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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
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勢の見る夢

 寝苦しい夜、清麿の愛人にして護衛である 勢 は、よく夢を見る。

 夢の中の映像の色彩は、一つしかない。

 鮮明な『赤』だけだ。

 内容は大同小異。いつも、老いた男が耳元でこう言う。


「斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ……」


 月之介は「いやだ」といって、逆らったことがあったが、自分は言われるまま、斬って、殺したことを 勢 は思い出す。

 老人が怖かったのだ。ただ、ひたすら怖かった。

 老人の名は、草深 甚四郎 という。

 謎に満ちた剣、深甚流を一代で築いた一種の天才。

 甚四郎は、深甚流を更なる高みへと押し上げるため、主だった剣の流派の『まがい物』を作った。勢 は、富田流の小太刀の『まがい物』だった。

 だが、何人も生み出された『まがい物』と異なり、偶然、富田流の本拠地で、直接指導を受けることが出来たのだ。

 富田流の基礎は出来ている。荒削りだが、天才・草深 甚四郎 によって仕込まれていたのだ。実戦の積み重ねもしている。心が毀れかける程に。

 だから、道場で保護された時に、勢 は高弟たちを凌ぐほどの腕を持っていたのだ。

 隠居の準備をしていた『名人越後』こと、富田流の伝承者、富田とだ 重政しげまさに、勢 は、その才能を愛されていた。珍しいことに、手ずから指導することまであったのだ。

 勢 の才能は磨かれてゆく。剣の天才二人に仕込まれたのである。もとより素質はあった。それが、一皮むけたのだ。

 富田家の養女にという話もあったが、勢 は辞退した。

 清廉にして剛毅な富田家に入る資格がないと思ったのだった。甚四郎に言われるままに、人を斬った。男女の区別もなく、子供も若者も大人も老人も区別なく。

 勢 の手は血まみれだった。

 洗っても、洗っても、血の臭いが、消えない。夢にまでそんな鮮明な赤が、消えない。

「お勢の剣には、鬼が住まうなぁ。今少し、修行を重ねれば、鬼は落せように」

 重政は、そういって 勢 の旅立ちを惜しんだ。

 だが、いくら修行を続けたところで、鬼は落とせないことを、勢 は知っていた。

 体に染みついた呪い。消えない血臭。眼に焼きついた赤。『鬼』は甚四郎そのものなのだ。

「私に憑いた『鬼』を、払ってきます。その後は、行き倒れの私を救ってくれた方へのご恩返しをします」

「人生は、漂泊。よい旅をするんだよ、勢。ここへは、いつでも帰っておいで」

 そんな会話を、第二の師匠である重政とした。

 このまま、この道場に居ることができたら、どんなにいいか。

 そのために、甚四郎を斬る。あれほど、怖かった甚四郎だが、今では堂々とその前に立てるような気が、していた。

 甚四郎を斬って、人生を切り開く。勢 は富田流小太刀の剣士だ。相手より短い剣を使う富田流小太刀の神髄は、深く間合いに踏み込む勇気。恐怖を克服する強い意志こそが、富田流小太刀の奥義なのだ。

 もう、勢 の耳には、「斬れ、殺せ……」という甚四郎の囁きは聞こえなかった。


 関ヶ原の戦い前夜の京の都。風雲急を告げる巷に、勢 は居た。

 甚四郎は、上杉の陣営に養育途中の少年兵を率いて陣借り(傭兵の事)しているという情報を手に入れていので、戦場の混乱にまぎれて甚四郎を斬る計画を立てていたのだ。

 しかし、警備が物々しすぎて、異動もままならない 勢 は、あっさりと計画をあきらめ、事態が落ち着くのを待って、若狭街道経由で能登にある甚四郎の本拠地に侵入することに、計画変更したのだ。

 天下分け目の決戦では、家康が勝った。

 追討の小競り合いや、落ち武者狩りで、暫くは騒がしいだろうと考え、辛抱強く 勢 は、機を伺っていた。

 通口かよいぐち 定正さだまさ という『馬庭念流』のまがい物剣士が、勢 を訊ねてきたのは、そんな時だった。

 山田 月之介 と、通口と 勢 は、同時期に甚四郎の養い子となり、仲が良かった。いわば、同期生みたいなものだ。

「しばらく、見ない間に、何かこう、一本筋が通ったというか、凛としたというか、良い意味で変わったなぁ。女っぷりも上がった」

 定正は、飄々とした男だった。どこか生真面目なところがある月之介とは、対照的な男だった。そして、強か(したたか)だった。恐怖に竦み、ともすれば甚四郎に従順になりすぎる 勢 から見るとハラハラするほど、あの男を恐れていないかのように見えた。

 月之介や勢とは、異質だったからこそ、互いに惹かれ合ったのかも知れない。


「甚四郎が死んだぜ」


 これが、その時に定正から、もたらされた報だ。

「これで、俺たちは自由だ。実に晴れやかだよ。勢 も、自由に生きろ。俺たちには、そうする権利がある」

 そう言って、定正は去って行った。

 なんと答えたのか、勢 には記憶がなかった。


 『あの、草深 甚四郎 が死んだ?』


 その、衝撃だけが、頭の中で反響していたのだ。


 しかも、病気で? 

 布団の上で、誰かに看取られながら死んだというのか?


 許せなかった。他人を地獄に叩き込んでおきながら、普通に死ぬなど、許せる話ではない。

 痛みが走る。

 気が付いたら、頭を掻きむしっていた。

 血が、勢 の額を伝い、ほっそりとした顎まで流れて、滴った。

 夢の中で、これだけは鮮明に見える色。赤。

 悪夢を終わらせるためには、甚四郎を斬るしかない。そのように、勢 たちは育てられたのだ。だが、甚四郎が死んでしまったら、どうすればいい?

