第二章と第三章の幕間
赤城山に月が昇っていた。
空気はピリリと冷たいが、風の中に微かに春の気配がある。
桜は散ってしまい、今は葉桜。
その桜の木に背中を預け、刀を肩に立てかけて、酒杯を煽っているのは、通口 定正という男である。
髪は細かく編んで、後ろに束ねていた。
堺で見た、南蛮の商船の日傘持ちの男がこんな髪型をしていて、気に入ったのだ。
色の黒い男だった。日焼けなどという段階の話ではない。炭団みたいに黒かったのだ。
目が大きかった。口も大きかった。鼻がどっしりと胡坐をかいた獅子鼻だった。背が高かった。
肌の色以外は、驚くほど自分に姿が似ていたので、通口の印象に残っていたのだった。
気に入らないのは、負け犬の眼をしていたこと。
その黒い男が傅く様にしている南蛮人は、胸を反らして周囲を睥睨し、ぴらぴらとした飾りのついた小さな手ぬぐいを鼻に当て、臭くてたまらんという顔で、堺の町を歩いていた。
言葉はわからないが、何かというと黒い男を怒鳴りつけ、その度に滑稽なほど黒い男は脅えていたのだった。
南蛮人は、上背はあったが、ひょろっとした痩せぎすの男で、そのがたいの良い黒い男がぶん殴れば、南蛮人が信じている『ぱらいそ』とやらに、そのまま吹っ飛んでしまいそうなものだが、泣きそうなほど脅えるばかりで、何もしない。
見ていて、イラ立つ光景だった。
威張り腐った南蛮人にも腹が立つが、黒い男がじれったすぎてムカついた。
なぜ、そのムカつく奴の姿に、自分を似せたのか、通口 は、自分でもよくわからない。
「俺とあの野郎が同じと、思ったのかも知れねぇな」
そう、呟いて、酒杯を煽る。
目の前には、二つの酒杯。死者に献杯しているのだ。
酒が好きではない奴らだったので、水が注いである。
生前、彼らと廻国修行に出かける前、こうして飲んだ。
「水杯とはね。今生の別れみたいじゃあないか」
山田 月之介 は、そう言って笑っていた。
「あたし、お酒きらい」
そう言って、ちろりと舌を出しクスクス笑ったのは 富田 勢 だった。
―― 糞みたいな俺の半生のなかで、唯一の宝が、彼らの存在だった
物心ついたときから、人殺しの技だけを、教えられてきた。
殺さなければ、殺される。そんな、生活をしてきたのだ。十年以上も。
気が付いたら、自分は『まがいもの』になってしまっていた。
『人に似て、人に非ず
剣流を身に着けて、その心を知らず』
それが『まがいもの』。草深 甚四郎 によって刻まれた呪い。
だが不思議と 通口 は、呪縛の影響が小さかった。身に着けた剣流で、甚四郎と対決しようとは思わなかったのである。
どこか、真面目なところがあった 月之介 や 勢 とは違った。
だから、甚四郎が死んだことを伝えて、呪縛から解放してやりかったのだが、勢は毀れてしまった。月之介は、一時は自由を得かけたが、呪縛から逃れる事が出来なかった。
酒杯を煽る。口の中が苦かった。
『なぜだ』
何度目か、わからない独白。
二人とも、なぜあのまま逃げてしまわなかったのか。
通口には、それが理解できなかった。甚四郎はもういない。我々の役割は終わった。あとは、自由に生きればよかったのだ。
「あ、通口先生。ここでしたか」
物思いにふける彼に、がらがら声がかかる。
赤木山 光三郎という、このあたり一帯の博徒を束ねる、赤光一家の貸元(ヤクザで言えば親分のこと)だ。
背はそれほど高くないが、どこもかしこも太い男である。
それでいて、太っているという風ではない。
みっちりと筋肉が詰まっているという印象だ。噂では、元・相撲取りだったらしい。
顔も体も大雑把ななりをして、この光三郎は敏い。
「お仕事を……と、思いましたが、今日はやめにします」
ちらりと、献杯の杯を見て、頭を下げて立ち去ろうとした。
「気にするな。貸元も一杯飲れ」
杯をを干し、ぴっと振って酒の残滓を飛ばして、それを 通口 が 光三郎 に渡す。
「お流れを、頂戴致します」
太い図体を縮こませるようにして、両手で杯を受け取る。
大徳利から、酒を注いだ。
上等な澄み酒だった。
光三郎 が、口の中に放りこむように、一瞬で飲み干す。この男は、水も酒も全く同じ飲み方をする。
通口は、薄く笑いながら、その様子を見ていた。
「俺に用事ということは、『斬った張った』だろうが。どこだ?」
立ち上がり、刀を差す。
朱色の鞘。螺鈿細工で、鶴が飛翔する図案が刻印された伊達な鞘だった。
「いいんですかい?」
献杯に目線を走らせながら、光三郎が言う。
「ああ、構わん」
肩を揺すり、右手を懐手にして、通口が歩く。
一度だけ、肩越しに桜を振り返る。
月之介 と 勢 が、そこで微笑みながら手を振っている様に見えた。
まだ、第三章のプロットは定まっておりませんが、新キャラの人物造形が出来たので、その紹介を兼ねて、放出します。
甚吾一行が『まがいもの』を探して江戸を離れるというアイディアを頂きましたが、開拓期の江戸という無法空間にこだわってみようかと考えております。




