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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
浮月の章
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妄執

 どれほど、拳を男の額に当て続けただろう。

 拷問を加える者と受ける者。

 ともに会話はない。「何事か?」と、彦造が覗きに来るほどに。

 叩く。叩き続ける。

 これは、肉体を砕く作業ではない。

 心を壊す作業なのだ。


 コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン……


 脳は揺さぶられ続け、男の顔は斑になった。

 痣の部分は青黒く。

 その他の部分は紙の様に白く。


「あ……あ……やめ……」


 男は言いかけて、紫色になった唇をかみしめる。

 不敵だった男の顔がゆがんでいた。

 だが、まだ心は折れていない。

 命乞いの言葉を飲み込んだのだから。


「舌を噛むと、苦しいぞ。千切れ残った舌が収縮して、喉に詰まるのだよ。それで窒息する。それに舌は敏感だ。千切れた痛みは並大抵ではないよ」


 殴り始めてから、やっとしゃべった月之介の言葉。

 苦痛から逃れようと、捨て鉢になりかけた男の精神に冷水を浴びせたのである。

 これで、自らの死の映像が、男の脳裏で再生されてしまった。

 もう、『舌を噛んで自殺』という選択肢は消えた。死の恐怖を克服するためには、それなりの訓練が必要なのだ。

 衝動で境界線を踏み越えるのは、限界がある。


 コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン……


 続く。苦痛は続いてゆく。

 無表情な月之介の端正な顔。

 一定の間隔で繰り返される打撃。

 これらが、強力な酸の様に男の心を蝕んでゆく。


 コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン……


「ふぐっ」

 男が咽て、げぇげぇと胃液を吐いた。

 そのまま、泣き始めた。

 脳が揺さぶられ続けることで、平衡感覚が限界を迎えたのだ。

 男が今感じているのは、体験したことがないような強度の船酔いのような感覚。


 コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン……


 男が、縋るような眼を月之介に向ける。

 氷のような、視線に迎えられて、男が怯む。

「やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて……」

 うわごとのように、男がつぶやく。

「死ね。このまま、苦しんで死ね」

 月之介が平然と言い放つ。

 男の腫れ上がった眼から、ぼろぼろと涙が流れた。

「話します。なんでも話します。後生ですから、やめてください」

 異臭がする。男は失禁していた。失禁していても気がつかないほど、男は焦燥していたのだった。

「話せ。草深 甚吾 のこと。駿河屋襲撃を依頼した者の正体。この二つ。話せば、楽に死なせてやる」


「あんな、えげつない責め、見た事ないですぜ」

 彦造が上半身裸のまま、手ぬぐいで体を拭きながら言う。

 口入れ屋の男を、箱詰めにして部下に持ち出させた後だった。

 手足を切り取り、内臓も腑分けし、きれいに箱詰めしたうえで、ある商家に届ける手はずになっている。


 『あんたが、黒幕なのは、バレたぜ』


 ……そういう無言の伝言だ。


 男は、ペラペラとなんでもしゃべった。

 完全に壊れてしまったのだ。月之介が職人の手並みで、効率よく男を壊してしまった。

「私の師匠は『剣術狂い』でね。著名流派の高弟を攫っては、この拷問にかけて、剣理を聞きだしていたものさ。自分が編み出した剣法とどっちが強いのか、気になって、気になって仕方がなかったのだろうね」

 軽蔑したような笑みが、月之介の唇に浮かんだ。

 麗しい師弟関係というわけではなさそうだと、彦造は思った。

「歳をとると、そいつがどんどん酷くなって、私は『妄執』の本当の意味を知ったよ」

 彦造には、『妄執』の意味がわかる。

 自分の子が生まれたとたん、その妄執によって一時は後継者と決めた甥っ子を惨殺した男を知っている。理由は一つ。自分の子供に権力を集中させるため。

 その、老いの妄執によって、彦造の一族は虫けらのように殺された。花の様に美しかった、一人娘も……。



 彦造が、香を焚きこんだ襦袢を着て体に染みついた血臭を消し、洗いざらした着流しに着替える。

 そして、兵児帯を締めながら、月之介に聞いた。

「で、草深 甚吾 って、誰です?」

 わざわざ、月之介がこんなところにまで出向いたのは、甚吾なる男の情報を聞き出すためだった。俄然、興味がわいてきた。


「ふふふ……、その『妄執』の残滓といったところかねぇ」

 

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