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小堀純【1】

(1)


この日、私は初めて彼女と会った。

1週間ほど前、このシセツの支部長である園江さんから知らされたんだ。まもなく私が指導することになる少女がEU支部から派遣されることを。

EU支部は開設されて間もない。ヨーロッパ全体から人が集められている為、混乱も多く新しい人を受け入れる態勢が整っていないことは私も知っていた。しかも即戦力にならないと分かる少女など手に余るのだろう。私と同じ年齢らしいその少女は、特に訓練も受けていなければシセツについてすら知らないはずだ。

私は自宅でソファにもたれながら、彼女の資料に目を通す。

何故か名前の所が空白だ。

まあしかし、訳ありの子供たちが集まるこの組織ならそんなことも珍しくないだろう。

イギリス生まれ、しかも良家のお嬢様だ。そして、彼女の持つ能力は「全く忘れない記憶力」と「凄まじい知能」だと言う。親にも見放されるほどの知能とはどれほどなのか。決して頭が良いとは言えない私には理解が追いつかない。

その次の一文を見て、私は眉をひそめた。


4歳から14歳まで隔離。外部との接触無し。


それってただの虐待じゃないか。一体、彼女はどんな気持ちで10年間も一人で過ごしていたのだろう。そして行き着く先がこのシセツとは、いたたまれない。

そもそも、そんな長い期間一人で会話とか成り立つんだろうか?食事はどうしてたの?体は丈夫なのか?指導とかそれ以前の話になるかもしれない。

ふと時計を見ると約束の時刻が迫っていた。

私は眺めていた資料を鞄に入れると、急いで自宅を後にした。


午後2時。園江さんに伝えられていた時刻には面談室に居た。

まだ園江さんも件の少女の姿もない。一人掛けのソファに腰掛け、足をパタパタと動かしていた。そう言えば、顔写真が無かったな。どんな子なのだろう。思い返せば様々な部分が歯抜けになった書類だった。名前、顔写真、家族構成、誕生日…謎が多すぎる。彼女の親はだいぶ適当に書類を書いたようだ。もしくは隠したかったのか。ろくな親じゃないことだけは見当がつく。

そんな事を考えていると、ドアをノックする音が響いた。

慌てて、ソファから立ち上がる。

「小堀、連れて来たぞ。この子に付いてやって欲しいんだ。」

早々に園江さんの声がする。何やら出入り口で苦戦しているようだ。私は首を伸ばしてまじまじとそちらを見る。

少女は車椅子に乗っていた。

あまり扱いに慣れていない園江さんが、出入り口のちょっとした段差につまずいていたようだ。

10年間隔離…嫌な予感はしていた。自力で歩けないほど体力がないのか。

何とか園江さんが彼女を私の前まで運ぶ。

「…車椅子…」

思わず口から動揺の言葉が溢れてしまった。私の言葉を理解したのか、その少女は恥ずかしそうにうつむく。

今の一言はまずかったか。彼女を不安にさせてしまったようだ。

慌てて彼女に近づく。

「…大丈夫?どこか痛くしたの?」

ちょっと白々しいかもしれないが、取り繕って言葉を足した。

「違うの。初めてたくさん歩いたから、疲れてしまって…」

うつむきながらも、彼女はそう答えてくれた。素直に受け止めてくれて助かる。

それにしても、スルッと日本語を話してきたな。凄まじい知能、こういうことか。

園江さんに促され、お互い自己紹介をする。

「零課関東地方支部前衛部隊第3班所属の小堀純と申します。よろしくお願い致します。」

「私はイングランドから来たカタンです。よろしくお願いします…」

あの空白の名前の部分には本来「カタン」と入るべきだったんだな。でも、何故かファミリーネームを名乗らない。引っかかる感じはするが、ひとまず私たちはシセツの中を見て回ることになった。


シセツの中を見学しながら分かったこと。それはまず、カタンの体があまりにも細すぎるという事だ。面談室では気付かなかったが、車椅子を押しながら彼女を見てみると、ガリガリの鎖骨が襟元にあった。長袖を着ているから腕の様子は分からないが、脚も手の甲もまるで骨に直接皮がついているだけのような状態だ。これでよく日本まで来れたと感心する。カタンの最初のタスクはしっかり食べて歩けるようになることだな。これは先が長そう。

