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  作者: 星及
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青い梅とガラス玉

「めぐちゃんがあの日に生まれてこなければよ、ときちゃん死ぬことはなかったんだよ。」


今日はお祖母ちゃんの命日。線香の香りが漂う。


駅前通りにあるお茶屋さんちの金原の婆さんが仏壇の前で矢継ぎ早に遠慮なく喋り出す。

「ときちゃんは学生のときから優しい子で、タンポポを小さな子にあげてはまた四つ葉のクローバーを近所の子供やるんだって日が落ちるまで探してたもんだよ、みんなときちゃんのことが大好きだったんだよ、1日ずれてあの子が生まれてくれりゃよ、よかったのによ。」と。

なんで田舎の婆さんてこうなんだろう、何十年経っても変わらない。


お母さんは静かに黙って聞いている。金原さんがくれた『ときちゃん』が好きだったという梅のお茶を湯呑みに注ぎながら。金原の婆さんの声と一緒に線香と梅の香りが裏の縁側の私に届く。二人は私に気づいていないようだ。


「つぐみちゃんよ、なんであの日にときちゃん呼んだん?あんな雨の日にね。タクシー呼べば、ときちゃん今でも生きてたさ。」


「ごめんなさい。」と謝る母。『つぐみ』は母の名前

なんで?なんでそんなに人の詮索、監視、干渉をするのか。


庭先には1本の青梅の木がそびえ立つ。立派だと近所では評判だった。この青梅で作ったシロップは夏バテに効くと皆が言っていた。収穫した実を流水で洗う時、うすい黄緑の梅が水を弾いて透明なガラス玉に見える、さらに日差しを浴びるとまるでダイアモンドみたいで、お姫様の様な気持ちになれた。このダイアモンドを眺めるのが好きだった。幼い頃の特別な時間だった。


「めぐちゃんもそのうち出ていくんだろうな、ここを。でも田舎者が都会行っても駄目だな、バカにされるし、都会人は冷たい人間ばかりだっていうじゃねぇか、私みたく余所ん家の心配なんかしねんだから。」


金原のババァ、ほんと勘弁。心の僻地だ。


今日は私の23歳の誕生日。毎年線香と梅の匂いに包まれる。


「また、金原さんちに取れたての梅持っていくからね。」

とお母さんが何も聞かなかった顔で言う。

「あんたとこの青梅は本当に綺麗な色だよ、毎年。この青梅があるから私もお茶屋を続けられるんだからよぉ、植えてくれたときちゃんには感謝してもしきれねぇよぉ。有難いありがたい。。」

と、手を合わせた。

本当に綺麗な梅だった。幼き日、スケッチブックを抱いて縁側に座る。真っ白い画用紙にうすい黄緑をのせて、その上からまたうすく緑を足す、またその上に黄色を濃く足す。なんとなく梅の色に近づくも、キラキラと水を弾く梅の姿はどうしても上手に描けなかったんだっけ。


・・・

裏に住む一つ年上の双子の女の子、みーちゃんとしーちゃんもこのガラス玉をよく覗きに来てた。

「めぐちゃんちには宝石があっていいな~!」って、よく言っていた。

私はこの言葉を聞きたいがために二人を呼びガラス玉を見せた。

「めぐちゃんちのお庭はキラキラダイアモンド~!」

二人は声を合わせて言う。こんなことを言うみーちゃんとしーちゃんが大好きだった。大きな盥に沢山の梅と水を入れて3人でかき回し、梅が流れるプールごっこという遊びもした。

梅に包丁で十字に切れ込みを入れてエキスを抽出し、蜂蜜を混ぜて『梅シロップ』を作るお手伝いをするときは、3人で蜂蜜ばかり舐めてお母さんに叱られたこともあった。


ある日、みーちゃんが梅を描いた私のスケッチブックを「貸して。」と。「私たちでさ、梅の交換日記しよ。」って。私は翌日を楽しみに目を閉じた。翌朝見たスケッチブックには、みーちゃんが描いた梅のガラス玉、キラキラと水を弾く梅の姿は本物そのものだった。


「ねぇ!どうやったらこんな風にかけるの?!」胸をドキドキさせながら私は聞いた。

みーちゃんの代わりにしーちゃんが、

「透明の色鉛筆を使えばいんだよ。」

と、やさしく。続いてみーちゃんが、

「水の色鉛筆もね。」


透明な!?水の色!?私は猛スピードの衝撃を受けた。

お母さんの元へ走り、

「透明と水の色の色鉛筆買って!!」と頼んだ。「はっ?!何言ってるの?」と相手にしてもらえなかった。何度も頼んだのに聞いてはくれない。だから私は交換日記を止めたし、収穫した梅の実さえ洗うのも止めた。ガラス玉が書けないのなら見たくもないと。