 通口 定正 の様に、あっさりと割り切ることが出来ない者は、ずっと赤い悪夢に苦しみ続けなければならないというのか?


「おのれ! 甚四郎!」


 叫んだ。気が付けば、京の夜を走っていた。

 徳川から、京の治安維持のための兵が出ている。

 髪を振り乱し、裸足で夜の町を走る女を見逃すはずはなかった。


「胡乱な奴!」

「止まれ!」


 警護の兵が、口々に叫びながら、槍を向けてきた。

 月光に、ギラリと穂先が光る。

 勢 は、小太刀を抜いた。富田 重政 がくれた、彼が修業時代に使っていた古刀だ。

 相手が刀を抜いたのを見て、警護の兵の顔が変わる。

 京に駐留している徳川の兵は、一線で活躍する精鋭部隊だ。刀を抜いたからには、女だろうと容赦はしない。

 五人の警護兵が、互いの肩をぶつけるようにして密集し、穂先を揃えて突き出す。集団戦法の『槍襖やりぶすま』だ。狭い路地では、有効だった。

 だが、勢 の足は止まらない。警護兵はそれを見て、更に前に出た。ピタリと息の合った動き。五人は集団戦に慣れている動きをしていた。

 槍は、間合いが深い。しかも、五本も突き出されている。それに、槍の武器は相手を貫く穂先だけではない。

 その柄も武器になる。戦場では、殴りつけ、叩き付けることもするのだ。

 刃渡り二尺弱の小太刀は、圧倒的に不利だ。

 獣のうなりを上げて、勢 が跳ぶ。信じられない距離を、跳んでいた。まるで、彼女の周囲だけ、重力が異なっているかのように。

「おお!」

 鮮やかな跳躍に、一瞬、警護兵が後れを取った。

 勢 は『槍衾』の穂先を越え、柄の部分に身を投げ出し、転がる。地面に着地した時には、二人の警護兵の喉を裂いていた。

 地面に這いつくばった姿勢のまま、勢 は、奔る。

 そして、接近戦に槍は不利と見て、腰の太刀に手を伸ばした警護兵の股間を、小太刀で突き上げる。

 富田流は古流。柳生新陰流のように、相手が甲冑などの防備をしていないことが前提での技は少ない。

 つまり、狙うのは、甲冑の隙間である、脛、股間、腋下、首、眼などだ。

「化け物め!」

 残った二人が、その隙に太刀を抜く。

 中段正眼に構えたところをみると、何か兵法を齧っているらしかった。

 戦国時代を生き抜いていきた武将は、武芸を軽視する傾向がある。だが、徳川 家康 は、上泉信綱の新陰流の傍系、神影流の奥山 休賀斎 に師事するなど、武芸に理解を示していた。そして、その配下も、鍛錬のため武芸を習う者も多かったのだ。

 一人が八相に構えて右に跳ぶ。

 もう一人は、下段に構えて左に跳んだ。

 左右上下から、勢 を捕える算段だ。


「殺す! 斬る!」


 勢 が叫ぶ。悲鳴のような声だった。

 否、これは、本当に彼女の悲鳴だったのかもしれない。

 そう、彼女の耳には、また、


「斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ、斬れ、殺せ……」


 という、甚四郎の声が蘇ってしまっていた。

 蹲った姿勢から、勢 がすっくと立つ。

 髪はおどろに乱れ、眼は赤く底光りしていた。

 

「声が、消えない。匂いが、消えない。死人は斬れない。どうしたらいいの?」

 ぶつぶつとつぶやく 勢 の言葉を聞いて、警護兵の肌に、さぁっと粟が立った。

「こやつ、痴れ者か、それとも狐でも憑きおったか?」

 八相に構えた兵がじりっと前に出る。

「調伏してくれるわ、南無八幡……」

 踏み込むと同時に、一刀を叩き下ろす。同時に、下段に構えた兵が、踏み込んで、斬り上げた。

 勢 は、小太刀を突き出したまま、八相の兵に身を寄せる。

 半身になって、敵の一颯を回避して、するりと間合いに入ったのだ。

 ほぼ、体を密着したような格好になった。

 勢 の背後から、斬り上げられた剣は、風に流れた 勢 の長い黒髪を僅かに数本切っただけだった。

 三人の動きが、数瞬止まった。

 よろけるようにして、勢 が後ろに下がる。

 腋下から突き入れられた、勢 の小太刀は、肺を貫通して兵の心臓を裂いていた。

 彼は即死だった。立ったまま、絶命していた。

「かはっ」

 喉に何かが詰まったような咳。

 下段から斬り上げた兵が、膝をついて横倒しに倒れる。

 彼の喉には、脇差が刺さっていて、その切っ先が首の裏まで貫通していた。

 勢 が、八相に構えた兵の腋の下を刺すと同時に、彼の脇差を抜き取り、背後に投げたのだった。

 勢 が、自分の手を見ていた。

 べっとりと血がついている、赤い手だった。

 

「声が、消えない。匂いが、消えない……」


 呟きながら、とぼとぼと 勢 が歩きはじめた。

 壊れかけた、勢 の心を救ったのは、富田の里だった。だが、そこで築かれた心の防壁は、もう崩れてしまった。


「曽呂利衆にいかないと。でも、そのあと、私はどうしたらいいの?」


 幽鬼のように、勢 が闇に消えて行く。

 立ったまま、絶命していた兵士が、どさりと倒れた。



 勢 が曽呂利衆の小頭、泉 清麿 と出合ったのは、その三日後のことだった。


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