第7話 マリーと馬の話
それから数日経っても、ストリックランドの「皿割り」の症状は治っていなかった。
そんなある日の仕事終わり、ストリックランドがテーブルの上を掃除していると、カウンター席に腰かけたマリーが話しかけてきた。
「私、むかし乗馬にチャレンジしていたことがあるんです」
「乗馬? どうしたんだ急に」
「せっかくですから、私も自分が苦手だったことを話そうかと思って……」
「君の経験が、俺の問題を解決するのに活きてくると?」
「まあ、それは分からないですけど、ただの雑談だと思って聞いてくださいよ!」
マリーはにこやかに答えたが、ストリックランドは、彼女が自分の問題を解決する糸口として、何か語り出そうとしているような気配を感じ取った。
「分かった……。だが、どうして君みたいな女性が乗馬なんて? この辺りは馬で移動する必要があるほど田舎でもないだろ? 荷物を運ぶなら、馬車に乗った方が楽だと思うが」
「それはそうなんですけど……まあ、一言で言ってしまえば、趣味みたいなものですかね」
「趣味で乗馬を?」
「もっと正確に言うと、若いころは旅人にあこがれていたんです。それで、馬に乗って遠くまで旅に出たいなあ……なんて思ってました」
マリーは少しだけ恥ずかしがるように答えた。若いころに旅人や冒険者にあこがれを持つ人間は少なくない。マリーもその一人だった。
「それで、馬に乗れるようになりたかったわけか」
「そうなんです。でも、なかなか上手くいかなくて……」
「君は器用そうに見えるが、何でも上手くいくわけではないんだな」
ストリックランドは、マリーの普段の仕事ぶりや、自分への態度から、彼女のことを器用でなんでもそつなくこなせるタイプだと思っていた。そのため、若いころの話とはいえ、彼女が何かに苦戦するところが中々イメージできなかった。
「どういうわけか、馬が怯えて暴れてしまうことが多かったんです」
「馬が怯える? 君のような人畜無害な人間に?」
「あとで分かったんですけど、私自身が馬を怖がっていたのが、馬の方にも伝わってしまったみたいなんです」
「たしかに、動物はそういうところがあるな」
「動物と言えば、私、実家では犬を飼っていたんですよ。ペロっていう小さな犬でした。だから動物には慣れていると思ったので、ショックでした」
「馬と犬では大きさが全然違うからな、怖がるのも無理はないだろう」
「いえ、怖かったのは大きさではないんです」
「というと?」
ストリックランドはテーブルの上を掃除する手を止めた。
「私、ペロと一緒に遊んでいるときに思ったんです。どうして犬や他の動物は平気なのに、馬とは相性が良くないんだろう、と……」
「理由はわかったのか……?」
「はい、実は、小さいころに乗馬体験をしたことがあって、そのとき馬から落ちて怪我をしてしまったことがあったんです。本当に小さいころの出来事で、私自身はあんまり覚えていなかったんですけど、親から聞いてそんなことがあったと思い出したんです」
「なるほど、その出来事がトラウマになっていたということか」
「そうみたいです」
マリーはあえて困ったような表情をして言った。
ストリックランドは掃除を再開しながら、彼女がこの話で何を伝えようとしているのか、考えはじめた。
「それで、どう解決したんだ?」
「親に聞いた話だと、幼いころの私は、馬に乗った状態で、はしゃいだり暴れたりしてしまったそうです。それで馬も驚いて、私を放り出してしまったんだと思います。それで私は、その時の記憶をできるだけ冷静に見つめなおそうとしてみたんです」
「見つめなおすというのは、具体的にどういうことなんだ?」
「なんて表現したらいいんでしょうかね……」
マリーは言葉を選びながら言った。
「失敗したとか、成功したとか、あえて評価しない……って感じでしょうか」
「あえて評価しない……か。馬から落ちて怪我をしたことについても、失敗ではないと?」
「いえ、失敗かどうかの判断もしない、ということですね。過去に起きたことは、ただ過去のことであって、今この瞬間とは切り分けて考えるようにしたんです」
「……君は考え方が柔軟だな。それで、そう考えることでトラウマは克服できたのか?」
「はい、時間は少しかかりましたけど、それまで『自分の中に根付いていた深刻な失敗』だったのが、『ちょっとした子供のころの事故』っていう感じで、客観的に見れるようになったんです。そしたら、馬を前にしても、何も怯えることがなくなったんです」
「……なるほどな」
マリーは話を終え、にこりと笑った。
ストリックランドはマリーの経験を聞き、自分はどうすべきか考えていた。彼女の話は「ただの雑談」と銘打っておきながら、どこか示唆的な童話のように聞こえた。
教訓めいたものが背後にあり、マリーはそれを何とか伝えようとしているのではないかと彼は思った。
以前の冒険者という立場のストリックランドであれば、そのような態度で相手の話を聞くことなどなかった。
仮に、目の前の相手が何やら感慨深そうに「空が青い」と言ったとしても、「空が青い」という情報だけを受け取り、特に深掘りなどせず、「ああ」と返事をするだけなのが彼であった。
冒険者という立場においては、それで問題などなかった。言葉の受け取り方などよりも、実際的な「力」の方がはるかに問題解決のための比重が大きかった。
しかし今、レストランの店員という立場においては、話が違った。彼が直面している問題を解決するためには、単なる力ではなく、より柔軟なスキルが求められていると、ストリックランドは分かっていた。
そういった対応は彼にとって苦手なことではあったが、自分を雇ってくれた女性に対する恩義として、逃げるわけにはいかなかった。
それで彼は、マリーがしたような考え方を、自分にも適用してみることにした。




