表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
浮月の章
3/97

佃島

 彦造は番頭なので、主人と同じく屋号の入った羽織を着ることが出来る。

 だが、山田 月之介 の前に身支度を整えて現れた彦造は、着流しの裾を端折って、股引をむき出しにした姿だった。

 身軽に動く為の出で立ちだ。

「襲撃の情報の確度は、なんとも高そうだねぇ」

 腕組みをし、肘を落とし差しにした刀の柄に預けながら、まるで天気のことでも話すかのように、月之介が言った。

「誰が雇ったのか、探りを入れている最中ですがね。その誰かが侍を雇ったらしいんで。えらく、腕が立つそうですぜ」

 商人らしからぬ厳つい顔の彦造が、やはり、天気の事でも話しているかのように応える。

 なんでも、この彦造、元は紀伊半島の淡輪たんのわ水軍の頭の一人だったそうで、駿河屋の密貿易などの影の部分を取り仕切る、事実上の大番頭なのだった。

「で、私をご指名ということなのだね? ふむふむ、承知した」


 月之介を伴って、彦造が向かったのは佃島であった。

 日比谷入江の埋め立て工事はだいぶ進んでいて、今は縦横に走る運河の浚渫が行われはじめているところである。

 とはいえ、まだ街は造りかけといった風情で、埋め立てたばかりの日比谷のあたりは、まだ潮の香りがするようだった。

 駿河屋があるのは、江戸城に近いこの日比谷だ。

 そこから足を伸ばせば、江戸湾にある埠頭に着き、そこには取引相手の廻船問屋がいるはずだった。

 彦造はそこを通り過ぎ、江戸湾の埠頭の対岸に向かう。

 ここは、葦が茂る無人の野であり、江戸の治安の外とされている無法地帯であった。

 彦造が葦をかき分けるようにして奥に進み、何を目印にしたのか不意に立ち止まって指笛を吹いた。

 するとキイキイという櫓の音がして、葦の奥から「猪牙船ちょきぶね」がぬっとあらわれたのだった。

 細身のこの船は、水路などを行き来するのに使われていて、耐波性能はないが、小回りが利く。

 もと海賊だけあって、彦造は身軽に猪牙船に飛び移り、月之介も危なげなく飛び移る。

 また、もの悲しいキイキイという櫓がこすれる音を立てながら、船は離岸した。

 彦造はどっかと船の中心にあぐらをかき、目を閉じている。

 月之介は船べりによりかかって、指先を流れる水面に浸していた。

 全くの無言のまま、船は沖へと漕ぎ出してゆき、葦の群生を抜けて江戸港の沖にある小島に向かっている。

 これが『佃島つくだじま』と呼ばれる島だった。


 佃島は無人島である。

 漁師がたまに訪れるくらいで、常駐している者はいない。

 猪牙船は、佃島にそってぐるりと回り、自然に出来た入江に入る。

 そこには、異形の千石船が係留されていた。

 和船の造りとは明らかに異なる船で、帆柱が三本もある。

 帆も縦帆ではなく横帆のようだった。

「これは、まるで洋船のようだね」

 沈黙を保っていた月之介が好奇心に負けて、思わず彦造に話かけた。

「洋船そのもですぜ。なんでも『からっく』とかいう船らしいです。熊野灘に漂着した南蛮の船ですが、そいつを頂いたわけで」

 ごくまれに、海外の外洋船が漂着することがある。徳川家には、そのまま船の技師として日本に留まった水師(航海士のこと)も存在するとか。

「乗組員の南蛮人はどうしたのだね?」

 熊野灘に南蛮人が上陸したなどという話は聞いたことが無い。

「積み荷のなかに、豊後の方の離島にいる漁民がいましてね。奴ら、人狩りをしていやがったんでさ」

 この時代、人間は商品だ。人狩りを専門にする者もいたのである。

「娘っ子はみな手籠めにされてましてね、奴らはその報いを受けたってぇわけでさ」

 実に嫌な笑みが彦造の顔に浮かぶ。

「あ、あ、皆まで言わんでいいよ。残酷なのは好きじゃあないんだ」

 月之介が、慌てて手を振った。


 彦造は、この異形の船の船長らしき人物と密談をし、船長は何か割符を彦造から受け取り、彦造は何かズシリと重そうな皮袋を船長から受け取っていた。

 皮袋の中身は『碁石金』と呼ばれるもので、碁石と同じ大きさの純金の粒が入っていたのだった。

 小判は、海外との密貿易には使えない。

 こうした金の粒の方が通貨として利用できるのだ。

「月之介さん、帰りますぜ。帰路があぶねぇんで、しっかり頼みますよ」

 そういって彦造は、懐から一尺五寸(四十五センチ程度)ほどの木の棒を取り出して、腰の裏に差した。

 この木の棒は、中身が空洞になっていて、細引きが折りたたんで入っていた。

 木の棒の先端には分銅がついていて、その細引きとつながっている。

 この木の棒を思い切り振ると、分銅が飛びだす仕組みだった。

 この道具は、本来は海難救助の道具で、遠くまで縄を飛ばすためのものだ。

 木の棒の長さの分、遠心力が増して、手で投擲するよりずっと遠くまで細引きを飛ばせるのだった。

 彦造はこれを武器として使う。

 月之介は、駿河屋の裏庭で、投擲の鍛錬をしている彦造を見た事があった。

「そいつを使っているのを、見たよ。一寸はある杉板をぶち抜いていたじゃないか。それがあれば、私の護衛など要らないんじゃないのかね?」

 くつくつと彦造が笑う。

「あたしは、慎重なのでね。金を持っている時は、特にね」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