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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
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金丸 奔る

 峻険な山道をものともせず、金丸はあっという間に牧を見張る観測所に到着した。

 伊賀袴に手甲脚絆。風よけの合羽。無造作に古ぼけた菅笠を頭に乗せている。

 背中には、刃渡り三尺を超える大太刀『物干し竿』。体の熱でむらむらと蒸気が立っているが、呼吸は乱れていない。汗もそれほどかいていないようだった。

「待たせた」

 腰に下げた瓢の栓を抜き、喉を鳴らして金丸が水を飲み、

「いつやる?」

 と、袖で口を拭いつつ言う。

「休まんでいいのか?」

 呆れ顔で地丸が言った。

「いらん。早く、清麿様の護衛に戻りたいのだ」

 菅笠を取り、合羽を脱いで笠の中にたくし込む。

 懐から出したのは、鉢金。汗止めのための鉢巻に金属片を縫い付けた、簡易な防具だ。

「よし、今からやろうか。地丸、先行しろ」

 風丸が指示を出す。

「せっかちな野郎だな」

 ぶつくさ言いながら、地丸が木立に消えた。すぐ近くで見ていたはずなのに、存在自体が希薄化したかのように、消えた。

 隠形おんぎょうの地丸。

 葦原で死んだ『猫足の三郎』に勝るとも劣らぬ隠形術の使い手だった。

いているな。何かわけがあるのか?」

 肩の筋肉を揉み解している金丸に風丸が問う。

 一月ほど金丸とは会っていないが、間延びした馬面に険があった。緊張がほどけないまま何日も過ごすと、こういう顔になる。

「探索の輪が狭まっておる。つい先日も、甲州の山猿どもを斬った。報告に行かせはしなかったが、どこを探索していて帰ってこなかったかを調べれば、おのずと場所は絞れよう。そうやって、徐々に特定されているのだ」

