9 吃吃吃営業
タイムロインを投稿してから三日間待ったが、高橋以外に連絡をしてきた者はいなかった。
と言っても、元々あまりLOINを使う方ではなかったので、日常的に連絡を取り合う人物は皆無だったわけだが、これではまずい。
もっとだ。もっと投稿しなければ。そう思い立った俺は、ルビーヴィトンのバッグの写真を撮り、タイムロイン機能を開く。
『挑戦。それが出来ない者は、やりたくない理由を探しているだけ。
やらない理由を探すぐらいなら、無策でも全力で走る方がずっといい。
これを見ている将来が不安な人、俺と一緒に人生変えませんか?
興味ある人はスタンプ』
投稿ボタンを押す。一分。一時間。十時間。一日待っても連絡は来ない。気が付けばバーベキュー会まで残り二週間と二日しか残っていなかった。
渡辺の言葉を、俺は思い出す。
――もし来なかったら自分から連絡入れてみたり、大学のゼミの人たちとか授業一緒の人たちとかに実際に声かけてみるのもいいかも!
俺から連絡……正直期待値は低かった。連絡先を交換している人間はいるが、実際にやり取りをしていた人は非常に少ない。というよりいないに等しかった。先日ブロックした高橋を除くと、今やり取りしているのは渡辺とこの前の男二人。いずれもCHARINの仲間たちだ。
そもそも興味があればこちらから行かずとも連絡をしてくるはずだ。それが来ないというのだから、こちらから連絡を入れたところで結果は見えているようなものだ。
俺はハッとなる。つい「できない理由」を探してしまったと。自分でタイムロインに投稿しておきながら、自分がそれを守れないなんてあってはならない。
LOINがだめならば、もう一つの方法を試すまで。大学で直接勧誘するしかない。俺は大学に持っていっているバッグの中身を全てルビーヴィトンのバッグに入れ替えた。レヴェルの低い大学だが、俺と同じ考えの人間は少しぐらいはいる筈だ。渡辺のように。
※ ※ ※ ※ ※
明確な目的を持った状態で歩むキャンパスの中は、いつもと違って見えた。なんというか、色々な音が聞こえてくる。心臓の鼓動が早まっているからだろうか。俺は授業のある教室へ向かいつつも、頭の中で作戦を整理する。
まずは誘う人間についてだが、頭が悪くとも真面目な人間の方がいい。高橋のように人を馬鹿にするのが生きがいのような不真面目な人間を、渡辺と合わせたくないからだ。
誘う人間を仮に候補生とし、その見分け方としては、講義が終わって五分経っても席を立っていない生徒が適切と考える。ちゃらんぽらんな人間は講義が終わったらすぐに席を立ってタバコを吸いに行くからだ。タバコを吸っている人間はもれなく不真面目だ。
それに席を立たないということは、その分講義の振り返りに時間を使っている可能性が高い。頭が悪くとも、授業の振り返りをする生徒は真面目だ。真面目ならば、俺の話も聞いてくれるはずだ。
作戦は簡単。授業が終わっても俺は席を立たず、五分間様子を見る。その間で立ち上がらなかった者を候補生とし、CHARINへ勧誘する。うまくいくかはわからないが、悪くない作戦だと思った。
いつもより早めに教室につき、後ろの席に座る。講義自体はどうでもいい。重要なのはその後だ。
時間を気にしているからか、この講義はいつもよりも長く感じた。誰が残りそうか目星をつけてみたりしたが、果たして何人が当てはまるか。その時がやってくる。
講義終了の音と共に、半数の生徒が立ち上がる。やはり不真面目な生徒はすぐ帰ろうとする。そんな奴らに用はない。意外と俺が目星を付けていた人間は残っていてくれたが、一分、二分と過ぎるたびにそれもどんどん減っていった。
焦ることはない。たった一人でも残ってくれればそれで良いのだ。俺はタイマーを測りながらそう考える。
結局五分間残っていた人物は五名ほどだった。もれなく全員一人でいる。俺はその中で、目星を付けていた人物をターゲットに絞る。
最初の掛け声は「ちょっといいかな」にするつもりだ。そこから身の回りで足りない商品はなにか聞き出し、CHARINの商品を紹介する。そこから会員になるよう誘導し、セミナーに連れていく。大丈夫。俺にはルビーヴィトンのバッグという勇者の剣があるのだから。
俺は立ち上がり、候補生の元まで歩く。小太りの男だった。
「あ、あの……」
「はい?」
「えっとあっ、いや……あっお、俺ビジネスやってて、いま。あっそれで身の回りになんかえっと、欲しい商品とかあったら教えてほしくてそれで! えっと、あっえっとなんかあるかな?」
「えっと……なんですか?」
「あっそっすね……すわせん。ちょっと、ちょっと話いいっすか?」
「あ~はい。なんですか?」
「あざすあざす。あっ俺三年の村松って言います」
「二年の伊藤です。先輩だったんですね」
「あっはい。まあ……えっと、今なんか足りてない商品とかあります?」
「足りてない商品? いや、特にはないかなあ」
「あっじゃあ一回使ってほしい商品があって、この『パワーマジック』っていう栄養ドリンクなんだけど、これ凄くよくて。俺がやってるビジネスの専用の商品なんだけど、これどうですか?」
「え? あぁ栄養ドリンクなら市販の『ビースト』で充分足りるからなあ」
「いや、ビーストよりも凄いいいやつで、あの、フェンシングの田中義弘も使ってるんですよ。うちからしか買えないからマイナーってだけで、一回試してほしいです」
