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第73話 東京圏3600万人を33都市雇用圏に再編した近未来 ~通勤20km圏・110万都市85ヶ所の歩ける国~

第73話 東京圏3600万人を33都市雇用圏に再編した近未来 ~通勤20km圏・110万都市85ヶ所の歩ける国~


要約


東京(本物)――かつて3600万人がひしめいた巨大都市圏が、いまや33の中規模な都市雇用圏(各人口110万人)に姿を変えている。


10~15年後の近未来、日本全体でも人口110万人規模の都市雇用圏が85箇所に再構成されていた。新幹線駅は全国に107駅あるが、その約半数がこの新しい都市圏の中心に相当し、残りは両都市圏のはざまを抜ける通過点となっている。


地図を広げれば、日本列島にはハニカム状に大小85の明かりが灯り、各都市圏の外縁は半径約20kmでほぼ隣接し合っている。その光の粒は40km間隔で整然と並び、旧来は70kmおきだった地方中核都市の間隔が一気に詰まったことを物語っていた。


理翔たちは車窓からその風景を眺め、都市と都市の境界が曖昧になるほど連続した街明かりに、静かに感嘆の息をもらす。かつて暗闇だった郊外にも小さなビル群の灯りが点在し、「ここも今は一つのセル(110万人都市)なんだな」と理翔は目を細めた。



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1. 短縮された通勤と身近になった雇用・柏セル


東京近郊のある朝、千葉県柏市(丸の内から40km)。かつて柏や松戸から片道80分かけて都心・丸の内へ通勤していた人々が、今は20km圏内に分散配置された職場へと向かっている。


駅前広場で理翔たちが話を聞いた市民の声は素朴だ。「通勤が本当に楽になりました。昔は柏から満員電車で1時間半、毎日くたくたでしたけど、今は柏セル内のオフィスまで各駅停車で35分。座って通えるので朝から本も読めます」と笑うのは、かつて都心勤務だった男性だ。


丸の内にあった彼の会社は業務を再編し、一部を柏セルの新オフィスに移転したという。「リモートワークも増えたけど、オフィスが近くにできたおかげで出社の日も負担じゃない。子どもを保育園に送ってから間に合うんです」。彼はそう肩の力を抜いて語り、改札へと消えていった。




柏セルのような都市圏の分散によって、一極集中時代には都心に流れ込んでいた雇用が各地に拡散した。


通勤電車の混雑率は劇的に下がり、首都圏の朝の車両から人が溢れかえる光景はもはや過去の記憶だ。理翔も淡雪も、これまで何度も“通勤地獄”を目にしてきたが、今ではラッシュ時でも車内には適度な空間があり、人々は穏やかな表情で窓の外を眺めている。


「酸素が行き渡ったみたいだ」。理翔は呟いた。東京(本物)の過密な空気が薄まり、人々の呼吸が楽になったことを肌で感じる。先生もうなずく。


「長時間の詰め込み通勤がなくなったおかげで、生産性も暮らし向きも向上した。誰ももう、毎朝窒息しそうな思いはしなくて済むんだ」。都市圏の再編は、人々の日常にゆとりと余白を取り戻していた。



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2. 地方都市網の再出発:北部九州の場合


列島を巡る現地視察の旅路で、理翔たちは北部九州にも足を伸ばした。


福岡市の天神地区――かつて九州随一の繁華街だったその街も、今は周辺の都市とバランスを取り直している。

福岡都市圏は110万人規模にスリム化され、余剰人口は周辺の久留米セルや佐賀セルへと分散された。



2-1. 久留米セル


久留米市(福岡南40km, 熊本北80km)はこれまで30万人規模の地方都市に過ぎなかったが、周辺自治体との合併再編と企業誘致により都市雇用圏人口110万人を達成している。


理翔たちが降り立ったJR久留米駅は高層ビルが林立する新都心に生まれ変わっていた。といっても、商業ビルは高くとも15階ほど、マンションだと、30階建てが都市圏に5棟、20階建てが30棟といったところだ。15階建てなら無数にある。


