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7 高級バッグは勇者の剣

「やっぱり思うのは、自己投資はまじで大事!」


 新入りの俺に興味を持ってくれた会員の男二人組が、頷きながらそう言った。一人はツーブロックで、もう一人は焼きそばのように髪の毛をくしゃくしゃにしている。


「CHARINで売ってる商品とかまさにそれで、値段は高いけどまじでモノはいいのよ。フライパンとか三十年使えるって話だし」


「俺も洗剤CHARINの使ってるけど全然違うわ。エナドリももう断然CHARINの方がいい。なんせ俳優のナカムーも使ってるっていうしなぁ。村松君も身の回りから変えていった方がいいって」


「そ、そうかなぁ」


「いや、まじで。持つと変わるから。てか今日ちょっと見てみない? せっかくの赤坂だし」


 ツーブロックの男が名案という様に手を叩いて言う。突然の提案に俺は少し困惑する。


「こ、これからっていくってこと?」


「こういうのはね、早いうちにやった方がいいんだって。会費分割で払ってるんでしょ? ならまだお金残ってるじゃん。見に行くだけでも、どう?」


「あーまぁ……えっと……うす」


「入会希望の人と会った時に身に着けておくとアピールにもなるしね。自信もつくよ」


「それはまあ……たしかに」


 分割だが、三十万円を払って間もない。正直ここで大きな出費は避けたかった。

 だが、俺以外の全員が何かしらブランド品を持っている。俺はそれらを拝借し、写真を撮っているという状態だ。恥ずかしくもあったし、申し訳なさもあった。


 俺だけまだ変わり切れていないのかと、焦りもあった。


 今までブランド品というものに一切の興味はなかったが、そうもいっていられないということだろうか。自分の身の回りから変えてゆく。意識の改革に必要な経費というのならば、惜しむことは損になるか。


「とりあえず……いくだけなら……」


 ブランド物に詳しいこの二人がついてきてくれるならば選びやすいだろう。そういった世界を覗くだけでも、何か勉強になるはずだ。


「いいねぇ。まじで意識変えてこ!」


 焼きそば頭の男が嬉しそうに笑った。


 どんどん変わってゆく。CHARINに入ってまだ一週間程度なのに。


 そうして暫く撮影したり景色を眺めたり、会員と情報交換をしていると、あっという間に二時間が経過していた。俺がそれをぼそりと呟くと、幹事役の女性があっと声を漏らす。そしてスイートルームの中心から声を張り上げた。


「やばい、あと三十分でチェックアウトだ。みんな今のうちに撤収準備しておいて!」


「もう?」


「はやいねー」


 どうやら三時間のみの貸し切りだったらしい。一人二万円も払って三時間しか貸し切れないとは恐れ入った。だが、目的が撮影ならば、これくらいの時間がちょうどよいのだろう。俺を含めた会員は足早に撤収の準備を進めた。


 時間ぴったりにチェックアウトを終えた俺たちは、ぞろぞろとホテルを後にする。そのまま解散になる流れだった。


「村松君、どうする? 俺たちついていくけど」


「あっ……はい。それじゃあ」


「ん? どうしたの村松君」


 先ほどの男二人と話す俺を見て、渡辺が目を丸くする。事情を話すと、その目を爛々と輝かせた。


「え、すっごくいいじゃん! 村松君行動力やばいね! 絶対成功するよ!」


「そ、そうっすかねぇ……」


 渡辺にそう言われ、俺は心臓の鼓動が加速していくのを感じた。高揚している。久しぶりの感覚だった。やはり行くだけでも行くと決めておいてよかった。渡辺の興味が、徐々に変わっていく自分に向きつつあるのを感じた。


「いきましょう」


 俺は男二人に伝え、赤坂の商店街を歩いた。渋谷と違って、静かでおしゃれな店や建物が並んでいる。


「ルビーヴィトン行きましょうよ! 絶対いいのありますよ!」


 ブランド物に興味のない俺でも知っている名前のお店に男二人が入ってゆく。黒い窓ガラスに金の文字と、いかにもゴージャスな店の雰囲気に少しひるんだが、勇気を出して俺もそこに続いた。


 店内はピカピカの大理石の床にカーペットが敷かれていて、照明が光り輝いていた。左右には商品であるバッグや財布などが並べられていているが、値札がついていない。一体幾らになるのだろうか。


