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ロリコン君と生徒会長さん  作者: 山彦八里
ロリコン君と生徒会長さん
6/10

少しだけ先の話

「――きて」


 規則的な振動音と共に、聞き慣れた声が耳をくすぐる。


「起きて下さい、“社長”」


 おぼろげに聞こえた声に自分が眠っていたことを自覚する。

 意識して目を開け、まだ少し寝ぼけたまま視線を彷徨わせる。

 窓の外を流れる景色に、自分が車の後部座席で仮眠をとっていたことを理解する。

 ふとバックミラー越しに目のあった青年は自分の記憶の中の姿よりも幾分大人びている。


「お目覚めですか?」

「ん……」


 だが、その柔和な雰囲気と落ち着いた声音を聞き間違える筈がない。

 自分の、愛する人の声と姿だ。


「……君か」


 自分で自分の思考に恥ずかしがって、思わず素っ気ない返答を返してしまったが、お疲れ様です、といつも通りの応えが返って来たのでほっと胸を撫で下ろす。


「……」


 高校時代と比べて奇跡的に身長は少しだけ伸びたが、見下ろした己の体には撫で下ろすだけの胸はない。

 どこぞの書記とは言わないが、今でも順調に成長を続けている者もいるというのにあまりに理不尽である。

 男装ですか?と訊かれた時は思わず社会人らしからぬツッコミが出てしまったのは記憶に新しい。


「……はあ」


 そうして、いきなり溜息をつき始めた社長の姿に彼は苦笑する。


「もう会社に着きますよ」

「む、そうか……よし!」


 内心を慮ったフォローのタイミングも慣れたものだ。

 社長は頬を叩いて気合いを入れ直す。

 部下の前で気の抜けた姿を晒す訳にはいかないのだ。


「資料をくれ」

「こちらに」


 運転しながら器用に伸びた手が助手席に置いていたファイルを手渡す。

 社長は中を開いて素早く目を通す。


「他の役員は?」

「全員揃っています」

「会計監査は?」

「あと三時間で終わるそうです」

「……彼女は相変わらず残業する気はないようだな」

「ふふ、そうですね」


 読み終えたファイルをパタンと閉じる。


「まったく。皆そうそう変わらんものだな」


 渉外だった彼は上海の取引先から凱旋中だし、この資料を作ったのは書記だった彼女だ。

 大学の違った者も再集結して、役職こそ変わったものの、その本質は変わっていない。


 高校を卒業し、大学在学中に起業して早五年。

 あっという間の日々だった。そんな気がする。



 物思いに耽っている内に車が停車した。

 先に降りた彼が外からドアを開く。


「どうぞ」


 日差しの中、こちらの手を取って立たせる『副社長』

 その薬指に光る自分とおそろいの銀の指輪。


 照れ隠しで気恥ずかしいと言ったこともあったが、毎朝、彼に笑顔で嵌められているうちに慣れてしまった。

 慣れとは恐ろしい。


「ありがとう。さ、行こうか」

「ええ。……あ、今日の分は片付けてありますから、僕は早めに上がりますね」

「ん? 何かあったか?」

「保育園のお迎え当番なので」

「ああ、そうだったな。よろしく――」


 彼女の言葉が尻すぼみになる。


「……保育園?」


