目の中に入る。
百人もの側女がいたと言われる長安。
関ヶ原の勝利によって手に入れた石見銀山の奉行、混乱する甲斐を治める甲斐の代官、佐渡金山の奉行まで兼任し、なおかつ徳川二百五十万石のうち直轄領百万石の大半は、彼が管理していた。
当然、その権勢に対してやっかみも出るわけで、
「長安は色惚け、百人の女をとっかえひっかえ」
などと揶揄されているわけだ。
事実は違う。
この側女と言われる女たちは皆、旧武田家臣の縁者たちで、武田家滅亡後は苦界(売春産業のこと)に落ちていたり、流民として山賊化していたりして甲斐混乱の原因となっていたのを、武田家への旧恩に報いるため、長安が保護していたのである。
旧武田家臣は、身分を変え名前を変えて経歴を洗浄し、長安の家臣になったり、側女という名目で保護された女性は長安の縁者ということになり、その家族は長安の所領八王子で『千人同心』という、徳川家の武装親衛隊という身分を与えられた。この身分は幕末まで続くことになる。
長安に計算がなかったわけではない。
権力を握れば、逆恨みも増える。
なので、自分に絶対忠誠を誓う者がほしかったのだ。
それが、経歴を洗浄した家臣であり、八王子千人同心や側女衆。
様々な大役を兼任して、全てきっち仕事をこなす長安の裏には、側女衆の縁者で構成された直属の私設官僚集団があり、これらが長安の代理として、辣腕を振るっていたのである。
その一人に、夜刀神 長久という人物がいた。
形式上の側女が多い中、彼の姉である三津は、本当に長安の寵愛を受けていて、その関係で長久も「長」の一字を与えられる程度には目をかけられていた。
彼は武士ではあるが戦場に出たことはなく、専ら官僚として長安の補佐官の役を務めていた若者だ。
「賭博利権を任せる」
長久は、ある日突然、随行先の佐渡から帰る洋上で、猿楽師らしいすっきりとした顔立ちの長安からこう言われた。
書類作成などの補佐をしていたので、長久は博徒の利権を奪う計画があるのを知っている。
作戦概要の周知徹底を省くため、新しい作戦行動には、こうして補佐官が選ばれる事が多い。
「承知しました」
いつかこの日が来ると思い、長久は、様々な案件について自分なりに補足資料を作っていた。
任されたらどうするか? といった行動予定まで立てていたのである。
「ヤリかたは、任せる。期限は一年。責任は全部私が被るから、思い切ってやっておいで」
金山の収支報告書に目を通しながら、独り言の様に長安が言う。
佐渡から能登に向かう船上でのこと。
春とは思えない、雪交じりの日だった。
長久は長安に「予習」のことを隠していたが、見抜かれたらしい。
「博打は嫌いです」
そんな長久の言葉に、珍しく長安が笑った。
「私も、嫌いだよ。大嫌いさ」
ギーギーゴロンゴロンと船が泣く。波が砕ける音がして、船が胴震いする。海上は時化ていた。
旅から、旅へ……長安の日常は、それだ。随行する官僚もまた。
船酔いなどしている暇などない。
「江戸に、甲州忍の 高坂 甚内 がいる。私の古い友人だよ。今回、千人同心は動かせないから、彼の配下を使うがいい。話は通してある」
普通は命令書が渡される。
今回はそれがない。直属の武装集団である千人同心も使わないという。
つまり、極秘作戦ということ。
長安は、賭博利権を幕府に渡さず、自分で掌握するつもりなのかも知れない。
一瞬で、長久はそこまで考えた。
ニヤリと、長安が笑う。まるで、長久の思考を読んだかのように。
やはり、何か裏がある。
長安は徳川陣営に尽くしているが、徳川に忠誠を誓っているわけではない。
賭博利権のほかに、売春利権、古物利権まで、視野に入れているとなれば、江戸の非合法産業の殆どが、長安の標的に入ることになる。
そこから、何を絵図面に描いているのか? 長久の好奇心がうずいた。
「では、江戸に向かいます。ツナギはどうやってつけますか?」
揺れる船内で、さらさらと見事に書類に 花押 (サインのこと)を書きながら、長安が言った。
「向こうから来てくれるよ」
夜刀神 長久 は、春近い江戸に居た。
能登で 大久保 長安 随行員の任を解かれ、そのまま上杉家が何度も北条氏と戦った三国街道を下って、ひたすら江戸を目指していたのだ。
江戸城はまだ普請の途上であるが、普請奉行の澤田という稀に見る馬鹿が事実上の更迭となり、江戸の警備全般を司る先手組組頭の千葉という、澤田に勝るとも劣らない馬鹿が落馬して首を折るという珍事も発生して、人事上の混乱が生じている時期だった。
大規模な野盗討伐作戦も二、三ケ月前にあったようで、近々幕府のお膝元として政治の中心になる町にしては、何か物々しい雰囲気であった。
夜刀神 長久 は官僚の眼で江戸の町を見ていた。
都市計画の観点からすると、不合格だった。
住居が密集しすぎており、火避地もないことから、一度延焼をはじめると、広範囲に火災がひろがってしまうだろうと見えた。
澤田が無能なのは有名な話だが、ここまでとは予想外だった。
