2.姫付き侍女のミリアムさん
考えてみれば、僕が暮らしているのは君の故郷だ。君が生まれてからほんの数年、両親と幸せに暮らしていたと『報告されている』はるかなる英国。
君はあまり話さないから、僕はそんな形でしか知らないけれど、君の中に残されたものを見ることはできる。
『幸せに』。まず初めの事実は、君の名前。
「元気そうだね、ミーア」
「シェリー様には負けます。窓からずっと門を見張っていたんですよ。落ちそうなくらいに、身を乗り出して。お姿を確認してから、時計が怯えるほど睨みつけていますわ。お父上のことを、ほとんど憎まんばかり」
「あの人は、いつも話が長いんだから」
「そうです。間違ってはいませんけれど。約束があるから、部屋から出れないなんておっしゃられて。私たち、走り回ってしまいましたわ。どうしてお庭にいらしたんですの? フレディ様」
中庭。振り返れば、ここからならまだ見ることができる。
どうして? 目的のひとつがそこにあるはずだったからだ。
「通りかかったら、懐かしくなってね」
「聞こえたら大変。怒りますわよ。私より花が大事なのー?」
「言われそうだ」
笑ったままで、僕たちは天を目指す階段をのぼり始めた。城の中央に造られた、塔まで続く長い階段。
足音も上へ上へと向かい、壮麗なフレスコに吸い込まれて消えてゆく。至高天を模したブルーを塗った職人のひとりは足を踏み外し、その空の住み人になったと言われているが、叔父上の話の中でもこれは、あまりにも信憑性が薄すぎる。
そう言えば半年前、ミリアムはその話に怯えてこの階段には近付くこともできなかったはずだ。その恐怖をどうして克服したのか、是非とも聞き出したいところだが。
「まだお戻りにはなりませんの?」
そんな札を先に出されて、僕は自分の札を捨てるしかなくなった。
うっかり見てしまったミリアムの表情には懇願が覗き、とてもそんな札どころではない。
「君までそんなことを言うの?」
その僕の質問には言葉を返さず、ミリアムは細く笑っただけで前に向き直り、それまでと変わらない速さで階段に足を運び続けている。
そんな気弱なところを見せられて、僕はどうするべきなのか見失いそうだった。
昔からのことだけれど、僕は真正面から向かってくる『お願い』をかわす方がずっと上手にできるのだ。控え目な、だけど重要性の高いこういった希望を砕くのは、僕としては非常に苦しい。
そもそもミリアム一人が担当しているそれは、僕一人の役割だったはずだ。君があまりにも優秀だったので、ためらいもせずに任せたまま、心配もしていなかったのだけれど。
「僕がここにいると、どうしても甘やかすでしょう。撥ねつける自信がない以上、距離を置くしかないからね」
「フレディ様がいらしてくれれば、とため息ばかりついていますのに。私たち」
「それは。あまり変わっていないということ?」
「ご自分でお確かめになって下さい。さぁ」
あまりひどい様なら、マダムを呼び戻そう。
そんなことを思っていた僕の前で、大きな扉が開かれた。