右旋(うせん)と左転(さてん)
明けまして、おめでとうございます。
今年も、よろしくお願いします。
「先に、『眼』をつぶそうか」
鯉濃漿を食べ終え、食器を片づけ、お茶を喫しながら 草深 甚吾は、そんな事を言った。
茶といっても、抹茶や煎茶は高級品なので、煎じて飲んでいるのは『松葉茶』だ。
赤松の葉を適当に抓んできて、ざっと水洗いしたものを急須に入れ、煎じただけの代物なのだが、松のさわやかな香りと、清涼感があってなかなか旨い。
松は、一昔前まで、松の葉の茶、松脂、松の実などが非常食となっていた。樹皮には薬効があると信じられていて、煎じ薬として飲まれていたという。
その為かどうかは知らないが、造成中の江戸城の周囲には、松の植樹が盛んに行われ、甚吾は、適当にそこで葉を抓んできているらしかった。
体は、ぽかぽかと暖かい。
鯉濃漿と酒粕の効果だろうか。さすが、寒冷地の蝦夷で工夫された調理法だ。
濃い味に慣れた舌に、松葉茶が心地よい。
追跡行の疲れもあって、思わずうとうとしかけた瓦走りの権太は、淡々と語る甚吾の言葉に、冷水を浴びせられた気分だった。
「右某と左某だっけ? 双子の乱破くずれを、まず斬ろう。お膳立てを頼むよ」
旨い飯を食い、清涼な茶を喫しながら、こんな事を考えていたというのか? 甚吾が棲んでいる世界の昏さに、権太の背中がゾクゾクと痺れる。
『甚吾さんは、こうでなければいけない』
権太は、嬉しくて舌舐めずりしそうだった。まるで、大根でも斬るかのように人を斬る時の甚吾の姿は、実に美しい。そして、人が単なる『物』に変わる瞬間に、何の感慨も見せないところが、とてもいい。
「さっそく、探りを入れます」
権太の疲れも眠気もすっかり吹き飛んでいた。
あてどなく江戸の夜を探していた時と比べると、本拠地が割れた現在の探索は楽だ。
見張るための場所は確保した。
七死党が本拠地にしている『渥美屋』の隣に、『越後屋』という古着を扱う商家がるのだが、その蔵の二階に権太は勝手に入り込み、観測するための場所を設置したのだ。
火を使わなくても食べられる糒などの糧食、滋養強壮のための丸薬、飲用水を詰めた瓢、排泄物を収めるための石灰を詰めた竹筒、そうしたものを運び込んだのである。
観測の間、丸薬だけを口にして、固形物はあまり食べないので、あまり排便はない。その代り、普通の生活に戻った時に、ひどい便秘に悩まされるのであるか……。
そういった不便に耐えつつ、一日の各人の生活を記録してゆく。
渥美屋の蔵にいる高橋という大柄な浪人と、木暮という若い浪人は、殆ど蔵から出てこない。
高橋は、まるで自慰を覚えた猿の様に、催す度に昼夜を問わずにお幸という、渥美屋半兵衛の後添えになった女を抱いており、女も半ば狂ったのか、自分から求めるような事もしている。まるで、獣だ。
木暮は、まだ少女の面影を残す、お幸の連れ子であるお福と、ままごとの様な似非の新婚ごっこをしており、権太はこれが気色悪くて仕方がなかった。まだ、獣の様な高橋とお幸の生活の方が、マシだ。
あまりの胸糞悪さに、吐きそうだった。美男、美女の組み合わせは、いつ見ても気分が悪い。
この高橋と木暮は、いざ押し込みを実行という時まで、このまま過ごす。
七死党の七人目の面子『鵺』という妖艶な年増女は、渥美屋半兵衛を操っているようだった。
半兵衛は、殴られたり、罵られたり、縛られたりすると、性的に興奮する性質らしく、それを見抜いた鵺は、そこを巧みに衝いて、彼を骨抜きにしているのだった。
どうも、頭目らしい男は『無念』と名乗る僧形の男だった。
この男には、影のようにピタリと、露木 玉三郎という細面の剣士が常に付き添っていて、どうやら無念の用心棒らしかった。
追跡行の時、権太を待ち伏せして斬ろうとしたのは、こいつだ。妙に勘がいいので、接近には気を付けないとマズい。
情報収集を担当しているのは、右旋と左転という双子の兄弟で、見分けがつかないほど良く似ている。
この特性を使って、居ないはずの場所にひょっこり現れたり、どうやって拍子を合わせているのか、同時に標的に襲い掛かったりする。
当面の標的はこいつらだ。
権太の見立てでは、この二人は、おそらく乱破・透破崩れの類。
追跡も、観察も、細心の注意が必要だった。そして、忍耐も。
