鵺
殴られながら育った。
親の愛情など、感じる事は一度もなかった。
そして、鵺は十五歳の時に、口減らしのため女衒に売られたのだ。
商家への住み込みの下女ということだったが、連れて行かれたところは女郎屋だった。
「風通しをよくしといてやるぜ」
女衒の糞野郎は、道すがら彼女を連日連夜暴行した。
痛くて、気持ち悪くて、死ぬほど怖かったが、じきにそれに慣れた。
男はみな、クズだ。
そう思うと、高い銭を払って、自分の上で腰を振っている奴らを醒めた目で見ることが出来た。
劣悪な場所にいたが、与えられた環境を嘆くことはしなかった。無駄だから。
だが、いつか抜け出して自由に生きてやる。そんな事を、いつも鵺は胸に隠していたのだった。
機会が与えられたのは、鵺が客を取らされていた宿場が戦場になった時。
誰と誰が戦っているのか、鵺には分からなかったが、どこかで拾ってきたような、ボロボロの甲冑を着た一団が、宿場に火を放ち、犯し、殺し、略奪し、暴れ回ったのだ。
その中で、鵺が上手く逃げることが出来たのは、常に逃走のための道筋を考えていたから。
慌てて売上をかき集め、避難しようとしていた女郎屋の元締めを包丁で刺し殺し、その金を持って鵺は逃亡したのだった。これだけ混乱していれば、誰が殺したのかなんて、関係がない。それに、この元締めは糞だった。いつか殺してやると思っていたが、案外早くその機会が訪れたものだ。
以来、各地を風雪とともに流れてきた。
持ち出した銭が底をつくと、夜鷹の真似事をして銭を稼いだ。
夜鷹と異なるところは、相手を殺すところ。
男はみな、クズだ。
金で女を自由にする男は、特にクズだ。
だから、隙をみて殺し、金品を奪っても何も罪悪感はない。
自ら『鵺』と名乗るようになったのは、この頃だった。誰かに、鵺という怪物の話を聞いて、いたく気に入ったのだ。
色々な部位が集まった化け物。忌避される合成された怪物。まるで、自分の様に思えたのだった。
…… 私は鵺 夜に狩りをする者 ……
そう思うと、強くなった気がするのだ。
血の匂いが染みついた者は、同種の匂いに敏くなる。
だから、気軽な様子で店に入ってきた男―― 草深 甚吾 ――を、鵺はすぐに危険な男と見破っていた。
阿芙蓉を混ぜた煙草を詰めた煙管を、煙草盆の裏側に隠した『仕掛け煙管』に持ち替えたのは、この直感に従ったからだった。
一見、銀製の煙管に見える『仕掛け煙管』は、実は小型の吹き矢で、琉球に生息する猛毒の蛇の毒が仕込んであるのだ。
毒を使った殺しは得意だった。想像上の化け物『鵺』の尾は毒蛇。彼女の危険な毒牙がこの銀煙管だった。
甚吾は土足のまま、店内の上がりに踏み込む。
物憂げな表情のまま、渥美屋半兵衛が、のろのろと甚吾の前に立ちはだかった。
「こまるよ、おきゃくさん」
呂律のまわらない言葉で、彼は抗議をしたが、そのまま息を「うっ」と、詰まらせる。
甚吾が、半兵衛に身を寄せさま、鞘ごと刀を突き上げたのだった。
柄頭が、彼のぶよぶよした脾腹に食い込んでいる。
人は、痛みの許容量があり、その許容量を一瞬で越えてしまうと、意識が途切れる。
くたくたと崩れ落ちた、半兵衛の様に。
既に、腰を浮かせていた鵺が、座った姿勢のまま、後ろに跳ぶ。
その先には、店の奥に繫がる襖があり、彼女はそこに目も向けずに器用に後ろ手に、それを開けた。
彼女が常に想定していた逃走の道筋が、それだった。
甚吾が追尾して跳ぶ。
鵺が、口に咥えた銀煙管の手を添え、ふっと吹いた。
甚吾の跳躍の出鼻を衝いたのだ。
縫い針ほどの針が飛ぶ。
だが、その針は囮。毒を塗った本命は、髪の毛の様に細い束になった針で、それが、ばらけて空中を漂い、肌に付着すると皮膚に食い込む。そして、血流に乗る仕組みだった。
飛来する針に気を取られると、この仕掛けにやられる。
鵺の『奥ノ手』がこれだった。
甚吾は、懐から手ぬぐいを出して、それを横に振るう。
血刀を拭うために、常に何枚かの手ぬぐいやボロ布を懐に入れているのだ。
囮の針も細い漂う毒針も、その手ぬぐいにからめ取られる。
その手ぬぐいを放り捨てざま、鯉口を切った腰間の一刀の柄に右手を被せた。
鋭い風の音。
紫電が奔った。
「なんで、わかったんだい?」
ぽってりとした、妖艶な唇を歪ませて、鵺が言う。
彼女の脇腹には、半ばまで甚吾の片手斬りの一刀が食い込んでいて、くの字に折れ曲がった銀煙管が、更に深く刀が食い込むのを防いでいた。
甚吾の放つ神速の抜刀を考えれば、奇跡ともいえる反応だったが、致命傷であった。
「その、銀煙管を咥えたままだったからね。『含み針』か『吹き矢』だと思ったのさ」
鵺の問いに甚吾が答える。
