7 ハンブルク時代のこと
エリザベートは1918年ドイツ北部の商業都市ハンブルクで、服飾メーカーを経営するクノーベルスドルフ家に生まれた。クノーベルスドルフ家は彼女の祖父の代は高級仕立て屋であったが、父親が既製品の大量生産販売に乗り出し、今世紀に入ってから頭角を現した新興成金だった。エリザベートには年の離れた兄が二人おり、その後母親が2度の流産の末やっと授かった念願の女児ということで、両親からも兄たちからも甘やかされ放題で育った。この当時ロシア革命後に亡命してきた貴族が大勢ドイツにもおり、住み込みの家庭教師としてアントニーナ夫人が雇われ、貴族のマナーとロシア語とフランス語をエリザベートに伝授した。
この服飾メーカーは第一次世界大戦後のドイツ経済の混乱はなんとか持ちこたえたが、1929年の世界恐慌では大打撃を受けた。取引先の倒産や新規受注の激減などで父親と会社役員たちが頭を抱えていたところへ差し伸べられたのがナチス党からの手だった。ナチスドイツ親衛隊の制服の生産である。下士官以下は既製品での大量生産であり、将校はオーダーメイドで自費仕立てであったので、高級紳士服として有名になり、会社は持ち直した。両親と兄たちはすぐにナチス党に加入し、邸中にハーケンクロイツが飾られた。
エリザベートが15歳の時、ナチスが政権を獲得した。ナチスが政権獲得後に行った最初の女性政策は、女性の家庭への復帰であった。女性の大学進学は全体の10%に制限され、あらゆる高位の仕事から女性が免職された。女性の居場所はいわゆる3K(子供、台所、教会)とされ、家庭を運営して夫と子供たちの世話をし、教会が命じる道徳を守り伝えることが女性の使命とされたのである。4年間の基礎学校の後、7年制の高等女学校へ在学中であったエリザベートは進路の出鼻をくじかれた。彼女は兄たちと同様に当然自分も大学へ進学できるものと思っていたが、社会全体が女性は大学へ進むべきではないという風潮になっていった。彼女はバイオリンを得意としていたのでベルリン音楽大学へ進学したかったのだが、家族までが進学に反対し始めた。結局ベルリン音楽大学の受験は失敗し、エリザベートは師範学校へ進んだ。女性の就労は制限されていたとはいえ、小学校の先生くらいならなれたのである。しかし結婚前に限られた。不本意な進学であったが、彼女はそこで小学校の教員免許と中等学校の音楽と家庭科の免許を取ることにした。
師範学校時代に卒業祭でオペラを上演しようということになり、エリザベートもオーディションを受けてみたが落ち、衣装係になった。父の会社が大きくなっていっても、祖父は昔ながらの高級仕立屋を続けていた。エリザベートは祖父から服作りを一通り学んでいたのである。1938年20歳の春、実家から服地を分けてもらえるだろうと級友たちの期待の中、彼女らは祖父が経営する高級仕立屋へ向かった。ちょうど一人の青年が親衛隊の制服を受け取りに来て、そのまま着て帰ろうとしていた。青年は黒い制服を着て、髑髏と鷲のついた制帽をかぶっていた。褐色のシャツの上に腰をしぼった黒い軍用ジャケット、乗馬ズボンに長靴、黒い軍帽という黒ずくめの制服だった。ジャケットの右襟にはSSの重ね稲妻の紋章、左襟には星三つと一本線の中尉を表す階級章がついていたが、エリザベートにはそれがどういう地位なのか分からなかった。青年の帽子の隙間から輝く金髪が見え、彼の瞳は蒼かった。エリザベートは言葉が出なかった。青年の美しさに魅せられてしまっていた。なんて素敵なのだろう。街でドイツの親衛隊の制服は見慣れてしまっていた。けれど、今こうして目の前にたっているこの親衛隊の青年……まるで彼のためにデザインされたみたいによく似合っていた。
「やあ、エリザベートじゃないか、生地を受け取りにきたのかね」
祖父が沈黙を破った。
「そ、そうよ、おじい様。お父様の工場から何か届いてる?」
