黒い炎
彦造と別れて、深夜の浅草寺門前町を月之介は歩いていた。
いつの間にか、猫足の三郎 が、横に並んでいる。
「彦造さんに紹介しようかと思ったのに、暗がりから出てこないのだもの」
冗談じゃない。猫足の三郎 は、そう思っていた。
今日の夕刻、ならず者どもをけしかけて襲わせた 草深 甚吾 もたいがい化け物じみていたが、先ほどまで月之介と歩いていた、赤銅色に日焼けした男も、ただならぬ気配を発していたのだ。
今日はもう、げっぷが出るほど殺気を浴びた。
もうたくさんだと思ったのである。
「何者です?」
猫足の三郎が訪ねる。
昼間の喧騒はどこへやら、閑散とした門前町に二人の足跡だけが響く。
月が冴えざえと光っていた。
どこかで、野犬が遠吠えをしている。
「商家の番頭さんだよ」
うそくせぇなと、猫足の三郎 は、思う。
あれは、人を殺したことがあって、人を殺すことを何とも思わない男だ。
長い間、闇の中で暮らしている三郎には、闇の住民の匂いは分かる。
「鋭いね、三郎。彦造さんは、もとは海賊の頭だよ」
ふふんと鼻で笑いながら、月之介が付け加える。
「やっぱりね。只者じゃあねぇと思いましたぜ」
まったく、次から次と化け物ばかり……そうひとりごちる。
そして、猫足の三郎は、自分の隣を歩いている月之介も、その化け物の一人だと気が付いた。
「……で、草深 甚吾 はどうだった?」
しばらく無言で歩いていた月之介が、不意に口を開く。
そっぽを向き、途方に暮れている様な奇妙な構え。
いつ抜いたか分からない刀。
まるで刀を持った手が別の生き物であったかのように動いたこと。
相手を見もせず、正確に急所を狙った不気味な太刀筋。
三郎は見たままのことを、なるべく正確に言葉で再現しようと試みる。
月之介は口を挟まずに聞いていた。
「ええぃ、ちくしょう。ヤッ・トウはやらねぇから、上手く説明ができねぇ」
イラつく三郎の肩を、月之介が笑いながら叩く。
「大丈夫、充分参考になったよ。三人は気の毒だったけど、君が無事でよかったじゃないか」
無事でよかったと言ってもらえて、思わず笑みがこぼれてしまい、三郎が俯く。
今が夜でなければ、未通娘みたいに顔が赤くなってしまっている事がバレてしまいそうだった。
それに、月之介が触れた肩がジンと熱くなったようで、そっと掌でなでる。
『くそ、俺はいったいどうなっちまったんだ』
まったく、月之介といると調子が狂う。
「こっちも、わかった事があるよ。一銭も教授料が入らない剣術道場で、どうやって食べていけるのか疑問に思っていたのだけど、案の定『裏の口入れ屋』から、仕事を世話してもらっていたよ」
請け負った仕事の系列で、甚吾の『癖』のようなものが見えてくる。
甚吾が主に請け負うのは暗殺。
それも、昼日中に街中で行う仕掛けが多い。
月之介のような『誰かの護衛』といった仕事は皆無だった。
「気配を殺して雑踏に紛れ、気づかれないまま接近し、仕留める」
それが、甚吾の得手。
ならば、間違いない。甚吾は『居合使い』だ。
猫足の三郎の目撃談もそれを裏付けている。
最初の二人を斬ったのは、抜く手も見せぬ居合の一颯。
最後の一人を斬ったのは、草深 甚四郎 直伝の一手、深甚流『虚』。
そこから導かれる結論は一つ。
『草深 甚吾 は、その名の通り 草深 甚四郎 の縁者で道統を継ぐ者』
と、いうこと。
ただし、奇妙な点は、深甚流に居合の術技はない点。
そして、草深 甚四郎 は、誰にも自分の編み出した技を伝えない。
少なくとも、山田 月之介 が知っている 草深 甚四郎 という男は、自分の術を他人に教えるような男ではない。
「やはり……」
月之介がつぶやく。
やはり、斬らねばねるまい。甚吾が深甚流を名乗るのなら、避けられない運命だ。
黒い炎が、月之介の眼に宿る。
猫足の三郎 は、それを見ていた。
胴振るいが走るほど、怖い眼だった。
同時に惹かれる。
その眼に宿る黒い炎に焼かれたいとすら思う。
「私の『機』が熟すのを、待っているのか甚吾。本当に生意気な奴だ」




