05.14歳の、あの日の夢
「レイナ様。――レイナ様が14歳の姿で戻られたあの日は、翌日ではありません。ルース王子とレイナ様の婚約式だった日から、すでに半年が経っていました」
「半年……?」
レイナは手を止め、瞬きをした。
ハミルトンは続ける。
「オルデナ国の王子は十八歳に婚約式をする、という慣例があります。
レイナ様がいつ戻られるか分からないまま……ルース王子も、ギリギリまでお待ちになった上で、カトリーナ公爵令嬢との婚約を受け入れたのです。ですから――」
「うん、分かったわ。もういいの」
レイナは柔らかく遮った。
ルース王子には彼なりの事情があったとしても、何もかもが今さらだ。
「私にとっては、あの時が『翌日』だったのよ。
どれだけ時間のズレがあったとしても――『ルース様が他の人と婚約した』って事実は変わらないわ」
レイナはひとつ息を吐き、落ち着いた声で続けた。
「……もう5年も前のことだもの。今は本当に、『お幸せに』って思っているの。恨んでもないし、引きずってもいないのよ」
また一つお菓子をつまみ、サクッと噛んだ。
元の世界に戻ってから、怒りや悲しみに飲み込まれそうになるたびに、(もう、これ以上考えない。あの世界に、気持ちを引かれたりしない。絶対に、戻らない)と強く自分に言い聞かせていた。
だから、この世界を振り返らずにすんだのだ。
そんなレイナの気持ちが伝わったのか、ハミルトンはそれ以上、彼を庇う言葉を続けようとはしなかった。
「レイナ様の婚約式前日も、カトリーナ嬢との婚約式の日も、レイナ様に危険があったのは、国の手落ちです。……そこには私自身も責任を感じております。
そして、これは公にはされていませんが……レイナ様への二度の襲撃は、カトリーナ令嬢の差し金です」
「え、そうなんだ」
レイナは、ハミルトンの言葉に目を見開いた。
驚いてみせたつもりだったが―――ハミルトンの目が鋭く細められる。
「レイナ様……?まさか、ご存知だったのですか……?」
冷たく光る目と低い声に、部屋の空気が一瞬張りつめた。
国で一番の腕を持つ魔法使いの彼は、本気で怒るとすごく怖いのだ。
レイナは静かに、スイッと視線を逸らした。
「まさか。式当日の朝にこの世界に来て、そのまま昼に襲われたんですよ?夢を見る暇なんて、あるわけないじゃないですか。
どうやって、護衛とカトリーナ様のつながりに気づけと言うんですか?!」
ハミルトンの怒りを帯びた魔力が、じわりと空気を冷やす中、レイナは必死に言い訳をした。
「婚約式の日、レイナ様は背後から襲われていますよね?……振り返る間もなく消えてしまった、との目撃情報がありますが。
――いつ、予知夢を見られたのでしょうか」
抑えんだ怒気が、かえって怖い。
「失恋のショックの中、居眠りなんてできるはずないじゃない」と言い返したいが――ここは正直に話したほうが身のためだ。
さらに張り詰めた空気に、レイナは覚悟を決めて、打ち明けた。
「それがね、幸せそうにパレードをする二人を眺めながら、なぜかウトウトしちゃったんですよ。――あ、ほら! 婚約式前日の夜に襲われて、そのままパレードまででしょう?色々あって、疲れてたのよ、きっと」
「ウトウトしちゃった」という言葉に、「え……」というミラの呟きが聞こえ、慌ててレイナは言い訳をする。
「――それで?どのような夢を?」
「夢、っていうほどのものでもなかったのよ。一瞬だけ意識が飛んだときに視えたものだから」
ハミルトンに促され、レイナは5年前の記憶をたぐっていく。
本当に、たったワンシーンの夢だった。
貴族の令嬢の部屋を思わせるあの場所は――カトリーナの部屋だったのだろう。
ソファーに座ったカトリーナが、向かいに座る女に鋭い目を向けていた。
『失敗は許さないわよ。あの女を、今度こそ確実に片づけなさい。私の婚約式のときのように、あの女の護衛を使うんじゃなくて、今度はあなた自身がうまくやりなさい』
そう言って、怪しげな小瓶をテーブルの上に置いていた。
たった一瞬の夢だったが、レイナは会話の意味を理解した。
カトリーナからは、自分に向けられる殺意が感じられた。
だてに命を狙われ続けていたわけではない。
向けられる殺意には敏感なのだ。
(婚約式の今日、私は護衛に命を狙われる。そして――いつかまたこの世界に戻ってきたとき、今度は毒を盛られるのね)
レイナの見る夢は予知夢ではあるが、未来は変えられる。
(護衛から身を守るつもりはないけど、「いつかまた」この世界に帰ってきたりはしない)
そう考えて、受けた剣だった。
「……というわけでね、ちょっと夢を見ちゃったのよ。夢を見たあとすぐに護衛に切られかけちゃったから、誰かに話すこともできなかった、ってわけなの」
レイナの言葉に、ハミルトンが口を引き結んだ。
王宮や神殿の周りに、護りの結界を張る彼としては、見過ごせないことなのだろう。
けれど、内側からの裏切りなど、これまでにも何度もあった。
今さら驚くことでもない。
「――それで、カトリーナ令嬢の向かいに座っていた者は誰だったのですか?」
「え?5年も前の夢だし……誰だったかな〜。よく覚えて―― あ、そうそう。ミシェルさんに、ちょっと似てたかも?」
言葉を濁そうとした瞬間、ハミルトンが深く息を吐いた。
逃げられない、と悟る。
レイナは観念して、すべてを白状した。
「まあ……でも、ほら。あの子も〈予言の聖女〉としてのこの神殿に入った子だから」
これから自分の命を狙うはずのミシェルだが、レイナはミシェルを憎むことはできなかった。
孤児院にいた彼女は、たった一度の予知夢をきっかけに神殿に入った。
それだけに、妬みや焦りがあったのだろう。
さすがに、毒を盛るのはやりすぎだが、レイナだって元の世界では普通女子だ。
努力だけでは叶わないものがあることを知っている。
それに、ミシェルの夢を見たからこそ、嫉妬がどこまで人を歪ませるのかを知った。
元の世界に戻ってからは、人を羨ましく思うこともなくなった。
だから、恨むほどのことでもないと思っていた。
――とはいえ、目の前の男の目が怖すぎる。
「夢を思い出したのは、ハミルトン様のおかげです。神殿で出される物に、毒を無効化する魔法をかけてくれたら、もう安心ですね」
レイナは、機嫌を取るように、ふふっと微笑んでみせた。
本当に、この男は怒ると厄介なのだ。