青年はすぐには帰らず、エリザベートのほうを見た。そして祖父に言った。
「お孫さんですか?」
「ええ、長男の娘でね」
「そうですか、かわいらしいお嬢さんたちですね、ではごきげんよう」
青年は他の店員に見送られながら去って行ってしまった。数秒の沈黙の後、女学生たちは大騒ぎになった。「あの人、かっこいい!」「エリザベートのおじい様、あの方どこのどなたなの?」「恋人いるのかしら」
祖父は青年の個人情報については何も答えなかった。エリザベートはあんな素敵な人の隣に並ぶ女性は幸せだなと思った。
6月の卒業を控え、クノーベルスドルフ家では家族会議が開かれていた。エリザベートは教員採用試験に合格していないのだ。このまま卒業して無業者として家にいるなら、縁談をまとめてしまおうと両親は考えた。本人抜きでどんどんと話が進められ、とうとうある貴族の館でのパーティーで候補者を紹介されることになった。憂鬱な気分でエリザベートはパーティーに参加したが、父はずっと党の幹部と話しこんでいて、少し離れたところで母がいらいらしているのが見てとれた。エリザベートはため息をついてこっそり一人で庭に出た。夏至から幾日も過ぎていないので夜の8時でも昼間のように明るかった。このまま紹介される男性と結婚するのだろうか。紹介された後、一曲踊って……恋も知らずに? 彼女は女学校でいろいろな本を読んだ。詩集や小説、どれも恋はすばらしいと書いてあった。恋に憧れる少女時代、友人たちと話し込んだ。エリザベートはいらいらして小石を蹴った。軽く蹴ったつもりなのに、小石は庭をころがっていき、その終着点には黒く光るブーツが見えた。
エリザベートは顔を上げた。長身の青年がそこに立っていた。あの時の黒服の人だった。彼女は息をのんで男を見た。ああ、やっぱりかっこいいわ。
「フロイライン、いくら家の中でもこんなひとけのないところに来るのは感心しませんよ」
優しい目だった。恋人はいるの? 奥さんがいるの? いろいろ聞きたいが何を話せばいいのかわからなかった。
「パーティーに戻るならエスコートしますよ」
彼はエリザベートが腕をかけられるように自分の腕をちょっと曲げた。エリザベートが困ったような顔をしたので青年は心配そうに覗き込んだ。
「気分でも悪いのですか?」
「いいえ」
エリザベートはようやく口を開いた。
「パーティー会場には戻りたくないんです」
「どうして? ダンスが嫌なら食事でもしませんか? 私は今来たばかりでお腹がすいているのです。ぜひご一緒に」
青年は微笑んだ。エリザベートの心の中は見知らぬハンサムな青年が自分に関心を示してくれる喜びと、パーティー会場に戻ったら父親がやってきて「夫候補」を押し付けられるかもしれないという不安が葛藤していた。
「……父が、私に紹介したいという男性がいるらしくて。私はそれが嫌なんです」
「じゃあ、今日は僕と一緒に踊っていましょう。そうすれば紹介する隙もないでしょうし。協力しますよ」
これで話は決まり、二人は会場に戻って食事をした。彼はベルリン生まれの親衛隊中尉でジークフリート・フォン・リヒテンラーデと名乗った。ナチの幹部と話し込んでいた父親は末娘が見知らぬ若い将校と一緒にいるのを見て仰天した。父親は顔見知りのブラウンSS大佐に聞いてみた。
「ああ、リヒテンラーデSS中尉ですよ。おや、お宅のお嬢さんとお似合いじゃないですか? 中尉にも早く結婚して優秀なアーリア人を増やしてもらいたいと私はせっついているのですけどね」
その夜、父親は母親に言ったらしかった。「おい、婚約者候補よりもあの親衛隊中尉のほうがいいのではないか? 貴族だし将来性がある仕事だぞ」
エリザベート・クノーベルスドルフはこの夜のうちにリヒテンラーデ中尉に魅せられてしまった。彼の美しさと優しさもさることながら、彼はプロイセン帝国の旧家であるリヒテンラーデ伯爵の称号をついでいるので、成金コンプレックスの強かったエリザベートから見ればそれだけで憧れの対象であった。この夜エリザベートに付き添っていたリヒテンラーデ中尉についてはしばらく彼女の友人たちの間で話題となった。