そして、カタンはほとんど温かい食事をとったことがないということも分かった。隔離された10年間、一体何を食べさせられていたのだろうか。親に愛情があるならこんな仕打ちはできないと思うのだが。しかし、カタンにとってはその世界が全て。何の疑問もなく過ごしてきたのだろう。複雑な気持ちだが、これからは私が温かい料理を作ってあげようと思った。


今日から私とカタンは同じ寮の一室で生活することになる。

日も傾いてきたので、今日は自宅に戻ることにした。

これから二人で生活する訳だが、私の自宅は広い。彼女も特に問題を感じないはずだ。

私の自宅を見渡してカタンが尋ねる。

「純ちゃん、この部屋は他にも住んでる人がいるの?」

まあ、そう思われても無理は無い。一人で暮らすには広過ぎる間取りだ。

私は苦笑いして、

「ううん、今は私一人だよ。」

と答えた。するとカタンが質問を続ける。

「今は…ってことは、前は誰か一緒だったの?」

当然の疑問だね。私はこれにどう答えるべきか、少し悩んだ。事実を伝えればショックかもしれない。しかし…

「前はね、兄が一緒に住んでた。」

事実を知ることも、必要かもしれない。

「死んだ。任務中に。」

私はカタンを見てそう付け加える。

刹那、彼女の顔が真っ青になった。完全に言葉を失う。

「…ごめん。」

彼女の顔色が悪くなっていくのを見ていられず、顔を背けた。すると、一瞬にしてカタンに血の気が戻ってくる。

「違う!…違うの、ごめんなさい。いきなり踏み込んだことを聞いて…」

慌ててカタンが弁解する。謝ることじゃないのに。

「いや、いいよ。気にしないで。いつかは知ることだと思うから。それよりさ、今日は日本の家庭料理作ってあげるよ。気持ち切り替えていこ。」

私はにっと頬を上げて、キッチンに向かった。


テーブルに、肉じゃが、鯖の味噌煮、ふろふき大根と味噌汁と炊き立てのご飯が並んだ。

「わあ、すごい!これ全部純ちゃんが作ったの?」

カタンが興奮気味に尋ねる。こうして見ると、やつれてはいるものの可愛い顔をしている。緑とも青ともとれる大きな瞳と極薄い金色の髪は、まるで異国のお人形のようだ。

「料理は得意なんだ。兄貴と当番制だったからね。」

私は得意げに胸を張るが、兄という言葉を聞いてカタンの表上が曇る。

「あっ…あんまり気にしないで。もう終わったことはどうこう言っても仕方ないし。」

慌てて私がフォローする。

「それよりさ、あったかいうちに食べよ。今日から毎日、ご飯はあったかいよ〜」

カタンをつんつんとつつくと、たちまち笑顔が戻ってきた。

「えーっと、日本ではこういう時『いただきます』っていうんだよね?いただきまーす!」

カタンの言動にはいちいち驚かされる。本当に何でも知っているんだな。

「うん、食べよ。いただきまーす。」

私も軽く手を合わせて食事を始めた。

お箸は使えるのかな?と思い見てみると、やはりこればかりは戸惑っているようだった。私の視線を感じたのか、カタンは気まずそうに

「ごめん…使い方がよく分からなくて…」

と照れ笑いをしている。何でこんな素直で優しい子が隔離されていたのか、全く分からない。

「ちょっと待って、フォークとスプーン持ってくるね。」

私はサッとキッチンに戻った。今日のメニューならナイフは要らないな。そんな事を思いながら、居間に戻ると

何故かカタンがボロボロと涙をこぼしていた。

「ど、どうした?お箸使えないのなんて気にしなくていいよ!どうせすぐ覚えられるからさ!」

私がオロオロとしていると、カタンが小さく「違う」と呟く。

「普通のお家ではさ、皆こうやって温かいご飯食べてるんだよね?私みたいに、固形の冷たいクッキー食べてたんじゃないんだよね?」

この時、初めてカタンが10年間与えられていた物が判明した。

総合栄養食品。日本で言えばカロリーメ○トみたいな物なんだろう。そりゃカロリーや栄養素は取れるかもしれないが、常用食にするものではない。こんなに痩せ細る理由も分かる。

