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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
38/97

右旋(うせん)と左転(さてん)

明けまして、おめでとうございます。

今年も、よろしくお願いします。

「先に、『眼』をつぶそうか」

鯉濃漿こいこくしょうを食べ終え、食器を片づけ、お茶を喫しながら 草深くさふか 甚吾じんごは、そんな事を言った。

 茶といっても、抹茶や煎茶は高級品なので、煎じて飲んでいるのは『松葉茶』だ。

 赤松の葉を適当に抓んできて、ざっと水洗いしたものを急須に入れ、煎じただけの代物なのだが、松のさわやかな香りと、清涼感があってなかなか旨い。

 松は、一昔前まで、松の葉の茶、松脂、松の実などが非常食となっていた。樹皮には薬効があると信じられていて、煎じ薬として飲まれていたという。

 その為かどうかは知らないが、造成中の江戸城の周囲には、松の植樹が盛んに行われ、甚吾は、適当にそこで葉を抓んできているらしかった。

 体は、ぽかぽかと暖かい。

 鯉濃漿こいこくしょうと酒粕の効果だろうか。さすが、寒冷地の蝦夷で工夫された調理法だ。

 濃い味に慣れた舌に、松葉茶が心地よい。

 追跡行の疲れもあって、思わずうとうとしかけた瓦走りの権太は、淡々と語る甚吾の言葉に、冷水を浴びせられた気分だった。

「右某と左某だっけ? 双子の乱破くずれを、まず斬ろう。お膳立てを頼むよ」

 旨い飯を食い、清涼な茶を喫しながら、こんな事を考えていたというのか? 甚吾が棲んでいる世界の昏さに、権太の背中がゾクゾクと痺れる。

 『甚吾さんは、こうでなければいけない』

 権太は、嬉しくて舌舐めずりしそうだった。まるで、大根でも斬るかのように人を斬る時の甚吾の姿は、実に美しい。そして、人が単なる『物』に変わる瞬間に、何の感慨も見せないところが、とてもいい。

「さっそく、探りを入れます」

 権太の疲れも眠気もすっかり吹き飛んでいた。


 あてどなく江戸の夜を探していた時と比べると、本拠地が割れた現在の探索は楽だ。

 見張るための場所は確保した。

 七死党が本拠地にしている『渥美屋』の隣に、『越後屋』という古着を扱う商家がるのだが、その蔵の二階に権太は勝手に入り込み、観測するための場所を設置したのだ。

 火を使わなくても食べられるほしいいなどの糧食、滋養強壮のための丸薬、飲用水を詰めたひさご、排泄物を収めるための石灰を詰めた竹筒、そうしたものを運び込んだのである。

 観測の間、丸薬だけを口にして、固形物はあまり食べないので、あまり排便はない。その代り、普通の生活に戻った時に、ひどい便秘に悩まされるのであるか……。

 そういった不便に耐えつつ、一日の各人の生活を記録してゆく。

 渥美屋の蔵にいる高橋という大柄な浪人と、木暮という若い浪人は、殆ど蔵から出てこない。

 高橋は、まるで自慰を覚えた猿の様に、催す度に昼夜を問わずにおこうという、渥美屋半兵衛の後添えになった女を抱いており、女も半ば狂ったのか、自分から求めるような事もしている。まるで、けだものだ。

 木暮は、まだ少女の面影を残す、おこうの連れ子であるおふくと、ままごとの様な似非えせの新婚ごっこをしており、権太はこれが気色悪くて仕方がなかった。まだ、獣の様な高橋とお幸の生活の方が、マシだ。