 相場だけでも知りたかった俺は、前を歩くツーブロックに聞いてみる。


「あの、これってだいたい幾らくらいに……」


「こういう場所に来る人は値段なんて見ないですよ~。いいと思った物を選ぶ。それが大事」


「いや、でもちょっと高すぎるのは……」


「大丈夫大丈夫! 仮に高くってもそれだけ良いもの持ってるってことになるから、無駄にはならないですよ!」


「あっ……はぁ」


「あ、これめっちゃいい!」


 焼きそば頭の男が一つの商品に目をつける。ルビーヴィトンのロゴとクローバーが模様としてあしらわれている黒と金色のバッグだった。見ただけで高そうなのが分かる。


「これは俺も欲しいなぁ、絶対意識変わるわ」


「どう? 村松君」


 どうと言われても、というような感じだった。正直おしゃれというものに全く無頓着だったので、服装やこういったバッグの価値が自分にはわからない。今日の服装も英文字がプリントされたロングシャツにジーパンというあたり触りのないものだ。


 正直アピールの為に購入するというのならば、別にバッグでなくとも今日撮影に使ったポーチやキーケースの方が良い気がした。値段もブランドにしてはお手頃だろう。


 俺はそのことを二人に話すと、彼らはあーと納得するような声を出して続けた。


「そうなんですよねぇ。そこが後悔しているところでもあって……」


「妥協しちゃったって思っちゃったんですよね。やっぱり今成功してる人たちって自己投資に妥協なんか一切していなくって……だから稼げてないんだよなあー」


 二人は悔しそうに後頭部を搔いていた。そうか、妥協になるのか……。


 今日来ていた連中のほとんどは、ポーチやキーケースなどの小物に収まっていた。それは現状の自分たちでできる努力の証なのだろうが、それではその先にある「なりたい自分」も、小物止まりになってしまう。


 本当に意識を高く持ち、成功する自分を思い描くならば、少し背伸びをしてでも、良いものを身に着ける必要があるのではないだろうか。成功者は妥協などしない。


 だがバッグに興味を持たなかった俺がいきなりこんな高級品を身に着けたとして、ちゃんと使いこなすことが出来るだろうか。金額は分割で支払うとして、それが迷いだった。


「須藤さんとか凄いらしいですよ。こういう店入ると十分で五つは即買いして持って帰ってくるらしいですから。まじでコンビニかって」


「ハンボルギーニ路駐するから超目立つって言ってましたね。あの人は金遣いはんぱない!」


 須藤───。彼ぐらいになるとそんなに大胆になるのか。確かに彼の持ち物はブランド物で埋め尽くされていた。手取り十八万の時代にハンボルギーニを購入するような男は、やはり将来も全然変わってくる。


 少しでも須藤に追い付くには、並みの自己投資ではいけない。

 運転免許を持っていないので、彼のようにハンボルギーニを購入することは出来ないが、少なくとも今日スイートルームに集まっていた連中より一歩先に進むには、このバッグを身に着けるべきだろうか。


 そうすれば渡辺も、さらに俺に意識を向けてくれるかもしれない。


 巨額の投資を……俺は覚悟した。


「じゃ、じゃあ……これ、もっていけばいいですか?」


「え!? 村松君行っちゃう!? え、すごい……」


「うおおおおおお意識やべええええ!! まじかよ!!」


 二人は完全におののいている様子だった。CHARINに入ってまだ一週間の俺が、先輩である二人よりも大きな買い物をして見せた。最初の自己投資としては充分すぎるのではないだろうか?


 購入者の俺よりテンションの高い二人が、親切に店員を連れてきてくれた。そのままバッグを持ち、会計に進む流れらしい。


 会計場所ではじめて値段を確認した。その額十二万五千円。とても一括払いでは無理なので、分割払いにした。クレジットカードを持つ手の震えと手汗が止まらない。初めてのブランド品に、脳みそからドーパミンがジャブジャブ生成されていくのを感じた。


 俺が会計を進めていく中、一緒にいた二人はずっとやべえやべえと繰り返していた。彼らの畏怖するような視線は、まるで俺がとんでもない偉業を達成したみたいだった。俺はただの会員に留まらない。須藤を追い越し、渡辺の視線を独占するのだから。こんなもの、安い出費だ。


 店を出た後も、二人はずっと俺を褒めちぎっていた。二人はその見た目からしてとても活動的な「陽キャ」に分類されるであろう人物だろうが、そんな彼らを分かち、俺が真ん中に陣を取って歩いている。まるで二人を配下にしたかのような気分だ。


