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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
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赤馬

 結局、露木 玉三郎 は、甚吾が居住する長屋に居つくことになった。

 江戸のうちに勝手に住むことを規制する『人別帳』が出来るのは、まだ先の事で、この頃はどこに小屋掛けしようが、住もうが自由だった。

 道場に離れを建て、あっという間に引戸を作って繋げてしまう。

 この長屋の住民は、土木作業員。運河を作ったり、川を浚渫したりする技術を持つ職能集団でもあった。土留工事なども行うことから、簡単な大工仕事もする。

 しかも、今、この江戸には端材が多く転がっている。

 小屋を一つでっちあげるなど、わけない事だった。

 こうして、この集会所兼道場の維持・管理をする者として、露木は受け入れられたのである。どこからも給金は出ないが。

 甚吾は道場を開いているが、剣術を教示することはない。深甚流は、他者に教えるのが難しい剣であった。

 露木もそれを分かっている。

 彼が、ここを探し当て、この場に飛び込んだのは、甚吾を自分の目に届く所に居させたいため。

 彼は殺し屋稼業をしていた。

 その経験からすると、腕のいい暗殺者というのは案外少なく、それゆえ遭遇する可能性が高いということ。

 露木は甚吾と殺しの現場でかち合いたくないのだ。

 なので、彼と一緒に行動していれば、運命が交差する心配はないという計算があった。

 出来れば、甚吾の元請である裏の口入れ屋を紹介してほしいと思っていた。

 そうなれば、危険性は更に下がる。

 甚吾は危険な獣。だが、獣の行動範囲を把握しておけば、食い殺されることはない。

 それに、露木は危険な黒い炎に惹かれる性質もあった。無念と行動をともにしていたのは、無念が抱える闇が反応したという側面もあるのだ。見た目に惚れたというのもあるが。

 露木のやるべきことは、甚吾の信頼を得る事。長屋に住みついたのは、その第一歩。

 金は『七死党』に居た時に、だいぶ稼いだ。何か所かある金の隠し場所の一つも把握している。だから、暫くは生活に困ることはない。

 その金を基金に、露木は無許可の貸し金屋も副業でしていた。

 小判で貸出し、宋銭や粒銀で回収する。小判など、露木のような浪人者が遣っていたら、たちまち甲州忍に目をつけられてしまう。なので、この副業の真の目的は資金洗浄。

 ゆえに、商売っ気はあまりない。利息も安いので、まあまあ繁盛しているのだ。

 露木から金を借りる者は、たいてい賭博に使う。借金してまで賭博に狂うクズばかりだ。

 小判は、博徒などの非合法組織を経由して、どこか闇に消えてゆく。その小判の出処でどころが露木であると発覚しにくい仕組みなのであった。

 長屋の者は呑気なもので、甚吾にせよ露木にせよ働いている様子もないのに、生活に困らないのを見て、不思議だなぁとは思っても、探りを入れることは無かった。

 江戸は流れ者の街。いちいち探らないのが不文律みたいなものなのだ。



 江戸に侵入した『曽呂利衆』の精鋭部隊『清麿の五ツ』の一人、風丸は任務を帯びて甲府にある牧に来ていた。

 ここは、かつて武田家に軍馬を提供していたところで、今は武田家の独占権がなくなった影響で、全国に手広く軍馬を提供しているのだった。

 馬は生き物だが、兵器でもある。なので、群雄割拠の戦国時代は、専売権で軍馬の流出を防いでいたのだ。

 今は、徳川家が上得意だが、関ヶ原の戦いの後始末で混乱しており、監視の目は緩い。

 そこで、豊臣陣営にも軍馬を提供するなど、敵味方双方に軍馬を提供して荒稼ぎしている牧なのだった。

 風丸と地丸は、この牧にいた。

 徳川の家臣を詐称して、軍馬の買い付けに来たという態を装っている。

 もちろん、ここには、本拠地が近い事もあって、甲州忍が監視体制を敷いていた。軍馬の動きを見れば、武装状況がわかる。

 こうした密偵によって上杉家の軍備状況が類推され、意外と手強いのが予想されたので、関ヶ原の戦いの際、上杉の軍勢と対峙した徳川の別働隊は、堅陣を敷いて徹底防御の構えを見せたのだ。

 関ヶ原の本隊の背後を脅かすのは、沼田の真田をはじめとする小領主勢。そして、北陸の雄である上杉。

 家康は、譜代や家門衆をそちらの抑えに回して体力を温存し、新規参入組を多く引き連れて関ケ原に臨んだ。

 豊臣側と、豊臣から寝返った者を噛み合わせることで、人誑しである秀吉の息がかかった者を討ち減らす側面があったのだ。

 本多や榊原や井伊といった家康の子飼いの武将が同行したのは、万が一の時に、家康の退路を確保するため。島津家ばりの『捨てがまり』(殿軍による捨て身の追撃遅延戦法の事。殿軍の生還は難しいと言われる)を実施する覚悟だったと記録にある。

