22.罪悪感
不穏な気配を、感じていた。
胡桃の部屋は、いつだってそうだ。やけに居心地がいいのだけれど、同時に、いつもなんらかの気配が漂っていて落ち着かない。
霊を滅する、あるいは排除する。
その類の術が身を守るためには必要だと思っていたけれど、まずはそういった連中を近づけさせないための、結界の張り方を覚えた方がいいのかもしれない。
初めに、蔵の中から見繕った術書は三冊。意味もわからず、適当に手に取っただけだった。
だが、多少の学習をした今なら、少しはわかる。あの中に結界の張り方なんてあったかなと、机の上に置いていた術書を、ペラペラとめくり始めた。
と、ブブブ、となにかが震える音が聞こえた。
(あ、電話)
「電話? ……って、ああ、これか」
胸中からかけられた胡桃の声に、反応する。見ると、机の上を振動しながら、ガタガタと動く板があった。
とりあえず手に取ってみる。画面には、蒼井悠哉の文字が見えた。
そういえばこれが、連絡の方法だって言ってたな。
最初に会ったとき、なにやら悠哉が操作していたのを思い出す。
(応答って文字触って? そして、耳に当てるの)
「こうか?」
「――胡桃ちゃん?」
言われた通り、耳元に板を当てる。と、聞こえてきたのは悠哉の声だった。ビクッとして身を離し、思わず画面をしげしげと見つめる。
「すげぇ……いや、連絡が取れるとは聞いてたが、まさかこんな、空間を繋げちまうなんてな」
おれの知らない五百年間の進歩たるや、凄まじい。
感想に、(いやそんな、大げさなものじゃないって)と、半ば呆れた反論がくる。
「なに言ってんだ、胡桃! 声が聞こえるだけじゃねぇ。ちゃんとすぐ近くに、悠哉の気配が感じられる」
「――烈牙、か」
すげぇ、ともう一度呟く。
同時に、苦笑をにじませた悠哉の嘆息が聞こえた。その、息遣いまですぐ耳元で感じられて、さらに感嘆する。
「確かにその通りだが、烈、これは互いの耳に近づけて喋る道具だ。大声はよせ」
(えっ、じゃあ本当に空間繋げちゃうんだ)
悠哉が烈牙の発言を肯定したせいで、胡桃が驚いていた。その反応が、面白い。
道具を使いこなしていながら、その仕組みをまったく理解していないとは。
むしろ、理解せずとも利用できる道具を開発できる、現代の文明に感心する。
「とりあえず、胡桃ちゃんはまだ起きてるんだな?」
物言いでわかったのだろう。確認するような口調に、時計を見る。
時刻は、夜の九時過ぎ。早ければ、胡桃はもう寝ている時間だった。
そこで、ピンとくる。
「なんだ。こいつには聞かせたくない話か?」
胡桃の意識を、深く沈めながら問う。
以前、悠哉が言っていた。烈牙はおそらく、核なのだと。
主導権を持つとのっことだったのでやってみたのだが、思ったよりもあっさりと成功した。
まぁ、この場合は胡桃が素直だからなのかもしれない。軽く押さえただけで、抵抗なく沈んでいった。もし抵抗されれば、技術的にも心情的にも難しかっただろう。
ふと、電話の向こうから悠哉のため息が聞こえる。
「――察しがよくて、助かった」
どうやら読みは正しかったらしい。また、「聞かせたくない話か」と問うた台詞から、すでに烈牙が胡桃の意識を眠らせたと悟ったのだろう。
本当に話の早いことだ。
「あのな……烈」
「ん?」
「――――」
呼びかけられるも、その後沈黙が落ちる。話し方を――もしかしたら話すこと、そのものを迷っているのかもしれない。
もっとも、予測はできているけれど。
「なぁ、悠哉――あいつ、大丈夫か」
待つのをやめて問いかけるも、名を口にするのは、なんとなく憚られた。
「――胡桃ちゃんに聞いたのか?」
笑声とも、嘆息ともつかぬ吐息のあと、苦味を含んだ声がする。諦めの色が見えて、チクリと胸が痛んだ。
「いや、胡桃が話したわけじゃねぇ。ただ――おれが記憶を読んじまってな」
奥に引っ込んだあと、あえて意識を閉ざしていた。流れ的に月龍の話になることは推測できたし、彼のことなど聞きたくない心理が働いたのだ。
また、克海と一緒にいるのが嫌だった。
共有する時間が長くなれば、それだけ愛着もわく。情が移るのは、なるべく避けたかった。
引っ込んでいる間の話など、知るつもりはなかったのだ。
