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楽園をふちどる色彩  作者: 伊那
第一話 ガートの落とし物
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第一話 ガートの落とし物6

 この日の夕焼け空は薄紅色で、少しだけそのお財布の色に似ていた。娘の引き起こした事故の後始末が済むと、団子売りの店主は災いのもとを避けるかのようにさっさと帰れと手を払った。

 持ち主の娘に薄紅の財布を返しはしたが、フェッロとニコラスはその中身――紙片に書かれた例の内容――が気になってしまい、互いに目配せをしていた。

『殺人。頭脳犯、狂気的でありながらどこか筋の通ることを言う男。猫。孤立無援、通報は出来ない』

 あれは一体、何なのか。

 娘の容姿は、フェッロたちが聞き込みで得た持ち主らしき人物の情報――とりたてて背が高いわけでも低くもなく、目立つような服装はしていない――と一致している。現在大変な事に巻き込まれている真っ最中にも見えない。しかし、彼女が件のメモを書いた本人だとしたら、犯罪の目撃者である可能性は少なくない。

「ねえ……キミ、もしかして……」

 ニコラスが慎重に言葉を選んでいる間に、

「最近、何か危ないことに巻き込まれなかった?」

 フェッロがいとも簡単に言ってのけた。もし相手がその危ないことを起こした張本人だったら逆上される可能性もあるのに――ニコラスは小さく喉を鳴らした。目をしばたかせた娘は、少し前まで居た場所に視線を動かす。

「……大鍋をこぼしちゃったり、とか?」

「じゃなくて」

 ニコラスは即座に否定する。先ほどの事は、一歩間違えば高温の油で大火傷をしてしまうところだったかもしれないが、そうではない。

「殺人とか」

 やはりニコラスに先んじて一息に告げ、フェッロがいきなり核心をついた。

「さ、さささ、殺人?!」

 娘は、しゃべるペルシェでも見たかのような戸惑った様子でフェッロを凝視する。それからニコラス、リーシェに視線をさまよわせる。このうろたえた姿が演技ならば、この娘は舞台俳優並みだ。フェッロは更に続ける。

「頭脳犯とか猫とか孤立無援とか狂気とか猫とか」

 猫二回言ったよね、ていうか別に猫は危ない事に含まれないよね――言いたい事がたくさんあったニコラスだが、娘が神妙な顔つきで黙り込んだので舌を動かす気になれない。

 何が、飛び出すのか?

 しばしの沈黙のあと、娘の唇が開く。

「――あ、あの、もしかして、わたしの“お話メモ”のこと、かな……?」

「はい?」

「あの、わたし……物書きなの……。書きたいお話のメモを書きとめておくの。たしかに最近、そういう事をメモしたわ……」

「……え、ええ?!」




 お礼がしたいと言われ、フェッロたち三人は娘の家に行く事になった。道すがら自己紹介をし合い、娘の名前はオリガと判明、近年遠い北国から一人で移住してきたそうだ。道中、リーシェにも簡単に財布についての話をした。

 オリガの住まいは近くだというのもあって同行したが、本当にすぐにたどり着いた。こじんまりとした家の中、オリガは湯沸かし器(サモワール)からハーブティーを淹れると、焼き菓子と一緒にお客に差し出した。

 少し飲食をした後で、彼らはオリガの財布に入っていた紙片についての話をした。この物書きの娘に“お話メモ”と呼ばれている代物についての話を。

「つまり、小説を書くために必要な単語を紙に記しておいただけなの。頭脳犯のお話を考えていて、ああいう風に書いただけ。ごめんなさい、変なメモを落としてしまって……。あの、でも、もちろんわたしが殺人を目撃したりというのではまったくないから……」

 オリガが言うには、そういう事なのだ。自分が見聞きしたものを書いたのではなく、考え付いたものを記しただけなのだ。

 すべてはみんな、お話の中の出来事。事件なんて何もなかった。

「はああ……なーんだ~……そっかー……」

「狂気的でありながら筋の通った事を言う殺人犯に監禁されて孤立無援、野良猫しか見えない窓から助けは呼べない事件が起きてるのかと、ちょっと思ってた」

 ニコラスもフェッロも、形容しがたい表情になってしまう。話を聞いただけのリーシェも、「それは、今のオリガさんの話を聞いていないと事件と思ってしまいますね……」と同意してくれた。

