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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
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拠点構築

 胡散臭い『宿星屋』の主人、土御門 晴明 がかつてヒモをしていて、結局叩き出された内藤新宿から、甲州に向かう街道を一刻(約二時間)あまり歩くと、布田ふだという宿場町がある。

 その昔、租税として絹や木綿を収めていたことからついた地名らしい。

 多摩川を挟んで両岸に同じ『布田』という地名がある。川は『境界線』としての機能も持っていることから、珍しい現象なのだが、多摩川は古来よりの『暴れ川』であり、度々流れが変わり、集落が川に分断されることも多かったからだそうだ。

 宿場となっているが、江戸から出発した場合、宿泊するには近すぎ、江戸に向かった場合、あと一刻程なら歩いてしまえという人々も多く、宿場というよりは、休憩所といった風情の宿場町であった。

 甲州へ至る街道沿いの繁華街から外れると、長閑な田園地帯が広がっている。

 その田園風景の中に、荒れ寺があった。

 鬼が住まうという噂もあり、地元の人間は、なんとなく避けているような、いわゆる『み地』である。

 曽呂利衆の新しい江戸方面指令官となった、いずみ 清麿きよまろ は、この荒れ寺にいた。

 上方から三々五々集まってきた配下も集合している。

 大坂城内に徳川が駐留している関係もあり、熾烈な情報戦が上方で展開しており、大坂が本拠地である曽呂利衆もそれに介入している状態だ。

 なので、大人数を動かすことが出来なかったのだが、清麿は自分の配下から選りすぐった工作員を連れてきていた。

 人数はたったの六人だが、一騎当千の強者ばかりであった。

「江戸方面軍の唯一の生き残り『霞の伝兵衛』だが、未だ合流できない。追跡者を振りきれないそうだ」

 深夜。かつて、御堂だった場所に、蝋燭が一本。車座になった影に向かって清麿が言う。

 底冷えする多摩川の河原にある荒れ寺に、吹き込む風に冬の気配が滲む。

 謎の人物に追尾されている霞の伝兵衛 は、やっと隠し文を指定の場所に置くことが出来たのだった。

 暗号で書かれた文に、追跡者の事、壊滅した篠屋の後始末の事などが書かれていたのだった。

「敵は、甲州忍か、淡輪たんのわ水軍残党のいずれか。まずは、淡輪水軍の残党を討つ。明晩、駿河屋を襲う。皆殺しにする。これは、『けじめ』だ」

 襲撃の段取りを決める。

 少人数で押し入り、敵を暗殺するのは、清麿の得意とするところだ。

 段取りの確認後、五人が闇の中に溶け込むように消える。

 襲撃が決まった段階で分散するのは、曽呂利衆の定める手順に従ってのこと。

 誰かが捕縛されても、残った誰かが実行する。一網打尽にされる危険を回避するための手順がこれだった。

 清麿のもとには、一人だけが残った。

 小柄な影である。

 指揮官である清麿自らが、待ち伏せの危険を冒してまでも、篠屋の現地視察を行った際に、同行した人物だ。

 清麿の護衛。それが、この人物の役割だった。

「再び、戦乱を起こすか、家康。我が手に権力を握らんがため。だだ、それだけに」

 清麿がつぶやく。

 ゆらゆらと、蝋燭の灯火が揺れた。

 このまま、五大老、五奉行体制を維持してゆけば、この世から戦乱はなくなったはず。

 そのうえで、曽呂利衆が役割を終えて消えるのなら、それでも良いと清麿は思っていた。

「私は、戦が大嫌いなのだ」

 そう言っていた、石田 三成 を思い出す。

 武将らしからぬ発言だった。だが、不思議と惹かれる男だった。

 そして、清廉潔白な男だった。

 曽呂利衆として、石田 三成 と接触する機会が多かった清麿は、次第にこの男に共鳴している自分に気がついたのだった。

 戦の無い世の中。織田、豊臣という天才によって、幾万もの犠牲の上にやっと成し遂げた偉業だ。

 石田 三成 には、野心などなかったと、清麿は思っている。

 やっとこの国が到達した仕組みを、維持しようとしただけなのだ。

 それに立ちはだかったのは、徳川。

 義によって立つ三成が負けるはずがない。若い清麿はそう信じていた。

 だが、負けた。

 三成を救うことは出来た。逃がす算段もしていた。

 だが、当人がそれを断ったのである。


「私が悪人ということにすれば、大坂は残る。大坂が残る限り、徳川を阻止する手筋は残るぞ。私はそれに賭ける」


 それが、清麿が聞いた三成の最後の言葉だった。

 彼は、切腹さえさせてもらえず、罪人の様に斬首され、三条河原に晒された。

 執念深く、底意地の悪い三河者の徳川らしい処断だ。

 清麿は、その無念の首に誓っていた。

 義によって、戦いを継続する……と。


 時間なのだ。時間こそが、この戦の要諦。

 清麿はそう考えていた。

 家康はもう高齢だ。二代目の秀忠は凡庸という噂があり、『東海一の弓取り』という武名で鳴らした家康とはだいぶ差がある。

 つまり、徳川体制は、家康という強烈な個性によって求心力を得ているという側面がある。

 家康自身もそれを自覚しているので、徳川幕府という組織を成立させ、全国を支配下に置く体制を作ってしまおうと焦っている。

 寿命の砂時計は、流れ続ける。

 家康が異様なまでに健康に気を使うのは、その砂の残りが少ないから。自分が死ねば、五大老という仕組みの中に徳川は埋没してしまう。

 だからこそ、江戸で騒擾を起こす価値がある。