なのに、祖父宅に戻った気配がして浮上すると、胡桃の様子がおかしい。どこか落ち着かないというか、気分が沈んでいるように感じられた。
なにかあったのかと心配になって記憶を探り――知ったあと、後悔した。
「――悪ぃな。知られたくねぇって、お前、言ってたのに」
胡桃の記憶の中、自嘲気味に笑っていた悠哉の顔が、瞼の裏に浮かぶ。
「そもそもそう思うこと自体、自分勝手にすぎる。自分からお前に話す勇気はなかったから、かえってよかったのかもしれない」
笑いを含んだ声は、思ったよりは落ち着いていたが、重ねて言わずにはいられなかった。
「胡桃も言ってただろ。お前は蒼龍じゃねぇ。お前が責任感じる必要なんて、欠片もねぇんだからな」
胡桃がした烈牙の真似は、まさしく心情を代弁してたものだった。
ただ、まぎれもない本音ではあるけれど、あの場にいたのが烈牙だったとして、ああ言ってやれた自信はない。
蓮は、蒼龍を完全に信用していた。それが途中までとはいえ、騙されていたという衝撃は強い。
また、月龍は蓮に、蒼龍を信用してはいけないと言っていた。
信頼する相手を悪く言われ、しかも自らの弟を謗る月龍の、人間性に対して疑問を覚えるきっかけともなった。
抱いた不信感が間違っていたとしたら――その結果の、悲劇だったとしたら。
蒼龍を責める気持ちが皆無かと問われれば、答えは、否になる。理性ではわかっていても、感情として割り切ることは難しかった。
「――あとな。これこそ、蛇足そのものだとは思うんだけど、よ」
ここから先は、言わなくてもいいことだ。確認して、どうなるものでもない。わかっているのに、抑えが利かなかった。
「お前、ずっと覚えてたんじゃねぇか? 蒼龍の記憶を――草薙だったときや、他の時代も」
そう考えると、思い当たる節があった。
草薙はいつも、烈牙に献身的だった。たとえ烈牙が、いずれ長を継ぐ立場にあったとはいえ、それだけでは説明できないほどだった。
他の時代もそうだ。いつも親友として、一番近くにいた。
そして――知る限りではずっと、独り身だった。
どの時代でも、恋人がいたことはない。人間として立派で、男としての魅力も溢れていたにもかかわらず、だ。
あれはすべて、蒼龍の記憶があったからではないのか。蓮へ贖罪の気持ちが、そうさせたのかもしれない。
――もしかしたら、恋情も。
くすりと、悠哉が笑った。
「気持ち悪いか?」
ぎくりと、身が竦んだ。
烈牙のときだけではない。他の時代でも、周辺では男同士の恋愛は珍しいことではなかった。
けれど、どうしても駄目だった。男に迫られて、逃げ出したのは一度や二度ではない。
草薙は、烈牙が衆道を毛嫌いしているのを知っている。だから、草薙が烈牙に想いを寄せていたのなら、気味悪がるだろうと考えたのではないか。
正直な話をすれば、不思議と嫌悪感はなかった。ただ、男同士である以上、そもそも恋愛の舞台にすら立てなかった草薙に対し、申し訳ない気分になっただけだ。
「いや、そんな……!」
「――お前は月龍を執念深いと言ったが、蒼龍も同じだ。幾世代にも渡って、蓮を追いかけた。忘れることもせず、あの人との仲を取り持とうともした。なんと粘着質なことか」
ああ、そういう意味か。勘違いに、我知らず苦笑する。
否、安堵している場合ではない。どちらにせよ悠哉が、烈牙に嫌われたのではと思ったことに違いはないのだから。
「ンなこと思ってねぇから安心しな。おれはただ、あいつに蒼龍の記憶があったなら、しきりにおれに槐を勧めてたのも納得できると思っただけだ」
烈牙が最初、想いを寄せていたのは主上の妻だった。
そんな不毛な恋に反対するのは当然のこととして、他のどの女でもなく、槐にしておけと何度も言われた。
もっとも、彼女と烈牙を結びつけようとしていたのは草薙だけではなく、里の者がほとんどそうだった。
だからさして意味など考えなかったのだけれど、草薙には他の者たちとは違う、特別な感情があったのかもしれない。
「記憶のせいだけじゃないけどな。槐は……本当にいい子だった。気立ても、器量もよくて、一途に烈を想っていた。二人の幸せを願うのは、ごく自然なことだろう?」
静かに諭すような口調に、ふと寂寥感を覚える。
