Ⅲ:男の告白
セレスティーナが、屋根裏部屋に続く階段から下りてきた。
「ガトールーク、だいじょうぶ?」
ロコが今にも泣き出しそうな顔で、セレスティーナを見つめた。
「うん…
今はとりあえず寝てるみたいだけど」
セレスティーナが答える。
ジェニファントが、フォークでソーセージを刺しながらため息をついた。
「まったく世話の焼ける奴じゃのう」
「ジェニファントさん、氷枕ってどこにあったっけ?」
「台所の、換気扇の上あたりについとる収納のどこかじゃったと思うがのう」
「ぼく、さがすヨ!」
「本当?
じゃ、ロコちゃんも手伝って!」
机から飛び降りたロコが、セレスティーナの後を追って、台所に走っていった。
「困った奴じゃわい、こんな時に。
避難民もお客人もおるというのに」
ぼやくジェニファントを見て、
…フェニックスが、口を開いた。
「…申し訳ない、私は彼を巻き込んでしまった。
彼は、私を水中から引き上げた時点で残存する魔力はゼロに等しかったのに、
…それなのに、彼は私をここまで浮遊移動させてきた…
…私が気を遣わせたばかりに、事を大きくしてしまった」
「いや、あんたは何も悪くないぞ。
馬鹿なのはガトールークじゃ、まったくいつもいつも無茶ばかりしおって、あげくにお客人にまで心配をかけるとは言語道断じゃわい」
ジェニファントが食べ物を次々に口の中に放りこむ。
「ジェニファントさん、相変わらずよく食べますね」
氷枕を抱えるセレスティーナが、ジェニファントの後ろで、笑顔を浮かべる。
フェニックスは、立ち上がった。
彼はセレスティーナに歩み寄り、手を差し出す。
「貸してくれ」
「え?」
「私が持っていく」
セレスティーナは一瞬目を丸くしたが、
「それじゃ、お願いします。
ちょっと首元にかかるようにしてあげて」
…微笑んで、フェニックスに氷枕を渡した。
ロコが、フェニックスのズボンを引っ張る。
「フェニックス、たおる、たおる!
これでくるむんだって!」
彼はロコから白いタオルを受け取り、氷枕を包んだ。
「こっち、こっち」
ロコが素早く、階段を駆け上がっていく。
フェニックスは、それに続いた。
屋根裏は、雑然としていた。
部屋のすみに置かれた、散らかった机、
そこかしこに無造作に積み上げられた本。
壁には、何やら書きつけてある紙が、画びょうで折り重なるように留められている。
窓が、ひとつ。
その下にある小さなたんすの上には、読書灯と時計が置かれている。
その脇にあるのが、ベッドだ。
フェニックスは、ガトールークの首筋に触れた。
「…」
「フェニックス、どう?」
「…凄い熱だ。
よく今までテーブルについていられたものだ」
彼はガトールークの頭をもたげ、氷枕を差し入れて、もとの通りに寝かせた。
上気した頬が白い月明かりを穏やかに照り返し、ガトールークはいっそう幼く、はかなく見えた。
フェニックスは、訊いた。
「ロコと言ったな」
「うん、ぼく、ロコ!」
「彼は、本物の魔法使いか?」
「そだヨ!」
「…彼は、信用できる少年か?」
「うん!」
ロコは元気にうなずいた。
「ぼく、ガトールーク、だいすき!」
「…そうか」
フェニックスは口元を結び、きびすを返す。
ロコも、それについていった。
「あ、 ねーねーフェニックス」
「何だ」
「ガトールーク、しょうねんじゃないヨ」
「…何?」
「ガトールーク、にじゅうさんさいなノ。
おとな、おとな」
「…23歳?
