表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
36/97

待ち伏せ

 命乞いをする知多屋住み込みの手代(中堅どころの従業員の事)に、刀を突きこみ捻りながら蹴り飛ばす。

 その手代の悲鳴は、腹腔から食道を通ってせり上がる血に、ごぼごぼとした湿った音に変わって、やがてそれも止まった。

これが、七死党以外で知多屋の中で生きている最後の人物だった。

 高橋は、返り血で赤鬼のような顔のまま、血刀に血振りをくれ、ボロ布で簡単に刀身を拭って収刀した。きちんと血糊を拭きとらないと、錆びの原因になるのだが、高橋は刀を大事にすることはなくなっており、錆びてしまったり、大きな刃こぼれが出たりすると、さっさと新しい刀に買い替えるようになっていた。

 高橋も木暮も、斬人を繰り返すうちに、他者を殺めることに何の躊躇いを見せることがなくなり、顔は荒んでしまっていた。

 人を斬った後、彼等は狂ったように女を抱く。浴びるように酒を飲む。

 まるで、何かを洗い流そうとするかのように。

 その一方で、露木や無念などは、はじめから誰かを斬るということに何の痛痒も感じないらしい。

 まれに、こういう者はいる。

 むしろ、高橋や木暮れのように、人を斬る度に何かが毀れてゆく方が、人間として正しいのかもしれなかった。

 右旋うせん左転さてんの二人は、事前の調べの通り、売上金を納めてある蔵の鍵を開け、中の小判をせっせと運び出していた。

 錠前は特注の丈夫なものだったらしいが、鍵を彼らは複製していたのだった。

 鍵を管理している大番頭を、ぬえを使って色仕掛けをし、まんまと鍵を盗み出したのだった。

 女日照りの江戸。大番頭は、あっさりとひっかかった。ぬえには、男を狂わすような魔性があるというのもあるが。

「全部運び出しましたぜ」

 荷車に最後の箱を積んだ右旋うせんが、無念にそう報告する。

「よし、店に火をかけろ。証拠を残すなよ」

 無念がボロ布で刀身を拭いながら、指示を出す。

 既に、油が店内に散布されていた。

 無念に寄り添うようにして立ち、彼の背後を守っていた露木が、照明代わりに持っていた提灯を投げる。

 メラメラと燃えたそれは、やがて油に引火したのだった。


 瓦走かわらはしりの権太ごんたは、その一部始終を見ていた。

 彼は、身が軽いだけではなく、異様に視力が良く、夜目も利く。ついでに言うなら、聴力も嗅覚も抜群に鋭い。

 盗み出した金品は、右旋うせん左転さてんの二人が荷車に積んで、夜陰に紛れながら、どこかに向っていった。

 単純に金儲けなら、こっちを追跡すればいい。

 抜け目の無い七死党の連中のこと、彼らの潜伏場所と、金品の隠し場所は別になっているはずだ。

 権太の任務は、草深くさふか 甚吾じんご のため、七死党の隠れ家を探る出すこと。追跡するべきは、頬かむりをした首領だ。

「どうも、視線が張り付くな」

 唇を動かさないように、無念がつぶやく。

「ですね」

 露木が答えた。

「甲州忍かね?」

 もっと勢力を拡大するまで、江戸の裏側に蠢く甲州忍には目を着けられたくないというのが、無念の本音だった。

 だからこそ、こうして風魔の仕業に見せかけようとしているのだが、あまり上手くいっていない実感があった。

「今日は、渥美屋に戻らない方が、よさそうだな。『方違かたたがえ』するか」

 無念の提案に、露木が同意する。

「お供いたします。どこまでも」

 右旋うせん左転さてんの二人は、用心深いので財貨を隠したあと、まっすぐ渥美屋に戻らず、何か所か宿泊して、追跡者の有無を確認してから戻る。

 忍びの頃の習性なのだろう。

 それを、無念は『方違かたたがえ』と呼んでいた。

 平安の昔、方角の吉相を占うのが一般的だった。

 どうしても行かなければならない方向が『凶』の方角だった場合、一度わざと違う方向に赴き、そこを起点に、改めて目的地に向かう事を、平安貴族たちは『方違かたたがえ』と言った。

