出陣
彦造は、宵闇の行徳にいた。
塩田で有名なこの場所には、駿河屋の塩を扱う支店があった。
その寮となる場所に、彦造が集めた二十人の浪人がいた。
酒を飲み、飯を食らい、女を抱き、中庭で剣技を磨く。
そんな生活を続けている男たちだった。
中庭にかがり火。
そこには黒一色の武具で固めた男たちの姿があった。
首領格の男が、ずいっと彦造の前に出る。
蕪九兵衛というふざけた名前の男だが、当然、偽名だろう。
後ろ暗い奴は、本名など名乗らない。
「死に場所を与えてくれて、一同を代表し感謝する」
それだけ言うと、蕪 九兵衛 が拳を上げた。
がしゃっと、「草刷り」や「矢向い」が鳴る。
一斉に浪人たちが立ち上がったのだ。
まるで、黒い叢雲が湧きあがったかのように。
「開門!」
屋敷の門を、群れから走り出た二人の浪人が開ける。
なるほど、これは『出陣』なのだ。
武士と違って海賊はより現実主義者だ。
こうした、芝居がかったことはしない。
どうせ、こいつらは死ぬ。出陣ごっこでもなんでも好きにすればいい。そう、彦造は思っていた。
彼らは、『小早』と呼ばれる、小型の戦船に乗って、小名木川を辿る。
そして、日本橋に上陸し、篠屋を襲うのだ。
通常なら、先手組との交戦になる。
完全武装の集団など、町に入れない。
だが、今夜はおとがめなしだ。堂々と夜の町を進軍出来る。
おそらく、彼らは全員死ぬ。
万が一生き残っても、後詰の先手組が仕留めることになっていた。
浪人は、一人でも少ない方が、江戸の治安にはいい。
彦造は、一升入りの大徳利を屋敷の中に投げ込んだ。
割れてぶちまけられたその中身は、油だ。
かがり火から、一本薪を取り出す。
それを、続いて投げ入れた。
炎が上がった。
女の悲鳴が響いた。
半裸の女が、三人、転げるように出てきた。
雇った商売女たちだった。
「あ、あ、彦造さん、火事だよぅ」
女が、彦造に縋りつきながら言う。
「知ってるよ」
彦造は、そう答えて、懐から匕首を抜いた。
そのまま、すいっと首筋を薙ぐ。
「ひっ」
女が首を押さえて、悲鳴を飲み込んだ。
指の間から、血が噴出していた。
「悪いな」
女を広がり始めた火炎の中に蹴りこむ。
逃げようとした、もう一人の女の襟首を掴んで引き戻し、こいつの首も薙ぐ。
そして火炎の中に蹴りこんだ。
「あ、わ、わ、何で……」
腰が抜けてへたり込んでいる女を引きずり立たせる。
「すまねぇな。ここで浪人飼ってたって、知られるわけにはいかねぇんだ」
火炎に赤く、匕首の刀身が光っていた。
それが、すいっと横に動いた。
浅草寺の裏手の小屋。
そこには、彦造の郎党『淡輪水軍』の残党が集まっていた。
みな、一様に赤銅色に日焼けしている。海に暮らす男たちの顔だった。
武器は手槍のようなものだった。
柄の長さは五尺ほど(約百五十センチ)、十字槍の穂先がついているが、刃はついていない。十文字の尖った鉄がくっ付いていると思えばいい。
『刺すことが出来る鈍器』
といった感じだろうか。
石突きの形状も変わっていて、輪になっていた。
彦造の右腕で、水夫頭をしている男が、この武器の説明をしてくれた。
この槍状の武器は、海難救助道具で、海に落ちた仲間をひっかけて拾う道具らしい。
刃がついてないのは、穂先を掴んで手を切らないため。
石突きが輪状なのは、そこに縄を通して遠くに投げるためだという。
淡輪水軍は、これを白兵戦にも使う。
使い慣れているので、佃島に隠してある船から、わざわざ持ってきたそうだ。
彼らに防具はない。
甲冑など着込めば、海に落ちた時点で水中に引きずり込まれる。
だから、刺し子の上着が、彼らの防具となる。
襲撃は深夜。
篠屋を破壊し尽くし、皆殺しにする。
そのうえで、焼き払う。
証拠を残さないため。そして、火付け盗賊の犯行に見せるため。
風魔の残党が、よく火を使う。
彼らの仕業にみせかけるのだ。