 俺はずっと力を持て余してきたが、実際に実力を見せつけ、畏怖されたのはこれが初めてだ。中々に悪くない気分だ。もっと前からこのように大胆に行動しておけばよかったと、少し過去を後悔した。


 だが、過去のことなどはどうでもいい。俺は再誕したのだ。これからの人生で、俺は畏怖されまくる存在になる。


 ルビーヴィトンのバッグは勇者の剣であり、俺の相棒。これからこのバッグと共に、俺は成功者の階段を駆け上がって見せる。


 ※


 家に到着するなり、俺はバッグの写真をとって渡辺に送り付けた。俺の覚悟を、彼女にも共有したかったのだ。彼女は忙しいのか、すぐに既読はつかなかった。ずっと反応を待っているのもおかしいので、俺はタイムロイン機能を開く。今日撮った写真や出来事、そして最高のスタートダッシュを周囲に見せつけるために───。


 俺はブランド物に囲まれる自分とバッグの写真を載せ、文章を打ち込んだ。


『最高の仲間たちと成功を祝って集まった。


 本当にみんな意識を持っていて光り輝いている。最高の刺激だった。


 大事なことは行動と自己投資。短い人生の中でどれだけ若い段階で動けるかが重要だと俺は思う。


 このバッグは本日の自分磨きで即買いしたもの。一緒にいた同志は驚いていたけど、俺にしてみればまだまだかわいい方。これを何個も買えるくらい、余裕を作って見せる。


 本気で人生変えたい人、将来が不安な人、心に余裕が欲しい人、俺に連絡を下さい。


 俺はこのビジネスを始めて本当に変わった。新しい自分、見つけませんか?』


 我ながら良い文章だと思った。そのままの勢いで、俺は投稿ボタンを押す。


 俺のLOINの登録数は総数で五十七人。その内の何名が反応を示すだろうか……。


 投稿を終えると、ドッと疲れが押し寄せてくるのを感じた。何より色々ありすぎた。机の上に置いてあるルビーヴィトンのバッグに視線を移し、今日を振り返る。


 問題はここからだ。最低一人を会員にする。幾ら良いものを買っても、意識を高めても、この目標を達成しなければ、渡辺の期待には応えられない。少なくとも、彼女が誘った他の者たちよりも良い成績を残さなければ……。


 そんなことを考えていると、次第に眠りに落ちていた。


 ※ ※ ※ ※ ※


 目が覚めると、二時間がたっていた。時間は夜の二十一時。変な時間に目覚めてしまったことを後悔する。


 俺は自室から台所へ向かい、一杯の水を飲む。リビングには母親が作ってくれていたハンバーグが置いてあった。両親はまだスマートフォンを持っていないため、俺の投稿には気が付かない。

 仮に気が付いていたとしても、身内を誘うつもりはなかった。両親のような近しい人間に、外の世界の自分を公開することはなんだか恥ずかしさを感じるからだ。


 イーメール欄には母親からのメッセージが記載されていた。『ランニングに行ってくるから先にお風呂入っていてね』とのことだった。このメッセージから一時間が経っているので、どうやらその要望には応えられそうにない。


 両親もLOINをやってくれれば、わざわざイーメールなど覗かずに済むのになと考えてしまう。もう続々と皆がスマートフォンに変えている。俺の周りで未だにガラパゴス携帯を使っているのは、両親と祖母だけだ。


 ハンバーグを食べる前に、スマートフォンを確認したかった俺は一度自室へ戻る。渡辺からの返事や、その他の人物から連絡が来ていないか淡い期待に足取りが軽くなる。まだ二時間程度しかたっていないから、そんな簡単に来るとは思えないが……。


 自室に戻り、スマートフォンを取り出す。通知は一件来ていた。


 その相手は渡辺ではなかった。彼女は忙しいのだろうか。一週間前はすぐ返事をくれたのだが……。


 懐かしい相手だった。高校生時代に三年間同じクラスだった高橋俊太。当時イーメールを交換し、スマートフォンに機種変更する際にLOINの機能で連絡先として自動追加されていた為、大学に入ってからも稀に連絡を取り合っていた仲だ。


『お前、急にどうした?w』


 高橋からのLOINはたった一言だった。この一言の意味が、俺にはよくわからなかったが、俺は戦闘準備の構えを取った。ここからどうやって彼を会員へと導くか……。


 俺はひとまず、こう返した。


『今から人生変えて変わろうとしているんだよ』

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