「すいません、紛らわしいことしたりして」

 オリガは俯いて申し訳なさそうにしている。彼女もまさか、事件と思われると想像してなかったのだろう。騎士団を動かすほどの騒動に発展しなかっただけまだよいだろう。自分の財布をこするようにいじっているオリガはすっかり顔を下に向けている。揺れるは財布にくくり付けられたガートの飾り。

「でも……ガート好きに、悪い人はいないってことだね」

「いや意味分かんないから」

 顔を上げきょとんとするオリガに、フェッロは大のガート好きなのだとニコラスが教える。財布のガート飾りを見て、フェッロが財布の持ち主はガート愛好家に違いないと思い込んでいたのだとも。

「ああ、これは……ガートじゃないの……」

「え」

「本当はこっちにもうひとつ羽があって……取れちゃったんだけど、卵に羽が生えた幸運のお守りなの。持ってると良いことある、っていう。片方羽取れちゃったし、最近良いことないけど」

 オリガは羽があった場所を指し示してから、フェッロたちに飾りを手渡す。どうやら、彼女の故郷では定番のモチーフで、“幸運のたまご”というらしい。つまり、ガートの横顔に見えていた部分は卵、そしてガートの耳に見えていた部分はただの羽だったのだ。片方の羽がなくなっていなければガートには見えなかっただろう。

「ええ~……なーんだー。なんか、さっきから拍子抜け~……助けを求めるメッセージは小説家の話作りのメモで、ガートの飾りかと思えば全然違ったり……」

 思い込みというものは本当に不思議なものだ。殺人事件を予想させたメモがただの紙切れだった、という落差にはなんとも脱力してしまう。ガートに見えた飾りにしてもシルエットが似ているからとの判断は、思い込みでしかなかったのだ。

 オリガがガート愛好家ではなかったのは少々残念ではあったが、“幸運のたまご”という見も知らぬものを知って、フェッロは改めてその飾りを見た。羽の生えた卵。片方だけ残された羽。かつてガートと見なされた代物。

(おもしろい)

 新しい発見。何度だって思うのだろう、世界には自分の知らない事がたくさんあると。今日ニーベルの話を聞いて思った事と同じだ。これも異国の欠片。ふしぎの出入り口。知らない世界のみちしるべ。

「今日は思い違いばっかりか」

 落し物が持ち主のところに帰るのに夕方までかかったのは、思い違いをしていたからだろうか。財布の中に妙なメモが入っていなければ、ニコラスもフェッロもここまで気にする事はなかったのかもしれない。ガートに見えていたから気にかかった飾りも、思い込みであっても必要な勘違いだったのかもしれない。

 有翼の卵を眺めたままのフェッロとは対照的に、ニコラスは興味を失ったのかオリガに話しかけていた。

「でも、そっか。作家さんかー。すごいね、どんな本書いてるの?」

 ニコラス自身は読書家ではないが、具体的な仕事内容くらいは気になる。

「え、えっと、あの……」

 オリガは非常に照れ屋なのだろうか、それとも自分の職業について問われるのが苦手なのだろうか、少し顔を赤くして再びうつむいてしまう。

「ま、まだ……本当に駆け出しで、あまり書いたりしてなくて……」

 言いよどむオリガを問い詰めるようなつもりはないニコラスだが、気になるのは変わらない。

「頭脳犯の話ってさっき言ってたから、事件がいろいろ起こる話とか?」

 話し込むニコラスとオリガ、それには加わらないリーシェの顔がやや緊張しているようだとフェッロは気づいた。

「どうしたの、リーシェ」

 ちらりとオリガを一瞥して、リーシェは「ちょっと……」と語尾を細くする。ニコラスとオリガから少しだけ離れて、フェッロはリーシェに先を促した。

「……大丈夫だとは思うんですが、オリガさんの精霊にすごく……歓迎されていないみたいで」

 常人の見えざるものが見えるリーシェの瞳には、非常に不機嫌な顔の精霊が睨みつけてくるのが見えている。肌は白、髪は銀、青い瞳は冷たい海の底のよう。青年ほどの姿ではあるが、その身にまとう空気は人間のものではなかった。人であっても冷えた目線の強さは変わらないだろう他者を拒絶する表情。それでも、オリガを見つめる目だけは優しかったから、リーシェは“大丈夫だ”と思ったのだが――こちらへの視線が本当に痛い。オリガは魔法使いなのだろうか。何も言ってなかったから、隠しているのか。