 火丸は『赤馬の術』の実施を妙に急いでいた。ひたひたと迫る甲州忍どもの足音が気になるのだろう。

「なるほど。悠長にはやっておれんということか」


 ウソをついた。そのことで、金丸の胸がチクリと痛んだ。

 風丸はいい奴だ。地丸や火丸の様に、冷笑的ではない。現に今も、金丸の表情を読んで慰労するような口ぶりになった。

 甲州忍が探索の網を絞ってきているのは事実だ。

 粗暴な山猿と侮っていたが、思いのほか優秀な奴らだと認識を新たにしていた。

 だが、金丸が清麿の護衛に張り付かなければならないほど、事態は切迫していない。

 清麿の傍らには、富田 勢 がいる。甲州忍が何人束になっても、勢 は斬れない。

 金丸は、勢 と同じく富田の里で富田流を学ぶ者だったので、勢 の実力はわかる。

 凡庸な金丸と違い、勢 は天才だ。

 『名人越後』と呼ばれる、富田流伝承者、富田 重政 手ずから指導したいと思わせるほどに。

 勢 が護衛についていれば、心配ない。

 なのに、布田の荒れ寺の作戦本部に金丸が拘るのは、彼女がいるからだ。


 ―― 清麿は美男子で、自分は醜男。そして、勢 は清麿に依存している。


 そのことは、理解している。それで、心に傷を負っている 勢 が平安を得られるならそれでいいとも思っていた。

 だが、せめて近くにいたい。その思いは止められなかった。

 離れていると不安なのだ。

 そのくせ、清麿に抱かれている 勢 を見ると胸が掻き毟られるように痛む。

 どうしていいのか、分からなかった。


「いっそ、勢 を攫ってどこか遠くに逃げようか?」


 などと考えたこともあったが、そんな度胸がないことぐらい、自分で理解していた。

「そろそろいいだろう。いこうか」

 風丸が、カルタ状の手裏剣『陽炎』を手妻の様に掌からパラパラと出して、言う。

 金丸は、背中の『物干し竿』をすっぱ抜いた。

 ギラリ。冬の陽光に刀身がきらめく。

 ずしりとした重みが、鍛え抜かれた金丸の右腕に伝わる。


『好きなのだ。その気持ちは、変えられぬ。だから、俺は 勢 を守る。想いなど届かなくともよい。そういう恋もあるのだ』


 牧は軍馬を生産するところ。

 鉄砲鍛冶や鎧師などと同じく、軍需産業であると言えた。

 なので、警戒は厳重で、要塞のようなものだ。

 金丸は、その正面玄関に居た。

 固く門は閉ざされ、土塀がぐるりと牧全体を囲っている。

 門の前で、金丸が天を衝くほど高く『物干し竿』を掲げる。

 見張の者はいない。

 地丸の仕事だ。いつの間にか接近し、いつの間にか殺す。

 見張の甲州忍は、自分の身に何が起こったのか、死ぬ瞬間まで分からなかっただろう。

 金丸が無言の気合いを込めた。

 門扉の間、ようやく刀身がすべりこめるかどうかというその隙間に、渾身の一刀を振り抜く。


 ―― 自分には 勢 の様な天賦の才などない


 だからひたすら、いろはの『い』だけを反復した。

 何度も。何度も。何度も……。

 才能に恵まれた者が一足飛びで飛越してしまう壁を、虫が這うようにじわじわと越えて来たのだ。

「もっと早く振れ。もっと正確に振れ」

 それが金丸に課せられた、いろはの『い』だった。

 振るう太刀はどんどん重く長くなり、金丸はついに三尺もの大太刀を自在に振るう術を身につけることになる。

 金丸は長身だった。膂力もあった。その長点だけを磨き続けた結果が、この大太刀なのだった。

 大人の脚ほどもある閂が、門の隙間から滑り込んできた、金丸の一刀によって、両断されていた。

 門を蹴破る。

 おっ取り刀で駆け付けた、二人の甲州忍の姿が見えた。

 金丸がすっくと立ち、天に向って『物干し竿』を突き立てる。

 あたかも、敵を見た虎が吼えるがごとく、金丸から気合いが迸った。

 頭上から圧し掛かるような剣気。まるで、雪崩だった。

 刀の柄に手をかけたまま、ガクガクと震えて棒立ちになった甲州忍に、金丸が一刀を叩き下ろす。

 ズンと腰を落として振り抜いた『物干し竿』は、左肩口から入って、右脇腹に抜ける。

 振り抜いた一刀の切先が地面を掠め、その瞬転、斬り上げられていた。

 刀を抜いて構えたものの、無残な仲間の死に様に衝撃をうけて固まったもう一人甲州忍びの両腕が斬り飛ばされる。

 腕がついたままの刀がくるくると宙に舞った。


 ―― 秘剣『燕返し』


 いろはの『い』をひたすら反復していた金丸が身に着けた秘術だ。

 裂帛の気合いに、馬が一斉にいなないていた。

 血刀を引っさげて、金丸は奔る。

 狙うは管理小屋。

 この牧が砦なら、管理小屋は本丸。

 そこを落とす。

 地丸や風丸がどう動くかなど、関係ない。

 自分の役目は、ひたすら前に出て、斬って、斬って、斬りまくること。

 その混乱を前提に、彼等は動くはずだ。

「何だ! 何事か!」

 管理小屋から、左手に刀を下げた甲州忍が出てくる。

 金丸は足を止めない。

 そのまま、突き当たるようにして、刺し貫く。

 『物干し竿』で貫かれた男をそのまま盾にして、小屋内部に突入する。

 手裏剣が唸りを上げて飛来したが、ブスブスと盾にした男に突き刺さっただけだった。

 囲炉裏に向って、盾にした男を金丸が蹴り飛ばす。

 男が囲炉裏の中に転がり落ちて、肉が焦げる匂いとともに、灰神楽が立った。

 身を低くして、獣の様に金丸が走る。

 否、一匹の獣に、なりきっていた。

 灰神楽が立ち込めるなか、刀を振るう。

 自分以外は皆、敵。

 柱に当たれば柱ごと、梁に当たれば梁ごと、当たるを幸いにぶった斬る。

 刃の旋風が室内で暴れまわっているようなものだった。

 悲鳴が、馬の嘶きに混じって響いていた。



 牧の井戸で、上半身裸になった金丸が、手ぬぐいで体を拭っていた。

 空気は氷の様に冷たいが、気にならないようだった。

 金丸は血まみれだった。

 受けた傷は全くない。全部返り血だ。

「助かった、見事な刀術だ」

 普段は冷笑的な地丸が、素直に賛辞を送る。

 金丸は、少し眉を上げただけだった。褒められるほどの事もないと思っていたのだ。

 師匠筋にあたる 鐘捲かねまき 自斎じさい や、勢 や、泉流刀術の清麿などを身近に見ていると、自分の非才が意識される。

 愚直な剣だ。そんなことを思っていた。自斎は「それがいいんだ」と褒めていたが。

「用は済んだな。では、帰る」

 馬の出荷帳簿を調べていた風丸にそう告げて、金丸が着替えを終える。

 合羽を羽織り、菅笠をかぶった。

 早く、勢 の近くに戻りたかったのだ。


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