「私…普通じゃなかったんだ…」

カタンの言葉に口をつぐむ。

彼女の小さな世界は、彼女にとっては平凡なものだった。しかし、外界に出てみれば自分がいかにぞんざいに扱われていたのかが分かってしまう。

「カタン…」

私はそっと声をかける。

「このシセツはね、皆苦しい思いをして家を出た子ばかりだよ。カタンだけじゃない。皆、仲間だよ。」

私の言葉にカタンは泣き腫らした目線を向ける。

「純ちゃんもなの?」

カタンの質問に私は頷いた。

「明日にでも少し話そうと思うけど、今日は取り敢えず疲れてるでしょ?ご飯食べよ?」

自分のことを話すのは気が重い。でも、これからパートナーになるこの子に隠し事はダメだ。

私が話すと言ったことに安心したのか、カタンは涙を流しながらも笑顔で頷く。


その日の夜、カタンと私はあれこれおしゃべりをしながら、家庭料理を食べた。カタンはあれもこれも美味しい美味しいと連呼して満面の笑みで食事を楽しんでくれた。

その食事を作った私の手は、こんなにも血で汚れているということも知らずに。


(2)


翌朝、早々に私とカタンはシセツの運動場に来ていた。

昨日彼女から聞いた話によると、ロンドンからイタリア、イタリアから日本へと移動を繰り返していたらしい。隔離されて10年も一人だった女の子が、急にそれを体験したとあっては車椅子が必要になるのも無理はない。

カタンはカタンなりに自分の状況を把握しているらしく、一刻も早く十分に歩行できるようになりたいみたいだ。朝食前から張り切って「運動場に行きたい」と言ったのはカタンの方だった。