「さっきフェッロさんに声をかけられた時に見かけたのがこちらの精霊なんです」

「なるほど」

 首を縦に振るフェッロから目を離し件の精霊を見上げるリーシェは、ふいに室温が下がったように感じた。原因は分かるような気がする。不機嫌そうなオリガの精霊の冷えた目つき――。 

(「……人間の娘、不躾に何度もこちらを見るな」)

 リーシェがこの精霊を気にかけたのは、周囲を異様に警戒して、町にいる間は誰彼構わず睨みつけていたからだった。あまりの剣幕に、今にも誰かを襲うのではないか――そう思えるほどに、険しい顔だった。今は少しやわらいでいるが、この青年の精霊がまとう空気は冷たい。

(「そこの脳みそのなさそうな男どもも、昼前はオリガの後をしつこく尾行(つけ)おって……天下の往来では躊躇われたが、今ここで氷像にしてやろうか」)

 さっきより更に部屋の温度が冷えたような気がするのは、気のせいだろうか。リーシェは自分の眉間に手をあてて、しわを伸ばしたくなった。本当にオリガとその精霊を追ったのかとリーシェが問うと、フェッロは頷いた。

「結果だけ見れば、そうなる。財布の持ち主を探してたから。でも途中でオリガらしき人物の消息はたどれなくなったけどね」

「どうやらそれがこちらの精霊さんのお気に召さなかったようです」

「途中からオリガの目撃情報が得られなかったのは、この精霊に避けられてた……?」

「そうかもしれないですね……」

 冷えた目の青年精霊は、オリガの護衛をしているのだろう。そう思えばオリガを追う人物を彼女から遠ざけたのも、納得がいく。フェッロたちとオリガのすれ違いを生み出したのは、そのせいなのだ。リーシェにもクレンという契約精霊がいるが、相手がリーシェを思ってくれている気持ちが分かる。オリガと彼もそうなのだろう。オリガを思うあまり、過保護になっていると解釈していいのかもしれない。

 オリガの精霊についてはそう気に病む必要はないだろう。今はもう、こちらに強い視線を送って来ないし、少しは警戒を解いてくれたらしい。リーシェは、オリガに顔を向けて言った。

「オリガさんは、魔法使いだったんですね」

「へ? 違うわ。そりゃあ、ちょっとぐらいは憧たりした時もあるけど、わたしと契約してくれるような精霊さんなんていないもの……」

「え……?」

 当たり前ではあるが、すべての精霊が必ず人と契約を結んでいる訳ではない。人間が精霊を、逆に精霊が人間を気に入って双方の同意が得られれば契約成立となる。精霊が人間についていっているだけという場合もあって、今回はそれに相当するようである。そんなリーシェの推測を裏付けるように、オリガは少し神妙な顔をして聞いてきた。

「あの、もしかしてリーシェさんって、見えないものが見えたりする? 実はわたし、幽霊に悩まされてて……と言っても被害はほとんどないんだけど……」

 顔を上げてリーシェは例の精霊の様子を伺った。顔つきは厳しいまま何も変わらないがやや不満そうな感情を隠しきれていない。どうやら彼はオリガに精霊とは思われていないらしい。

「……オリガさんは、あの精霊のことを幽霊と勘違いしているみたいですね」

「そっか……そういうことも、あるか」

 精霊の姿が見えないフェッロにも大体の事が推測出来る。オリガに聞こえないようにと、なんとなくリーシェに耳打ちする。やっと蚊帳の外の自分に気がついたニコラスが、かすかに拗ねたような声でやって来る。

「ちょっとー、二人して何こそこそ話してるの? もしかして、浮気の相談?」

「違いますよ……」

「浮気って相談してするもの?」

「そういう話じゃないでしょ」

 ニコラスは暗に、フェッロにはビアンカが、リーシェにはキジャがいるでしょ、というつもりで冗談めいた言葉を使ったのだが、鈍い男と真面目な娘が相手では通じなかったようだ。

