第8話:『70万人の非車臨界(ひしゃりんかい)――地方東京の重心はどこにある』(50点)
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理翔は最近、妙なクセがついてしまっていた。
新しい都市のことを調べるとき、「JR 線区別 輸送密度」と検索してしまうのだ。
鉄道の輸送密度。それは都市の静脈図。
その太さが、生きている都市かどうかを示す、生々しいバロメーターだった。
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まず目に飛び込んできたのは、JR九州の圧倒的な数値だった。
都市雇用圏人口が25万人を超える都市では、ほぼ例外なく、輸送密度が黒字ライン(4000)を大幅に超えていた。概ね7000は超えている。
> 「25万を超えれば、鉄道は血を通わせるんだな……」
それは、ただの移動手段じゃない。
都市の循環そのものだった。
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しかし、四国は……違っていた。
松山(都雇圏62万人):輸送密度はおおむね3500前後。黒字ラインすら越えない。
高松(都雇圏80万人):ただひとつ、例外として21000という桁違いの数値。
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> 「つまり、70万人を超えたとき……都市の“移動の前提”が変わるんだ」
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理翔の脳裏に、ある等式が浮かんだ。
> 都市雇用圏人口:60万人 → 70万人で、鉄道利用密度は2倍化(3500 → 7000)
→ 70万人が、“非車通勤が当たり前”になる都市重力の転換点。
数字だけじゃない。
都市の“空気”そのものが変わるんだ。
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それを裏付ける証拠があった。
松山と高松の中心街の駐車場密度の違いである。
松山(62万人):街中に駐車場が多く、車依存型の都市構造
高松(80万人):駐車場が少なく、公共交通と歩行を前提にした設計
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そして、さらに踏み込んで、求人データを調べた。
松山:5km圏内の正社員で車通勤OKな求人 → 約6000件以上
高松:同条件 → 約5000件以上
> 「あれ……? 人口が多い高松の方が、車通勤OKな求人が少ない……?」
それはつまり――
「都市の前提装備」が、車から鉄道に切り替わっている証拠だった。
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> 「70万人。都市の空気が“非車前提”に変わる臨界点……それを、わたしは『非車臨界』と名付けることにしたの……」
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地方都市でも、70万人を超えると、
鉄道が“ただの線”から“生活の縫い目”になる。
通勤、買い物、通学、遊び……すべてが、車じゃないと成り立たない都市から、
車じゃなくても回る都市へ。
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その差は、空気に現れる。
歩く人が多い。
電車に“使われる”のではなく、電車を“使ってる”都市。
そして、それが都市としての**“次のかたち”**だった。