 徳川の本拠地が焼失すれば、面目は潰れる。

 徳川幕府実現は遠のくだろう。

 遠のけば、寿命の砂時計の砂が尽きるかもしれない。三成の『義による戦』は、こうして継続するつもりなのだった。

 戦後処理で手薄の今こそ、勝機。だから、江戸行きを志願したのだ。


「清麿様、怖い顔……」


 小さな声。

 蝋燭の灯を見ながら、回想していた清麿がその声で我に返る。

 六人の部下の一人。

 常に清麿に同行する護衛だ。

「ああ、すまないね。お勢。すこし、考え事をしていた」

 まだ、少女の面影を残す女だった。

 曽呂利衆の女忍ではない。

 行き倒れになっていた彼女を救ったのが縁で、清麿の私設の護衛に収まった女だった。

 名前は、富田とだ せいと言った。

 苗字があるということは、武家の出かと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 ただし、歴戦の清麿も舌を巻くほどの、鋭い小太刀術を使う。

 何度か、危ういところを彼女のおかげで切り抜けたこともある。

 それに、異様に勘が鋭い。まるで、神通力でも身に宿しているかのようだった。

 その代償なのか、精神的に不安定なところがあり、清麿に依存している傾向がみられる。

 つまり、彼女は『決して裏切らない護衛』ということ。常に危険と隣り合わせである清麿にとっては、好都合だった。

「おいで、お勢」

 清麿が手招きする。勢は、用心深い猫の様に、そろりと清麿ににじり寄った。

 そのまま、胡坐をかいた清麿の腿に手を乗せ、体を預けてくる。

 清麿の胸に耳を当てるのが、彼女の儀式めいた動作だった。

「とくん、とくん、清麿様の心臓の音が聞こえるよ」

 勢がつぶやく。ため息がもれていた。安堵のため息だ。

 彼女には、彼女にしか聞こえない声があるらしい。

 その声は、清麿の心音で消えるそうだ。他の者ではだめで、清麿の心音でないと声は消えないと勢は言っていた。

 おそらく、彼女は心に深い傷を負っているのだろうと、清麿は考えていた。

 卓抜の剣技といい、謎めいた行動といい、不思議な女だったが、何度も共に死線を潜るうちに愛着のようなものが、清麿にも感じ始めていた。

 勢を抱きしめる。小さな震えが、漣のように彼女の体を走る。

 泣いているのか? 清麿の胸が勢の涙で濡れた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 消え入るような勢の声。何に対して謝っているのか、清麿は知らない。勢も語らない。だが、この罪悪感こそが、勢の『傷』の根源だということは分かった。

「許す。例え、この世の誰もが君を断罪するとも、私は君を許すよ」

 底冷えの、多摩川ほとりの荒れ寺に、鬼火の様に揺らめく灯火。

 映る二つの影が、一つに重なった。



「追い切れない」

 遁法と追跡の名手を自負していた 瓦走かわらばしり権太ごんた の口から、弱音が漏れた。

 これは、草深 甚吾 に、獲物を追い込む仕事だった。

 草深 甚吾 という若者のことは気に入っている。発達した前歯と矮小な体つきのせいで、ネズミ呼ばわりされている権太だが、甚吾はそういった目で見ない。


 『逃げ足が速く、優秀な情報収集能力を持っているなぁ』


 としか考えていないのだ。それ以外は、権太に興味はないらしい。容姿も他者と区別がつけばそれでいいと考えているきらいがあった。

 なので、人付き合いが苦手な権太にとって、とっつきやすい相手なのだ。

 それに、甚吾にまわってくる仕事はいい金になる。あの、渋ちんの晴明が気前よく前金を払うのだ。命の恩人と聞いたが、あの晴明という男は、恩に着るような男ではない。いい金蔓を逃したくない一心からだろう。

 甚吾のための仕事は気合いが入る。

 だが、今回の標的は、妙に手強い。否、手強すぎる。何度か、巧妙な逆襲を仕掛けられて、肝を冷やした場面があった。長年培った『勘働き』がなければ、三度は死んでいる。

 相手は、商家の手代だと晴明から聞いていたが、それはガセに違いない。相手は間違いなく、忍か盗人だ。

 それに、何かある。危険な何かを、切り札としてその男は持っていて、それを使う機をねらっている感じがする。

 それが、何かわからない。もしも、相手が忍なら、思いもよらぬ道具があるかもしれない。身が軽いだけの自分では、太刀打ちできまいと、権太は思っていた。

「話が違うぜ、晴明さんよ。何が、『商家の手代を尾行するだけの簡単なお仕事』だよ」

 相手の動きに、全く法則性はない。

 立ち寄り先も、宿泊先も、統一感がないのだ。

 尾行が発覚しているのは、互いにわかっていて、互いにボロが出るのを待っている状態なのだが、相手は全く隙を見せない。

 持久戦だが、このまま続けていれば、おそらく自分が負けると権太には分かっていた。

「くやしいが、退け時だなぁ。命が幾つあっても足りねぇぜ」

 権太は知らなかったのだが、彼が尾行していたのは、曽呂利衆の凄腕の工作員『かすみ伝兵衛でんべえ』だった。

 権太の勘は正しかった。

 『霞』の異名のとおり、彼は目に見えぬほど細い糸で編んだ網、通称『霞網』を武器として使う忍だった。

 本来は、鳥を捕まえるための道具だが、伝兵衛はこれで人間をからめ捕ったり、毒を仕込んだ針を仕掛けたりする。

 実際、何度か権太に仕掛けたのだが、事前に回避されてしまった。

「何か、ヤバい」

 それだけで、離脱する勘に権太は助けられていたのだ。


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