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冥合奇譚  作者: 月島 成生


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10.疑惑


 不思議な気がした。

 最初、克海から相談を受けたのはもう、二週間以上も前のことになる。

 初めは相談というよりも、明晰夢を見てる同級生の子がいる、あれって本当にあるんだなといった、感想だった。

 そのうち、何度も繰り返し見てるみたいとの報告を受けた。

 内容自体は、克海が行った夢解きと同じ判断ではあるが、悠哉には少し、違う考えもあった。


 夢がどうの怪異がどうのと言っているらしいが、すべてが真実ではないのではないか。

 もしかしたら克海に好意を持っていて、多少誇張混じりに話しているのかもしれない、と。


 だとしたら正直、面倒だった。


 幼い頃から、克海はやけになついてきた。あれほど慕ってくれれば、もちろん可愛く思う。彼が困ってるのならば、できる限り力になってやりたい気持ちは本当だった。


 だからといって、克海の周辺すべてに愛情をもって接する義務はない。

 心療内科医とはいえ、慈善事業ではないのだ。仕事でもないのに、面倒事を背負いこむほど物好きでもない。

 自傷行為にまで及んだとなれば、なにかしらの問題が疑われる。

 もし病んでいる要素が見られるならば、それとなく距離を置くようにと、克海にアドバイスするつもりだった。


 けれど実際に会った胡桃に、病的なものはまったく見受けられなかった。むしろ、今時珍しいくらい、健全すぎるほどに健全な印象がある。

 少なくとも、人の気を引くために嘘を吐くタイプではない。短い時間でもわかるくらいに素直だった。

 ならば話は本当だと考えるのが自然で、だからこそ彼女の身に起こっている事象は、不思議としか言いようがない。


 昼食中、雑談のように話しながらも聞き出した過去に、問題らしい問題は見つからなかった。

 家族仲は良好、学校での生活も普通、仲のいい友人もいる。

 もちろん悩みがあったとして、初対面の悠哉にすべてをそのまま話したとは限らない。

 ただし、なにかあれば隠そうとして、わずかな間ができる。

 胡桃にはそういった様子はなく、躊躇も見られなかった。


 ――不思議なのは、それだけではない。悠哉が覚えた感情こそが、不可解だった。


 懐かしい気がすると言ったのは、胡桃が自分を知っていたからと話を合わせたわけではない。

 試合会場で見かけたのかもしれないと、二人にはあり得そうなことを言ったけれど、実際はもっと強く感情が揺れていた。


 一瞬だけれど、彼女の背後に花畑が見えた気がして――古い少女漫画かと、我ながら呆れたものだ。


「ごめんね、要領悪くて」


 克海を見送ったあと、席に戻る。向かいのソファにちょこんと座る胡桃は、なんとなく小動物を彷彿とさせて可愛らしかった。


 と、微笑ましく見ている場合ではなかったか。


 状況を思い出し、さてどうやって原因を探っていこうと方途に迷う。

 最初は、克海に害が及ばないようにするだけのつもりだったが、実際に会ってみて、気持ちが変わっている。もし胡桃の身になにかが起こっているのなら、協力を惜しむつもりはなかった。