 元々の知己であるために会話が弾む三人を、食い入るように見つめるオリガ。自分の頬がゆるんでしまっているのを、彼女は知らない。

「さ……三角関係ね……! リーシェさんがフェッロさんに好意を持たれていて、でもリーシェさんはニコラスさんに淡い恋心を……イイ……!」

 メモメモ、とつぶやくオリガに気がついて、フェッロたち三人は物書きの娘に視線を注いだ。自分に向けられた六つの瞳に、我に返ったオリガはまごついた。

「はっ、ごめんなさい! つい癖で、ひとり言を」

「え、そっちじゃなくない?」

 ニコラスは、リーシェにもフェッロにも自分にも他に想い人――あるいは想われている人がいると言いたかったが心の内にしまっておいた。

「ああっ、ごめんなさい、わたしなんかが他所様の恋路の覗きを! お邪魔を!」

「そっちでもないよ……?」

 何と言ったらよいものか、まさか誰が誰と想いあっている、なんて言えるはずもないニコラスは次の話題を探そうとした。が、オリガの方がやや申し訳なさそうに切り出してきた。

「すいません。わたし、お話の種になりそうな場面を見ると、つい思考が暴走しちゃって……ほんとにすいません……」

「気にすることないのに」

 そう言うフェッロも一人でつぶやいている事なんて、ちっとも珍しくもない。かといってよくひとり言をしている自覚もないが。

「いいの、わたし、どうせわたしなんて……小さい頃、ひとり言ばっかで気持ち悪いって笑われたりしたし……」

 これまでの様子からはオリガが気の強い女性とは思えなかった。笑われて、気にするうちに気が弱くなっていったのかもしれない。

「僕だってひとり言ぐらい言うよー。ひとり言なんて、ついしちゃうものじゃん。そのオリガちゃんを笑った子って、オリガちゃんに話しかけたいだけだったんじゃないのー?」

「そんな……だって、いつも嫌なことを言ってきて」

「あ、好きな子いじめるタイプじゃないのかな? って男の子だったりした?」

「そう、男の子……で、でもそんなはずないわ」

 励ましついでにニコラスは話題を逸らしていた。いっそ見事な話術といえるだろう。

「小さい頃って、思ってることと反対のこと言っちゃう時、あるしねー」

 オリガはそんなに周囲を気にする事なく明るくしていていいはずなのに。話を続けたいニコラスだが、外の様子がすっかり変わっているのを見つけた。

「って、わ、もう夕方じゃん。さすがにもう戻らなきゃ」

「遅い時間に長居しちゃ悪いですしね……そろそろお暇します」

 いい頃合だとのリーシェの提案にフェッロも頷いた。じゃあ、と簡単に身支度を済ませて三人はオリガの家を出る事にする。家の戸を出たところで、「あの!」とオリガの緊張した声が響く。

「……あの、また……会えたり、するかな……?」

 不安そうなオリガは、叶わぬ願いと思っているのだろうか。ニコラスは小さく口角を上げる。

「そんなの、当たり前じゃん」

「寺院に遊びに来る?」

「わたしも寺院に住んでいるので、それはいいかもしれませんね」

 三者三様、しかし同じ内容の答えを彼らはオリガに返した。何故そんな事をわざわざ聞くのか、当たり前だというかのような返事だ。財布の持ち主探しからはじまり、偶然の出会いをした彼らだったが、新しい交友関係を広げないつもりはなかった。

「ありがとう……今度は、わたしが会いに行くね」

 恥ずかしそうに俯いたオリガは顔を上げると、うれしそうに目を細めた。


 オリガの家を出てニコラスと別れた後、フェッロは重大な事に気がついてしまった。

「……ごめん、リーシェ。よかったら、買い物に付き合ってくれないかな」

 承諾したリーシェを連れてフェッロが向かった先は、製粉屋だった。ホープのお使いの最後の一品を、すっかり忘れてしまっていた。

 頼まれた小麦粉は十キルトジェム。その袋を両手で抱えるフェッロの小麦粉以外の荷物をリーシェが預かってくれた。小麦粉のせいで足取りは軽くとはいかないが、寺院まではそう遠くはない。同じサン・クール寺院に住む二人は、ぽつりぽつりと話しながら帰路についた。

