4 わたしたちの蜜恋
振り返ると、彼は座ったまま私の手を取り、俯いた。
「莉果が、いつか俺から離れていくのはわかってたことだから、いいんだよ」
「……」
「ただ、理由に納得いかないけど」
あっちゃんは顔を上げ、何かを含んだような笑い方をして、手を強く握ってきた。
「莉果、嘘吐いてる」
私を見上げる彼の視線に動けなくなった。大きくなる鼓動で息が苦しい。
「一緒にいられないなんて、誰が決めたんだよ。そんなこと」
「だってあっちゃんは、」
「俺は莉果と一緒にいられればいい。それだけじゃ、駄目?」
「……変な目で見られるよ?」
「いいよ、そんなの気にした事ない。……莉果は?」
「私は、あっちゃんのほんとが知りたい」
彼は私の手を引っ張り、今度は自分の膝の上に私を座らせた。花の香りと彼の匂いが混ざる。
「何を知りたいって?」
「テツと私、どっちが好き?」
「……テツって、俺んちの犬のことかい」
彼が呆れたように言った。
「じゃあ、ピッピとどっちが好き?」
「今度はインコかよ」
彼の溜息を遮るように、自分でも驚くくらい大きな声が出た。
「だって同じでしょ? あっちゃんが私に触るのは」
「……」
「テツとピッピと同じ。だから私と一緒にいたいんでしょ?」
泣かないって決めてたのに、涙声になってしまった。
散歩の前に抱っこされてるテツと同じ。あっちゃんの肩や頭に止まるピッピと同じ。わかりきってることなのに、そうだよなんて言葉、聞きたくない。
サキに質問された時のように彼は何も言わない。沈黙が、その答えを出したと思った時だった。
気付けば今までで一番近くに彼の顔があった。ほんの少しだけ唇に残る感触。
「こんなことテツにしない」
彼の呟きに、いつも聞き分けのいい筈の私の口から、収まりのつかない言葉が出た。
「してるじゃんいつも。ピッピにだって……」
最後に見たのは、一瞬歪んだ彼の眉。怒ったの? って思ったくらい、
息もできない強さだったから、そのまま飲み込まれてしまう。強い香りに身体の奥が熱くなって、本当に眩暈が起きた。
夢の続きを掴まえたくて瞼を上げると、彼の両手がぐったりとした私の顔を包んでいた。
「……これは絶対テツにはしない」
「……」
「ピッピにも」
「……うん」
返事をする自分の声が震えたのがわかった。
「いつも莉果に触る時思ってた」
「……何を?」
「好きだ、って」
彼の言葉に頬も胸の中も熱くなる。
「莉果……可愛い。莉果が一番好きだ、って」
耳元で響く彼の甘い声に、どうしてだか泣きたくなって、それを堪えながら囁く。
「私も、あっちゃんが好き」
うんと近くで振り向いた彼の瞳を受け止めた。こんなことある筈ないって思っていたさっきまでの私に、早く教えてあげたい。
「これが、あっちゃんのほんと?」
「そう」
「私、急に怖くなったの」
「なんで?」
「あっちゃんのこと思い出すだけで、四角いお砂糖噛んだみたいになるから」
「……」
「一日中、甘く痺れて……痛いの」
「じゃあ、こうして目の前にいる時は?」
溜息を零す私の唇に指を当てる彼に、耳を澄まして欲しくて、わざと小さな声で呟いた。
「ヌルいお湯」
「……え?」
「あったかくて溶けそうだから、大事にしてくれてるって勘違いする」
「勘違いじゃない」
彼はそのままもう一度唇を寄せた後、私をきつく抱き締めた。
「……俺、言わないように散々我慢してたのに。やっぱ無理だったな」
吐息がほんの少しだけ笑みを含んでこちらへ届いた後、彼の手は私の髪へ移動し、いつもの様に優しく梳き始めた。彼は鍵付きの箱を丁寧に開ける。
「お前さ、このこと秘密にできる?」
「秘密?」
「そう。もう後戻りできない……秘密」
二人の他には、ひっそりとこちらを見つめている花達しかいない。秘密を共有しようとしている美しいそれらに、彼の肩越しから視線を送って、誰にも言わないようお願いした。