甚吾は、まずこいつらを斬る気だ。
そのために、権太が追跡する。長年の経験で、どんなに用心深い者でも、必ずいつかはしくじる時があるのを、権太は知っていた。
それを、飽くことなく待つ。執拗に追跡する。それが、誰より上手に出来るという自負が、権太にはあった。
右旋と左転は、見分けがつかないほど良く似ているが、観察を続けると、嗜好に違いがあるのがわかった。
次の獲物を物色し、調査し、頭目である無念に報告するのが彼らの役目なのだが、非番の時は、二人別れて行動するのだ。
右旋と思われる方は、賭場に入り浸りになる。
そこで、何刻も過ごし、大金を賭けるのだ。そして、大抵の場合、摩る。
表情に乏しい、この乱破・透破崩れの男も、この時ばかりは、勝てば笑い、摩れば鬼の様な形相になる。
花札などの戦略が必要な博打より、骰子の様な運否天賦に任せた博打を好む傾向があった。
潔く金を使うので、賭場を仕切る博徒には太客として下にも置かない歓待を受ける。ようするに、カモだ。
だが、右旋は気にした風もない。
賭博という行為に入れ込んでいるのであって、それで一攫千金を狙おうとか、考えていないのが見て取れる。
こういう奴は、居る。賭博の痺れるような緊張感がないと、生きていけなくなった者のことだ。
権太は、長い間闇の中で暮らしているので、こういった特殊な性癖の人物が、男女問わず一定数居るのを知っていた。
そして、大概、こういう連中は破滅するものだ。
権太は、右旋を標的に定めることにした。
仕事が無いときは、心が疼く。博打をやりたくて、なんだか落ち着かなくなるのだ。
賭博には波がある。
何をやっても勝てる時があり、何をやっても駄目な時があるのだ。
そして、その波は、たいがい交互にやってくる。この潮目みたいなものを上手に読める者が勝利者になるのだが、長い目で見た収支は、よくてトントン。大概の奴は負け。それが博打の本質だ。
なぜ、こんなに博打が好きなのか? ふと、そんな事を右旋は考える。しかも、骰子に拘るのはなぜなのか?
某国の密偵として、各地に潜入していた。
その先々で、博打を打っていた。
最初は、情報収集が目的だった。賭場には、色々な者が流れてきて、色々な情報を得ることが出来た。この世の裏面の情報は、実に有用だ。
潜入先で、弟の左転は色町に入り浸る。寝物語で機密を漏らす馬鹿は多い。それを収集するためだ。
自分は、賭場で収集する。そういった、役割分担だった。
だが、いつの間にか、手段が目的になってしまっていたのだ。
博打は楽しい。
調査し、罠に嵌め、討つ。そういった、仕事を右旋はしていた。
予定調和の様に、結果が見える仕事だ。
だから、骰子の様に、先が読めない事柄は、彼にとって実に刺激的だった。
骰子賭博にハマるまで、それほど時はかからなかったのである。
騙したり、騙されたり、殺したり、殺されたりする現実を、賭博は忘れさせてくれた。
「いつか、致命的なことになるなぁ」
そう思いつつ、更に深くハマってゆく。
そして、ついに、組織の公金に手を出してしまったのだ。ただ、博打をやりたい。それだけのために。
それに、左転を巻きこんでしまった。抜け忍 (組織から逃亡した忍者のこと)となってしまった事を、弟は文句を言わないが、常に罪悪感が右旋につきまとう。
それを忘れたくて、骰子を握る。そして、一度賭場に入ると、銭を使い切るまで、熱中しすぎて、何も周囲が目に入らなくなる。
まるで、底なし沼だった。
「なぁ、兄者。あんた、いつか、こいつで死ぬぜ」
骰子を振る手つきを真似しながら、左転が言う。
そんなことは、言われなくても分かっていた。だが、やめられないのだ。
「兄者が熱中すると、疲れるんだよ。心がザワついて、休まらねぇ」
右旋と左転は、いわゆる、双子だ。
母の胎内で共有していた時間があったせいか、奇妙な共感覚がある。相手が考えている事がなんとなく分かったり、感情を読めたりすることだ。
このことが、彼等を腕利きの忍にしていた。打ち合わせ無しで、拍子を合わせたりできる。
左転が言う「心がザワつく」は、右旋が感じている博打の熱狂のことだ。右旋の興奮が、左転に流れ込むのだろう。
「どうも、尾行の気配がある。兄者も気をつけろよ」