「最初から、頑張り過ぎないようにね。」

私は声を掛けながら、カタンを運動場の手すりの所まで連れていく。

「昨日しっかり休んだし、少しは歩けると思う。」

彼女はやる気満々だ。

まずは手すりに掴まり、ゆっくりと立ち上がる。

それから、2、3歩歩いて見せた。くるりと私の方を振り返った表情は笑顔だった。

「私ね、ロンドンからこのシセツに来るまではずっと歩いてたんだよ!ちょっと練習すれば大丈夫だよ!」

そう言ってもう数歩進んでから、そおっと手すりから手を離した。

「おお…」

私は感心して声を上げた。確かに、歩けている。でも、おぼつかない感じがするな。自宅の中の往復だけでは、筋肉も衰えるだろう。あまり焦らずにサポートしなくちゃ。

カタンは運動場の中程まで歩くと、向きを変えて私の方へ戻ってきた。

ゆっくりだが、確実に戻ってきている。と、思ったら私の目の前でへたり込んだ。

「わ、大丈夫?」

慌てて駆け寄る。

カタンは息を切らせていた。

「あー…ダメだね。もっと頑張らないと。」

そう言って彼女は苦笑した。

「いきなりそんなに出来るようにはならないから、気にしなくていいよ。」

私はカタンをなだめつつ、彼女の細い脚を見た。努力だけではなく、まず肉を付けなければどうしようもないだろう。

「ダメなの。誰かの足を引っ張るようじゃ、必要ないって言われちゃう。」

先ほどの表情から一変し、カタンの顔には焦りがあった。

実の両親に見捨てられたと思っているであろう彼女。ここで受け入れられなければ路頭に迷うことになると考えているのかもしれない。

私もシセツにきた時はそう思っていた。彼女の気持ちもよく分かる。で、あれば尚更、

「じゃあさ、カタン。食堂で朝ごはん食べよう。カタンの体力がないのは、その細さも原因だよ。食べるのも訓練!さあ、いこいこ!」

とにかく食事だ。

私の言葉にカタンは少し笑って、車椅子に座り直した。


私たちは、シセツの食堂で朝食を摂っていた。

昼と夜はメニューを選べるのだが、朝のメニューは一つのみである。しっかり栄養バランスが考慮されているので、自分で作るよりヘルシーだ。

今日のメニューはオムレツがメイン。出来立てふわとろのオムレツにカタンも満足そうだ。

「本当にここのご飯美味しいねぇ。元気が出てくるよ。」

彼女は食べてる時、果てしなく良い笑顔をする。これまでの食生活の反動なのだろう。

「美味しいよね、自分で作る気力がない時助かってるよ。」

私が相槌を打つと、

「純ちゃんも気力がない時とかあるの?」

とカタンがびっくりしたように尋ねる。

「そりゃあ…あるよ。生身の人間ですから。仕事して学校行って、ってやってたらねえ…」

「えっ、学校行ってるの!?」

「行ってるよ、義務教育だからね。とは言っても、仕事優先になってあんまり行けてないけど。あ、カタンも行くんだよ?学校。」

「ええええっ!?」

カタンの本日最大の驚きが出ました。自分で大声出しといて、慌てて周りをキョロキョロしてるし。

「日本ではあんたも義務教育。私と中学校に行くの。今は春休みだから、休み明けだね。」

「学校…」

カタンはポカンとしている。想像はついてたけど、行ったこと無いんだな学校。

「…嬉しいけど、ちょっと不安だな…」

彼女はそう小さく呟いてうつむいた。

「ま、その気持ちも分かるけど、取り敢えず私という知り合いがいるんだからハードル低いでしょ。大丈夫だよ。」

私の言葉に、カタンははにかむように微笑んだ。

そんな時、

「小堀、カタン。」

突然背後から声を掛けられ、振り向く。

そこには園江さんが立っていた。

「おはようございます、園江さん。」

カタンと私の声が揃った。

「はは、早くも息ピッタリだな。」

園江さんは笑いながら、カタンの方を見る。

「昨日はよく眠れたかな?」

「はい、純ちゃんに美味しい晩御飯も作ってもらいました!」

カタンが元気良く答える。

「それは良かった。カタンは歩行訓練をしているのか?」

「はい、できるだけ早く歩けるようになろうと思います。」

カタンは少しキリッとした表情で園江さんにそう伝える。

「熱心なのは良いことだが、あまり無理をしないように。応援してるよ。」

園江さんはにこやかにカタンにそう言って、またどこかへ歩いて行った。

彼の後ろ姿を見送ると、カタンが勢いよくこちらを見る。

「ね、ご飯終わったら、また練習しよう!」

かなりやる気だ。私は笑顔でうなずいた。


(3)


私たちは再び運動場へ来ていた。今日は他に運動場を使う人は居ないみたいだ。あれこれ気にせずに訓練に取り組めるからいいね。

早速、カタンが車椅子から立ち上がった。

「そこ、手すりないけど大丈夫?」

急に立ち上がったので私は驚いてしまった。

「うん、とりあえず手すりの所まで歩くね。」

カタンは力強く頷いて、手すりまで自力で歩いた。

「ちょっと歩いてみるね!危なそうな時は助け求める!」

運動場はかなり広い。一般的な中学校の体育館と同じくらいの広さがある。手すりがあるのは両端。カタンは手すりのある端から端まで、歩行練習をしている。思ったより悪くない。数ヶ月のリハビリが必要かと思いきや、意外と早く走る段階に到達するかもしれない。

「純ちゃ〜ん、どうかな?」

カタンが遠くから私に声をかけた。

「思ってたよりすごくいいと思うよ。無理はしないでね。」

私が感じたままを言葉で返すと、彼女は照れたように笑った。

時間をかけて運動場を一周し、私のところへ戻ってきた。ふーっとため息をついて、車椅子に座る。

「うーん、歩けたけど…もっとたくさん歩けないとダメだよね。あと、速度ももっと早く。」

思ったように動けないことがもどかしいのか、カタンは悔しそうに呟く。

「気持ちは分かるよ。でも、焦らずまずはしっかり歩けるようになろう。」

「そうだね…まずは、きちんと歩くことからだね。」

そう言ってカタンは、もう一度車椅子から立った。「無理は…」と私が声をかけようとすると

「大丈夫!」

とカタンが遮って歩き始めた。

だいぶ焦っているみたい。本当に大丈夫かな。


カタンはその後、運動場を3周して私の所へと戻ってきた。

今度は床にドサッと座った。

「ふうぅ〜…疲れたぁ…」

そのまま寝そべってしまう。流石に頑張りすぎなんじゃないか?

