果たし状
月之介は、自分の過去を 猫足の三郎 に語り始めた。
付き合いは結構長いが、ここまで踏み込んだ話をしたことはない。
特に、過去の話は、話したがらない傾向が、月之介にはあった。
その理由が、わかったような気がする。
猫足の三郎 の少年時代は逃散百姓の流民としてロクでもない過去だが、月之介の過去はもっと悲惨だった。
捨て子だった月之介を保護したのは、深甚流の開祖、草深 甚四郎 という男だった。同じように、行き場のない子供たちが、食客として捨扶持をもらっている上杉家から貸し与えられた屋敷に、集められていた。
名目上は、深甚流の道場。実態は、新たな上杉家の諜報機関の養成だった。
遠からず、徳川との激突を予測していた上杉家の軍師、直江 兼続 の肝入りで作られた組織だ。
だが、実態は違う。
さまざまな流派の剣術使いを育て、深甚流と戦わせて優劣を競う、いわば実験場なのであった。
草深 甚四郎 は、一代で、しかも独学で流派を開いた天才だ。
主家を持たず、定まった家もなく、ただ剣の技量だけが自らの存在意義だった甚四郎は、他流を優劣の尺度でしか見ない。
そこで、拷問などによって、流派の高弟から当該流派の剣技を盗み出し、集めた子らに伝授した。
山田 月之介 は、それが疋田陰流だった。
『斬れ。ただ、斬れ。斬って覚えよ』
物心ついた時から、剣を握らされ。ひたすら人を斬った。
どこからか、攫ってきた旅人の時もあった。
女の時もあった。
自分と同じような子供の時もあった。
相手が、自分のような剣術使いの時はまだいい。
刃の下で死ぬ覚悟が出来ているのだから。
命乞いをする市民を斬るのは、抵抗があった。
「できません」
刀を放りすてた時もあった。
「ならば、お前が死ね」
甚四郎は使えない道具には興味が無い。
あっさり、月之介を殺すだろうことが分かった。
怖かった。ひたすら、甚四郎が怖かった。
憎かった。ひたすら、甚四郎が憎かった。
死ぬのは怖くない。いずれ誰でも死ぬ。
だが、甚四郎に斬られて死ぬのだけは嫌だった。
あれは、邪悪な何かだ。
剣に憑かれた者が行き着く、最も汚らわしい何かだ。
ならば、斬る。
草深 甚四郎を斬る。
そのためには、与えられた牙である『疋田陰流』をひたすら研ぐ。そう決めて、月之介は生きてきた。
「廻国修行に出よ。帰るときは、わしと立ち会う時ぞ」
そう言われて、越後の国を出た。
直江 兼続 は、密偵が放たれたと思っただろう。
だが、違う。甚四郎は、甚四郎のためにしか動かない。
月之介は斬った。
山賊を探して斬った。
職を探している浪人を斬った。
自嘲を込めて、自らを『まがいもの』と呼んでいた剣技は、研ぎ澄まされてゆき、新陰流を知るものが見ても、新陰流と思えるほどになった。
実践で磨かれた疋田陰流は、より源流に近い剣になったことだろう。
『草深 甚四郎 死す』
月之介がその報に接したのは、戦雲を感じ取って、多くの浪人が集まる上方にいた時だった。
馬庭念流の『まがいもの』である、通口 定正 という同期生がいて、偶然会った彼からもたらされた情報だ。
「頭の上に長い間乗っかっていた漬物石が転げ落ちた気分だぜ。俺は、これから自由に生きる。お前もそうしろ」
定正はそう言っていた。 月之介はそんなに簡単に割り切る事が出来ない。
こんなことになるなら、今まで奪ってきた命は何だったのか?
それが棘となって、胸に刺さり続けていたからだ。
そして、江戸に流れてきたとき、『深甚流』の名前を見つけた。
永い事忘れていた「恐怖」がよみがえる。
もう、『深甚流』はない。そう思っていたのが、虚を突かれたようなものだ。
弱気になった。
逃げようかという気が湧いてしまった。
その弱気が、頼みやすい相手である 猫足の三郎 に殺しを依頼するという事態になったのだ。
それを、正す。
『甚四郎を斬る』
そう決心した頃の精神に、自分を戻す。
彦造を護衛した闘争で、月之介の手は『斬る』感覚を取り戻しつつあった。
機は今。
篠屋襲撃で気が昂った状態で、甚吾に挑む。
今でなければならない理由は、それだ。
ここまで、黙って聞いていた 猫足の三郎 が口を開いた。
「月之介さんの、覚悟のほどは、理解しました。江戸での最後の仕事、引き受けます」
果たし状を手に取る。
月之介が、猫足の三郎 に頭を下げた。
その顔は、闘争を前にして晴れやかに見えた。