「あ~いくらですか?」
「あっ三百二十円です。市販のよりちょっと高いですけど、だからこそいいやつで、一回やってほしいです」
「高いなあ……え、今持ってるやつくれるってことですか? あんま今いらないんですけど」
「あっこ、このサイトから通販で買ってもらう感じです。URL送りたいんでLOIN教えてくれますか?」
「あ~やっぱいいです。っていうか何してるんですか? なんかの活動?」
「え? あっいや、俺今ネットワークビジネスの活動していて、その営業で声かけた感じです」
「大学でそういうことやっていいんですかね? まあどのみちやりませんけど。んじゃあ、次の授業もあるんで……」
「あっ、うす……」
そうして、伊藤という男は教室を出て行った。教室内はいつの間にか俺だけになっている。
俺はため息をつき、椅子に座りこんだ。
何も、できなかった。
相手を前にした途端、頭が真っ白になって話したい内容が完全に記憶から消失していた。顔のありとあらゆる毛穴から汗は噴き出るし、口も異常なくらい重かった。これは俺の緊張からくるものだったのだろうか。
営業活動とは、ここまで難しいものだったのか。
渡辺はこんな高難易度の活動を、俺を含めて五回も達成していたというのか。そのことが信じられない俺は、頭を抱えて項垂れる。
思えば今まで俺は他人に何かをプレゼンするということを一度もしたことがなかった。学校の発表会とかがあっても常に表立って参加せず、後方から見守るばかり。能ある鷹は爪を隠すということわざが好きだった俺は、とにかくその通りに、自分の能力を隠して生きてきた。
自分の能力の高さは、自分だけが理解していればいい。
だが、ビジネスの世界ではそうもいかない。ましてや成功者として成り上がっていくのであれば、誰よりも前に、目立って生きていかねばならない。
俺の今までの生活とは真逆の道を、歩まなければならない。
俺はルビーヴィトンのバッグを抱きしめる。このバッグに誓った筈だ。俺は変わると。渡辺が誘った会員の中で一番の稼ぎ頭となり、彼女の視線を独占すると。何のための自己投資だったんだ。幾ら見た目が変わっても、中身が同じならば何の意味もないじゃないか。
俺はLOINを開き、渡辺の連絡先をタップする。
『勧誘やってみたけど、全然ダメだった。こんなに難しいなんて……』
はじめて人に弱音を吐いた気がする。先輩である渡辺からのアドバイスを聞きたかったのもあるが、心のどこかで彼女ならば俺の弱いところも受け入れてくれると思っていたのかもしれない。
返信は一時間後に来た。俺はその間次の授業にもいかず食堂でぼんやりしていたわけだが、彼女からの返信で活力が少し戻った感覚があった。
『最初はみんなそんなもんだよ! 私もひどかったもん笑』
俺はすぐに返信を返す。今、この瞬間にやり取りをしたかった。
『実際に人の前に立ったら頭が真っ白になって何も言えなかった。向いていないのかもしれない』
『決めつけよくないよー。向いてる向いてないは自分のやる気次第! その志事にやる気を向けられているならそれは向いてるってことだよ!』
『そうかな。俺いままでこういう発表とか一度もしたことがなくて……だから今からやってノルマまでに間に合うかどうかわからないというか……』
『間に合わない心配なんてしてもしょーがないじゃん。やらない後悔よりやる後悔! たった一回ダメだっただけでそんな弱気になってちゃだめだよ。私に愚痴る暇があるなら次の人探さないと!笑』
『すまん。確かに弱気になっていたかもしれない。できない理由を探しちゃ駄目だな』
『そーだよ! 須藤さんが言ってたけど、成功者は失敗することを考えないでとりあえず進むんだってさ! 失敗したっていーじゃん。それで終わりじゃないんだしさ』
『そうだな』
『元気出た?笑』
『出た。ありがとう』
『ならもう一軒いってみよー!笑』
憑き物が取れたような感覚があった。彼女の言うとおりだ。俺はたった一度の失敗でもう自分にはできないかもしれないと可能性に蓋をしてしまっていた。
一度できなかったからと言って、二度とできないわけではない。渡辺のように何度か挑戦して、成功した者だっている。
そうだ。俺は何も間違えてなどいない。ルビーヴィトンのバッグを買ったのだって、少し背伸びをして意識の高い自分を作るという自己投資の趣旨に倣った結果だ。それならば、見た目と中身が合っていないのは何も不自然ではない。
流石渡辺だ。俺の精神状態をあの短文から分析し、適切な言葉を投げかける。CHARINでの営業活動に慣れている彼女だからこそ成せた技であり、努力の結晶だ。
そんな彼女の稼ぎ頭になると俺は決めた。ならば、こんなところで諦めてはならない。成功者は失敗を考えないというのならば、俺もそうしよう。
まず俺に足らないものは経験値だ。期間は限られているが、一日でも多くの人に声をかけまくり、人前でプレゼンするという行為の難易度を低くする。そうすれば俺が言いたいことを伝えやすくなり、商品の魅力やCHARINの魅力を相手に理解してもらえるはずだ。
今が進化の途中というのならば、経験値を貯めなければ。たとえ天才であろうと、全くの無の状態から覚醒することなんてあり得ない。何かしら行動を起こし、その才能を開花させているのだ。
俺は自分が天才である可能性をまだ捨てていなかった。