「お疲れ。お水飲みな。」

私は彼女にペットボトルを差し出す。カタンはゆっくりと体を起こして、水を飲みはじめた。彼女が落ち着くのを待つ。

カタンはしばらくぐったりと寝そべっていたが、5分ほど経つとまた上半身を起こした。

「ねえ、純ちゃん。」

私に声をかけてくる。

「純ちゃんは、何があってこのシセツに入ったの?」

カタンの質問に一瞬息がつまった。恐らく、昨日の夜から気にしていた疑問だったのだろう。もう、答えないという選択肢はダメだ。

私はカタンの隣に座った。

「私ね、脳に欠陥があるらしくて、力加減っていうのができなかったんだ。」

「力加減…」

「そう。それも生まれた時からみたいで、お母さんやお父さんに結構痛い思いさせてたみたい。」

私は深くため息をつく。

「それが原因かは分からないけど、両親離婚しちゃってね。で、私はお母さんに育てられたんだけど、お母さん再婚してね、父親違うけど弟も産まれたの。」

離婚という言葉に馴染みがないのだろう、カタンは動揺しているようだった。

「弟は可愛かったし、いっつも側に居たんだけどさ…私が6歳の頃、まだ2歳だった弟の右手…薬指と小指を…」

私はその先を言うのを躊躇う。言葉にすることが怖い。でも、本当のことを言わなきゃ。

「どんな弾みでそうなったのかは覚えてない。でも、薬指と小指を、ちぎってしまったの。」

私の紡いだ言葉に、カタンはかなりのショックを受けているようだった。しかし、ここまで話してしまえば、私にとってもう怖いことはない。

「きっと大人が怪我をするのは許せたんだろうね。でも、まだあまり言葉も分からないような幼児が体の一部を欠損するなんて、絶対に許せないでしょう?母は私を怒りながらも庇ってくれたりしたけど、義父は『俺の子供だから暴力振るったんだろう』って、もう、本当に激昂してしまって。」