駅前にはガラス張りの複合ビル「くるめクロスシティ」が聳え、再編前には想像もできなかった企業の支社ビルや大学のサテライトキャンパスが入居している。


地元商店街で出会った主婦は目を輝かせて語った。「娘が福岡に行かずに久留米で就職できたんです。地元に大手企業の支社ができて、本当に嬉しい」。


隣で野菜を売る農家出身の男性も頷く。「若いもんが残ってくれる。この街で十分暮らしていけるって皆が思い始めたんですよ」。都市が適正規模になったことで福岡一極だった北部九州にも人材の循環が生まれ、地域ごとに自給自足に近い経済圏が築かれつつある。




2-2. 長崎セル


一行はさらに西へ向かい、長崎セルへと入った。


長崎市もまた周辺の佐世保市や諫早市と機能分担しながら110万人都市圏を形成している。坂の町・長崎では、過去に人口減で空き家が増えていた丘陵地に、新たな住宅街が整然と造成されていた。山間部の斜面を開拓して生まれた「小江原ニュータウン」では、若いファミリーが夕暮れの商店街を散歩している。


淡雪が声をかけると、ベビーカーを押す女性が立ち止まった。「この辺り、昔はただの山だったんですってね?」と淡雪が問うと、女性は「ええ、再編計画で宅地になって、新しい街ができたんです。保育園もスーパーも近くにあって助かっています」と微笑んだ。


理翔の脳裏に、あのOECD報告で見た「小規模複数核が効率的」という一節が蘇る。


大都市に集中させず、小惑星のように散りばめられた複数の都市核――北部九州の風景は、まさにその実験の成功例として目前に広がっていた。




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3. 地価変動と象徴的な再開発


急速な都市構造の変革は、土地の価値にも劇的な変動をもたらした。


東京(本物)の都心部では地価がピーク時より最大40%近く下落し、再編当初は不動産市場に激震が走った。


理翔たちは再編から数年を経た荒川セルと板橋セルの境界、かつての東京23区北部エリアを歩く。朝焼けに照らされた西日暮里の旧高架下には、空室の古いアパートがまだいくつか残っている。


「この辺の地価下落幅は都内最大だった場所だね」と先生が指差す。それでも淡雪は明るい声で応じた。「でも、ここの地主は誰も破産してないんだよ」。


都心から郊外への人と資本の大移動に際し、政府と都市機構は**移転容積率(TDR)**や補償金制度を駆使して地価下落の痛手を緩和した。

都心で規制された開発権を郊外セルに振り向ける形で、中心部の土地所有者には権利移転による利益が還元されたのだ。


「保険みたいにリスクを社会化しつつ、値上がり益はちゃんと戻すわけか」と理翔が感心したように呟く。「うん。“谷”が“谷”で終わらない仕掛けね」と淡雪も頷く。

地価下落という谷で失われた資産価値は、新都市圏での地価上昇という山へうまく架け橋され、誰も極端に損をしないよう調整されたのだった。





一方で、地方の旧市街地では地価が上昇し、新たな投資が巻き起こった。


久留米セルの中心部では再編前、空きビルが目立っていた西鉄久留米駅周辺が大規模再開発されている。そこには地上30階建ての高層マンションや複合商業施設が建ち、多くの買い物客や家族連れで賑わっていた。


理翔たちはその様子を眺めながら、かつて東京(本物)に集まっていた活気が小さな単位に凝縮されたようだと感じる。

土地の値段は均され、人々は身近な都市で投資し、消費し、働くようになった。


先生が感慨深げに口を開く。「中央だけが光り輝く時代は終わった。これからは85の街がそれぞれ光を灯す時代だ」。


東京(本物)の象徴だった超高層ビル群は数を減らし、一部はオフィスから住宅や緑地に姿を変えた。皇居の周辺には大規模な都市公園が新設され、都心に残った人々の憩いの場となっている。


