第10話 違う視点
翌日の仕事終わりに、ストリックランドはマリーに言った。
「昨日、自分の記憶を色々探ってみたが、君と同じように、あることがトラウマになっていたことが分かった」
「そうだったんですね……どういう内容か聞いてもいいですか?」
「ああ、大したことじゃない、子供のころに皿を割ったら、母親から『もう何もするな』と言われたんだ」
ストリックランドは、あえて軽い口ぶりで言った。そうすることで、自分に起こった出来事を些細なことだったかのように扱い、トラウマの影響を軽くしようとしたのだ。
「それは……子供にとってはショックでしたよね」
「だが、克服はできるはずだ。それまで待っていてほしい」
「分かりました、それじゃあ期待してますね!」
マリーは割れた皿を修復しながら言った。
さらに数日後の定休日、ストリックランドは早朝から、前に行った川原に足を運んだ。
「『火焔の産声』」
前回と同じように、右手で炎を作り出し、それを抑え込む。
形と大きさを安定させたら、目を閉じて、問題の記憶にアクセスする。
幼いころの記憶。割れた皿を両手に持ち、申し訳なさそうな顔をする幼年期のストリックランド。そして、その様子を呆れた表情で見る彼の母親……。
やはり、炎が乱れはじめた。ストリックランドは意識を集中する。
この状況でも炎を安定させることができれば、トラウマを克服できたことになるだろうと彼は考えていた。
深呼吸しながら、以前マリーが乗馬の話をしてくれたときのことを思い出す。失敗とも成功とも評価しない、と彼女は言っていた。ストリックランドもそう意識するようにしたが、中々上手くいかない。どうしても、炎が大きくなり、形も乱れてしまう。
「そう簡単ではないか……」
ストリックランドは目を開けてつぶやいた。炎は不安定な形で燃え盛っている。
少し休憩して、もう一度同じことを試す。
しかし、またもや上手くいかない。トラウマの記憶によるものなのか、単に火が熱いからなのか、彼は汗をかきはじめた。
「もう一度だ」
再び同じ挑戦をする。
少しだけ火の勢いを抑えられる瞬間があったが、すぐに暴れはじめた。わずかな進歩だが、完全に克服するまでに一体どのくらいかかるのだろうかと彼は不安を覚えた。
その不安が反映されて、火がさらに揺らいでしまった……。
……彼はその後、何度も挑戦した。
気がつけば、時刻は夕方になりはじめていた。さすがのストリックランドも疲れを覚え、少し休憩したらもう帰ろうかと考えた。
空があかね色に染まりはじめる中、彼は川原に寝そべって空を見上げた。
しばらくぼんやりしていると、ある一つの雲が目に留まった。棒状で真ん中が少し曲がっており、ストリックランドは、異国の武器であるブーメランのような形だと思った。
ふと、あの雲をマリーが見たら、一体何に例えるのだろうかと考えた。レストランの店主ということから、フライドチキンや手羽先に似ていると言うかもしれない……。
その時、ストリックランドにある考えが浮かんだ。
同じものでも見る人によって見え方は変わる……いたって当たり前のような言説だが、彼の頭の中に、単なる言葉ではなくもっと実際的な感覚となって意識されはじめた。
ストリックランドは、あることを思いついた、自分の中でトラウマとなっているあの出来事について、別の人物――つまり「母親」にとっては、どのように捉えられる出来事だったのだろうか、と。
それは、今まで考えたことのない観点だった。
これまでは、母親からかけられた言葉の印象が強く残り、ストリックランド自身が覚えた感覚や感情にばかり囚われていた。母の言葉は、家族関係の修復に対してあなたは無力であるというメッセージのように思えた。
しかしあの時、母は一体どのような気持ちや考えがあって、息子にあのような言葉をかけたのだろうか?
彼は当時の母の状況から客観的に考えてみた。
すると、案外、あの言葉はそこまで深刻な一言ではないのではないかと思われはじめた。
連日息子が外で問題を起こし、夫は中々理解を示してくれない。ついには激しい夫婦喧嘩が始まり、怒った夫は出ていってしまう。母はきっと、怒りや不安感でいっぱいだっただろう。
……そんな中、普段やんちゃな息子が、珍しく家事を手伝ってくれた。しかし、力加減が下手な彼は皿を割ってしまった。一度目は怒りを抑え、息子のことを心配することができた。
しかし、二回も皿を割ってしまったともなると、いよいよ限界が来てしまったのかもしれない。心に余裕がなくなっていた母は、つい見捨てるかのように「何もしないで」と言ってしまった。
しかしそれは、あくまで疲れて余裕がなくなっていたから、そう言ってしまっただけの話ではないか?
彼女の視点に立てば、そう考えるのが自然としか思えない……。
ストリックランドはついに分かった。
あの時の言葉に、「あなたは無力だ」などというメッセージはまったく含まれていなかったのだ。それはストリックランドが勝手にそう受け取っただけの話だった。
急に、視界が開けるような感覚になった。
「よし……もう一度だ」
ストリックランドは立ち上がり、もう一度挑戦することにした。
何度も繰り返した動作で、右手に炎を安定させる。そしてあの記憶にもう一度アクセスしてみる。
しかし今度は、母の視点になりきって記憶を思い返した。
すると、炎はやや不安定に揺らいでいるが、大きさは今までよりずっと小さく落ち着いているのが分かった。
「これならいける……」
ストリックランドはさらに意識を集中させる。
次の試みとして、問題の記憶を、母親でも彼自身でもなく、上空の神の視点から眺めるように思い出してみた。
すると、そこには何の感傷もなかった。
ただ小さな子供が家事をする際に失敗してしまい、母親がそれに呆れてしまうという様子だった。
ついに彼は、事態を本当の意味で客観的に眺められるようになった。
右手の炎への注意力が乱されることはない。炎は拳くらいのサイズで、今までで一番穏やかに揺らいでいる。
「これだ……」
ついにやったと、彼は思った。
さらにもう一つ、嬉しい成長があった。
ストリックランドが意識をさらに集中して魔力を抑えてみると、炎のサイズは一段と小さくなりはじめ、蝋燭の火と同等のサイズになった。
この魔法の規模をここまで抑えられたのは、これが初めてだった。
小さな炎はストリックランドの指先で健気に揺れている。彼はかすかに笑みを浮かべた。そして、フッと息を吹きかけて炎をかき消した。
嬉しい副産物、それは、魔力のコントロールが上達したことであった。
◆◆◆
「という感じで、無事克服できたんだ」
「なるほど……そんな風に解決できるものなんですね」
翌日、ストリックランドはマリーに訓練の結果を報告した。
彼はいつも通りの食器洗いの最中だが、普段と一つ違う点があった。彼のそばに、いつもならあるはずの割れた皿が一枚もないのだ。
「でもまさか、こんなにも早く解決するとは思いませんでした。私、早くても二週間くらいはかかると思って、どうせだからと修復魔法の勉強をしてたんですよ」
そう言って、マリーは分厚い魔導書を机の上に置いた。
「なんだこれは」
「中等レベルの修復魔法なら、破損したものが複数あってもまとめて直せるんですよ。ストリックランドさんがトラウマ克服の訓練をしてる間に頑張って覚えたんですけど……」
「残念だが、それを披露する場面はなさそうだな」
ストリックランドはニヤリと笑って言った。マリーも笑顔で応えた。
こうして、ストリックランドの皿割りの症状は治った。彼は心置きなく働けるようになったのだ。