 好意的に思ってくれる相手に、非情にはなりきれない。

 それだけが理由ではなく、強く揺さぶられてしまった自らの感情によるところが大きかったけれど。


「――そういえば」


 心臓が、きゅっとつまるような痛みを訴えかけてくる。それを振り払うためと、沈黙が深くなる前にと口を開いた。


「克海から聞いたんだけど、変な夢を見てるんだって?」

「あっ――」


 なるべく軽い口調で言ってはみたけれど、胡桃を現実に引き戻すには充分だったらしい。小さく声を上げて、顔が曇る。


「ごめん、深刻ぶるつもりもないんだけど……ケガもしてるって聞いて、ちょっと心配で」


 大したことじゃないと言ってあげるくらいでは、問題は解決しない。その程度の気休めですむのなら、克海の言葉でとっくに救われているはずだ。

 なのに、自傷行為にまで至ってしまったからにはなにか、根本的な相違があるのかもしれない。


 胡桃に会う前、想定していたのは境界性パーソナリティ障害だった。

 境界例やボーダーラインと呼ばれることもあるこの症例は、そう極めて珍しいものではない。

 善悪や好悪の判断などが極端から極端に移行したり、気分が不安定で態度も変わりやすく、傍から見るとまるで別人のように思えることもあった。

 強いストレスがかかると、一時的に記憶を喪失したり、自傷行為に走ることもある。

 いくつか当てはまる症状はあるのだが――違う、ような気がしていた。


「あの……これ、なんですけど」


 こくん。


 息を飲む音に続いて、細い胡桃の声が聞こえた。

 小さな手が、自身のタートルネックにかけられる。ゆっくりと下げられ、露わになった首はとても細く、白かった。

 その首を横断するように走る、一本の赤い線。――痛々しい、傷。


 なるほど、これを隠すためのタートルネックか。


 納得と同時、傷が深くないことを確認してほっとする。程度としては、爪で浅く薙いだくらいか。

 とはいえ、胡桃が大袈裟に騒いでいたとは思わない。首から上は、傷の割りに出血量が多くなる。怪我をした覚えもないのに、両手が血で染まっていれば驚いて当然だった。


「今も痛い?」

「ほんの少しだけ……紙で指を切っちゃったりするでしょ? あんな感じの、痛いような痒いような」

「そうか。でも怪我自体が酷くなくてよかった」


 手当の必要はない。暗に示すと、はいと頷く胡桃の顔にも、安堵の色が浮かぶ。


「草野くんから聞いてると思いますが……今までも、変な夢は見てたんです。触れた物の感触や、香りが現実みたいで。首を絞められて苦しかったり……叩かれて、痛かったり」


 ――……の、夢だ。


 頭の片隅で、呟く声が聞こえる。

 「それで、あの」と俯きながら、言い辛そうにちらちらと上目遣いでこちらを見る胡桃の目と、視線が絡む。わずかに頬が赤くなっていた。


「その人、夢の中であたしの恋人みたいなんですけど――その、不思議なことに蒼井さんに似てるんです」

「ああ」


 そんなことか。思うよりも早く、くすりと笑ってしまう。


「似てて当然だよ」

「えっ」


 ――……だから。


 驚きの声を上げる胡桃に答えかけて、ふと我に返る。


 今、自分はなんと答えようとした……?


「当たり前、なんですか?」

「う……ん」


 きょとんと首を傾げられ、返答に詰まる。先ほど答えかけた言葉は、すでに記憶のどこか、奥へと沈んでいた。


「ほら、胡桃ちゃん、前から僕のことを知ってたって言ってたよね? それで、恋人というまだ実像をもって想像できないものに、近すぎず遠すぎずっていう僕を当てはめたんだろうと思う」


 理屈としては合っている。ただし、「当然」と言い切れるほどの理由ではなかったけれど。

 もっとも、悠哉自身か心療内科医という肩書かはわからないが、信用してくれているらしき胡桃は疑いもしない。

 あははーと照れたように笑う顔が、赤かった。


「やっぱり夢は願望を……って感じだったんですね」

「望んでくれるなら嬉しいけどね」


 お世辞半分本音半分で言うと、面白いほどに胡桃が赤くなる。耳まで真っ赤になっている反応は、悪い気がしない。


 ――嬉しく思う時点、本音が半分混じってしまっている時点で、大人としては失格だけれども。


 なにかがおかしい。

 胸に、心臓の代わりに石が収まっているような、重苦しさがあった。


 異変は、胡桃と出会ってからだ。

 かといって、別に一目惚れしたわけではないと思う。胡桃は可愛らしくはあるが、十一も年下の女子高生だ。犯罪者になるつもりはない。


 けれど、感情が揺れる。理性ではない、別の部分が反応していた。


 おかしいといえば、克海もか。彼の言動も、いつもとは違っていた。

 胡桃も今時珍しいくらいに純粋だけれど、それは克海も同じだった。素直で優しく、自分の損得も考えず、人のために動くようなところがある。

 その克海から、今日はほんのわずかではあるが、負の感情が見えた。おそらく本人にも自覚がない、嫉妬。

 話を聞いていたときには、胡桃が克海に好意を寄せているのかと思っていたが、むしろ逆なのかもしれない。


「――あの、蒼井、さん?」

「悠哉でいいよ」


 呼びかけられて、返事はほとんど条件反射だった。

 だが、理には適っている。患者によっては「医者」という権威をチラつかせた方が、信頼してくれる場合もあった。

 だから診察時、相手を見て服装を変える。医者だからと信頼を寄せてくれる相手には白衣で、本当は治療ではなく、誰かに話を聞いてもらいたいと思っている人にはスーツか私服で対応していた。