 関ヶ原はそれほど際どい戦だったのだ。

 曽呂利衆や伊賀・甲賀、甲州忍などの、熾烈な諜報戦がその水面下であり、この牧もまた、忍の諜報戦の渦中にあると言っていい。


 風丸が、糸の様に細い眼を更に細める。のんびりと草を食む馬を見て微笑を浮かべたのだ。巧みに手裏剣を使う風丸だが、馬の扱いも上手だ。

 もともとは、博労ばくろう兼山賊という一族の出身と聞く。源流を辿れば、楠正成の郎党の家系なのだと酔った時には言うが、誰も信じない。

「馬集めは、火丸の指示か?」

 退屈そうに、道端の草を咥え、くちゃくちゃ噛んでいる地丸に風丸が言う。

「そうだ」

 ぷっと草を吐き出して、地丸が答え、

「馬はなんでこんな青くせぇもの食って平気なんだよ」

 と、呟く。

「知るか、バカ。それにしても、火丸が馬を欲しがるってことは、『赤馬の術』を使う気だな。俺は、気が進まんぞ」

 ぺっぺと、緑色の唾を吐きつつ、地丸が言う。

「ああ、間違いない。燃焼促進剤の埋伏も進めているそうだぜ。赤馬が奔れば、江戸は火の海だ」

 曽呂利衆の火炎術の使い手、火丸の得意技に『赤馬の術』がある。

 本来『赤馬』とは、日照りや火災を起こす妖怪の類の呼称のようだが、火丸は燃える松明を馬に引きずらせて狂奔させ、道々に仕込んだ火薬や燃焼促進剤を次々に発火爆発させる馬を『赤馬』と呼んでいるようだった。

「馬が死ぬ。可哀想だ」

 ぽつりと、風丸が呟いた。

「何言ってやがる。人も大勢死ぬぜ」

「なぜか、そっちは胸が痛まん」

「そうか、俺もだ」

 二人は、そう言ってカラカラと笑った。



 甲州忍、マシラの久三きゅうぞうは、ましらの異名の通り、森林などの複雑な地形で、空間を立体的に使った体術が得意だった。猿の様に木から木へ飛び移り、短弓を射かけるのが、彼の得意技だった。

猿飛さるとびの術』

と名付けられたその術で、少しは名を知られた忍だったのだ。

 関ケ原の戦いの前哨戦で、西軍に雇われた白山忍と、徳川家に雇われた甲州忍との間で激しい闘争があり、マシラの久三はそれに参加していたのだが、左足を失った。

 義足はつけたが、もう『猿飛の術』は使えない。

 そして、二ツ名を持つ久三ともあろうものが、馬糞臭いこんな牧を護衛する任につかされているのだった。

「気に入らん」

 久三は荒れた。

 一線級の甲州忍は、探索行をするか、江戸で風魔衆や曽呂利衆と闘争を繰り返している。

 ここに居るのは、一線を退いた老忍か、経験不足の新米ばかり。つまり役立たずだ。

「お前も、こいつらと同じ」

 そう言われているみたいで、彼の誇りが傷ついていたのだ。

 今まで手を出さなかった酒に、久三は手を出していた。

 呑み始めたら、止まらなくなっていた。

 いつも苛立っていたが、酒を流し込むと、すこしの間だけ多幸感を感じる事が出来たのだ。

 だが、それは長続きしない。そして、また酒を飲む。

 まるで、アリジゴクの巣に堕ちた蟻のように、ずるずると底に引きずり込まれている感覚があった。

 それが怖い。怖いからまた酒を飲む。

 親切に、止めるように助言してくれた者も居た。

 怒鳴りつけ、刀を抜くことまでして、その親切に久三は応えてしまっていた。

 マズいことをした……その自覚はあった。だが、頭を下げることは、誇りが許さなかった。

「いや、違う。もうワシには誇りなどない」

 意固地になっているだけだ。自分が惨めだった。それを忘れたくて、また酒を飲む。

 酔いの混濁に飲みこまれている時だけが、救いだった。

 誰にも見えない映像を見るようになったのは、ここ数日の事だ。

 何者かが、ここを見ている。そういう強迫観念が胸に巣食っていた。

 ここの責任者に、意見具申したこともあった。

 着任当初は、畏敬の念をもって久三を見ていてくれたその男の目に、軽蔑が見て取れる。

 仕方がない。昼間から酒の匂いをさせて、呂律も廻っていないのだから。

 怪しく揺れる草むらに、得意の短弓を撃ちこんだのは、自分の勘が錆びていない事を証明したかったからだ。

 草むらから飛び出たのは、兎だった。

 しかも、仕留める事すら出来なかったのだ。

 誰も何も言わなかったが、陰で笑われていることは分かった。

 いったい、どうなってしまったのか? 震える手で酒を飲む。 今では、酒を飲まないと手が震えて、矢をつがえることすら出来ない有様だった。

 皮膚がむず痒い。そんな日も多い。血が出るまで掻き毟るのは、皮膚の下に虫が居る様な気がしたからだ。だが、何もいなかった。

「邪魔だ、どけ」

 若造に突き飛ばされる。

 以前なら、こんな奴など簡単に投げ飛ばすことが出来たのに、ちょっと小突かれただけで、久三は尻もちをついていた。

「誰かが見とる。危険じゃ」

 久三が言う。誰も耳を貸さなかった。返ってきたのは、嘲笑だけだった。

 ヨロヨロと立ち上がる。地面に散らばった矢を震える手で拾い集め、うつぼに入れる。入れたつもりだったが、何本かは再び地面に落ちた。

 それに気づかぬまま、短弓を手に、蹌踉そうろうとした足取りで裏手の山に向う。

 何者かが、この牧を監視していて、その気配はそこから漂ってくるような気がしていたのだった。

 誰も信じてくれないなら、自分で証明するしかない。そう久三は思っていた。


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