8. 応援
夏休みも終わりに近づいたある日。
『先生、今日退院しました。久しぶりに家で過ごすのが嬉しいです』
琴音さんからメールが届いた。
――無事に退院できたこと、それだけで十分だった。病院での治療は順調だったらしく、これからは一度自宅で療養し、通院もしながら飲み薬で引き続き様子を見るそうだ。そして再び入院、そのあと順調に進めば骨髄移植に向かうという。
けれど、退院は「終わり」ではなく「始まり」だという話も聞いたことがある。生活リズムや体力、気力を取り戻し、日常生活に慣れることが一番大変な時期かもしれない。
『退院おめでとう。無理せずに過ごしてくださいね』
そう返信すると、すぐに彼女からメッセージが届いた。
『ありがとうございます。先生からのメール、すごく心強いです』
心強い――その言葉を受け取ったとき、胸の奥がふわりと温かくなった。
夜、僕はCDケースからバタフライズのアルバムを取り出す。再生したのは『I WANT』。以前はノリのいい恋愛ソングだと軽く聴いていたこの曲が、今ではまるで違って聴こえる。
繰り返される「I WANT」の言葉。まるで誰かが生きること、誰かが存在してくれることを強く願うような歌声。
こんなにも誰かを思って曲に共感するなんて、自分にとっては初めてだった。
けれどそれは、“恋”というよりも――
彼女が回復し、また元気に学校へ戻ってくる日を願う気持ち。どんなことがあっても励まして、支えたいという思い。
僕は彼女の担任として、ただそう願っていた。
※
久しぶりにグループ通話を開いた。附属男子高時代の友人たちは相変わらず賑やかだ。
「おい奏多? なんかトーン低くない? 夏休み疲れたか?」
「教師はな、文化祭や修学旅行の準備があるんだよ」
「女子高だっけ? メイド喫茶とかあるんじゃないの?」
「ないってば。クレープとジュースの販売だから」
「じゃあ、何だよそのテンション。何かあった?」
友人の問いに、僕は少しだけ打ち明けることにした。
「ちょっと……ある生徒のことが気になってて。今も通院していて治療中で。その子はバタフライズが好きなんだよ。音楽の趣味がすごく合う。同じ曲を聴くだけで、心が通じ合える感じがして……」
「ふーん。奏多がそこまで人を気にするなんてなぁ。もしかして――好きなのか?」
「それは違う。ただ……応援したくなるんだよ。元気になるんだって一生懸命なんだ。そういうところが強くて、だけどきっと不安もありそうで繊細で……」
「へぇ……わかった。つまり守りたいってことか」
「まあ……そんなところかな」
※
そして夏休みも終わって二学期が始まる。
二年四組は文化祭でクレープとジュースの模擬店を出すことになった。準備で大忙しの教室では、いつものように声が飛ぶ。
「せんせー、これ運ぶの手伝ってー!」
「先生、ポスターあっちに貼ってきて!」
完全に使われている状態だが、生徒たちが活発で元気な様子を見られるのは嬉しい。
「ねぇ先生、琴音って文化祭に来ることってできる?」と梨香さん。
「……まだわからないかな」
「そっかぁ。先生、琴音がいないと元気ないから」
そう言うのは凪沙さんだ。その言葉に、またか……と思いつつ、内心は少しだけドキリとしていた。
放課後、職員室に戻ってスマホを見ると、琴音さんからメールが届いていた。
『先生、十一月に再入院になります。今回はちょっとしんどい治療みたい。でもバタフライズを聴きながら頑張ります♪』
『そうなんだね。大変な時期だけど、うまくいくように願っています。僕もバタフライズを聴きながら応援しているよ』
ただの短いやりとり。それでも、彼女が僕を話し相手として選んでくれたことが嬉しかった。
教師と生徒。その距離感は決して崩してはいけないとわかっている。
だけど、誰かを応援する気持ちは、純粋なもののはずだ。
願わくば、僕からのこの思いが、少しでも彼女の力になっていたら。
どうか――無事に、治療が終わりますように。