 胡桃はきっと、後者だ。ならば年の離れた大人、医者として話すより、気安く話せる距離感の方がいい。


 ――名字で呼ばれる他人行儀さが嫌だと思う、悠哉自身の気持ちを置いておくとしても、だ。


「えっ、でも蒼井さん――」

「悠哉」


 慌ててなにか続けかけた胡桃を、笑顔で遮る。うっと小さくつまったあと、眉を歪めた苦笑になった。


「えっと、じゃあ、悠哉さん」

「うん」


 満足の笑みで頷いたあと、なにかなと問いかける。胡桃の浮かべた苦笑が、少し深くなった。


「急に黙っちゃったから、どうしたのかなと思って」


 自分自身の状態と克海の気持ちと、知らぬうちに考え込んでしまっていたらしい。


「ごめん。ちょっと考え事」


 嘘ではないけれど、多分に誤魔化しの言葉ではあった。考え事の内容については、胡桃には――言えない。


「変な夢を見るようになったのは、おじいさんの家に引っ越してからだったよね?」


 感情という不確定で不明瞭なものについて悩んでみても、解決には繋がらない。問題は、悠哉ではなく胡桃の中にあるのだ。そちらをどうにかする方が先決だった。


「いわくつきの土地だって聞いたけど……怪奇現象みたいなものもあったって」

「そうなんです!」


 ハッと顔を上げた胡桃が、ついでとばかりに身を乗り出す。


「陰陽師の家系らしくて……一番怖かったのはお坊さんたちが部屋に入ってきた時だけど、他にも寒気がしたり、変な気配感じたり、どこからか子どもの笑い声みたいなの聞こえてきたり……」