…ほう」
フェニックスは、肩をすくめた。
「あ、お帰りなさい。
どう、よく寝てた?」
「うん、ねてた!」
ロコが机によじ登り、パンの続きを頬張る。
もう食事を終えてしまったらしいセレスティーナは、自分の食器を流し台に片付けに行った。
フェニックスがサンドイッチをかじっていると、セレスティーナはすぐに戻ってきた。
「ジェニファントさん、僕、城に戻らないといけないので、そろそろおいとまします」
「おお、ナイト殿、すまんかったのう」
「いえ、こちらこそ…
また明日、手伝いに来ます」
セレスティーナは、フェニックスを振り返った。
「フェニックスさん、ガトールークさんのこと、宜しくね?」
「…ああ」
ためらいがちにうなずくフェニックスに笑いかけ、
彼は、一階へ続く階段を駆け下りていった。
「ごちそうさま!
おなかいっぱいだヨー」
ロコが、腹つづみを打って、机から下りる。
「ロコ、風呂に入って、もうおやすみ」
「もうー?」
「明日は早く起こすからの」
「そうなノ?わかった!」
「湯船に落ちるんじゃないぞ」
「うん!
おやすみー!」
ジェニファントに言われ、ロコは、浴室の方へ走っていく。
その背を見送るフェニックスに、ジェニファントが声をかけた。
「フェニックス」
「…何だ」
「お前さんがアデリーの兵士長だということはセレスティーナに聞いとるからの」
「…」
「安心せい、わしはお前さんには干渉せん。
好きなだけ、ここにいなさい」
「…」
「帰れとは言わんぞ。
帰りたくなったら、わしが言わんでも帰るじゃろ」
「…お言葉に甘えさせてもらおうか」
フェニックスは、低くこもったような声で、
…小さく、言った。
「ああ、そうそう」
ジェニファントが、にやりと笑って、つけ足した。
「ここにいるからにはそれなりに手伝いはしてもらうから、そのつもりでな」
「…ああ」
「それじゃまず、これを避難民に配ってきてもらうかの」
ジェニファントが、床のすみに置かれた、大量の毛布の束を指さした。
「…これを?」
「そうじゃ。 力仕事は得意じゃろ」
「…」
フェニックスは、やっとのことで、毛布の四角い固まりを、肩に担ぎあげた。
「ご苦労。
いやはや、若い男がおると頼りになるのう」
ジェニファントが、ゆうゆうと居間でコーヒーを飲んでいる。
「ほれ、お前さんもどうじゃ」
フェニックスは肩と首を回し、椅子に腰かけた。
ジェニファントにすすめられて、マグカップを受け取る。
ジェニファントが、訊いた。
「のう、フェニックス」
「何だ」
「お前さんが川にいたのは、どうしてじゃな」
「…」
「わけもなく、ただ散歩しておったのか」 「違う」
「ならば、何じゃ」
「…私は」
彼が、低く、うなるように、つぶやいた。
「…
…死にたかった。
ただ、それだけだ」
「ほう」
ジェニファントは、フェニックスの目を見つめる。
「…何だ」
怪訝な表情のフェニックスに、彼は言う。
「悲しい目じゃのう」
「…何だと?」
「おのれの不運を嘆く目じゃ。
よほど、何かあったんじゃろうの」
「…」
「しかしな」
「…」
「死にたいというのは、どうもいけん。
これからが盛りじゃろ、若者よ」
「…盛りなど」
フェニックスがうつむいて、コーヒーを一気に飲み干した。
ジェニファントが、ふうと息をつき、
…声色を変えた。
「暗い話はやめじゃ、わしは寝る。
ああ、風呂場からちょっと離れたところにあるドアは個室じゃから、そこを自由に使ってくれ」
「…わかった」
「明日も早い、早く休めよ。
おやすみ」
「お休みなさい」
ジェニファントが、自分の部屋らしき方面に歩いていったのを、フェニックスは見届ける。
彼は、屋根裏への階段に、静かに足をかけた。
狭く静かな部屋に、フェニックスの足音だけが、響いた。
彼は、部屋の端に寄せられた椅子を取り上げ、ベッドの脇に置いて、腰を下ろした。
ガトールークに、目をやる。
ときどき、小さな声を出してうめき、弱々しく寝返りをうつ。
フェニックスは、彼の布団を、そっと直す。
触れた手が、冷たい。
フェニックスは、ガトールークの足元に毛布がたたまれていることに気がつき、それも彼の首までかぶせた。
彼は、足を組む。
「…寝苦しいか」
熱にうかされるガトールーク、
その緑髪をそっとなでる。
「…お前をこんな目に遭わせて、悪かったな…」
──────
「───うう…」
フェニックスは、身をもたげた。
ぼやけた視界が、白い光を帯びている。
もう、朝なのだ。
ガトールークの屋根裏部屋で、一夜を明かしてしまったらしい。
フェニックスは、まぶたをこすった。
彼の耳に、声が届く。
「おっ、起きた?
