【白竜編 その1】 正確な体内時計
パラパラと本をめくる音が静かな室内に響く。ひなたは用意してもらった書斎で分厚い本に目を通していた。元より自分の知らない知識を得るのが好きなのだ。表から見えない仕組みや歴史の背景を紐解く事はひなたの好奇心を刺激する。
大学では環境デザインを学びたいと思っていただけに、環境整備や街づくりに貢献出来ればと此処でも勉強させてもらっている。夢中で紙面の文字に目を滑らせていると、不意に温かいものがひなたを包み込んだ。
「ヒナタ」
「セナード?」
振り返れば、自分を後ろから抱きしめるようにして立っていたのはセナードだ。白の国王城に滞在するようになって既に二ヶ月。セナードからのボディタッチに抵抗はなくなったものの、鼓動が早くなるのは止められない。ドキドキしている自分を誤魔化すようにひなたは笑顔を見せる。
「もう時間?」
そう訊ねれば、セナードは黙ってコクンと頷いた。
新節祭で再会してからずっと、セナ―ドはひなたが自分の視界から居なくなる事を酷く嫌がる。いや、怖がっていると言うのが正しい。夢の中で何度もひなたが自分の手をすり抜けていった記憶は中々セナードから無くならない。そのせいで彼女の姿が見えなくなる度不安になるらしい。それはひなたがこちらの世界に残る事を決意し、婚約してからも同じだった。
正式にひなたが王城に引っ越して、これ幸いとセナードはとにかくひなたと共に居たがった。目が覚めたら居なくなるのではないかと、眠るのが怖かった時もあったようだ。お陰でひなたはセナードと同じベッドで眠るのがすっかり習慣になってしまった。
そして二ヵ月後の今、ようやくセナードもひなたが離れる事を許容してくれるようになった。けれどそれも時間制限があって、どうやら三時間が限界らしい。だからお互い仕事や勉強の為にと別れても、こうして三時間経てばひなたの下にやってくる。しかも驚く事に、測っているのではと疑いたくなる程時間ぴったりにやってくるのだ。
ひなたはお茶でも飲もうかと、かけていた眼鏡を外して机の上に置いた。
「セナード座って。お茶淹れるね」
いつでもお茶を飲めるように、ティーセットを借り部屋に置いてある。お茶の準備をしているとセナードが首を傾げながらその眼鏡を手に取った。ひなたが眼鏡をかけている姿が珍しかったからだろう。光を反射させてみたり、レンズを覗いたりしている。
「私、向こうに居た時はいつもそれ掛けてたんだよ」
眼鏡をかけたままこちらの世界に来てしまったのだけれど、酪農の手伝いをしている間は必要ないから付ける機会がなかったのだ。王城で勉強する為に久しぶりに取り出した眼鏡は今、東京に居た時とは違った景色を映している。
ここに来て初めて、ひなたは勉強の魅力を知った。誰かの力になりたいと思って勉強する事は、ひなたにとって新鮮で楽しい時間だった。
「どうぞ」
ひなたが机の上に置いたティーカップから白い湯気が柔らかな曲線を描いている。セナードはティーカップよりも先に愛しい番の頬に触れた。
「……泣いてないよ」
頬の上を滑る優しいセナードの指はまるで涙を拭うような仕草だった。ひなたは心からの笑みを浮かべて、セナードの手に自分の手のひらを重ねる。すると彼は反対の手を取り、その指一つ一つに唇を落とした。今まで勉強していたひなたを労うような、そんな口付けだ。
「ありがとう、セナード」
やがてセナードはひなたの両頬を手のひらで包み込むと、そっと唇を寄せた。そんな二人の影が、セナードの脇に置かれた眼鏡のレンズに映っていた。