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10 わたしたちがしてきたこと

6月になり、長兄からの手紙は3通届いた。


1通目 1945年1月発信

「この手紙がお前に届くかどうかわからないが、知らせておく。お母さんが亡くなった。最後までお前のことを気遣っていた。もしベルリンを出られるなら、実家まで戻ってきてくれ」


2通目 1945年3月

「無事なのか? 私の長男がユーゲント隊の訓練中に空爆にあり亡くなった。妻は憔悴している。支店をかなり閉鎖することにした」


3通目 1945年5月

「生存確認のための長距離郵便が復活したので、書いておく。従業員のかなりの部分を解雇した。会社の存続も危うい。RSHA幹部を夫に持つお前が戻ってきたらまずい。悪いが戻らないでくれ。援助ももうできない。すまないが理解してくれ」


 母が亡くなっていた。エリザベートはへたりこんだ。もう数ヵ月も郵便も電話も通じず、直接往き来しようにもガソリンはなかった。兄からの郵便はドイツのどこを彷徨っていたのだろうか、この度の郵便復活でまとめて3通郵便局気付で届いたのだ。母が数ヵ月も前に亡くなっていたことに実感がわかなかった。むしろ悲しみよりも母は間違っていたのではないか、という思いが沸き上がった。従順で家庭的であれ、と淑女の道徳を説いた母。女性は大学へ行って働くよりも家庭に入ったほうが幸せだと説いた母。ああ、価値観はすべてひっくり返ってしまった。今全く手に職のない女性たちが守ってくれる男性もいないまま、戦後の世界に放り出されているのだ。アンネリーゼのように大学を出て新聞社で働いているほうがよほど強く生きていけるではないか。ああ、お母さんは亡くなってよかったのかもしれない。こんな「戦後」を経験せずにすむのだから。

 それにしても兄からの縁切り通告には失望した。ジークフリートのおかげで実家の事業がどれだけ便宜をはかってもらえたのか彼らは忘れてしまったようだった。ただもう、縁を切りたい、自分たちはナチではないと手紙は語っていた。負け犬とはかかわりあいになりたくないということだろう。この2ヶ月でエリザベートはこれまでの一生分と匹敵するほどの頭を使っていた。

 占領軍を通して報道されてきたことはドイツ国民にとって衝撃的なことばかりだった。 東ヨーロッパ各地に点在した強制収容所………確かにユダヤ人たちは「移住」していったことは知っていた。しかし「移住」した後どうなっているのか彼女は気にもとめたことはなかった。見るも恐ろしい写真が新聞に掲載され、そこで看守として勤務していた武装親衛隊員は皆逮捕されたということだった。地区住民が公民館に集められ、ソ連軍による収容所解放の宣伝映画が放映された。そこに出てくるソ連兵は皆紳士的で規律正しく、ドイツ人たちは映画を見ながらこそこそと文句を言うことしかできなかった。これらの新聞や映画は強制的に見せられた。アレクセイ・ジューコフはエリザベート個人に対してはあれほど優しい態度をとっておきながら、こういった職務執行の場面では誰よりも冷徹だった。屋敷の全員を集めて新聞をテーブルに置き、「すべての文章に目を通せ」と命令したのである。これらの映画や新聞は暗にこう言っていた。今お前たちがつらい目にあっているのは、お前たちがやってきたことの報いだと。

 アドルフ・ヒトラー総統と長年の恋人エーファ・ブラウンは4月28日に防空壕で結婚式をあげた後、ともに自殺をしたということだった。エリザベートはベルヒデスガーデンの総統の山荘で何度もエーファに会ったことがあった。気立てのいい優しい女性だった。彼女は子供好きでリヒテンラーデ夫妻の子供をとてもかわいいと言ってくれた。二人目ができなくて悩んでいるエリザベートに対し、「一人いるだけでもうらやましいわ」と言っていた。エーファが子供を欲しがっていることは誰の目にも明らかだった。どれほど総統と正式に結婚したかったことだろう。毒を飲んで自殺するというエーファの悲劇的な最期にもかかわらず、「よかった」とエリザベートは素直に思った。

 親衛隊長官のヒムラーは国歌保安本部第六局局長のシェレンベルクと共に英米との単独和平工作を行って失敗し、ヒムラーは逮捕直後に自殺、シェレンベルクは拘留されていた。終戦末期、同じ「反共」としてアメリカがドイツを救いに来てくれるという噂がベルリンを駆け巡ったが、根拠はあったのだ。シェレンベルクは若干35歳の親衛隊少将であり、ジークフリートとも親しかったはずだ。もしかしたらこの和平工作に夫も同行したかもしれないとエリザベートは考えた。しかし、逮捕者の中にリヒテンラーデSS中佐の名前はなかった。

 この和平工作に総統が激怒し、ヒムラーの連絡将校フェーゲライン親衛隊中将を即決裁判で銃殺刑にしたという記事はエリザベートを震え上がらせた。フェーゲラインはエーファの妹グレーテルと結婚しており、総統にとっては義弟とも言えた。1944年6月にベルヒデスガーデンで行われた結婚披露宴では、リヒテンラーデ夫妻は余興にバイオリンとピアノ演奏までした。フェーゲラインは愛人とともに脱出を図り、自宅に私服でいたところを逮捕されたという。確かグレーテルは妊娠していて産み月も近かったはずなのに。もし和平工作にジークフリートがかかわっており、このときにベルリンにいたなら一緒に処刑されてしまっているかもしれない。

 一体どうして政府高官たちはこんな好き勝手なことばかりしていたのだろう、とエリザベートは憤った。こんなことしているから戦争に負けたのではないだろうか。他の人たちはどうしているのだろうと思ったエリザベートは、知っている限りの知人に生存確認の手紙を書いた。手紙は到着しているのかいないのか、返事は誰からもなかった。

 いや、彼女が手紙を書く前に一通だけ友人からの手紙が来た。ルドルフ・シュナイダー医師の夫人となった女学校時代の親友ユーリアからだった。

「……私たちの友情はこれからも続いていくものだと信じています」

 手紙の最後に書かれたその言葉に、エリザベートは泣いてしまった。女学校時代の友人たち、ハンブルク時代の友人、ベルリンでの取り巻き……皆去って行ってしまった。これから先、旧体制の遺物である自分と友人になろうという人間など決して現れないだろう。

 ナチのお偉方はみんな赤軍が来る前に逃げてしまった……街の人々はそう思っているようだった。今年に入ってからは特に旅行許可が出にくくなり、一般市民がベルリンから逃げ出すことは不可能だった。それでも政府幹部の中には妻子を避難させた者が多かったようだ。しかしジークフリートは私たち家族に「逃げろ」とは言わなかった。英米軍と単独和平して一緒になって赤軍を追い返せると信じていたのだろうか。それともまさかフェーゲライン中将のように愛人と一緒に逃げようとしたのだろうか。ソビエト赤軍の迫る帝都に私をおいて……? 赤軍が東部地域でどんな蛮行をしでかしているか知っているのに、妻と子をその最前線にほっぽりだして……? エリザベートは新聞を読みながら泣けてきた。



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