船橋の上に剣風は吹く
神社っぽい内装の店内に神主っぽい格好の涼しげな男がいた。
もちろん、ここは神社ではなく、この男も神主などではない。この男は、元旅芸人の二枚目俳優で、今はいんちき臭い『宿星屋』という、物事の吉相を占い助言する店の主人だ。
「星に宿る運命を観る」
……という触れ込みだが、この男にそんな力はない。
それっぽい内装と扮装は、一種の舞台装置みたいなもので、相手を信じ込ませる小道具ということ。男が名乗る『土御門 晴明』といううさんくさい偽名も、演出の一環である。
この『宿星屋』には、いかにも胡乱な占いの他に裏の顔がある。殺しの下請けだ。裏稼業の連中はここを『宿星屋』とは呼ばない。『粛正屋』と呼ぶ。混乱期の江戸に咲いた仇花が、この店なのかもしれない。
その『宿星屋』に三人の男がいた。
土間に七輪を置き、軍鶏鍋を囲んでいる。
一人は、この店の主人の晴明。一人は、『宿星屋』専属の密偵の権太。残る一人は、草深 甚吾 だった。
根菜を適当にぶちこんで、白菜と焼き豆腐を入れただけの鍋だが、軍鶏のガラでダシをとっているので、旨い。
底冷えする江戸だが、うっすらと汗をかくほど温まっているのは、大根などの根菜や上質な軍鶏の脂のおかげか。
「権太の腕がいいのは、先刻承知だろう。その権太がダメなのなら、誰がやってもダメさ」
軍鶏の手羽元を指でつまみ、歯でこそげる様にして食べながら、甚吾が言う。
酒で顔を赤くした権太がうなづく。
晴明は、横目で権太を睨みながら、酒を呷った。
任務に失敗したのだから、報奨金を返して貰おうと思ったのだが、権太は任務失敗の報告に甚吾を同行してきた。
晴明が、甚吾に強く出ることが出来ないのを見越してのことだ。
お詫びに……と、捌いた軍鶏と鍋の材料と酒を持ってきたのは感心だが、それ以上に報奨金を払っているのだ。
「相手を、ただの商家の手代(見習いの小僧を卒業したベテラン職員の事)と言ったそうだな。誤った情報は、大怪我のもとだぞ」
ふうふうと湯気の立つ大根を吹き冷ましながら、甚吾が淡々と言う。
まぁ、単なる手代を仕留めるには、かなりの高額だった。金十五両もの大仕事だったのである。ただし、大きな仕事だとバレると、報奨金をふっかけられるので、簡単な仕事の様に権太に言ったのは確かだ。
まさか、権太ほどの腕利きが諦めるとは、晴明の予想外だったのである。
「まぁ、我々の手に余るのなら、断るしかあるまい。我々も後金はあきらめよう」
着手金は払った。この業界では、着手金は払い戻さない慣習だ。
つまり、晴明が着手金分を補填して依頼主に返金しなければならない。大損だ。せめて権太の分だけでも取り返したかったのだが、無理のようだ。
しかし、問題があった。
依頼主が、江戸から消えてしまったという噂があったのである。
晴明に仕事を依頼したのは、駿河屋の一番番頭の彦造だった。赤銅色に日焼けした偉丈夫で、商人というよりは海賊という風情の男だ。
本物の海賊上がりという噂もある。殺しの依頼に来た時も、まるで野菜でも買うような口ぶりで、晴明に依頼をしたのが、強烈に印象に残っている。
普通は、罪悪感と緊張で、吐きそうな顔を依頼主はしているものだ。彦造にはそれがなかった。
危険に人一倍敏感な晴明は、それとなく彦造の動向を探っていたのだが、数日前にふっつりと行方が分からなくなっていた。
噂では、江戸を離れたとか。
依頼主がいなくなったのなら、『もらい得の頬かむり』が晴明のやりそうな事だが、一応、着手したのは彦造が怖かったから。
甚吾と同じ、底知れぬ『怖さ』が彦造にはあった。
「わかりました。では、この仕事は、一時、棚上げということで」
苦い物でも飲み干すように、権太が持参した酒を呷りながら、晴明が宣言した。