 無念は、それを知識として知っていて、尾行を撒く技術をそう呼んだのだろう。

「無性に女が抱きたい。酒も必要だ。どうしてくれる?」

 そう言って、不満そうに高橋が口をとがらす。


 …… 面倒な ……


 舌打ちしたくなるのを、無念はやっとこらえた。


 ――― カチッ


 素知らぬ顔をして、露木が鯉口を切っていた。


 『斬りますか?』


 ……と、態度で無念に聞いたのだ。

 まだ、兵力として高橋は必要だ。それに、高橋が抜ければ木暮も抜けてしまう。代替の人員が見つかるまで、生かしておかなければならない。


 『捨て置け』


 声に出さず、そう唇だけ動かして、無念が露木の問いかけに応じた。

 炎は、知多屋の内部に廻り、屋根まで火焔の舌が舐める程になっている。

 間もなく、ここは騒ぎになるだろう。そろそろ引け時だった。


「一晩くらい我慢しろ、高橋。よし、撤収!」



 ぞろぞろと知多屋を出てゆく四人の浪人を見て、瓦走りの権太は、監視場所の屋根から音もなく地面に降り立った。

 彼らが向かった方向に、足音を忍ばせて尾行する。

 視覚も、聴覚も、嗅覚も、糸の様にピンと周囲に張りつめている。

 この緊張感がいい。権太はそう思っていた。人間が嫌いだ。世界が嫌いだ。自分はまるでこの世の異分子であると感じている権太にとって、生きているとい実感は、この瞬間だけなのだ。

 細い三日月。普段より暗い夜。だが、異様に夜目が利く権太は、夜陰に紛れるように路地を抜けてゆく七死党の四人を追尾することが出来た。

 権太が不意に足を止める。

 板塀に囲まれた暗い辻。遠くで、見回りの者が見つけた知多屋の火災を知らせる、半鐘の音が聞こえた。

 町火消が編成されるのは、ずっと後年の事。今は、江戸城普請を請け負う『黒鍬組』という土木に関する職能集団の下部組織である『ガエン』が火事装束に着替えて、現場に急行しているところだろう。

 『ガエン』もまた、一種の職能集団。円滑に『黒鍬組』が作業を進められるよう、現場の警備や納入搬出の差配、清掃などの雑事を一手に引き受ける集団だ。

 その中に、消防も含まれている。

 戦国の世、籠城戦の際、破壊された城壁の応急処置や、水の手の確保、火責めの際の消火などの役割を担っていた集団らしい。

 江戸の町は、木造住宅が主体。まして、冬の乾燥した風の強い日は、あっという間に延焼する。

 そんなことになれば、江戸城建設にも影響が出てしまうので『ガエン』が出張ることになるのだった。


 『ガエン』たちの出動の銅鑼が響く中、権太は肌に触れてくる危険の兆候に、身構えていた。

 手は懐に。

 懐中から取り出したのは、一尺ほど(約三十センチ)の竹の棒を三本、紐で繋げたもの。

 その端には、束にした細引きがつながっていて、権太はそれを解いて、右手に巻き付けた。

 そして、その細引きを思い切り引く。

 三本の竹の棒は、繫がって三尺あまりの一本の棒になる。

 権太は、それを地面に立て、その棒を踏んで宙に舞った。彼は、人並み外れた跳躍力をもっていたが、この棒により、さらに高く跳ぶことが出来た。

 ひらりと、音もなく降り立ったのは、二間ほどの頭上にある(一間:約百八十センチ)屋根の上。右手に巻き付けた細引きを手繰って、地面の棒を回収する。

 『三節みふし』と権太が名づけた道具がこれだ。今の様に棒状にして使う事も出来、どこかに投げて絡みつけることも出来る道具だ。

 権太は、これを巧みに使って、自在に屋根の上に飛び上がったり、高所から滑り降りたりしていたのだ。それゆえついた二つ名が『瓦走り』というわけだ。

 足音を忍ばせ、屋根の上から、暗い辻を見下ろす。

 曲がり角には、一人の男が刀の柄に手をかけたまま、隠れていた。

 露木 玉三郎 だった。追跡者の気配に気付き、これを始末するべく待ち伏せしていたのだ。

 権太は、それを持ち前の直感で回避した。曽呂利衆の凄腕の忍、霞の伝兵衛の逆襲を凌いだのは、伊達ではないということか。

 権太は無理をしない。

 偏執的ですらある不屈の忍耐力で、飽くことなく敵を追う。権太は、この露木に的を絞る事にした。

 待ち伏せを失敗したら、どこかに去るはず。その立ち寄り先を探る。

 どうせ、まっすぐ巣穴には帰らないだろう。

 だが、いつか、必ず帰る。それまでは、我慢比べだ。

 そして、我慢比べなら、大概負けたことは無い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