3 30万円分の覚悟
ここで渡辺の登場は自分としてもありがたかった。事業のことは理解しているが、やはり今この場で三十万円を使用する決断はどうにも気が引ける。
現在の貯金額は、両親からのお年玉などでコツコツ貯めた四十万円。分割払いができるとはいえ、全体の四分の三の金額を使用することを即決することはできない。
だからこそ、一度どうするべきか帰って考えようと思った。親に相談するつもりは今のところはないが、とにかく時間が欲しい。始めるとあらば稼げるようになるまでアルバイトを兼用することも視野に入れなければならない。そもそもこの道一本でいくならば就活はどうするべきか。とにかく考えることは多い。
きっとそのつもりで退室した者も多いはずだ。渡辺も恐らく理解を示してくれるだろう。そう思い、俺は彼女の問いに答える。
「いや、良いとは思いました。儲かる仕組みとかも理解できたんで……ただその……三十万……」
「やっぱりそうだよねぇ。そこだよねぇ」
「お金かかるって聞いてなかったんで……ちょっと……あの……いったんその……考えたいっていうか」
「それは今日はやめて一旦考えたいってこと?」
「はい……」
「う~ん」
渡辺は唇に手を当てて、斜め上を見る。何かを考えているのだろうか。次に何を話すべきか決めたのか、うんと頷いてからもう一度俺に向き直った。
「全然いいと思う。確かに三十万って大きい金額だと思うし、一度帰って考えたいって気持ちもすっごい分かる」
俺はホッとする。だが、答えはそれで終わらなかった。
「でもね、ここで決めなかったら多分村松君やらないっていうと思う」
「そ、それはどうして?」
「今さ、すっごい刺激受けたじゃん? 須藤さんのすごい話とか聞いてさ、いいかもって思ってくれてるじゃん? 今が一番勢いに乗っている時なんだよ。気持ち的な問題で。多分一回帰って考えるってなったら、頭が冷えちゃってあ、やっぱりいいかもってなっちゃうと思う」
「あ~いや、それは……」
「実際家に帰って考えても何もわからなくない? 家に帰ったら何か変わるわけでもないし、誰かが代わりにお金出してくれるわけでもないじゃん? だったら今やってる会員さんとか、今説明を受けている人とかが沢山いるこの場所でさ、一緒に考えて決めた方がよくない?」
「あの……まぁそうっす確かに。でもそのやっぱり……結構大きい金額で……今はちょっとその……卸したりもしなきゃだし」
「分割払いにすればいいじゃん。いきなり三十万円なくなるわけじゃないんだし、一回やってみて、ああこれ無理だなって思ったら二十日までなら支払った分の返金手続きもできるよ? ダメとは言わないけど、やっぱりこのまま持ち帰ってやっぱりいいやってなるのはちょっともったいないなぁって思うよ」
彼女の言葉に、俺は何も返せなかった。確かに分割払いにすれば、ひとまず貯金のお金は守ることが出来る。あとはCHARINの活動で得た収入で返していけば何も問題はない。返金手続きまであるというのだから、かなり良心的な方なのではと感じてすらいる。
だが何故だろうか……首を縦に振ることが出来ない。どうしても動かない。今この場で三十万円という大金を賭ける覚悟を決めることが出来ない。
ーークソっ! せっかく渡辺がここまで俺を説得してくれているのに! 彼女の力になれるというのに!
俺は拳を握りしめた。一言「やります」と言えればそれで軽くなるのに、どうしても口が動かない。三十万円というリスクが鎖となって俺の身体をぐるぐる巻きにしている感じだ。
「村松君? 大丈夫?」
渡辺が心配そうに俺を呼ぶ。心の中の葛藤が表にまで出てきてしまったのだろうか。俺はハッとなり、平然を装う。
だが、やはり三十万という金額は大きすぎる。二十日間は様子見できるとはいえ、逆にそれ以上経ってしまったらもう引き返せない。仮に失敗したとしても、その三十万を取り返すまではやめることが出来ない。現状留年している俺としては、これ以上の失敗は許されない───。
俺は力を持て余してはいるが、下手な勝負には挑まない主義だ。
自分の力は、自分だけが理解できていればそれでいい。
渡辺とビジネスできないのは残念だが、ここは戦略的撤退といくべきだろう。
「あの……やっぱり俺……」
「おいっすナベちゃ~ん。どう? 最近、人生変わってる?」
俺の頭上で、さっきマイク越しで聞いた声が聞こえた。渡辺の興味が、瞬時に俺から彼へと移り変わる。
「あっ、須藤さん! さっきの講演サイコーでした! ほんとにすごい刺激もらちゃって~」
いつの間にか目の前に、須藤力斗が立っていた。