 問いに副社長の顔が微笑に変わる。

 それは二人っきりの時にだけ見せる、とびきりの慈愛の笑みだ。


「お忘れですか? 今年で二歳ですよ、僕たちの“娘”は」


 対する社長の動きが止まった。

 眉間をほぐしつつ、副社長に掌を向けて待ったをかける。


「……娘? 誰の?」

「僕と貴女の愛の結晶です」

「産んだのはどっちだ?」

「……新年会のネタですか?」


 そういえば連チャンはきついから新年会を2月にしようって決めたんだったな、などとどうでもいい情報が脳内を流れる。


 だが、困ったことに子供を産んだ記憶がない。

 お産の時は痛みで記憶がとぶこともあるという話は聞いたことがあるが、それにしてもお腹が大きくなった覚えもないというのは異常だ。


 あまり――彼女基準の“あまり”である――体の大きくない自分だから出産は大変なのではないかと不安に思ったこともあったのだ。

 いくらなんでも何も覚えていないというのは――


「あな……副社長」

「どうしました?」


 あなた、とは言えず結局いつも通りの呼び方で彼を呼ぶ。

 そして、返されるいつも通りの笑みに心が落ち着く。


 そうだ、不安になることなど何もなかった。


 その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、いつも共に在ることを誓ったその笑顔にこちらも満開の笑みを返す。


「――娘には何と名づけたんだ?」


 音が消え、周囲の景色が滲んでいく中、彼の声だけが澄んだ音を立てる。


「娘の名前は――」


 それを聞き届け、彼女は満足げに頷いた。

 同時に、意識が急速に浮上していく。


 夢が、終わるのだ。



 ◇



「――オワァッ!!」


 突然の叫びと共に飛び起きた反動で“会長”は椅子ごとひっくり返った。

 ゴン、と鈍い音が生徒会室に響く。

 少女は思いっきりぶつけた頭を抱え、2月の気温に晒された冷たいリノウムの床を転がり回った。


「痛ゥ……」


 役員達が見て見ぬふりをする中、10秒ほどで痛みは引いていき、少女は少し揺れた後頭部をさすりつつ倒れたイスを立てて座りなおした。

 室内に落ち着いた雰囲気が戻ってくる。


 会長は周囲を見回し、次いで己を見下し、自分がまだ高校生であることを確認して、ふうと薄く白い息を吐いた。


「いかんな。まだ正月ボケが抜けていないらしい」

「それにしても『オワァッ!!』はないっすよ、会長。女の子的な意味で」


 向かいの机で読んでいた参考書を倒し、書記が顔を上げる。

 そうすると丁度、本に隠されていた冬服の厚手のブレザーの上からでも分かるたわわな果実が会長の視界に入る。

 会長の機嫌がちょっとだけブルーになった。


(将来の私も貧にゅ……いや、まさかな……)

「そ、そうだな。はしたなかったな」

「もう自分一人の体じゃないんっすからー」

「ソレ意味違うよな!?」


 にゃははと笑う書記にジト目を返す。

 視線の先、両手で本を開いている彼女の体勢は、会長の偏見含有率96%というウォッカもびっくりな濃度のロリっ子フィルタを介せば、その豊かな胸を両腕で寄せて上げているようにしか見えない。


 その体勢はワザとなんだろう、そうなんだろう、そうなんだろう?