双子は、ダイアモンドが見れないならもう遊ばないと来なくなった。私も『透明』と『水』の色鉛筆をいつまでたっても見せてくれようとしない二人が嫌いになった。

しばらくし、双子たちは引っ越しをした。行き先は知らない。小学3年生の頃だった。


・・・

行き先はどこだっていい。『透明』と『水』の色鉛筆を見たかった。ずっとずっと、高校生になってからもそのことが頭から離れなかった。

・・・

そんなことを思い出していた。

23歳の誕生日とお祖母ちゃんの命日。毎年、線香と梅のなかで罪悪感に溺れていた。

「あんな、雨の日に生まれてごめんね。」って。

「おばあちゃん、ごめんね。」って。

「お母さん、お腹で眠っていられなくてごめんね。」って。


今年の今日6月14日。


燕だ。

燕が勢いよく庭先から田んぼへ向かって低空飛行する。と、3秒後、ポツポツ降りだした雨。

「めぐちゃんによろしく言っといてな。これ置いてくわ。」金原さんはお茶を飲み干して玄関から帰って行った。金原ババアやっと帰った。


やっと帰った!と溜め息を漏らす私。少し頭痛がする。


お誕生日だけど命日だから、赤の装飾に白い生クリームに包まれたまあるいケーキや23本の蝋燭なんてない。あるのは1本の蝋燭に数本の線香だ。そして、ケーキの代わりに金原ババアが玄関脇に置いていった梅大福があるだけだ。梅の甘露煮が丸ごと入った年寄りくさい大福。大嫌い。梅の木に梅の実、梅のお茶に梅の大福・・・描けなかった梅のガラス玉。

うんざり!!苺大福が食べたい。


そういえば、あの燕。何か獲物を捕らえられたのだろうか?

6月の湿気で虫の羽が重たくなり、地面上を小さく飛ぶ虫たちを何匹捕らえた?


・・・

23年前の6月14日。午前10時。私の母親である『つぐみ』はお腹の痛みを感じ、すぐに『ときこ』に電話をした。「あっ、お母さん!?お腹痛くなってきたから、もしかしたらこのまま陣痛が続いて生まれるかもしれない、まだまだ生理痛って感じだから慌てなくていいよ、でも雨振りそうだから、お母さん3時頃迎えに来て病院までお願い。くれぐれも気をつけてね。」電話を切ると同時にポツポツと静かに降りだした雨。それから陣痛は2時間置き、1時間置きと縮み、お腹の痛みと共に雨は屋根に痛々しい音を叩き始めた。つぐみの1時間置きの陣痛が30分置きに変わろうとしたとき、痛々しい音の遠くからサイレンの音を聞いた。「まさかっ!?」と、陣痛を忘れつぐみが縁側から水の溜まったサンダルをはいて駆け出そうとした瞬間・・・・・・・・・・・・・・・・・



「はい、まだよ~いきんじゃダメ!我慢!」

「はい、いくよ~、せーの!!」

「もう一回、せ~の!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「木下さん、かわいい女の子よ!がんばったね!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の赤ちゃん?赤ちゃん?あれ?!お母さんは?!お母さんがいない、私のお母さんは?!


ときこはつぐみの家に車で向かう途中、雨でタイヤがスリップして電柱に激突、即死、享年57歳。つぐみ30歳。わたし0歳。


その翌日は晴天。6月で一番の晴れ晴れとした陽気だったそうだ。


この時から私はなんで生まれてきたのかと、人を殺してまでと、重い罪を背負って出てきた。話せない赤ん坊の私は哺乳瓶と自分の小指をしゃぶっていた、ショックで母乳が出ない母親の乳房の代わりに・・雨の色なのか泣き疲れた色なのか私には判断できず、ただ、縁側から見える梅の木と遠くの深い山の木々を見つめ鳥を探していた。

どうしてここまで飛んできてくれないのかな。

どうしてわたしはわたしに生まれてきたんだろうな。


・・・

木下恵子23歳。『きのしたけいこ』ではありません、『きしためぐこ』です。古くさい名前だよね。なんで『めぐ』だけにしなかったんだろうって。『こ』がついたおかげで私はさらに不幸な色に見えない?20代の名前じゃない。お母さんの『つぐみ』の方が若々しいじゃないか。なんでこんな名前付けたの?