あの時の義父の顔は今も忘れられない。怒りというより、殺意を感じる表情だった。今思い出しても恐ろしい。

「結果、また離婚することになって。母は面倒見きれないと言って、このシセツに預けたってわけ。」

そう言い切ってカタンの方を見ると、彼女は困惑した表情をしていた。

「それって…誰が正しかったの?」

「正しい、正しくないじゃなくて、それぞれ向いてる方向が違くなっちゃったんじゃないかな?」

カタンの質問にそう返す。

「母は私も弟も守りたい、でも現実的に無理だった。義父は自分の血筋を攻撃されたことが許せない、それを庇う母も許せない。一番の被害者は弟だけどね…」

私は気付くと自分の右手の薬指と小指を触っていた。

「それで、一番正しくなかったのは、私。何で可愛がってた弟の指をちぎったの?って今でも思う。何でそんなことしたのかすら思い出せないことが」

急に言葉に詰まった。意図せず涙が流れていた。

「お父さんにもお母さんにも、弟にも申し訳なくて…」

やっと言葉を繋げることができた。もう、嗚咽混じりだった。自分の過去について話したのは何年ぶりだろう。自分でも恥ずかしくなるほど涙が溢れていた。

「純ちゃん…」

カタンが私の背中にそっと手を置く。

「ごめんね、私なんて言ってあげたら良いのか分からなくて…」

カタンは申し訳なさそうに消え入るような声でそう言った。ただ、背中にそえられた彼女の手は温かかった。遠い記憶の中の母を思い出していた。


カタンの訓練の手伝いのはずが、すっかり恥ずかしい姿を見せることになってしまった。やっと落ち着いた私は、

「いやー…申し訳ない。」

とカタンに頭を下げる。

「日本では泣くと謝るの?何も気にすることないのに。」

カタンはきょとんとしている。

「泣いて困らせてごめんねって意味。」

「困らせてるのはお互い様だから、やっぱり気にしなくていいよ。」

カタンは育った環境の割にかなりポジティブなんだな。見習いたいものだね。

「そろそろ寮に戻ろうか?」

私がそう声をかけると、

「悪いけど車椅子押してもらえる?流石に疲れちゃった。」

とカタンが椅子に座った。

「はいはい、もちろんですともお嬢様。」

私が冗談混じりにそう言って、車椅子の後ろへ回り込んだ。

ゆっくりと車椅子のカタンを押し進める。

「純ちゃんって今もバカ力なの?」

「バカぢ…他に言い方あるでしょ!訓練して調整はできるようになったよ!」

「仕事の時はそのバカ力を遺憾なく発揮するの?」

「バカって言うな!そうだよアルティメットじゅんじゅんになるんだよ!」

こんな他愛のないやり取りも、腹を割ってお互いの事情を話せたから成立しているんだと思う。ほんの少しの時間で、私たちの距離はだいぶ縮んだ気がする。


(4)


明日は中学校の始業式だ。部屋にはカタンの体に合わせた学校の制服が届いていた。

「わあ、これって学生服ってやつだよね?デザイン、可愛いねぇ。」

制服を広げたカタンは大はしゃぎだ。

「ドキドキするなあ、学校。友達できるかな?」

初の学生生活に彼女は夢を膨らませているようだが、

「カタン、待った。あんまり親しい人は増やさない方がいい。」

ピシャリと私が釘を打つ。

「え、何で?」

不満げにカタンが尋ねてきた。

「私たちが通う学校は、一般の学生も多いの。あまり仲良くなり過ぎると業務に支障が出るかもしれないから。」

「…せっかく学校行くのに…」

「うん、気持ちは分かるけど…友達になった人を巻き込んだり、秘密を漏らしちゃう可能性があるのは困るでしょ?」

「友達になった人を巻き込むのは嫌だね…」

納得はしたものの、不服そうである。私は苦笑いした。

「これから私とペアなら、一緒にいる事はできるでしょ?まるっきりの一人じゃないだけ楽しめるんじゃない?」

そう、私が言った通りこれからは二人で通うことになる。クラスも一緒にしてもらう手筈だ。私の妥協策に、カタンははにかんだ。

「私は良いけどさ、純ちゃんと私、四六時中一緒にいることになっちゃうね。」

「この組織においては、バーターってそんなもんよ。もしかしたら、家族や恋人よりも一緒にいるかも。」

そう、事実私の兄もペアになった人といつも一緒に居た。私よりも彼と一緒の時間の方が長かったんじゃないだろうか。少し寂しい思いをしたこともある。

「仲良くやってこうね、純ちゃん。」

物思いに耽っていると、カタンが微笑みかけてきた。

「そうだね。一緒に色々頑張ろう。」

二人で照れくさそうに笑い合って、ハイタッチをした。


その日の夜、私は布団の中でぼんやりと考え事をしていた。

カタンは、「人を殺す」この仕事を受け入れているのだろうか。いや、そんな簡単に受け入れられるはずがない。いくら隔離されていたとはいえ、彼女はもう14歳。物事の良し悪しは分かっているはずだ。

それなのにカタンは積極的に歩行訓練をする。

行き場がなくなるのが怖いから?

きっと、それだけが理由だ。

人を殺すことを最初からリアルに捉えられる人間はそういない。

カタンは、もし戦場に立つことになった時、そのリアルに耐えられるのだろうか?

私はとうの昔に何も感じなくなってしまった。カタンもそうなって、良いのだろうか?

答えの出ない問答の中、私の意識は夜の闇に溶けていった。


やっと2話目が投稿できました!

これで大晦日安心して爆睡できそうです。

皆様もよいお年を!

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