「――贅肉め」

「な、なんすかいきなり!? べ、別におせち食べ過ぎて太ったりなんかしてないっすよ!」


 瞬間、書記の墓穴が生徒会室の至る所に飛び火した。

 ある者はシャーペンを握り折り、ある者はわざとらしく落とした鞄を拾い、会計が珍しく犯した計算間違いを修正している。



 会長と書記は何故か少し温度の下がった気のする生徒会室を見回し、暗黙の内に話題を変更することに合意した。


「そ、そういえばもうすぐバレンタインっすね!」

「ああ、書記はまた義理チョコ配るのか?」


 チョコという部分に何人か反応したが、二人はスルーを強行した。

 武士の情けである。


「んーちょっと忙しいっすから生徒会内だけにしようと思うっす」

「そうか。まあ、そうだろうな」


 4月からは自分達も本格的に受験生になる。

 まだ1年もあるなどと高を括っていられる者はそういないだろう。


「会長は本命単勝っすか?」

「……書記よ、最近台詞がオヤジ臭いぞ」

「酷ッ!?」


 問いを流して会長は曇る窓を軽く拭って外を見る。材料は既に揃えているが、わざわざ弄られるネタを提供するのも恥ずかしかったのだ。

 見下ろす先、帰りの途につく生徒達は肩を寄せ合うようにして並木道を進んでいる。

 まだまだ寒さは続き、しかし、そのおかげで空は高い。


 少女は冬が好きだ。

 高く澄み渡る空も、仄かに感じられる陽光の暖かさも、冬だからこそ在る物だ。

 最近は副会長宅の炬燵に入り浸っているからか、余計にその想いが強い。


「こ、炬燵に入ってるのは勉強しているからだぞ!」

「――電波受信?」

「んー? 会長の家って炬燵なかったすよね?」


 会長はしまった、と顔を顰める。

 肉食獣達(ジョシコーセー)に燃料を投下してしまった。


 さらに折り悪く生徒会室のドアが開かれた。


「いま帰ったゾー。ああ、寒かった」

「ただいま戻りました」


 最悪かつ、ある意味最高のタイミングで予算の最終調整を終えた渉外と副会長が帰って来た。

 廊下はかなり寒かったのか、二人とも手を擦っている。


「――ナイスタイミング」

「副会長はちょっとこっち来るっす」

「どうかしましたか?」


 首を傾げる副会長は眼鏡をかけておらず、以前より大人びて見える。

 会長と付き合い始めたのを機にコンタクトに換えたのだ。

 それがどのような心境の変化なのかは誰も訊いていない。ただ、たまにその横顔を見つめている会長が如実に答えを示していた。


「さあさあチャキチャキ吐くっすよー」

「――炬燵ある?」

「家にですか? ええ、ありますよ」

「最近、お客さんが増えたんじゃないっすかー?」


 書記のからかうような物言いに状況を察した副会長が笑顔で誤魔化しにかかる。


「ええ、最近はお猫さんがよく来られますね」

「――ぬこ」

「ほほう、猫ちゃんっすか」

「甘えベタなんですけどね。でも、時々膝の上に載せ――」

「フシャーー!!」


 台無しであった。



 ◇



 18時になって会計が席を立つのに合わせて他の者も続々と帰る準備をしだした。

 卒業式の段取りも学校側の応答待ちの今の時期、特に仕事もないのだ。生徒会室に集まるのも習慣半分、惰性半分だ。


 既に外は暗くなり、街灯がポツポツと周囲を照らしている。


 付き合いだしてからは恒例となった二人っきりの生徒会室で会長は帰り支度を終え、仕上げにマフラーを巻く。

 副会長の手作りだ。リボンの色と合わせたワイン色のマフラーはひと目見て気に入った。


「会長、髪巻き込んでますよ」

「む……」


 背後からそっと副会長の手が伸びてツインテールを整える。

 首筋を撫でる優しげな手つきに会長は猫のように目を細める。


「……君は」


 心まで解されたかのように、ふっと会長の本音が漏れる。


「娘と息子、どちらが欲しいとかあるのか?」


 振り向く。少女の身長は少年の胸あたりまでしかないので、視線は自然と見上げるような体勢になる。

 背伸びしてもキスするには少しだけ遠い距離。いつもの二人の距離だ。


「欲を言えばどちらも、ですね」


 いつも通りの笑顔に、しかし少女の胸は鼓動を早める。

 少年は少女の背中に手を回し、自ら軽く膝を折る。二人っきりの時の距離だ。


「君ならそう答えると思った」

「そうですか?」

「ああ、だから……その、私も……頑張る」


 至近距離、珍しく少年が驚いた顔をしている。

 前にこの顔を見たのは告白した時だったろうか。


「か、勘違いするな!! すぐにじゃないからな! こういうのはちゃんと準備してからだからな!」

「承知しました。前に起業したいって仰ってましたし、そちらが先になりますね」

「う、うむ……それについてなんだが――」


 一度近づき、離れ、肩を並べた二人は連れ立って生徒会室を後にする。


「先程、奇妙な夢をみてな」

「夢、ですか」


 冬が終われば、春が来るように、日々は続いていく。

 次の一歩を踏み出す為に、二人は扉を開けた。

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