彼にまた会いたいという気持ちはエリザベートの中で日増しに強くなっていった。そしてこの幼い恋は彼女自身も驚くほどすんなりかなえられることになった。クノーベルスドルフ家のパーティーにジークフリートを含む親衛隊のお歴々が現れたのである。ジークフリートはエリザベートにダンスを申し込み、彼女は夢のようであった。何より驚いたことにブラウンSS大佐のほうからクノーベルスドルフ氏に対して縁談の取りまとめの打診があり、父親も快諾したのであった。ブラウン大佐にとっては「親衛隊員は25歳までに結婚して最低4人の子供を作り、よき夫よき父であるべし」という通達にしたがい、その年齢ぎりぎりになっているリヒテンラーデ中尉を早く結婚させたいという思惑があった。ユダヤ系資本をドイツ帝国から追い出し、ハンブルク財界のトップに立ちたいと目論んでいるクノーベルスドルフ氏にとってはナチス幹部と縁組を結び、さらなる権益拡大を目指すのも得策と写ったのであった。さらにジークフリートがベルリン大学法学部を出てからSSに入隊していること、第一次大戦でその財産をほとんど失ったとはいえドイツ貴族の旧家の出であることなどから将来的にも政府幹部としての出世が見込まれるということも期待されていた。家柄の怪しい成金は貧乏貴族と閨閥を結びたがるのは、古今東西同じである。
エリザベート本人も、あからさまではないが女学校での貴族出身の少女たちによる見下され感を屈辱的に思っていた。そして自分が進学できなかった大学という存在、それもベルリン大学という最高峰の大学を彼は卒業しているのだ。彼と結婚したら、社交界においてもう誰も私のことを粗略には扱わないだろう、と。うちは金持ちなのだ、おそらく彼のほうもこんな平民の成金に結婚を申し込むくらいなのだから、父の財力が目当てだろうということは分かりきっていた。だからこそ、閨閥結婚の狭い選択肢の中で、お互いにそれなりに気に入った相手を選んだのだ。
婚約が発表され、家具やドレスを選びエリザベートは幸せであったが、同時に不安にもさいなまれるようになった。この憧れが恋というものなのだろうか。
高等女学校には外国からも生徒が来ていたため、エリザベートはいろいろな言語を習得していた。1936年に「風と共に去りぬ」がベストセラーになったときはドイツ語の翻訳ではあきたらずにこっそり英語の原書を借りてまで読んだほどだった。主人公スカーレットは激しく人を愛し、どなりちらし、平手打ちをする女性だった。恋や愛ってああいう激しいものだと思っていたけれど……こんなにも両親からも周りからも認められ、自分が好意を抱ける男と結婚できるなんて、「話がうますぎる」のではないだろうか。なにか後でとんでもないしっぺ返しがあるのではないだろうか。
1939年6月、26歳と21歳の若い二人は盛大な結婚式の後、イタリアへ新婚旅行に出かけ、ハンブルクの広々としたアパートメントで新婚生活を始めた。何人かの召使が実家から移ってきて二人の世話をし、ジークフリートの俸給に加えてエリザベートは実家から一財産分けてもらっていたので生活は何不自由なかった。この年の9月にドイツは突然ポーランドに攻め込み、一時騒然としたがすぐに戦闘は終わってしまい、人々は話題にすることもなかった。婚約中もダンスの時以外は手も触れず、ベッドの中で何が行われるのか具体的な知識もなく結婚したエリザベートは、なかなか妊娠しないことにやきもきしていた。