あまりの胸糞悪さに、吐きそうだった。美男、美女の組み合わせは、いつ見ても気分が悪い。

 この高橋と木暮は、いざ押し込みを実行という時まで、このまま過ごす。

 七死党の七人目の面子『ぬえ』という妖艶な年増女は、渥美屋半兵衛を操っているようだった。

 半兵衛は、殴られたり、罵られたり、縛られたりすると、性的に興奮する性質らしく、それを見抜いた鵺は、そこを巧みに衝いて、彼を骨抜きにしているのだった。

 どうも、頭目らしい男は『無念むねん』と名乗る僧形の男だった。

 この男には、影のようにピタリと、露木つゆき 玉三郎たまさぶろうという細面の剣士が常に付き添っていて、どうやら無念の用心棒らしかった。

追跡行の時、権太を待ち伏せして斬ろうとしたのは、こいつだ。妙に勘がいいので、接近には気を付けないとマズい。

情報収集を担当しているのは、右旋うせん左転さてんという双子の兄弟で、見分けがつかないほど良く似ている。

 この特性を使って、居ないはずの場所にひょっこり現れたり、どうやって拍子を合わせているのか、同時に標的に襲い掛かったりする。

 当面の標的はこいつらだ。

 権太の見立てでは、この二人は、おそらく乱破らっぱ透破すっぱ崩れの類。

 追跡も、観察も、細心の注意が必要だった。そして、忍耐も。

 甚吾は、まずこいつらを斬る気だ。

そのために、権太が追跡する。長年の経験で、どんなに用心深い者でも、必ずいつかはしくじる時があるのを、権太は知っていた。

 それを、飽くことなく待つ。執拗に追跡する。それが、誰より上手に出来るという自負が、権太にはあった。


 右旋うせん左転さてんは、見分けがつかないほど良く似ているが、観察を続けると、嗜好に違いがあるのがわかった。

 次の獲物を物色し、調査し、頭目である無念に報告するのが彼らの役目なのだが、非番の時は、二人別れて行動するのだ。

 右旋うせんと思われる方は、賭場とばに入り浸りになる。

 そこで、何刻も過ごし、大金を賭けるのだ。そして、大抵の場合、る。

 表情に乏しい、この乱破らっぱ透破すっぱ崩れの男も、この時ばかりは、勝てば笑い、れば鬼の様な形相になる。

 花札などの戦略が必要な博打より、骰子さいころの様な運否天賦うんぷてんぷに任せた博打を好む傾向があった。

潔く金を使うので、賭場を仕切る博徒には太客ふときゃくとして下にも置かない歓待を受ける。ようするに、カモだ。

 だが、右旋うせんは気にした風もない。

 賭博という行為に入れ込んでいるのであって、それで一攫千金を狙おうとか、考えていないのが見て取れる。

 こういう奴は、居る。賭博の痺れるような緊張感がないと、生きていけなくなった者のことだ。

 権太は、長い間闇の中で暮らしているので、こういった特殊な性癖の人物が、男女問わず一定数居るのを知っていた。

 そして、大概、こういう連中は破滅するものだ。

 権太は、右旋うせんを標的に定めることにした。


 仕事が無いときは、心が疼く。博打をやりたくて、なんだか落ち着かなくなるのだ。

 賭博には波がある。

 何をやっても勝てる時があり、何をやっても駄目な時があるのだ。

 そして、その波は、たいがい交互にやってくる。この潮目みたいなものを上手に読める者が勝利者になるのだが、長い目で見た収支は、よくてトントン。大概の奴は負け。それが博打の本質だ。

 なぜ、こんなに博打が好きなのか? ふと、そんな事を右旋うせんは考える。しかも、骰子さいころに拘るのはなぜなのか?

 某国の密偵として、各地に潜入していた。

 その先々で、博打を打っていた。

 最初は、情報収集が目的だった。賭場には、色々な者が流れてきて、色々な情報を得ることが出来た。この世の裏面の情報は、実に有用だ。

 潜入先で、弟の左転さてんは色町に入り浸る。寝物語で機密を漏らす馬鹿は多い。それを収集するためだ。

 自分は、賭場で収集する。そういった、役割分担だった。

 だが、いつの間にか、手段が目的になってしまっていたのだ。

 博打は楽しい。

 調査し、罠に嵌め、討つ。そういった、仕事を右旋うせんはしていた。

 予定調和の様に、結果が見える仕事だ。

 だから、骰子さいころの様に、先が読めない事柄は、彼にとって実に刺激的だった。

 骰子さいころ賭博にハマるまで、それほど時はかからなかったのである。

 騙したり、騙されたり、殺したり、殺されたりする現実を、賭博は忘れさせてくれた。


「いつか、致命的なことになるなぁ」


 そう思いつつ、更に深くハマってゆく。

 そして、ついに、組織の公金に手を出してしまったのだ。ただ、博打をやりたい。それだけのために。

 それに、左転さてんを巻きこんでしまった。抜け忍 (組織から逃亡した忍者のこと)となってしまった事を、弟は文句を言わないが、常に罪悪感が右旋うせんにつきまとう。

 それを忘れたくて、骰子さいころを握る。そして、一度賭場に入ると、銭を使い切るまで、熱中しすぎて、何も周囲が目に入らなくなる。

 まるで、底なし沼だった。


「なぁ、兄者。あんた、いつか、こいつで死ぬぜ」


 骰子を振る手つきを真似しながら、左転さてんが言う。

 そんなことは、言われなくても分かっていた。だが、やめられないのだ。


「兄者が熱中すると、疲れるんだよ。心がザワついて、休まらねぇ」


 右旋うせん左転さてんは、いわゆる、双子だ。

 母の胎内で共有していた時間があったせいか、奇妙な共感覚がある。相手が考えている事がなんとなく分かったり、感情を読めたりすることだ。

 このことが、彼等を腕利きの忍にしていた。打ち合わせ無しで、拍子を合わせたりできる。

 左転さてんが言う「心がザワつく」は、右旋うせんが感じている博打の熱狂のことだ。右旋うせんの興奮が、左転さてんに流れ込むのだろう。


「どうも、尾行の気配がある。兄者も気をつけろよ」


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