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6. 不安

 初夏の風が教室をすり抜けていく。ようやく僕もこの女子高の雰囲気に慣れて落ち着き、クラスも安定してきたように思う。


「せんせー♪ ようやく乙女心、わかってきたんじゃない?」と梨香さん。


「垢抜けたっていうか、ちょっとこなれてきた感あるしね」と凪沙さん。


 また始まった……という顔をしたつもりだったが、すぐに反応を求められる。


「スルーしないでよ、せんせー!」


「ハハ……じゃあ、褒めてくれたなら素直に嬉しい。ありがとう」


「それそれ! そういうの!」


 ――女子高生たちのお喋りにも、少しだけ慣れてきた。どんなにからかわれても、彼女たちは真面目な相談もきちんとしてくる。教師としての信頼が少しずつ築けている気がして、それが嬉しかった。


 


 放課後。教室に残って作業していると、琴音さんがそっとやってきた。


「先生……」


「あ、琴音さん。どうかした?」


 彼女は少しだけためらいながら、手に持っていたタブレットを見せた。


「今日はこの曲、一緒に聴いてもらってもいいですか……?」


 画面にはバタフライズの『TOMORROW』。どのような困難があろうと必ず明日はやってくる。明日が来ることの有り難さ。応援されるような気持ちになる――そう、明日への希望を込めたような、前向きで温かな曲だった。


「懐かしいな。この曲に励まされたこと……僕も何度もあるよ」


「私も……最近、毎日これを聴いているんです」


 少し俯いたその表情は、どこかいつもと違って見えた。僕は気になりながらも、そっと静かに『TOMORROW』を聴くことにした。

 前向きな曲のはずなのに、外が少し曇っているせいだろうか。教室に流れるその音はどこか寂しいように聞こえる。


 


 そしてこの曲が終わると、彼女はもう一曲を流した。


 『SHE GOT』――僕と琴音さんが偶然、同じ“バタフライズで一番好きな曲”として挙げた、あの曲だ。


「先生とこの曲を聴いていると、落ち着くんです」


「そうだね。僕もこの曲は安心するかも」


 けれど次の瞬間、僕は思わず立ち上がりそうになるほど驚いた。


 琴音さんの目から、一筋の涙が流れていたのだ。


「琴音さん……?」


 彼女は唇を噛みながら、小さく震える声で言った。


「先生……私……もしかしたら、大きな病気かもしれなくて……」




 静まり返った教室。廊下で話す生徒たちの声さえも聞こえない。


 琴音さんは、言葉を選ぶように少しずつ話し始めた。


「もともと、貧血がひどくて。でも……鉄剤を飲んでも全然改善しなくて、検査を受けたら“鉄もビタミンも足りてるのに貧血状態が続くから、血液そのものがもしかしたら”って言われて……」


 そして今度、大学病院でさらに詳しい検査を受けるのだという。


「まだ“何か”って決まったわけじゃないんです。でも……“かもしれない”って言葉が、怖くて……」


 その表情は、年齢以上に大人びていて、それでいてどこか子どもらしさも残っていた。


「親もショックを受けていて……だから、家では元気なふりをしてるんです。でも、ここでは……」


 彼女の瞳が潤んでいた。


「先生の前では……泣いてもいいですか……?」




「もちろんだよ」


 僕は距離を保ったまま、静かに言葉を返す。


「ここは教室だし、僕は担任だから。何かあった時は話に来ていいんだよ」


「……はい」


「病気かどうかは、ちゃんと検査しないとわからない。でも、怖い気持ちを否定するつもりはない。不安な気持ちは……一緒に考えていこう」


「先生……」




 しばらくの間、琴音さんは涙を拭いながら静かに呼吸を整えていた。


 僕にできるのは、こうしてそばで話を聞くことだけかもしれない。でも、もしそれで少しでも彼女の心が軽くなるなら、それが教師としての“支える”ということなのかもしれない。




 帰り際、彼女はいつものように背筋を伸ばして笑ってみせた。


「先生……また、『SHE GOT』一緒に聴いてくれますか?」


「もちろん。今度は授業中にも紹介してみようか」


「……はい」




 そう言って彼女は教室を出ていった。


 琴音さんに何があるのかはまだわからない。僕は“教師として支える”ということの重みを、あらためて噛み締めながら、そっと深呼吸をした。

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