明らかに、ホッとした表情の権太が憎たらしかったが、晴明は仕方ないと腹をくくる。いつでも返せるように十五両は隠し場所に置いておくしかなかろう。
彦造に恨まれるのだけは、避けたい。そう、晴明は思っていた。
鍋をぱくつく、甚吾を見る。
意識していないと、ふと記憶から抜け落ちてしまう顔をしていた。
権太ほどの特徴的な顔なら、見たら忘れない。
役者の才能の一つは、顔と名前の一致だ。久しぶりに会う客が、名前を呼んでもらうと舞い上がる。自分が特別だと勘違いするのだ。
それで、贔屓の客をつかむのも役者の技能の一つ。二枚目役者だった晴明は、そうした記憶力には自信があった。
しかし、甚吾の顔は忘れてしまう。声をかけられると、はっと気が付くのだが、街中ですれ違っただけなら、見落としてしまうかもしれない。何事もそつなくこなす晴明には珍しいことだった。
悪所に通うことで、世の暗部を覗いたことがある晴明は、少しの油断で、思わぬ陥穽にひっかかる事があるのを知っている。だから用心深い。甚吾のような、危険な人物には特に注意を払う。ゆえに、本来なら顔を忘れるなど、ありえないのだ。
晴明は、博打好きだったこともあって、それなりに修羅場には慣れていた。
危機に遭遇しても、助かる途はないかと、冷静に計算する余裕がある。
甚吾との出会いも、そんな危機に瀕した時だった。
晴明はその時、甚吾がどれだけ危険か、見ていたのだった。
晴明が初めて甚吾にであったのは、内藤新宿の博徒から借りていた借金を踏み倒そうとして、失敗し、簀巻きにされていた時だった。
ふん縛られる時は、大きく息を吸っていた。
そうすると、息を吐くと体がしぼんで、縄と体に隙間が出来る。
手首を後手に縛られた時は、親指同士を押し付けていた。
そうすると、手をすぼめた時に、手首と縄の間に隙間が出来る。
今でも仕込んでいるのだが、晴明は襟の裏に小さな剃刀の刃を隠している。
これは『何かの時のため』だ。それが、その時だった。
簀巻きにされて、多摩川に叩き込まれたら、縄が水を吸って締まる前に隙間を作って縄抜けをして、剃刀で残りの縄を切るつもりだった。
水練には自信があったので、川に入れば逃げ切れる。そんな計算をしていた時だ。甚吾が現れたのは……。
荒事が起こっている橋の上。
人々は関わりを避けて、橋を渡ってこなかった。誰も、晴明を助けようという者はいない。
多摩川は江戸の護りの天然の外堀という役割をしているので、架橋は禁止されているが、江戸建設途中の混乱期ということもあり、仮設の船橋は人々の往来用に架けられていたのだった。江戸の管理担当者もお目こぼしをしていた。
その橋を、甚吾は無頓着に渡り始めた。
この時の甚吾は、いかにも『浪人者』という格好だった。
擦り切れた着流し。質素な黒鞘の刀を落とし差にしていた。
月代は伸びきったのか、総髪。面倒くさそうに、後に束ねただけだった。
いかにも貧乏浪人だが、小奇麗な印象だった。
汚れていないのだ。髭もきれいに当たっている。
「なんだ? てめぇは!」
「ここは、通行止めだ、どサンピン! 引きしやがれ」
腕まくりをして、わざと刺青を見せつけながら、博徒が粋がる。
晴明への一方的な暴力に、彼らは酔っていたのだろう。気が大きくなっていた。
甚吾は、空を仰いでいた。
何を見ているのかと、晴明がその視線を追うと、円を描いて遊弋する鳶か鷹の姿だった。
特徴が無い平凡な甚吾の顔に、笑みが浮かぶのを晴明は見た。
その後、たびたび見かけるのだが、甚吾は飛んでいる鳥を見ると、笑みを浮かべる。
晴明が甚吾の笑顔を見た、それが最初だった。