1940年の4月にはベルギーやフランス・イギリスとの戦闘が始まり、6月パリ陥落にドイツ帝国内がわきかえる頃、リヒテンラーデ中尉は大尉昇進とベルリン栄転を果たした。総統閣下の御前演奏で国家保安本部長官ハイドリヒがバイオリンを弾くことになっていたが、伴奏役の将校が直前に手をケガしてしまい、代奏を行ったのである。ジークフリートは繰り返し部分を直前にハイドリヒから確認し、即興での合奏を完璧にやりとげたのであった。ハイドリヒはドイツアーリアンのすばらしい外見を持つこの若き将校の肩を抱いて喝采に応えたほど、演奏に満足していた。
この年の夏、夫妻はヒトラー総統がいつも夏を過ごすベルヒデスガーテンの山荘に招かれるメンバーに加わり、ベルリン南西部の高級住宅地グリューネヴァルトのはずれにあるリヒテンラーデ伯爵家からの世襲財産である朽ち果てかけた豪邸を修復し、二人は子供と使用人をつれて移り住んだ。ちょうどクノーベルスドルフ家を定年退職していた執事のカウフマンに頼み込んでベルリンについてきてもらった。カウフマンと夫人のテレジアにしてもこの年若い「お嬢様」のことが心配でたまらなかったので、この申し出を快諾した。ベルリンの社交界ではエリザベートはどこへ行っても「伯爵夫人」としての丁重に扱われ、あるいは政府のエリートの奥方としてうらやましがられ、実家からの金銭的援助は生活にさらなる潤いを与えた。
1942年3月、念願の伯爵家の後取りが誕生し、エドゥアルトと名づけられた。結婚式に劣らぬ祝電が山と届けられ、その中にはジークフリートの母方につらなるバイエルン王家や北ドイツのホーエンツォレルン王家といった貴族階級のものもあったし、親衛隊長官ヒムラーや国家保安本部長官ハイドリヒといった政府幹部からのものも多数あった。エリザベートは産褥熱にかかり、エドゥアルトに会えずに数週間をすごした。母乳が与えられないので、ちょうど子供産んだばかりで夫を亡くして生活に困っていたギゼラが住み込みで雇われた。ギゼラは自分の産んだカールと同様にエドゥアルトを慈しみ育てた。エリザベートはエドゥアルトが自分の産んだ子だという実感もないまま時が過ぎた。
次第に子供の養育は養育係にまかせてエリザベートは音楽会やパーティーに顔を出したり、大学に聴講生として通ってみたり、愛国の熱情にかられて慈善バザーを手伝ったりもした。二人はよく楽器演奏を楽しんだ。夫は優しく、家では仕事のことを全く話さなかった。
「4人の子供」という原理原則に従い、夫妻はすぐにでも次の子を欲しがったが、一人目の時同様、なかなか妊娠しなかった。そして子作りの義務は夜の生活をぎこちないものにしていった。子供を産むまでは、ジークフリートの要求にこたえることができた。慣れると痛みは消え、夫の腕の中で愛されている幸福感を感じることができた。しかしこの頃からエリザベートはひどい性交痛に悩まされるようになったのである。同僚の誰それのところに3人目ができた、あっちは4人目だという知らせを聞くたび、エリザベートは憂鬱な気持ちになった。1944年夏から空爆のせいで地下鉄の運行が不安定になり、政府高官には中心部に別宅が与えられた。ジークフリートも複数人で一つ官舎を与えられ、グリューネヴァルトへの帰宅は月に一度になった。こんな生活では妊娠なんてするはずがない、しかし期待はしていないはずなのに月経が来るたびエリザベートはひどい落ち込み方をした。うれしいはずのジークフリートの帰宅は「あれ」をしなければならないという恐怖を伴うようになっていった。おそらく夫の方も唇を噛み締めて苦痛に耐える女など、抱いていてもつまらないだろうと想像できた。医師にかかればよいのかもしれないが、性的な知識をほとんど教えられず生きてきた彼女にとって、このようなことを相談することのほうが恥ずかしかった。
二人目を妊娠しないことと、夜の生活の苦痛さえのぞけば、仲の良い夫婦なのだ。エリザベートはジークフリートがRSHAの第何局に勤めているのかすら知らず、興味もなかった。傍目には理想的な家庭に見えただろうが、彼女の心には何か満たされない、けれど何が欲しいのかも分からない部分が存在していたのは確かだった。