草薙は、ぶっきらぼうな男だった。これほど、柔らかな口調ではない。魂は同じとはいえ、悠哉が草薙とは別人であると思い知らされた気分だった。
それだけではない。気分が沈むのは、続けたい言葉が読めてしまったからだ。
「――そして、今回も同じだ」
ほらな。嬉しくともなんともないけれど、あたった予感に思わず勝ち誇る。
もっとも、できれば外れてほしい予測ではあったけれど。
薄く笑みを滲ませた顔が想像できる、おだやかな声が続けた。
「克海は――月龍だ」
「だろうな」
努めて、軽い調子で返す。
初めて会った時から、酷似した波長が気になっていた。けれど、ただ似ているだけの可能性もある。むしろ、そうであってほしかった。
なのに、克海は月龍の夢を見たという。
本人は、胡桃から話を聞いていたせいで影響を受けたのだと思っていたようだが、違う。胡桃の――烈牙の気配に刺激されて、過去の記憶が甦りかけているのだ。
記憶に先行し、感情はすでに引きずられているのだと思う。
克海のことは嫌いではない。槐が転生した姿だと思えばなお、愛しさもある。
けれど――だからこそ。
「言っただろう、悠哉。おれは、お前の方がいい」
克海がいる目の前で、悠哉に誘いをかけたのは、あえてだった。
自分が月龍であることを自覚する前、胡桃への気持ちが強くなる前に、悠哉とできてしまえばいい。入りこむ余地はないと、見せつけてやればいいのだ。
その方が後々、互いのためになる。
「まぁお前が、こんな小娘を相手にする気はねぇってんなら、無理は言わないけどな」
我ながら、意地の悪い言い方だった。
悠哉が胡桃に惹かれているのは、まず間違いない。年齢差を気にして、あるいは言い訳にして、意識しないようにしている様子ではあるが。
まったく蓮といい、他の時代といい、おれはもてて困っちまうなと、誰に言うでもなく考えたのは、照れが浮いたからだった。
「そんな、ことは……」
「まぁいいや。お前、次の休みいつだ? 一緒に出かけようぜ。えーと、なんだ、デートっての?」
案の定言葉につまった悠哉を誘ってみる。わざわざ「デート」と言ったのは、烈牙と男同士、ただ遊びに行くわけではないと強調するためだった。
と、わずかに驚いた気配が伝わってくる。
なんだ、と思っていると、悠哉がくすくすと笑い始めた。
「よく、デートなんて言葉、知ってたな」
確かに、烈牙の時代には使われていなかった言葉だ。知っていたのはもちろん、理由がある。ふふんと胸を張った。
「言ったろ? 集中すれば、胡桃の記憶、読めるんだ。うまい言葉はねぇかと、こいつの知識をちょいと拝借した」
逢瀬や逢引でもいいけれど、もっと軽い感じの方が合う気がしたのだ。
悠哉が、くすりと笑う。
「――いいよ。しようか、デート」
軽口をたたいたことで、多少なりとも気分が軽くなったのだろうか。
了承の返事に、ホッとする。
「おう。じゃあ、どこに行く?」
「そうだな……定番だが、遊園地はどうだ?」
遊園地。知らない単語に、胡桃の知識を探ってみる。
言ってしまえば、二人で出かけるのならどこでもいい。ただ、胡桃が嫌いだったり怖かったりする場所でないことが前提だった。
「遊園地」という単語に、幸い悪い印象はない。子どもの頃に家族で行った、楽しい思い出が浮かぶ。
胡桃が過ごしてきた人生が苦もなく、幸多いものだったことがうかがい知れて、少し嬉しくなった。
「いいぜ。なんか、楽しそうなとこだな」
「胡桃ちゃんも楽しんでくれるといいけど。じゃあ、来週の日曜日に」
おう、と答えたけれど、どうせ明日からも術を勉強するために悠哉の家には行く。仕事があるから毎回会えるとは思っていないけれど、デートの日よりも前に顔を合わせることにはなるだろう。
じゃあなと挨拶を交わして、悠哉の気配が途切れた。
(――胡桃、話、終わったぜ)
上方から聞こえてくるのは、少年とも青年ともつかぬ声。今ではもうすっかり聴き慣れた、烈牙のものだ。
悠哉から電話を受けてすぐ、烈牙からやんわりと圧力をかけられた。きっと、聞かせたくない話があるのだろうと、自ら感覚を閉ざしたのだ。
悠哉も烈牙も、胡桃を思いやってくれている。その二人がそう判断したのなら、従うまでだ。
(あ、そうだ。今度の日曜、悠哉とデートすることになったから)
(は?)