一方、地方都市では高さ制限の緩和により新しいランドマークが次々と誕生した。福岡セルでは博多駅前に「ツイン博多タワー」が聳え、熊本セルではガラス張りの「新桜町コンベンションセンター」が街のシンボルとなった。象徴的な再開発が各地で進み、それは単なるハコモノではなく、新しい暮らしの拠点として人々に受け入れられている。



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4. 「歩ける国」で暮らす人々の意識



地方も都市も歩いて暮らせる範囲が広がり、人々の意識にも変化が生まれた。各110万人都市の市街地は半径約9.5kmほどの範囲に都市機能と住居が凝縮されており、どの街でも基本的どころか、全ての用事は自転車圏内か、短い電車移動で済んでしまう。

都市圏外に行かないといけないのは、その土地にしかない史跡などの旅行だけだ。


エンタメイベントも(現代だってそうだが)地元のアーティストを地元で推すことができる。(注:現在でも、ローカルのアーティストを推すことが都雇圏50万人以上ならできる)




理翔たちは長崎セルからさらに南下し、熊本セルの都市的密度をこの目で確かめようと熊本市街を訪れた。


熊本城の見える中心部から市電に乗れば、9.5km先の郊外住宅地まで30分もかからない。(※:現在の宇都宮LRTでも9.5km先=10駅先は28分)

9.5kmより先では、車窓には住宅街と畑が交互に現れ、その先にまた次のセル、つまり、大牟田セル(28km北西)か阿蘇セル(35km東)か八代セル(35km南)のいずれか、の高層ビル群がちらりと顔を出す。


「生活のスケールが変わったわね」と淡雪が窓の外に目を細めながら言う。「ええ。昔は都会に出なきゃ感じられなかった活気が、今は各地に“小さな東京”がある感じです」と隣に立つ若い女性が話に加わった。


通勤で市電を利用しているという彼女は、かつて憧れていた東京での暮らしに未練はないと言う。「東京(本物)も今はひとつのセルに過ぎませんし、10年に1度、旅行で訪れば充分です。それより熊本で、家族と毎日夕ご飯を食べライブや他よイベントを得られる今の生活が気に入っています」。


かつて地方の若者に蔓延していた「都会に行かないと幸せになれない」という意識は薄れつつあるようだ。そして、その後に蔓延していた「逆に都会すぎるといくらでも時間がある独身時代はまあ電車に1時間も2時間も乗っていいが、子供を儲けると片道50分はきつい」という意識もなくなりつつあるようだ。



人々は自らの暮らす110万都市をそれぞれ誇りに思い始めている。「地元で起業する仲間が増えた」と胸を張る青年もいる。都市の分散は、人々に故郷で生きる選択肢を与え、地域への愛着を静かに育んでいた。




夕暮れ時、理翔たちは熊本セルの郊外にある丘の展望台に立った。橙色に染まる空の下、遠くには隣接する八代セルや阿蘇セルの高層ビル群が微かに浮かび上がっている。かつては山並みと田園風景しか見えなかった地平線に、いまは点々と都市の輪郭が連なっていた。


「都市と都市がこんなにも近く手を繋いだんだね」と理翔が静かに言う。先生が頷いて応じた。「人口が減っていく時代に、この国は縮こまるんじゃなく、歩ける国土へ作り替える道を選んだんだよ」。


淡雪も深く息を吸い込み、「再配分は‘完了’じゃなくて‘呼吸’…まだ息継ぎは続くんだね」と感慨深げに呟く。たしかに、都市をめぐる呼吸運動は今も続いているのだろう。85の都市雇用圏という新しい細胞へと生まれ変わった日本列島は、まるで一つの生命体のように脈動している。


理翔は足元に広がる街の灯を見下ろした。そこにはかつて憧れ求めた東京(本物)の輝きと遜色ない、無数の小さな光源が瞬いている。「これが僕たちの描いた未来の風景だ」。理翔の胸に去来するものは達成感だけではない。静かに湧き上がる次なる問い――この歩ける国で、人々はこれから何を紡いでいくのだろうか。夕闇に溶けゆく街を見つめながら、理翔たちはそっと前へ歩き出した…。



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