「今日はキジャと一緒じゃないんだ」

「……そんな、わたしとキジャさんは、そういう、……いつも一緒にいるわけではありませんから」

 どこか照れたような、困惑したようなリーシェは顔をかすかに下に向けた。ここにホープがいたら満面の笑みでつっつきたくなる瞬間だろう。渦中のキジャがいたのであれば、彼は悲しんだだろう。リーシェに想いを寄せ、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく“好きだ”と告げるような人物なのだから。

 想われているのは分かるが、どうしたらいいのか戸惑っている。そんなリーシェの様子が分かってか分かっていないのか、フェッロは話題を変えた。

「今日は新商品にいろいろ会ったんだ。マフィンとか牛乳とか。……牛乳は、飲んでないけど」

「……はあ」

 リーシェにはフェッロの話の論点が見えないようだ。ただの四方山話の延長線かのような事を言ったのはフェッロだから、無理もない。

「みんな、新しいことはじめてるんだね」

「そう……みたいですね」

 ゆっくりとつむぎ出された声はどこか実感を伴って聞こえた。リーシェが空を見上げる。それに倣うように、フェッロも視線を上向かせる。夕暮れの紫色の空。かすかな(くれない)を残す西空から紫を通って、暗さを伴った濃い青が広がる東の空へとたどり着く。もうすっかり宵の時間だ。

 リーシェにも何か思うところがあるのだろうか。自分の性格が相談にのれるようなものではないと知っているから、フェッロは何かを聞いたりはしない。それにリーシェにはキジャがいる。ホープのような鋭い恋愛観察眼を持たないフェッロでも、キジャの好意はよく分かる。あれだけリーシェに愛を囁いているのだから疑うべくもない。

 横目でリーシェに向けていた視線を、フェッロはもう一度空へと戻す。今日はあちこち歩き回って、ささやかだが色々な事があった。穏やかな日常。何かを忘れているような気がしても、それを咎められる事のない生活。何を忘れているのだろうか。彼の頭の端に引っかかるそれ。考えないようにしているだけかもしれないもの。それが何かは分からない。今はまだそのままで。

 目前にサン・クール寺院の敷地中に灯った明かりが見えてくる。淡くやわらかなマンダリンオレンジの色。彼らは我知らずわずか歩幅を大きくすると、彼らの寺院にたどり着いた。

「あ、おかえりなさい」

 待つひとの、いる場所へと。




   ***




 その夜オリガはある夢を見た。

 外は故郷に似た北国だったけれど、どこか架空の学園の中に彼女は居た。オリガがリーシェとしゃべっていると、ニコラスがやって来る。それから、三人でフェッロの居眠りを起こしたりするのだ。

 笑いながら彼らと話をしていると、視線を感じた。首を回すと、時々オリガの目の前に現われる“幽霊”が立っていた。肌は白、髪は銀、青い瞳は冷たい海の底のよう。夢の中にいるからだろうか、今日はこの幽霊にも親しみが持てた。彼女が微笑みかけると、幽霊は虚を突かれたように一瞬驚いてみせる。いつも幽霊には驚かされているから、今度はオリガの番だ。なんだか得意になった。奇妙な高揚感が訪れる。

 今なら何でも出来る気がする。何でもお話が書ける気がする。誰とだって、友達になれる気がする。

 ちょっとした事で人は笑う事が出来るのだと、オリガは知った。それはきっと、素敵な事だろう。

 それはきっと、他の誰かに伝えたっていい事だろう。

 そんな話が書きたい。

 まどろみの中のオリガは笑顔が絶えなかった。




 幸福のたまごは、羽が欠けても効果があるんだね。

 今日はわたし、なんだかとっても――うれしいことがあったみたい。







 第一話 ガートの落とし物 おわり

登場人物の一部は参加者さんからお借りしました。

まだ名前だけのキャラですが初出なので明記しておきます。


キジャ(考案&デザイン・タチバナナツメさん)

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