彼が、斬殺対象者と言葉を交わすのは、珍しい事だった。完全に防ぐことは出来なかったが、反応できた鵺の技量に敬意を表したのかもしれない。
「ちくしょう……」
血が鵺の唇の端から流れ、形のいい顎にわだかまる。
甚吾は、そのまま刀を振り抜いた。
鵺は支えきれずに、その場で半回転して、ばったりと倒れる。
そして、二度、三度と体を震わせると、大きなため息を吐いて動かなくなった。
もう、鵺に興味を無くした様子で、甚吾が応接間を抜けて中庭に向う。
中庭に作られた母屋は、半兵衛の後添えとなったお幸の監禁場所になっていて、昼夜を問わず、高橋と名乗る大柄な浪人と彼女が交情している場所だった。
甚吾は、渡り廊下を通って、母屋に向う。
本来は、大事な商談を行ったり賓客を迎える場所で、八畳の贅沢な部屋と控えの六畳、厠と湯殿までが作られている。
火災対策で、民家が湯殿を作るのを禁止されたりするのは、ずっと後年のことで、現在、建築途中の江戸では、特に規制が無かった時期だった。
甚吾が母屋の襖を開ける。
そこは、控えの六畳間で、賓客を迎えたとき、給仕の者が待機する場所だった。
今は、食い散らかされたあとの食器が乱雑に積まれているだけ。
食べたり、寝たりしている時以外は、高橋はずっとお幸をいじり回しているのだ。
正気を失ったか、お幸もそれを受け入れ、楽しんでいる風もある。
まるで、サカリのついた獣みたいだが、サカリの季節関係なく交情している分、獣よりひどい。
甚吾が廊下を歩いている時点で、高橋は目を覚ました。
明け方まで、お幸を抱いていた。
年増だが、美しい女だった。十五になる娘がいるとは思えないほど、肌がなめらかで、張りがあった。
そして、程よく熟れていた。
渥美屋半兵衛は、性欲が強いが、年齢も年齢なので持久力がない。
だから、お幸が乱れるほどこねくり回す。それで、満足してしまうことも多かった。
まるで、埋火のように欲求不満が、何年もお幸に蓄積していたのだ。
それを、高橋が解放した。
高橋は、抑圧された半生だった。
弱小領主に仕える武士だった。その弱小領主は無能だった。武を練ったが、それの使いどころがなかったのだ。
妻を娶るなど、諦めていた。
自分が食うので精いっぱい。誰かを養うなど出来ない相談だった。
女を買う金などなかった。
そもそも、貧乏な寒村では、最下層の売春婦すら足を向けない。
性欲はもてあましていたが、どうする事も出来なかった。
だが、ふるいつきたくなるような美女が手に入った。
もう、我慢など出来なかった。
強盗稼業に身を落とした。もう武士ではない。そんな思いが高橋を腐らせていた。
「切り取り強盗は武士の習い」
そんな事を、首領である無念は嘯いている。
だが、そんな事は罪悪感を軽減させる方便に過ぎない。
「同郷の木暮は、それで納得している ―― させようとしている ――ようだが、俺には無理だ」
そう思いながら、高橋は虚無に毎日を過ごしていた。
お幸を抱いている時だけは、それを忘れることが出来た。田舎に引っ込んでいたら、見かけることすら出来ない美形だ。それに溺れるのは、罪悪感も相まって甘美だった。
押し込み強盗で刀を振っている時も、無心になれる。
だが、これでいいとは思えない。
賊のまま、死ぬのか? そのことに忸怩たる思いがあった。
「来たか」
そうつぶやいて、高橋が枕元の刀を掴む。
胴太貫と呼ばれる、通常の刀の倍ほども重ねが厚い刀だ。
これを、自在に振れるよう、血反吐を吐くほどの鍛錬を続けてきた。
それなのに、人妻を犯し、罪もない市民を殺し、金品を奪っている。
許されるわけなどない。
こんなことを続けていたら、いつか死ぬ。無残に殺される。
それが、今日なのかもしれない。
寝乱れた布団を剥ぐ。
一糸まとわぬお幸の裸身が見えた。
痣や歯型が、その白い肌に刻まれていた。
お幸は、強く吸われたり、歯を立てて痛みを送ると、乱れ狂う。
獣じみた、救いようのない交情の痕跡がそれだった。
「ううん」
と呻いて、お幸が高橋の腕にしがみついてくる。
高橋は、やんわりと、その腕を引き抜いた。
畳に胴太貫の鐺をついて、立ち上がる。
高橋もまた、裸身だった。
分厚い胸。
丸太の様に太い腕。
松の根の様に見える筋肉がうねる脚。
まるで、生きた仁王像のような肉体だった。
ぶら下がる男根は長大で、甚吾の気配を感じても委縮していない。
ひたすら武を練っただけあって、すさまじい胆力だった。
高橋の闘気を感じたか、お幸が目を覚ます。
トロンとした目で、高橋を見上げていた。
「部屋の隅に、下がっておれ」
夜具を裸身に巻き付け、お幸はのろのろと高橋の言葉に従う。
未だ覚醒と眠りの狭間にあるようだった。
高橋は残った敷布団を、お幸と反対の隅に蹴り飛ばす。
そして、胴太貫を左手に下げた。