 眉根を寄せて話す表情は、真剣そのものだった。

 思春期の、特に少女にはこういったことを言う子がいる。「他とは違う自分」を演出するためだと思われる例が、ほとんどだった。

 ただし、実際に見えている場合もある。不安定な心身が見せる幻の類だ。

 胡桃の場合、前者ではありえない。かといって、後者とも違う気がする。

 だからこそ、悩むわけではあるが……


「草野くんは、気のせいだって。あたしも、そうであってほしい気はするんですけど……でも、本当なんです。悠哉さんは、信じてくれます、か……?」


 不安そうな上目遣いを前に、返答につまる。


 親身になってくれた草野くんには、本当に感謝しています――本人を前にしても、照れることなく言っていた。

 ただ、お化けとかは信じてくれないけど、とポツリとつけ加えたのも事実だった。


 だから、悠哉にはその部分も認めてもらいたい。


 瞳の訴えに、頷いてあげることはできなかった。

 そもそも、克海がごりごりの合理主義になったのは、悠哉の影響を受けたからに他ならない。その悠哉が、胡桃の主張をそのまま受け入れるのは、到底無理がある。

 かといって、真っ向から否定するのは信頼を失う意味で、決して得策ではなかった。


「僕は、そちら方面は専門外だから……面白いとは思うけどね」


 結局は、微苦笑を浮かべるにとどまった。


「でも、見えてしまうようになったのには、なにか原因があると思うんだ」

「原因……ですか」


 軽く握った右手を口元に当て、左斜め上へと視線を向けた。原因といわれるなにかを、記憶の中から探っているのだろう。

 人は、過去の記憶を思い出そうとするとき、左斜め上を見る傾向がある。胡桃の場合はより顕著に表れていて、この短時間でも何度か見かけた。


 逆に、右斜め上を見るときは未来を想像していることが多い。過去について質問をしているはずなのに右を見ている人は、嘘をついている傾向にある。


 もちろん、無意識による嘘の可能性はあった。自分では過去を思い出しているつもりで話を作っているとき――思春期の少女にありがちな、怪異体験を話しているときなどだ。

 けれど胡桃は、必ずと言っていいほど左を見る。嘘はないと判断する一因でもあった。


 もっとも、心理学を学んでいれば、そう判断されることを見通しての嘘もつけるが、胡桃に知識があるとも思えなかった。

 そっと頭を振るのは、原因に心当たりはないという意思表示だろう。予想通りの答えだったから、ただ頷く。


「それを、一緒に探してみない?」

「探す? 一緒に?」

「そう。催眠治療って聞いたことある?」


 ほんのわずか左上を見て、すぐにふるふると首を左右した。


「今から暗示をかけて、胡桃ちゃんに催眠状態に入ってもらう。そして、深層心理の中から答えを引き出してみようと思ってるんだけど」


 今ひとつ理解できていないのか、かたんと小首を傾げられる。そうだな、と少し考えて、説明を続けた。


「棚に並んだ引き出しを想像してもらうと、わかりやすいかな。それぞれの記憶がつまった引き出しが並んでる。普段使わないものが入っている引き出しは、あまり開けないだろう? けど、中に入っているものがなくなったわけじゃない」


 ゆっくりと、噛んで含む物言いに、胡桃は真摯な瞳で頷く。


「知っているはずのことが思い出せないこともあるけど、あれは正確には忘れてるんじゃなくて、どこにしまっているのかわからなくなってしまっているだけなんだ」

「――うーん」


 唸りながら、考えをまとめるように右上方を見ている。

 ――本当に、わかりやすい。内心で、微笑ましさの混じった苦笑が浮いた。


「あたしが忘れてる……忘れたつもりになってる記憶の中に、もしかしたら変な夢を見るきっかけになった原因があるかもしれないから、どこにしまいこんじゃったのかを探してみようってことですか?」


 自信なさそうな口調ながら、内容はきちんと意図を理解したものだった。

 おっとりして天然っぽいけど、意外と鋭いところもある。克海が胡桃を評した言葉を思い出した。

 彼の眼が正しかったと思うのと同時、こんなところまで似ている、と言い知れぬ切なさを覚え――


 誰に、という疑念が浮かぶ前に頭を切り替える。


「じゃあ、やってみようか」





 悠哉を信頼しきっているのか、それとも元が素直なのか。中にはまったく効かない人もいるのに、胡桃はなんの抵抗もなく、導くままに催眠状態へと入っていった。

 ソファの背もたれにゆったりと預けていた体から、さらに力が抜けるのが見て取れる。


 原因があるとすれば、胡桃自身覚えていないくらい幼い頃だろう。

 とはいえ、一気に十数年も遡るのは負担が大きくなる。焦らず、一年ずつ退行した。


 まずは去年、高校一年生のとき。中学から仲の良かった友達とクラスが分かれてしまって寂しい、けれど他に新しい友達もできてよかった――ぼぅっとした表情のままながら、質問にはよどみなく答えてくれる。

 一年、さらにまた一年。ゆっくりと年を遡っている途中に、問題はまったくと言っていいほど見つからなかった。

 まれに見るほど幸運だったのか、もしくは、困難を困難として受け取らない性質かもしれない。


 現在の胡桃を見ている限りでは、もっとも精神の病からは遠い人種との印象を拭えないのだけれど……


 結局、二歳まで退行したのに、奇妙な夢を見る理由、またおかしな現象に悩まされる原因、いずれも見つけることができなかった。

 もしかしたら、一度の施術では探れぬ、もっと深いところに闇があるのかもしれない。

 とにかく、これ以上の退行は無意味だ。負担が大きくならないうちに、徐々に時間を戻して暗示を解こう。


 方針を決めた、瞬間だった。


「――よう」


 閉じられていた胡桃の目が、パチリと開く。

 まだ暗示にかかってるはずなのに、瞳にははっきりと覚醒の光が灯っていた。


 一瞬、状況を把握できなかった。


 夢と現の間を彷徨っているはずの胡桃が、指示もなしに目覚めたことももちろん驚いた。

 けれどなにより、刻まれた表情が問題だった。

 底冷えするような鋭く、強い眼光、そして彼女の柔らかな笑顔とは似ても似つかない、野太い笑み。

 その表情に、覚えがあった。脳裏に、一人の少年の姿が浮かび上がる。


「――烈牙(れつが)、か……?」


 完全に、無意識だった。

 瞬間的に浮かんだ名前を口にして、ハッと口を押える。


 おれは今、なにを口走った……?


 胡桃は――否、胡桃ならざるモノは、ニヤリと唇をつり上げた。あたかも、肯定の返事のように。

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