警備の数も足りない。
豊臣との大戦で兵員が駆り出されているのは理解できたが、各通りを管理する辻番所すらないのは、軽微としては大きな失点と言わざるを得ない。
『馬鹿と言えば千葉。千葉と言えば馬鹿』と揶揄される無能が先手組組頭なんかに就任するから、こんなことになる。
こうした事柄を頭の中に刻みながら、街中を歩く。
寝る前に書き出して束にするのだが、後々にこうした書付けが役に立つこともある。
昼時なので、飯屋に入る。
場所は、かつて入り江だった場所を埋め立てた日比谷という。
じくじくと水が染み出るところもあり、周囲は磯臭さも漂う。
看板は無く『一善めし』とだけ書かれた大提灯だけが揺れる店の縄暖簾をくぐる。
「いらっしゃーい!」
元気な声に、一瞬だけ長久が怯む。
「ほらほら、お侍さんが座れないでしょっ! 詰めて、詰めて」
昼間から酒を飲んでいる、いかにも狂暴そうな男をぐいぐい押して隅に追いやっているのは、若い娘だった。
「いてて……、ひでぇなぁ、お登記ちゃん。俺だって、客だぜぇ」
などと、困惑した熊みたいな顔でその男がぶつくさ言っている。
「なんだと? この熊公! あたしに意見するなら、ツケ全部払ってからにしなっ」
などと、ポンポンまくしたてている。
熊みたいな男が本当に『熊』という名前だったのも可笑しかったのだが、五尺に満たない小娘に背中を丸めながら追い立てられる姿が本当の熊の様に滑稽で、長久は思わず笑みを漏らしてしまった。
「お? 笑ったね、お侍さん。それでいいんだよ。難しい顔ばかりしていると、お腹痛くなっちまうよ」
席に案内しながら、お登記と呼ばれた娘が長久に言う。
お登記と席を譲ってくれた熊に「かたじけない」と礼をつぶやくと、熊は「気にするな」という風に手を振り、お登記はひらりと笑った。
いい気分転換になった。
お登記さんの店は、安くてうまかった。
鰆の酒蒸しにとろりと餡がかかっている料理など、思わず下鼓が鳴った。
なにより、明るくて元気がいいお登記さんがくるくると動き回る姿に癒された気がする。
まぁ、意識はしていなかったのだが、初の単独仕事で緊張していたのだろうと、長久は自己分析した。
江戸は極端な女日照りである。
そんな中、年頃の娘が暮らすのは、色々と気苦労が絶えないだろうに……と、思う。
長安の標的には、売春を取り仕切る忘八の利権も入っていた。
江戸は、こうした忘八の連中の市場開拓の最前線であるといえる。
確実に大きくなるのが分かっている市場なのだ。彼らも必死だろう。
『仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌』の八文字を忘れた外道だから『忘八』。
貧しい農村から口減らしの娘を買い叩くこともあるから、恨まれているのだろう。
その忘八から、上前を撥ねようとする我々は、いったい何だろうと、長久はひとりごちた。
食後の運動を兼ねて、江戸で最初にできた運河、小名木川に沿って歩く。
この川と荒川の合流点には、船番所という流通の拠点が作られることになるが、今は単なる水運の交差点に過ぎない。船の往来は自由だった。
荒川の畔には、広大な葦原が広がっていた。
ここは長安の標的の一つ、盗品や質流れを扱う故売屋家業の者たちがいる場所だ。
死体を漁るどころか、死体そのものを腑分けすることから『シデムシ』と忌避される不可侵民の領域と聞く。
「このお侍さんは私の客人でね。てめぇらに喰わせるわけにゃいかねぇんだよ」
ザザザ……と、葦が動く。
何者かが葦の中に潜んでいた。数も多い。
思わず後ろに下がろうとして、長久がよろけた。
転倒するかと思った瞬間、誰かに突き当たって止まる。
長久は悲鳴が上がりそうなのをこらえるのが精一杯だった。
「ここは、江戸市民も足を踏み入れようとしない、忌地。アンタみたいな青瓢箪は近付いちゃいけねぇ。身ぐるみどころか、骨も残らんよ」
長久の背中を支えながら、誰かが言った。
肩ごしに見えたその人物は、長身痩躯。地味な顔立ちの男だった。
「シデムシども聞け。俺は 高坂 甚内。さっきも言ったがコイツは俺の客人。手出したら、判っているな? うん?」
葦の中の気配が怯んだのがわかった。
ゲコゲコという蛙じみた声が聞こえ、葦の中の気配が消えてゆく。
あれは、シデムシたちの会話なのだろうか?
「あ!」
長久が驚きの声を上げた。
彼を救った人物であり、合うはずだった人物、高坂 甚内。
体格は違うが、お登記の店でクダを巻いていた『熊』と、全く同じ目をしていたのだ。
「へぇ、案外鋭いね。長安が目をかけるわけだ」
長久は、殆どだれも正体を知らない甲州忍 高坂 甚内 と邂逅したのだった。
チャンバラが書きたかったはずなのに、まだ到達しない不思議。
二話でもう一万文字に届きそうです。
第三章も長くなってしまうのか?
呆れずにおつきあいくだされば幸甚にございます。
剣戟シーンまでは、どんどん書きます(どうしてこうなった?)