私の住んでいた島根の小さな田舎は自然以外にこれといって良いところはなく、人間関係は煩わしいものばかりだった。小学生のときはクラスの男子に梅臭いとからかわれたし、干渉好きな隣のおばさんは、「昨日めぐちゃん、カップラーメン買ってたみたいだけど、つぐちゃんご飯作ってくれないのかい?」次の日は、坂の下でおじさんが、「梅はまだか?」と聞いてくるし、その次の日は家の方を見ながらコソコソ話しこんでるババアたちまでいた。また明くる日は公園のベンチで「めぐちゃんが生まれた日にときこおばあちゃん死んだんでしょ?」と、3歳くらいの女の子に聞かれた。手に付いていた砂をやさしく払ってあげたらニッコリ微笑んだ女の子。こんな酷いことを言わせた大人が憎いとばかりにほっぺたにまで付いていた砂を払ってあげる。お下げに三つ編みをして、くまの絵柄が入った赤色のワンピースを着た女の子。

私はこの子くらいのとき、きちんと笑えていたかな?この世に生まれてきてなんて私は幸せなの!って青い空と真っ赤な太陽に向かって大声出せてたのかな?私がいるだけでみんな笑顔だったのかな?

そんなことを考えながら私は女の子にこう言った。

「ときこおばあちゃんは私が殺したんだよ!」と。

くまの女の子は「ママ~!!」と私に背を向け、走り出した。酷い大人は私だ。胸が締め付けられる。


ぐるぐるにこんがらがった糸はもうほどけない。

さらに絡みはじめる私の糸。


・・・・・・・・

「めぐちゃん、いいわよ、短大行って。」ゆっくりと話しはじめた。雨が静かに落ち着いて、ひととき春色の庭先に変わった午後2時14分。気付けば雑草だらけだ。保育園の頃は一緒に雑草を抜いた、ふざけて抜いた草を髭のようにしてみせて笑わせた。小学生の頃はどっちがたくさん抜けるか競争して「やっぱり敵わないよ!」って、悔しそうな顔してみせた。中学生の頃は「これくらい雑草1人で平気だよ!」って元気に笑ってみせた。陽射しと草と土が混じり合った田舎そのものの匂いのなかで思い出していた。


「お母さんさ、今までめぐちゃんに大したことしてやれなくてごめんね、でも今まで一生懸命に貯めたお金で短大行ってきなさい。」と、言った後、

「だって、私、めぐちゃんが出ていけばもうお母さんのこと思い出さなくてよくなるかもしれないじゃない?アナタもさ、ここを出ていけばおばあちゃんのことを思い出さなくていいのゆ。。新しい一歩だね。」

私はお母さんに背を向けて、仰け反った草を引き抜こうとしていた。

お母さんがどんな顔をして言ったのかは知らない。私は振り向き、「短大・・行かせて・・くれて、ありがとう!」と静かに微笑んでみせた。


お母さんという存在は柔らかく優しく、時に鉄の心で悪に立ち向かう強い心を持ち、太陽に照らされた向日葵の様に私たちに笑いかけてくれるものだ。でも今まで母を気遣い笑いかけていたのは私の方だった。もしかしたらお母さんはお母さんという存在を、あの時から私を産んでお祖母ちゃんが死んだ日から、その存在を無くしてしまったのかもしれない。

いや、どこかに置き忘れたのかもしれない。と思いたい

私以上に苦しんでいたのはお母さんかもしれない。

ごめんねお母さん、私が居なくなれば楽になれる?

ごめんねおばあちゃん、あの日に生まれてきちゃって。

・・・

全ての青を混ぜた空にいわし雲

透き通った川の水の中の小石

虹の向こうの木々の隙間の小枝

緑の葉っぱでブランコする小鳥

優しく元気に笑うおかーさん


どれも手に入らなかった。

手に取ったのは雑草だけだ。


・・・

庭先の隅っこ、抜けきれていない雑草たちがざわざわしている。何かあった?

庭先の青梅の木の実がざわざわしている。何かあった?

一匹の小鳥が背筋を伸ばしてその上を飛び回っている、何かステキなものを見つけた?

雑草の上に小鳥がくちばしで落としただろう青梅に紛れて季節外れの『どんぐり』を見つけた。なんで?

不思議な感覚に胸の中がざわざわした。


今日は6月14日。『どんぐり』をポケットに入れ、梅の木にさよならを告げ、出ていく日を心待ちにした。


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