笑っているのに、泣いているような、そんな寂しい笑顔。役者として、そんな演技をしてみたいと思わせる様な、笑顔だった。
「このやろう!」
甚吾の笑みを、嘲笑にとったか、博徒が殺気立つ。
人数は五人。全員が、短刀の鞘を払った。
甚吾が鳥から視線を外す。かといって、このいきり立った五人を見るわけでもなく、なんとなく斜め下に視線を落としたのだった。
役者だった晴明には、やや甚吾が腰を落したのがわかった。
ガン鉄と呼ばれる、お頭はかなり弱いが、膂力は十人力という用心棒が、ぬっと前に出た。
甚吾は、そっぽを向いたまま、左手で腰間の刀の鍔元をつかんだ。
「橋の上というのは、いかにも悪手だなぁ。人数の利が生かせないよ」
まるで、独り言のように、甚吾がつぶやくのを、晴明はその時に聞いた。
ガン鉄が、獣の喚き声を上げながら、踏み込んできた。
不安定な船橋がグラリと揺れる。ガン鉄は力士なみに体重がある。急に動いたので川に浮いているだけの橋は不安定になったのだ。
ガン鉄を含め、橋の上の博徒五人がたたらを踏む。甚吾は、まるで橋に吸い付いたかのように、姿勢を保っていた。
その瞬間、そっぽを向いたまま、甚吾がふわりと前に出た。まるで、風に吹かれた羽毛が舞うかの様に。
光が走る。
甚吾が抜刀したのだと晴明が気が付いたのは、その数瞬あとだった。
いつの間にか、五人の間を通り抜け、甚吾は一刀を掲げるようにしていた。
まるで、時が止まり、その止まった時の中を甚吾が動いたかのように、晴明は感じたのだった。
血振りをして、甚吾が博徒たちに向き直る。
博徒らは、まるで固まってしまったかのように、立ち尽くしていた。
甚吾が、橋の片側に思い切り体重をかけた。
橋が傾く。
博徒たちはよろけて、次々と川に落ちて行った。彼らは立ったまま絶命していたのだ。
晴明は、縄抜けをして、駆けだしていた。甚吾を追って。
寒気がするような剣技だった。だが、晴明は、それを見て感動したのでも、怖気づいたのでもなかった。
『こいつは、金になる!』
そう、考えていたのである。
宿星屋の構想は、この時に始まった。
「旦那! いや、先生! まってください! 私をお供に加えてください!」
以来、互いに利用しあうような奇妙な関係が続いているのだった。
深夜、音を立てて空気が凍りつくような夜だった。
月が出ていた。不吉な鎌のような月。
月夜の晩は冷える。むしろ、曇っている方が空気は冷たくないものだ。
甲州忍、蕪 九兵衛 は、欠伸を噛殺していた。
場所は、『駿河屋』の中。中庭を望む廊下にいる。
潜入と扇動が得意な九兵衛だが、篠屋襲撃の浪人衆の次は、『駿河屋』護衛の浪人衆に紛れ込んでいた。
豊臣側の諜報機関『曽呂利衆』の末端である『篠屋』は、徳川の政商『駿河屋』の裏の部隊である『淡輪水軍』の残党に襲撃されて焼き払われた。
その報復が今夜あたりにありそうだと、連絡があったのである。
数日前の『篠屋』襲撃の翌日には、『駿河屋』の需要部分はすでに撤収していた。『淡輪水軍』の残党を束ねる一番番頭の彦造は、すでに船で江戸を離れた。
現地採用の小僧や手代は、全て解雇されている。
金蔵は空だし、商品も全て撤去されいる。
いわば、ここは『駿河屋』の抜け殻ということ。そこに、浪人を入れたのは、江戸の治安を預かる甲州忍の残党を束ねる 高坂 甚内 の指示だ。
どうせ、曽呂利衆が襲撃してくるに決まっているので、浪人たちをここに住まわせて、互いに噛みあわせようという魂胆だった。
浪人の増加が、江戸の治安悪化の原因であるので、あらゆる機会を捉えて殺処分するのが、徳川の方針だった。
篠屋襲撃の際も、浪人を大量に処分した。
今回は駿河屋を使うというわけだ。
その監視役として、再び九兵衛が抜擢されていた。




