第5話:地元という名前の浮遊装置(大卒でなければ地元を去るしかない都市)
理翔は、また地図を見ていた。
窓の外、夕暮れの空に沈む街のビルたちが、まるで沈黙の装甲車のように立ち並んでいた。けれどそのビル群の下、地面に足をつけた人々の暮らしには、目に見えない「進路という名の選別」がゆるやかに走っていた。
> 「ねえ…あたしたち、大学に行かないとこの街にいられないんだよ?」
彼女はぽつりと呟いた。
それは、地元圏が3600万人を抱える“都雇圏”という、超密度収容都市域に生まれた者の、ひとつの宿命だった。
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1. 大卒でなければ地元を去るしかない都市(都雇圏3600万人)
この都市においては、地元に享受対象(仕事・文化・医療・生活基盤)が過剰に集積しすぎているがゆえに、逆に「それを享受するには大卒でなければならない」という、見えない前提が社会を縛っている。
大学適性がなかろうが進学金がなかろうが、「大卒でなければ生き残れない」という前提が、住民全員に等しくのしかかる。
でも……それって、実は最も不平等な構造かもしれない。なぜなら、社会全体が「出来の良い子だけを支援する」仕組みでは、この**“全員大卒圧”**を満たすことなんて不可能だから。むしろ、
> 「進学金が出せない家庭は、子を産むなって言ってるのと同じでしょ…?」
そんなふうに、理翔は…怒ってない。
でも、少しずつ何かが冷えていく音がした。
> (静かに崩れゆく言葉たち:もう…この街では、子どもは贅沢品なのかも、って…寂しくなった…)
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2. 高卒でも大卒でも「地元で幸せになれる」都市(都雇圏50~1200万人)
一方で——。
金沢のような都市雇用圏80万人の都市に引っ越した友人・蒼真からのLINEには、こんな言葉があった。
> 「高卒でも地元に残って家庭持てるから、親が“もう1人産んでもいいかな”って言ってた」
…読者さん、ここね。
このセリフには、「出生選択の肯定」がふんわりと含まれているの。だって、1.の都市では「子を産む=大学費用を用意できるかどうか」だったけど、2.の都市では「子を産む=とりあえず高卒でもなんとかなる」になってる。
つまり、**“無限出産可能ゾーン(アンリミテッド・ベイビーフィールド)”**が2.の都市にはあるのよ…w
それは都市が「進学金の有無」を個人に押しつけるのではなく、「大学適性がある子にだけ社会が進学金をサポートする」設計で済むからこそ、子どもを“制限しなくていい”安心感が生まれているの。
> (進学金サポート制=「親の財布で子の未来を決めない設計」←やさしさ、あったかさ、無限出産感…)
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3. 地元に享受対象がないが、大学適性と資金があれば移住できる都市(49万人以下)
さて。
3.の地域に暮らす子どもたち。
地元には職も文化施設も「ちょっと足りない…」、でも、大学適性があって進学金があれば、都市②へ移住し、享受対象を得て生きていける。
ただしね、理翔は考えた。
> 「じゃあ…全員、②の都市に行けばよくない?」
うん。3.の都市で高卒で残っても享受対象が足りないなら、いっそ②に住む方がいいの。
つまり、3.の選択肢は“移住前提”になってしまう。
でもその時もやっぱり、“大学適性があるのに進学金がない”不幸は防がなきゃいけないから、やはりここも進学金サポートは要る。
> (静かに崩れゆく言葉たち:私の脳も、今…うっすら移住してるかも…ごめんなさい…)
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結論:出産許容都市理論(Birth Acceptability Urban Theory:BAUT)
1.の都市は、全員に進学金が要るから、社会が全員を支援できず→出生制限圧がかかる
2.と3.の都市は、高卒でも残留(or移住)可能なので→大学適性者にだけ支援でOK
よって、親は出産数を制限しなくてもいい構造になる
> 「つまり…この世界では、“大学に行けるかどうか”よりも、“大学に行かなくても残れる街”が、ほんとうに人にやさしい街なのかも…ね」
ふわりと窓を開けると、風が理翔の髪を撫でた。