まだ半分寝ぼけた頭で聞いた言葉を、認識できなかった。間の抜けた調子で聞き返す。
(だから、デートだデート。遊園地ってとこ? 悠哉と二人で行くことになった)
(っえぇえぇーっ!? な、なんでそんな話になったの!?)
(デートしてぇなと思ったから誘った。ンで了承された。それだけだ。――なんだ、イヤか?)
(イヤじゃないけど、でも、なんていうか……)
(ごちゃごちゃ言ってないで、 着ていく服でも選んだらどうだ?)
おもむろに立ち上がり、クローゼットを開ける。
「烈牙」の自我がはっきりして、すでに二週間ほどが経った。日常的なことなら、任せていてもさほどおかしなことはしない。
と、乱雑な手つきでハンガーにかかった服を探っていた烈牙が、苦笑した。
(まぁ、悠哉は服を見に来るんじゃなくて、お前に会いに来るんだしな。どれでもいいか)
(えー。でもどうせ行くなら、可愛い格好したい、かなぁ)
(お。幼いと思ってたけど、案外女らしいこと言うじゃねぇか)
クローゼットの扉の内側にある鏡に、顔が映っている。からかう調子の声と同様、胡桃ならしないいたずらな笑みが、ニタリと浮いた。
(けどよ、気にする必要はないと思うぜ? おれは代々美形だしな。お前も可愛いし、悠哉もとっくにぞっこんだぜ?)
(もう、烈くんったら……)
下品な言い方しないの。恥ずかしまぎれに注意しようとして、ふと止まる。可愛いと、さらりと褒めてもらったことよりももっと、気になることがあった。
(ね、烈くん。悠哉さんは蒼龍さんにそっくりよね? 草薙さんも似てた?)
(あいつはどの時代も、似たような顔だな)
烈牙が目を閉じると同時、青年の姿が浮かび上がる。
これが草薙なのだろう。確かによく似ていて、国が同じだからか蒼龍よりも悠哉に近い気がする。
(じゃあ烈くんは? あたしは蓮ちゃんに似てるって悠哉さんが言ってたけど、烈くんは男の子だから似てないのよね?)
自分の過去生が、代々美形などと言われれば嬉しくなる。見てみたいと思うのが人情だった。
(ローマ時代、カエサル……つってもお前はわかんねぇか。まぁ、時の権力者ってヤツの側近してたんだけどよ。そんときのおれだ)
(――うそ。すっごい、かっこいい)
映し出された青年の姿に、呆然と呟く。
栗色の髪と瞳の、逞しい美青年。手で髪を整える仕草をした、楽しげな表情を刻む顔立ちは、「甘いマスク」の典型だった。柔らかな印象なのに、戦士らしい逞しさも兼ね備えている。
ハリウッドスター顔負けだわ。感嘆と共に、烈牙への期待はさらに高まった。
(じゃあ烈くん! 烈くんも今の人に似てる?)
(ばーか。あんな優男と一緒にすんな)
優男、というが、充分に筋骨隆々だった。筋肉量なら、やたらと強かったという月龍よりも上に見える。
もっとも、大木を素手で叩き折る、などとも言われていたし、空き缶をつぶした腕力もある。ならば、先ほどの戦士らしき青年よりも大柄なのかもしれない。
(おれの方がもっと目元が鋭い、男前だ)
(えー! さっきの人より!? 見たい見たい!)
(別にいいだろ、おれの顔は。見せて、お前が惚れちまったら困るしな)
烈牙は、自分の姿を思い浮かべる前に目を開ける。
(えー見たいっ)
(あーもう、うるせぇな。とにかく、見てくれなんか気にしなくっても悠哉は大丈夫ってこった)
不満たらたらの声を上げる胡桃に、めんどくさそうに言ってクローゼットの扉を閉める。
今度悠哉さんに会ったら、どんな感じか訊かなくちゃ。
思う声に、じゃあ先に口止めしとかなきゃな、と烈牙の声が重なる。
(ほら、さくさく勉強始めるぞ)
むすっとしたのが伝わったか、くすくす笑いながら机に向かう。
はーいとむくれたまま返事をするも、烈牙と身体を共有するこの状況に、すっかり慣れてしまった自分がおかしくもあった。




