06.レイナにとって安全な場所
ハミルトンの声色が、さらに低くなる。
またレイナは彼の機嫌を損ねたらしい。
「毒を盛られると分かっていながら、私がレイナ様をこの神殿に残すとでも……?」
冷ややかな視線が、痛い。
「そのミシェルとかいう聖女を締め上げたとしても、カトリーナ令嬢は尻尾を掴ませることなく、またすぐに、次の手を打ってくるはずです。もっと安全な場所に滞在先を変えるべきでしょう」
(……締め上げる?)
さらりと物騒な単語が混じった気がしたが、聞かなかったことにする。
レイナは、慈悲深い聖女でも何でもない。
証拠が出れば、裁かれるのは当然のことだ。
それより大事なことがある。
「え、嫌ですよ。私、王宮なんて行きたくないです。
元婚約者と同じ屋根の下なんて、なんの罰ゲームですか?
――あ。ルース様とまとめて守ってくれるなんて、心強くてありがたいお話ですよ。……ええ、とても」
「罰ゲーム」という言葉に、ハミルトンの視線がレイナをじっと捉えた。
さすがに言いすぎたようだ。
ルース王子の補佐官にかけるべき言葉ではなかったことに気づき、レイナは慌てて言葉を取り繕う。
「それでも、ですね。ルース様は、カトリーナ様との再婚約まで上手く行かなかったわけでしょう?そんなところに、元婚約者が戻ったら、やっぱり世間が噂するんじゃないかしら?ほら、ゴシップ的な話は、すぐ広まるから」
ここは、世間を味方につけるべきだろう。
「私にとっては5年も前の話だけど、ここではまだ3ヶ月しか経っていないのでしょう?『よりを戻した?』なんて噂されるのはちょっと……。だから、絶対に、王宮は遠慮したいんですよね」
これまでレイナに危害を加えた者は、身分に関わらず断罪されてきた。
ならば、カトリーナも例外ではないはずだ。
ルース王子との婚約も解消されたに違いない。
――つまり。
ルース王子は今、フリーということだ。
「王宮……?あんな場所は論外です。ルース王子とカトリーナ令嬢との婚約は続いています。カトリーナ令嬢のいるあそこが、最も危険な場所です」
「え、そうなんですね。婚約続行中だったんですね。……あれ?もしかして――王様もルース様も、このことを知らないんですか?」
ハミルトンは、「まだ公にはされていない」と言っていた。つい先ほど、証拠を掴んだばかりなのだろうか。
レイナの言葉に、ハミルトンの口元がわずかに歪んだ。
「……王も、ルース王子も、カトリーナ令嬢の企みは知ってますよ。知っていながら――あの女との婚約を続けることを選んだのです。……あの王子も、本当に甘い」
「ハミルトン様、それ普通に悪口ですよ。気をつけないと、バレたら解雇されちゃうかもしれませんよ?」
「もう辞めてますが?」
「え!!」
当然、というように返されて、レイナは思わず声をあげる。
しばらく瞬きを忘れた。
今の言葉は、本当に、あの過保護なまでに王子を守ってきた男の口から出たものなのだろうか。
王宮の隣に位置するこの神殿に来るときでさえ、王子を心配してついてくるほど、王子一筋を貫いていたはずなのに。
それほどまでに、カトリーナの襲撃は、彼のプライドを傷つけたのだろうか。
それとも――予言の聖女を守れなかったことに責任を感じたのだろうか。
「あの……ごめんなさい」
あの一瞬の夢を見たとき。
レイナはハミルトンに助けを呼ばなかった。
確かに夢を見た直後だった。
それでも――ハミルトンなら間に合ったはずだ。
元の世界に戻るつもりで、あえて受けた襲撃だったが、まさかあれが原因で彼が職を失っていたとは。
急にしおらしく謝ったレイナに、ハミルトンのその目が、険しくなる。
勘のいい彼は、レイナが何に対して謝ったのか、悟ってしまったのだろう。
これ以上この話を続けるわけにはいかないと、レイナは話題を元に戻すことにした。
「王宮以外の安全な場所……難しいですね」
困ったように、わざと眉を下げてみせた。
レイナには、行動に大きな制約がある。
誰かと婚約を結び、元の世界との繋がりを断たない限り、神殿と王宮の外には、出ることができない。
「〈予言の聖女〉の身の安全を守るため」とは言われているが、そこには国と神殿の思惑がある。
『レイナの世界を広げ、他の場所へ気持ちを向けさせないため』
――それが、本音だろう。
誰かと偽の婚約でも結ばせるのだろうか。
ハミルトンは何も答えない。
わずかに、言葉を選んでいるようにも見えた。
偽の婚約なんて、結婚詐欺のようなものだ。時に非道な男でもあるが、さすがに躊躇いがあるのだろうか。
ハミルトンの返事を待ちながら、レイナはまた紅茶を手に取った。
ずいぶん長く話しているが、カップからはまだフワリと湯気が出ている。
ハミルトンの淹れる紅茶は、どれだけ時間が経っても、特別な美味しさを保ったままなのだ。
(ハミルトン様が元の世界でお店を開いたら、彼の作るお菓子も含めて、映えるカフェとして大繁盛よね。……あと、愛想笑いができれば完璧ね)
レイナは紅茶をひとくち口に含み、ゆらゆらと揺れる湯気を眺めていた。
(温かい……。おいしい……。眠たい……)
湯気を見つめながら、ぼんやりと意識の輪郭が滲んでいく。
その時、目の前の景色が変わった。
神殿の応接室にいるはずのレイナは、どこかの農園に立っていた。
辺りには農作物が無残に散乱している。
風に煽られた葉が、ばさばさと音を立てていた。
「こんな時期に嵐がくるなんて」
「昨日までは、空も穏やかだったのに……」
「収穫間近だというのに……」
「予言の聖女様がお戻りになられていれば……」
――人々が口々に嘆いていた。
「――レイナ様?」
ミラの呼びかけに、レイナはハッと目を覚ます。
一瞬、風の唸りが耳に残っていた気がした。
けれど、目を開けるとそこは神殿の応接室だった。
「……嵐がくるわ」
「――すぐに大神官と、王に報告しましょう」
頷くレイナに、ハミルトンが言葉を続けた。
「報告の前に、滞在先に移りましょう。――私の屋敷に滞在してもらおうと思うのですが。そこであれば、どこよりも安全な場所になりますから」
「え、いいんですか?すみません、お世話になります」
一瞬、沈黙が落ちた。
「……よろしいのですか?」
「何がですか?」
「私の屋敷に住むことですよ。嫌ではないのですか?」
「別に嫌じゃないですよ。ハミルトン様のお屋敷の自家製フルーツ、すごくおいしいじゃないですか。王宮製のフルーツもおいしいけど、それ以上ですよね。たまにいただいたとき、「あんなの毎日食べれていいな」って思ってたんですよ」
「それは――なによりです」
その答えまでに、ほんの一拍の間があった。
「色々ありがとうございます。お世話になる上に、婚約者役までしてくれるなんて。王宮と神殿の決まりがあるからですよね。ごめんなさい」
「いえ――。ああ、やはり、大神官様にだけ先に報告しておきましょう。すぐに戻ります」
そう言って、ハミルトンは部屋の外に出た。
その足取りは、わずかに早かった。
いくら補佐官を辞めたとはいえ、やはり責任感が先に立ったのだろう。
ハミルトンの背中を見送りながら、レイナを見るミラの視線に気がつく。
「誤解しないでね?今の、昼寝じゃないわ。ちゃんと、予知夢だからね?」
勘違いされないように、レイナは言い訳の言葉を並べた。