おはよう、フェニックスさん」
彼ははっと目を見開いた。
目の前のベッドに、姿はない。
視線を上げると、
…部屋のすみの机の前だ。
ガトールークは、何やら分厚い書物を抱えている。
フェニックスは、立ち上がる。
肩から、毛布が落ちた。
フェニックスがそれを拾いあげるうちに、ガトールークは本を片付け、ベッドの上に戻ってきた。
「本読んでたら、頭痛くなってきちゃった」
彼は苦笑いして、体を横たえる。
フェニックスはまた、腰かけた。
「無理をするな、昨夜倒れたばかりだ…
まだ熱があるんだろう」
ガトールークの額に触れるフェニックスを見て、彼は首をかしげる。
「…なにそれ?
倒れた…って」
「…?
…お前、何も覚えていないのか?!」
「え…いや、そんなこと」
「ならば言ってみろ、昨日の晩、ここに来てからの事を、細大漏らさず」
「えーと、
うち帰ってきて、風呂入って…
… それで、
…」
ガトールークは、眉を寄せる。
「い、言われてみれば…
…その後俺、何してた?」
「…風呂から上がった後…
…は、思い出せないわけだ」
「…あ、あはは…
…まあ、そんなとこ?」
「そんなに早い段階で記憶が欠落していたとはな…」
頭を抱えるフェニックスは、さとすように続けた。
「簡潔に言うと、お前は熱を出して倒れた。
あの神官がお前に食事に手を出さないことを気にかけ、お前がもう寝ると言って立ち上がった矢先、お前は意識を失ったのだ」
「あ、それで、ここに…」
「セレスティーナ…と言ったか、
奴がここまで運んだ」
「…じゃあ、頭が痛いのって、本の読みすぎとかじゃなくて…」
「まだ、熱が高い」
「…はあ …そういうことか」
ガトールークは、たんすの引き出しからグレーのカーディガンを引っ張りだし、体をくるむ。
「どうりでだるかったり、寒かったりしたわけだ…
いいや、まだ寝てよう」
「そうしろ」
フェニックスは、ガトールークの体に、布団をかけてやった。
まぶたを閉じるガトールークを見て、
…フェニックスは、ためらった。
今この場で口に出していいものかどうか、
…伝えたところで、相手が信じてくれるのか。
… 彼は、唇を噛む。
窓の外に、目をやった。
「フェニックス」
自分を呼ぶ声に、彼はまた、視線を落とした。
熱でうるんだような目で、ガトールークが、フェニックスをまなざす。
「…何だ」
「…お前、俺に何か言いたいことある?」
────!!
「…なぜ」
「あ、いや、ないならいいんだ。
…なんか、そんな顔に見えたからさ」
フェニックスは、彼には隠しておけない────
───というよりは、彼になら話してもいいと、そう思った。
彼は、姿勢を直す。
「…ガトールーク…と、言ったな」
「あっ、うん。
そうか、結局フェニックスさんには俺の名前、ちゃんと教えてなかったよな」
「…お前は、魔法使いなんだな」
「まあ、そうだな。
一応商売っぽく魔法屋やってるけど、基本暇だし」
「…私が今から言うことを、他言しないと約束するか」
「え?
…うん、内緒にしといてほしいなら、そうするよ」
フェニックスは、一つ息をついて、
…言った。
「私は、フェニックスだ」
「…うん、知ってるよ」
「違う!
私は、フェニックス────
─────不死鳥なのだ」




